オウムの神様
かめかめ
私の神様
「地震だ」
最初は軽い揺れだった。サユは大きな止まり木にぶら提げているブランコの揺れを撮影しようとスマホを構えた。揺れが強くなってきた。ブランコに乗っているタイハクオウムがするどい悲鳴を上げる。
「ボンちゃん!」
真っ白なトサカを立てて首を振りたてる。尋常ではないボンドの様子を見て、サユはやっと危機感を抱いた。大きな止まり木からボンドを抱き下ろして食卓の下に潜り込む。揺れはさらに大きくなり、立ち上がれないほどだ。ボンドが悲鳴を上げつづける。食卓の下にうずくまったままスマホを引き寄せる。
「ボンちゃん、大丈夫だから」
『ジシンカミナリカジオヤジ! ジシンカミナリカジオヤジ! ジシンカミナリカジオヤジ! ジシンカミナリカジオヤジ!』
ボンドはまるでヒップホップのラッパーのようにリズムよく大柄な体を揺らす。サユは地震の怖さもどこへやら。腹を抱えて笑い出した。
その様子の一部始終を収めた動画を、始めたばかりのSNSに上げてプチバズりした。それから見も知らないフォロワーのリクエストでボンドの動画を定期的に投稿し始めた。
初めは撮りためていたボンドの日常の動画だった。翼を大きく広げて踊ったり、止まり木に逆さにぶら下がって歌ったりと愛嬌を振りまくようなもの。しかしリクエストされるのはボンドのおしゃべり。おしゃべり動画はあまりない。サユは一人暮らし、基本的に部屋の中に人声はしない。仕事で家を空ける時間が長く、ボンドと話せる時間もそれほど多くはとれない。それに友人もいないサユの話題は毎日新鮮な会話をできるほど豊富ではなかった。
思案したサユは家を出るときにテレビをつけっぱなしにしていくことにした。ボンドがひとりでいる時間に退屈しのぎになっていいかと思ったこともある。案にたがわず、ボンドはテレビを気に入り、いろいろな声真似をするようになった。
『今日の天気です。今日は発達した高気圧の影響で晴れ』
と天気予報を聞かせたり
『こちらの美白化粧水、なんと今だけ半額!』
とテレビショッピングの情報を教えてくれもする。そのボンドの雄姿をスマホで撮影して投稿する。なかでもフォロワーからの反応が良いのは午前中のワイド番組の真似だった。
『どうでしょう、杉村さん』
『いやー、こんな詐欺まがいの手口で勧誘する宗教団体、怖いですねえ』
『信者を洗脳したりしとるんやないの?』
『それについてはですね、島崎さん。こちらをご覧ください』
つぎつぎと声色を変え、イントネーションやリズムもそっくりに真似る。ボンドの才能を今まで伸ばしてやれなかったとサユは悔しい思いをした。
ある日、サユが仕事から帰るとボンドが大きな声でおしゃべりを始めた。
『どうですか、ボンドさん』
『オイシソウ! ボンチャンタベタイ!』
『今年の『北川さんちのマンゴー』の出来は最高だそうです。マンゴー農園の北川さんによると』
『ボンチャンタベタイ!』
『とのことです』
いつものワイドショーの司会者の声とボンドの地声の掛け合いがみょうにツボにハマッた。サユはスマホで撮影を始めた。
『と、いうわけでスタジオに『北川さんちのマンゴー』が届いています』
『ボンチャンニトドイテイマス!』
『ボンドさん、感想は?』
『ボンチャンタベタイ!』
近隣に響きわたっているであろう魂の叫びかと思う大声にサユは困ってしまう。買ってやるしかないかとネット検索してそのマンゴーの価格に驚いた。
「ごめんね、ボンちゃん。そのマンゴーは、すっごくお高いんだよ」
『ボンチャンタベタイ!』
上手な物真似でのおねだりの動画はなかなか好評で、けっこうな数のフォロワー数増につながった。多くの人に知られることがこんなにも嬉しいと、内気で目立つことをしてこなかったサユは生まれて初めて知った。
『ぜひボンちゃんに『北川さんちのマンゴー』を買ってあげてほしい』
