24 ミナイデ…

 石段を登りきると社の本堂が見えた。苔むした板葺きの社殿だった。建物の黒ずんだ木肌が年月の重みを感じさせた。入口には古びた注連縄が垂れ、二対の石灯籠が静かにたたずんでいた。

 

 本殿の背後には、古木に隠されるように、社殿と同じほどの大きさの祠がたてられていた。祠の扉は縦横の格子が施されていた。格子の奥は闇が深く、どこか禁忌めいた雰囲気を漂わせていた。


「げに禍々しき気じゃのう」

 白蛇が顔をしかめて言った。

 

「そうね。そしてこの気には覚えがあるわ」


 玉藻がつぶやいた。この雰囲気、海底に沈んだ白坂村の祠から時空を超えて訪れた、黒坂村の忌まわしき闇神くらがみ神社とそっくりだったのである。

 

 一行は臨戦態勢になった。白蛇は藤倉を守るため、藤倉の腕から肩にかけて巻きついた。剣奈は来国光をリュックから取り出し、ベルトに差し込んだ。玉藻はそのまま自然体でたたずんでいた。


 剣奈が口を開いた。


「もし…… きゅうちゃ(玉藻)が邪気に囚われていた時のように、邪気が玲奈姉を覆い隠していたら…… ボクがやる。玲奈姉を傷つけたくないから。きゅうちゃは緊急時以外は攻撃禁止でお願い。タダっち(藤倉)を守っていてほしい」

 

「まかされましてよ?」


 玉藻がにこやかに微笑んだ。役割分担の同意がなされ、剣奈が意を決したように頷いた。


 タッタッタッタッ


 剣奈は祠に向けて走り出した。


 白蛇が感じた妖しく淀んだ暗黒の気配。それは祠の奥に安置された石棺から、強く漏れ出していた…… そこに…… ナニかがいた。


 村人たちは戸津井鍾乳洞から、ドロリとした黒い粘体を久継闇原村まで運び込んでいたのである。その禍々しき真っ黒な粘体を…… 

 

 剣奈の駆ける音が、囚われの女の耳に届いた。そしてまどろみの中から、女の意識がぼんやりと浮上した

 

(音が聞こえる。この軽い足音…… アタイが昔、何度も聞いた愛おしいあの娘の……)


「……ねえ、……なねえ!玲奈姉!」

 剣奈が叫んでいた。

 

「玲奈っ!」

 つられるように、藤倉も叫んだ。

 

(声が聞こえる…… 子供の高い声。そしてアタイの愛しい…… あの人の……)


 バタン


 祠の格子戸が開かれた。外の光が祠の中に入り込んだ。祠の内部はがらんとしていた。十六畳ほどの板の間のその奥に、石の棺が安置されていた。禍々しくも妖気を孕んだような蠱惑めく気は、そこから漏れ出していた。


 剣奈はその石棺に駆け寄り、重そうな石の蓋に手をかけた。


「あそこと同じだね。きっと玲奈姉はここにいる。開けるよ?ん♡」

 

 ガタッ


 剣奈は剣気を使い、石棺の重い蓋をずらした。剣奈は霊刀の来国光と結紐(神聖なる霊脈気の紐)で繋がっている。剣奈は結紐を通じて来国光から剣気を得る。それにより身体強化や攻撃力強化、邪気を滅する聖力を駆使できるようになるのである。

 

 しかし剣気を受容するために「女性の座」で来国光と繋がっているため、剣気が流れ込む際、望まぬ快感が生じてしまう副作用があった。剣奈はそれを快感とは自覚していない。「剣気酔い」剣奈はそう思っていた。


 一般人には、ましてや小学生女児には動かせるはずのない重さの石棺の石蓋が…… ずれた……


 剣奈は見た。黒く禍々しいドロドロの粘体を。それはまるで人を覆ったような形をしていた。粘体をみた剣奈は目を見開いた。あの淡路闇坂村で、自分たちを呑み込もうと石棺から這い出してきた、あの黒き闇……