同内容のメッセージが複数来た。そんな動画が取れれば、またフォロワーは増えるだろう。そう思うと我慢できず給料日にボンドが食べたがっているマンゴーを取り寄せた。
マンゴーを食べやすい大きさに切り分け、平皿にのせて食卓に置く。
『マンゴー!』
「さあ、ボンちゃん、思う存分食べて!」
ボンドはすぐに止まり木から食卓に下りてきて皿を覗き込む。ルビーのように赤く輝く果皮につつまれた果肉は濃い黄色。切った断面から果汁が染み出て今にもこぼれそうだ。ねっとりと濃厚な甘い香りが部屋中に広がる。
ボンドはトサカを立て体を上下左右に揺らして感動を表す。
「どうぞ召し上がれ」
動画を撮影しつつサユが促すと、ボンドはゆっくりと片足を持ち上げて慎重に一切れつまみあげ、マンゴーをくちばしで挟んだ。くちばしの奥にマンゴーがつるりと消える。ボンドはピタリと動きを止めた。
「どうしたの? 美味しくなかった?」
『ここが天国だ』
聞いたこともない美声、中年男性のようにも聞こえる厳かな声でボンドがぽつりと言う。
『神はマンゴーの中にいた』
威厳のある話し方だ。なにかに憑依されたかのような変貌ぶりにサユは息を呑んだ。
『ボンチャンハ、カミニアッタ』
急に声が元に戻った。ボンドはトサカを立て体を上下に揺らして感激のあまり叫ぶ。
『オイシー! オイシー!』
いつものボンドの声と動きだ。サユはほっと胸を撫でおろした。あまりの美味しさにボンド自身でも意識せずに変わった声を出してしまったのだろう。
『ボンチャンオイシー!』
「良かったね、ボンちゃん」
この動画がまた凄い反響を呼んだ。ボンドの美声を聞きたいとたくさんのファンが熱いコメントを残した。
サユもあんなに喜んでくれるなら毎日でもマンゴーを食べさせてやりたいと思う。けれど一個で一万円を超え、送料も数千円になる『北川さんちのマンゴー』だ。おいそれと買えるものではない。
しかし翌日から、ボンドが毎日の餌であるペレットを食べなくなってしまった。
『神に会いたい』
ぽつりと美声で呟く。ボンドの姿を見たファンからサユを非難する声が上がった。たった数分で非難の声は驚くほど増え、炎上した。
なんの関係もない野次馬から送りつけられるメッセージ、嫌がらせとしか思えない大量のコメント。サユは疲弊して動画を投稿するのをやめた。
ボンドがハンストを初めて三日目。
『神よ、御許へ参ります』
威厳のある声でぽつりと呟いた。ボンドが死んでしまう!
サユは慌てて百貨店へ走り、三千円のマンゴーを買って帰り、切ってやった。
ボンドはマンゴーを一切れくちばしに挟み、すぐにペッと吐き出した。
『カミジャナイ! カミジャナイ!』
「ボンちゃん、マンゴーだよ、美味しいよ」
『カミジャナイ! カミジャナイ!』
どうしても食べようとしないボンドに弱り果てて、サユはSNSを開いた。フォロワーに獣医がいる。質問しようと思ったのだ。
二日更新しないだけでメッセージが千通以上届いていた。十通ほど目を通すとファンたちはボンドの身を案じて不安を隠さない文章を綴っている。中にはボンドの姿が見えず寂しすぎて死にそうと、病みかけているものもある。サユはあわててライブ配信を始めた。
「ボンちゃん、マンゴー美味しいよ」
なんとか食べてくれないかと、もう一度話しかける。
『カミジャナイ!』
「マンゴーだよ、マンゴー」
ボンドは不満げに両足を交互に踏みしめる。
『神よ、御許へまいります!』
コメント欄が一気に沸いた。サユを虐待犯人と貶す声がぞくぞくと上がってくる。
『神よ!』
「次のお給料で『北川さんちのマンゴー』をお取り寄せするから。だから今はこのマンゴーで我慢して」
『神よ!』
ボンドは地団太を踏む。見も知らぬファンが怒りをあらわにしてサユを責め続ける。サユの顔から血の気が引く。こんなに人に憎まれたことなどない。まるで見えない拳で殴り続けられているような恐怖を感じる。
「すぐ注文します!」
サユはスマホを掴み上げた。
『北川さんちのマンゴー』は完熟で発送されるため賞味期限が短い。一度に二個頼んで一週間もたす。それが精いっぱいだ。週に三万円ちかく必要だ。サユの稼ぎでは今の生活は続かない。だがボンドがまたハンストすれば炎上は免れない。かといってSNSをやめることはできない。画面を見ていない時間にどんな罵詈雑言を浴びせられているか気が気でなく仕事も手に付かないほどなのだ。サユは食費を削ることにした。
スーパーの賞味期限ぎりぎりの肉、色が変わって腐りかけたキャベツ。それが今日の夕飯で、明日の朝食で、昼食だ。調味料も買い足せず、塩だけだ。水道代もケチろうと洗う食器を減らすため加熱した肉をレンジ用のプラスチック容器のまま食卓に運び、ちぎったキャベツを容器の隅に押し込む。腐りかけていやなニオイをあげる肉は塩だけでは臭みも消えず吐き気を催す。キャベツも苦味と変なぬめりがあって口に入れたことを後悔した。
『神よ、今宵も恵みに感謝いたします』
ボンドが美声で喜びを謳いあげる。ボンドの夕飯は今日も『北川さんちのマンゴー』だ。とろりと滴る果汁が光を浴びてきらめいている。サユの口に唾がたまる。一度でいい、食べてみたい。けれど贅沢していることがボンドのファンにばれたらどんな誹りを受けるかわからない。けれどもう、この腐りかけの一皿を咀嚼したくない。
サユは立ち上がると吊り戸棚の奥からブレンダーを下ろして、肉とキャベツをどろどろになるまで攪拌した。灰色でどろりとしたもの。SF映画に出てくる不定形生物のようだ。嗅いでみると固形だった時よりも酷いニオイになっている。道にぶちまけられた吐しゃ物を思い出した。それでも栄養はあるはずだ。サユはぐっと呷る。
「げっほ!」
あまりの悪臭に咳き込む。とてもではないが飲み込めない。なんというものを作り出してしまったのだろう。捨ててしまいたいが、これはなけなしの費用を継ぎこんだ三食分の食材だ。捨ててしまえば飢えるだけ。でももう顔に近づけることができない。ちらりとボンドを横目で見る。マンゴーを堪能している。神とあがめる果物。どれだけ美味しいのだろうか。お気に入りだったペレットを一口も食べなくなるほど……。
ペレットのことを思い出してピンときた。固めたらいいのだ。冷凍庫を開けて製氷皿に入っている氷をシンクにぶちまける。灰色のどろどろを製氷皿に流し込む。もう一度鼻を近づけてみて、勢いよく顔をそむけた。酷い悪臭だ。そのままできるだけ腕を伸ばして顔から遠ざけ冷凍庫に入れる。ボンドの食後の片づけをして、空腹のままベッドに入った。
翌朝、ボンドのためにマンゴーを切ってやる。スマホのなか、ボンドのファンたちがコメント欄を朝のあいさつで埋め尽くしている。
『サユさんの朝食は?』
珍しくサユ宛のコメントを見つけた。顔出ししていないサユは冷凍庫から出した灰色のものを皿にのせて皿だけカメラの前に出した。
「完全メシです」
ウケた。ボンドのファンがサユの食事にもコメントしていく。自分が人気者になった気がして気恥ずかしく、皿を引っ込めた。口に入れてみる。しばらく舐めているとイヤなニオイを感じて、慌てて噛まずに飲み下した。
サユは毎食、凍らせた完全メシ、ボンドは『北川さんちのマンゴー』。判で押したように同じなのにファンは飽きずコメントし続けた。
『なんで収益化しないの?』
フォロワーからのメッセージにサユはぽかんと口を開けた。
『フォロワー数すごいし、インプレッションも十分なんじゃないですか?』
収益化など考えたこともなかった。だが調べてみるとサユは収益化プログラムの参加条件にマッチしていた。有料サービス会員になり、収益化プログラムの審査を受け、すぐに認可された。あっという間に懐が潤う。
『神よ、感謝します』