「み、見つけた!玲奈姉だっ!」

 剣奈が叫んだ。

 

「玲奈っ!」


 藤倉が祠の入り口まで駆け寄り、そこから石の棺の中を見て、叫んだ。

 

 コポリ……

 

(あぁ…… この声 愛おしくて 切なくて 大好きな…… 忠さま…… デモ…… ミナイデ…… こんな浅ましいアタイを……)


 ミナイデ…… コロ……シ……


 悲痛な声が、粘体の奥から微かに聞こえてきた……


 玲奈の魂を取り込んだ巫女は、生まれたままの姿で邪気に囚われていた。邪気は巫女の口や、深き闇の場所に触手をねじ込み、肉欲を刺激することにより、生じた妖艶なるエネルギーを、貪り吸収していたのである。

 

 玲奈にとってそれは、断じて人に見られたくない姿であった。ましてや、愛する藤倉には……


「どんな姿でも関係ない!玲奈姉は玲奈姉だから玲奈姉なんだ!」

 剣奈が叫んだ。さらに、

 

「大丈夫!ボクが邪気をはがすから!」


 幸いなことに、剣奈は玲奈が何をされているのか、さっぱり理解していなかった。玲奈が邪気に覆い隠されている。それ以外のことは剣奈には、全くわかっていなかったのである。 


 ミナイデ…… コロ……シ……テ……


 ゴボッ……


 黒い暗黒の粘体の奥から、再び悲痛な声が漏れ聞こえた。闇の儀式で絶望に追い込まれ、邪気にとらわれてしまった黒女。彼女は穢れまみれの身体を恥じ、心を閉ざした。しかし……

 

「玲奈、愛してる!たとえどんな姿でも。どんな事をされたとしても!俺にとって、玲奈は玲奈だ。俺にとって、玲奈であること、それだけで十分だ」 

 藤倉が叫んだ。

 

 タダサマ…… ゴボリ……


 その時である。黒き、暗黒粘体が動き始めた。その存在が薄くなったような気がした。


「くっ!」


 玲奈を覆う暗黒粘体は、神聖なる気を放つ剣奈と白蛇、そして強大なる妖気を放つ玉藻の存在を強く感じた。身の危険を感じた邪気は、異空間に逃走し始めたのである。


 闇坂村で圧倒的な力で村人たちをねじ伏せた玉藻に怯え、逃走した時の様に……

 

「あぁ! 逃げる!」


 剣奈が悲痛な声を上げた。しかし。


「逃がしませんわ! 零華氷縛れいかひょうばく!」


 玉藻が叫んだ。玉藻は素早く胸の前で腕を交差させ、そして勢いよく両手を広げた。玉藻の両腕から猛烈な妖気がほとばしった。


零華氷縛れいかひょうばく――かつて闇坂村で邪気を取り逃がした玉藻が、邪気の逃走を阻むために会得したわざである。


 それは九尾の強大なる妖気を用いて出現させし氷華。霊気満ちし氷華が敵を凍らせ、動きを鈍らせ、空間につなぎ止める。


 かつて玲奈を捕らわれ、その上、むざむざ目前で逃がしてしまった玉藻。あの時の一瞬の不覚…… それが玲奈を何百年も苦しめた……

 

 玉藻は激しく後悔し続けた。次は二度と逃さぬと、心に誓い、血の出るような研鑽を行ったのである。


 そして今、異界に逃れようとした邪気は膨大なる玉藻の妖気に捕らわれていた。脱走を阻まれ、その場で苦しげに痙攣する邪気。しかしなお、あがき、蠢動し続けていた。


 その時、闇を滅する力を持つ白黄の光がほとばしった。

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2025年12月31日 21:03
2026年1月1日 21:03
2026年1月2日 21:03

ボクは、必ず君を救う。たとえどんな姿の君でも…… 夏風 @SummerWind

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