今夜もボンドは『北川さんちのマンゴー』にご満悦だ。トサカを立てて踊りながらマンゴーの皿の前で行ったり来たりしている。その様子をサユは菩薩のような優しい眼差しで見つめる。サユの手にも今『北川さんちのマンゴー』が乗っているのだ。
マンゴーを半分に縦切りにして種を取り賽の目に切り込みを入れる。それを皿に乗せてスマホのカメラの前に差し出した。
「今夜の私の夕飯でーす」
賛否両論のコメントが舞い踊る。かなり口汚く罵る人もいる。だがサユの心は凪の海のようだ。両手で抱えたマンゴーから立ち上る濃厚な南の香りがどこまでも心を広くしてくれる。
「いただきまーす」
フォークなど使わない。果汁が頬につくのもいとわず手づかみでかぶりつく。噛むほどもなくとろける果肉、溢れ出る果汁が口の端から滴り落ちる。甘い。脳髄の奥までひたひたと愉悦が満ちてくる。呆然と呟く。
「神様がいた」
口の端にピリッとした刺激を感じた。手の甲が痒い。見ると手が真っ赤に腫れている。口のなかもピリピリと痛む。痒みに似た痛みが喉の奥まで走る。咳が出そうだと思ったとき、息が詰まった。吸おうとしても空気がどこかへ逃げて行ってしまう。マンゴーを取り落とした。手が小刻みに震える。苦しくて食卓に突っ伏す。カメラに顔が映り込んだことに気づいたが構っている余裕はない。
『マンゴーアレルギー?』
『やばいよ、アナフィラキシーショックだよ』
『サユさん、救急車!』
コメント欄が大騒ぎだ。サユは手を伸ばしてスマホを握り、救急車を呼ぼうと電話アプリを起動しようとした。
『神様のバチが当たったんだよ。ボンド様のご飯を横取りするから』
ヒュッと喉の奥で音が鳴った。
腐りかけた野菜と灰色に変色した肉を適当に加熱してブレンダーでどろどろにする。製氷皿に注いで冷凍庫に入れる。ボンドのマンゴーを切るためビニール手袋をつける。ビニール越しでもマンゴーを触るのは、あの呼吸困難の苦しさと恐ろしさを思い出して背筋が凍る。
「神よ、感謝します」
最近ボンドの声は滑らかになった。もうオウム特有のたどたどしい喋り方、甲高い声を出すことがない。重い美声は今日もコメント欄を沸かせる。
『ボンド様、美味しく召し上がってください』
『俺は神のためにマンゴー絶ちします』
『神の恵みを見せてください』
まるでボンドを教祖のように担ぎ上げる。サユはボンドの食べ終えたマンゴーの皿を片付け、ビニール手袋を外し、念入りに手を洗ってから自分の食事を準備する。
『サユさん、私もシモベ飯です』
同じコメントが続々と上がる。サユは皿に正方形の灰色の氷を盛ってカメラの前に差し出してみせる。
「神様、生かしてくれてありがとうございます」
祈りの言葉を口にして氷を頬張る。がりがりと齧って飲み込む。氷の冷たさは、マンゴーを見ただけでアレルギー反応を起こして腫れた口内の痒みを抑えてくれる。生臭さにも慣れた。シモベ飯と揶揄される食事しかサユは採らない。これだけを食べていれば、もうあの恐ろしいアナフィラキシーショックを味わうことはないのだから。
「神は皆が口にする灰色のものを祝福してくださる」
サユの無事をボンドが確約する。
仕事から帰ると鍵が開いていた。母親が来ているのかと軽い気持ちで扉を開けて小さく息を呑んだ。廊下に白い羽毛が何枚も落ちている。
「ボンちゃん!」
奥に駆けこむと、部屋は散々な有り様だった。食卓は横倒しになり、止まり木は折れて床に落ちている。ボンドのケージの扉が壊れて真っ赤な血がついている。
「ボンちゃん!」
部屋のなか、どこにもボンドの姿はない。うろたえてスマホを取り出す。SNSの通知が来ている。タップすると大量のメッセージが表示された。すべて同じアカウント、熱狂的なボンド信者からだ。
『ボンド様が攫われました!』
『すぐに警察を呼んで!』
同じメッセージが何度も送られている。動画も送りつけられていた。確認すると映っているのは今いるサユの部屋だ。窓の外から撮影されている。
部屋の中に見知らぬ女がいた。ボンドのケージに手を伸ばしている。ボンドが大きく羽を広げて威嚇している。女はかまわずケージの扉を開きボンドの足を掴んだ。暴れるボンドを無理やりケージから引っ張り出す。ボンドは羽をばたつかせて扉にぶつかり白い羽に血が滲んだ。女は気にするそぶりも見せず大きな黒い鞄にボンドを詰め込んで消えた。
「け、警察を……」
震える手でスマホを操作しようとしたとき、パトカーのサイレンが響いて来た。
動画を送ってきた盗撮犯が緊急通報したのだ。自分も捕まるだろうというのに、ボンドの身を案じて。
誘拐犯人はすぐに逮捕された。
「私は神に背きました! もう許されないの! 死刑にして!」
誘拐犯を説得し自首させたボンドは取材に来たゴシップ雑誌記者にこう言った。
「神は信ずるものを救ってくださる」
「信ずるものとは?」
生真面目に返した記者がオウムの言葉を信用したのかはわからない。
「世界は五月に災厄に襲われる。人間、罪深き生き物、赦されざれば五月とともに去る」
事件のあと、ボンド信者がサユの家に押し寄せ続けた。
「私はボンド様のためならなんでもします!」
「俺もです!」
みんなワアワアと騒ぎ立てる。サユは恐れてドアを開けず、騒ぎをおさめるため警察に通報する必要があった。
ボンド信者は警察官に追い立てられてもすぐにまた戻ってきてドアの前で叫びだす。
「どうしよう、ボンちゃん」
「私が皆に話そう」
頼もしいボンドの言葉。サユは窓を開け、ボンドを窓枠にとまらせた。以前なら飛んで行ってしまうことを恐れて窓を開けることもできなかったが、今のボンドは普通の鳥とは思えない。
「皆、聞きなさい」
ボンドの声に気づいた人々がドアの前から離れて建物の外、窓の下に移動した。
「ボンド様!」
口々にボンドを呼び称える。
「私は神とともにある。皆の幸せを祈ろう。神が聞き届けてくださるよう祈ろう」
わあっと歓声があがる。それ以来、ボンドはSNSを通じて神の言葉を語るようになった。
「罰される日を恐れよ」
ある日、誘拐犯に対する思いは?とフォロワーから問われたボンドは厳かに答えた。
「罪を飲み込み祈りなさい。神は見ておられる」
シモベ飯を飲み込めば罪が許されると言うフォロワーが出てきて、飲食物をシモベ飯のみにしたら病気が治った、彼女ができた、昇進したなどといったコメントが続く。それを鵜呑みにするフォロワーが増え、ボンドの動画はますます宗教じみていく。ボンド教とSNSで話題になり、フォロワーは信者と自称し、SNSでの投げ銭はお布施と呼ばれた。
ボンドはサユの家に押しかける人に直接祝福の言葉をかける。ますます群がる人々のためにサユは引っ越さざるを得なかった。
SNSからの収入で引っ越しは容易だ。ボンドが要求するので仕事を辞め、北川さんのマンゴー農園の傍にある古く広い農家を買った。信者が多く押しかけても問題ない。
サユは業務用の大きな冷凍庫を買った。大量の腐りかけのキャベツと色の変わった古い肉をどろどろにして次々凍らせていく。ボンドの信者が泊まり込みの修行を始めたのだ。シモベ飯が必要だった。
タイハクオウムの羽の色に似た白い道着。信者が作り、ネット販売した売り上げはボンドに喜捨される。広い農家でも足りないほど信者が集まるので新しく道場を建てた。
「神の御意思に反するものが神を飲み込むとどうなるか見よ」
ボンドはアナフィラキシーショックでもがき苦しんでいるサユの動画を何度も繰り返し信者に見せつける。
「夫の暴力が酷いんです。このままでは殺されてしまいます」
そう言う中年の女性を幹部信者が罵る。
「それはお前が罪を犯しているからだ!」
「神からの試練だ! 罪を償え!」
道場に住み込んでいる信者が十数人で女性を取り囲みお前が悪いと口々に罵倒しつづけること数時間。女性は立っていることができなくなり倒れこんだ。
「神聖な道場に腹をつける罰当たりめ!」
女性が足蹴にされている。サユは無感情でそれを見ていた。
「ごめんなさい……、ゆるしてください……」
ほとんど聞こえない声で女性が謝罪する。
「人間は醜い。人間には価値がない」
サユの肩にとまったボンドが静かに、しかし張りのある深い声で言う。
「それゆえ神は試練を与えるのです」
サユがシモベ飯を女性に差し出す。
「噛みしめなさい」
女性は凍った灰色のものを噛み砕き、汚臭にえずく。
「あなたの罪を飲み込みなさい」
女性は次々と灰色の氷を飲み込み続けた。
一週間後には女性も新しい信者を足蹴にするようになった。信者は皆シモベ飯を噛み続け飲み込み続ける。ボンドはマンゴーを食す。
信者はどんどん増えた。道場は二棟になり三棟になり、村を占拠する勢いで建ち続ける。チャンネル登録者は世界規模で増え、動画配信でボンドが教えを垂れるととんでもない額のお布施がやってくる。そのお布施でボンドは神である『北川さんちのマンゴー』を買い占める。
ボンドが食べるほんの少しのマンゴー以外は御神体として地中に埋められる。そこから新しくマンゴーが生えたとき救われるのだと信者が言い合う。
五月、北川さんが亡くなった。突然の脳溢血。北川さんには後継者がいない。北川さんの農園で使っていた肥料の配合は秘密にされていた。もう神のマンゴーは作り出されることがなくなった。
「神は消えない」
ボンドが朗々と言う。
「神はある」
ボンドは御神体が埋まっている場所に飛んでいき、地面を踏みしめた。
「肥料を埋めよ!」
「だれも作り方を知らないのでは……?」
信者の一人が言うとボンドは厳かに答えた。
「私が知っている。この場に芽生える」
周囲に集まってきていた信者から歓喜の声が上がる。
「素晴らしい!」
「神のマンゴーが産まれるのですね、私たちは赦されるのですね!」
「皆、穴を掘りなさい」
いつものように幹部信者が土を掘る。いつもマンゴーを埋めるときより広く深く。信者たちもシャベルを手に穴に飛び込み、どんどん巨大な空間が広がっていく。
跳んでも人の手が届かないほど穴が深くなったとき、地面が揺れた。掘り出され、山と積まれた土が穴の中に落ちてくる。
『ジシンカミナリカジオヤジ! ジシンカミナリカジオヤジ!』
ボンドが甲高い声で叫び、バタバタと穴の上を飛び回る。
『ジシンカミナリカジオヤジ! ジシンカミナリカジオヤジ!』
信者の一人がぽつりと呟いた。
「……神の声じゃない」
一人、もう一人と上空を見上げ叫びだす。
「神なんかじゃない! ただの鳥だ!」
『ジシンカミナリカジオヤジ! ジシンカミナリカジオヤジ!』
揺れはますます強まり、立っていることができず信者たちは地面に倒れ伏す。轟く音と共に土が信者たちの上に降りかかり、あっという間に穴は埋まった。
揺れが収まったとき、そこにいたのはボンドとサユだけだった。
「ボンちゃん」
『イナイイナイバア』
サユの脚から力が抜けた。ぺたりと地面に座り込む。
「あんなに頑張ったのに、シモベ飯いっぱい食べたのに、なんでこんな」
『イナイイナイバア』
息苦しさを感じた。アレルギー反応が起きている。
「助けて、ボンちゃん!」
サユの手に掘り返されたマンゴーの種が触れた。マンゴーの果汁が染み込んだ土は粘ついている。辺り一面濃厚な甘い香り。喉を絞められているかのように空気が肺に届かない。ヒューヒューとイヤな音がするだけで酸素を取り込めない。
『ボンチャン、イイコネー』
トサカを立て、翼を大きく広げて左右に体を揺らすボンドの姿にサユは目を見開いた。そこにいるのはタイハクオウムだ。神の言葉を語るはずなどない。では自分たちは、いったい何を聞いていたのか。
意識が途絶える寸前、サユは聞いた。
『イナイイナイ』
神はいないと。
『バア』
オウムの神様 かめかめ @kamekame
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます