二章
二章 1話
「陛下のご帰還である。開門せよ!」
城門の前でカインが大きな声で叫ぶ。そして、リーゼロッテを確認した衛兵が城門を開ける。そのまま馬のまま入る。
城に着いたリーゼロッテは出て行く時とはうって変わって、今度は隠れる事無く、城門から堂々と入って行った。もう、国境で起こった事は伝わっているはずなので、今更隠れる必要などは無かった。
そして、王宮を見て、馬を降りた時、リーゼロッテは深呼吸する。今から自分が行おうとしている事に対して、気持ちの高ぶりを抑えるように、ゆっくりと深く、呼吸を整えるように深呼吸をする。旅の途中、杜の氏族の村を出た後、リーゼロッテはカインとピエールに自分の考えを話していた。二人は、渋い顔をしながらも、リーゼロッテの考えを理解し、同意してくれた。
王宮内に入ると残っていた近衛騎士たちが剣を捧げた状態で起立している。そのままリーゼロッテは王座のある謁見の間に向かう。
するとそこにはもうルーベール、ザイーツを始めとするイーリスの重鎮たちがリーゼロッテの事を待ちわびていた。ルーベールを始めとする内政官達は一様に蒼い顔をしているが、それとうって変わってザイーツ達武官は何処か楽しそうな笑みを浮かべているようにも見えた。その面々の間をリーゼロッテが通り過ぎ、王座に腰を掛け、そのすぐ左ななめ後ろにカインが立つ。リーゼロッテが王座についた事を見届け、全員が一斉にリーゼロッテに傅き頭を下げる。
「面を上げなさい」
リーゼロッテの声で全員が立ち上がる。そして、挨拶もそこそこにルーベールがリーゼロッテに食付く様に声を上げる。
「陛下、この度の事ご説明を頂けますでしょうか?」
ルーベールの言葉に、リーゼロッテは頷く。
「解りました。では、私の考えをこれから皆に話します」
そこで一旦言葉を切ると、リーゼロッテは少し息を吸い込み、力強く話始める。
「まず、最初に話しておきます。イーリスは今日を持って国是としてきた中立の立場を取りやめます」
リーゼロッテの第一声に、一瞬全員が黙り込む。恐らくその言葉の意味を一瞬で理解できた人間はほとんどいないだろう。そして、その言葉の意味が解り出すと今度は口々に言葉を発しだすが、どの言葉もまともに聞き取る事は出来なかったが、どれも同じような意味を持った言葉を発していた。「なぜ、今永世中立国を止めるのだ?」それぞれの言葉は違うが、結局はこの言葉に尽きるようだ。
そして、少し落ち着いたところで、リーゼロッテは再び口を開く。
「そして、今日からイーリスは総ての流民を受け入れます」
この言葉で更にざわめきがおこる。そしてそれが少しおさまった所で、ようやくルーベールがリーゼロッテに話しかけた。
「恐れながら陛下」
「なんでしょうルーベール?」
「なぜ、そのような事をなさろうとするのでしょうか?」
その言葉にリーゼロッテは何の躊躇いもなく答える。
「民の為です」
「民の為……ですか?」
「はい、そうです」
「しかし陛下、民の為と言うのであれば、なぜ永世中立国の廃止などと言う事を言われるのでしょう? 永世中立国である事こそ、無用な戦争をせずに民たちが苦しむ事も無いはずです。なのになぜでしょう?」
「イーリス国内だけでいえばそうでしょう。しかし、イーリス以外の国はどうですか? 私は国境で悲惨な状況を見てきました。軍隊が自国の民に切りつける状況を。こんな事は有ってはならないことです。そんな国の人達を受け入れ、それを総て自国民とし、その人達を守るために戦います」
その言葉にルーベールは少し声を大きくして返す。
「そんな事をしたら国が、イーリスが立ちいかなくなります! そんな新たに増えた民を食べさせていくだけの余裕はイーリスにはないのです! 直ぐにイーリス国民と流民との間で摩擦が起こり内乱に陥ってしまいます! どうかご再考を!」
「それは私も解っています。しかし、流民を受け入れるのは一時の事です。それであればイーリス国民との間に摩擦はそれ程生まれないでしょう。むしろイーリスの国民は暖かい気持ちで、流民になった方々を受け入れるでしょう。私はイーリスの国民はそう言う国民だと思っています」
そこで今まで黙っていたザイーツがリーゼロッテに話しかける。
「陛下、どういう事ですかな? なぜ流民の受入は一時だけと言い切れるのですかな?」
ザイーツの言葉にリーゼロッテは答える。
「はい、私は人はもともと生まれ育った所で暮らすのが一番だと、そう思います。住み慣れない、風習も文化も気候も違う国や場所ではなかなか馴染む事も出来ないでしょう。そこには不満や不安な気持ちが芽生えるでしょう、それが摩擦の原因となるはずです。ですから、その国の人達はいずれ自分の元いた村や街、あるいは国に戻れるようにしようと私は考えています」
リーゼロッテの言葉にザイーツは少し笑ってしまう。
「ハハハ! 陛下生まれ育ったとこに戻れないから流民になったのでしょう? それをまた戻れと言われるのですかな? 陛下もなかなかに酷いお方だ、戦争が続く国には誰も帰りたがらんでしょうな」
「はい、私も戦争が続く国には誰も帰りたがらないと思います。しかし、戦争が終わり平和な国になっているのであればどうでしょうか?」
「それは……是非もないでしょうな」
「では簡単です。その国の戦争を終わらせればいいのです」
リーゼロッテの言葉にザイーツは少し考える。そして、リーゼロッテの言葉の意味を理解し、それが解った時、ザイーツは思わずニヤリと笑い、そして、大きな声で笑い出す。
「ハハハハ! なるほど! それでは、素晴らしいお考えだ。では、我々のする事はなるべく早く、最短の期間と言っていいほどで、更に被害を最小限に留めればいいわけですな。そうすれば、その後の税収も望める。万事うまくいく。そう言う訳ですな?」
ザイーツの言葉にリーゼロッテはニコリと笑い「はい」と答える。ザイーツはその言葉に頷く。しかし、その横ではザイーツ達武官とは違い、ルーベール達文官は納得しない顔をしている。
「陛下、そんな物は机上の空論にすぎません! 仮にそうなったとしても、その後はどんどん戦火は広がります、そんな状況では流民達はいつ帰れるかもわからない状態に苛立ち、いずれはやはり内乱になってしまいかねません! 陛下、ここはどうか、どうかご再考下さいますようお願いいたします」
ルーベールの戦争に対する拒絶感は強く、なかなか説得できそうにはない。どうすれば納得させられるのか? リーゼロッテが思案しているその時、一つの報告を持った近衛兵がカインに耳打ちする。その報告をカインはリーゼロッテに伝える。そして、その今もたらされた報告を目の前に集まった者達に告げる。
「たった今、遠方からお客人が見えたようです。ただいまから、お客人との面会をしたいと思います。ルーベール卿、ザイーツ卿、私と共にお客様のお相手をして下さい。他の者は一旦解散とします」
リーゼロッテの言葉と共に一旦解散となり、ルーベールとザイーツの残された謁見の間に、何人かの人間が通される。リーゼロッテの前に立つと少し頭を下げる。そして、その者達の代表と思われる物が一言挨拶をする。
「私どもはグライラット帝国より使わされた者、イーリス王国国王陛下にございますね?」
その言葉に、カインが答える。
「いかにもここにおわすお方はイーリス王国国王、リーゼロッテ陛下にあらせられる」
「では」
そう一言いうとその男は小さく咳払いし、一枚の羊皮紙を取り出す。そして、そこに書かれた事を読み上げる。
「以下にグライラット帝国から、先の戦闘に対する賠償を要求する。
一つ、我が国への侵略行為を認め、これを賠償する事。
二つ、我が国の将兵を殺害したことを認め、これを賠償する事。
三つ、我が国の領民に対して行われた虐殺の事実を認め、これを賠償する事。
四つ、これが イーリス国国王の命令によって行われた事実を公表する事。
賠償の方法として、いかに定める方法にて賠償を求める。
イーリス国の所有する領地のグライラット側三分の一をグライラットに割譲する。
ミスリル鉱山の採掘権及び、その精製技術の譲渡。
金貨一千万枚。
上記の賠償を速やかに行う事。期限は一〇日以内とし、それまでに返答がなければ、グライラット帝国はイーリス国に対して宣戦を布告し、実力を持って知らしめる事になる。
グライラット帝国皇帝 グリーズ三世」
「何を馬鹿な事を!」
思わず怒鳴りつけるザイーツ。しかし、グライラット帝国の特使はそれを気にする事も無く今読み上げた羊皮紙をリーゼロッテに対して見せつける。その不当な要求に対し、ルーベールは蒼い顔をし、ザイーツは今にも切り掛かりそうな状況。カインはそれを無表情に見つめる。しかし、リーゼロッテだけはなぜか笑顔のように見える顔でグライラットの特使を見つめている。
「イーリス国王陛下、ご返答は一〇日以内にお願いいたします」
最後にグライラットの特使がそう告げると、リーゼロッテは笑顔で答える。
「解りました。では、特使様グリーズ三世陛下にこうお伝えください。イーリスは他国に屈服する事は有りません。もし、宣戦を布告されるようなことがあれば、イーリスは貴国に対して徹底的に抗戦し、貴国を併合するまでこの戦争は終わらないと覚悟をしておいて下さい。そのようお伝え頂けますか?」
リーゼロッテのその言葉に青ざめていた顔を更に青くさせたルーベールは思わず言葉に出してしまう。
「へ、陛下! 何故そのような事を!」
しかし、リーゼロッテは笑顔を崩すことなく特使に言う。
「では、特使様、本日のご用向きは以上でしょうか?」
リーゼロッテの笑顔に不気味さを感じ、思わず震え上がってしまいそうだったが、顔は何とか平静を保ちリーゼロッテの言葉に返事を返す。
「さようです」
「では、お帰り下さい。カイン、特使様のお帰りです。ご案内を」
カインはそう言われると、リーゼロッテの側を離れ、特使の横を通り過ぎ大扉を開ける。
「では、特使様、くれぐれもお気をつけてお帰り下さい」
カインらしくもない言葉を特使に送る。カインの中でもかなり腹が煮えくり返る思いだったのだろう。かなりの殺気を放ち、特使達を見送る。
特使達が出て行ったあと、ルーベールはまだ青ざめた顔でリーゼロッテに話しかける。
「陛下、何もあのような形で追い返さなくてもよろしかったのではないでしょうか?」
その言葉にザイーツが答える。
「しかしルーベール卿、あのような条件のめるわけは無かろう? それは卿も理解されたはず。違いますかな?」
「しかしそんな物は外交次第では条件を変更する事も出来たはず。それもせずにいきなり宣戦布告とも取れるような言葉で追い返してしまうとは……」
その言葉にザイーツは返す。
「しかしこの度の事、先に手を出してきたのはグライラットとも聞く。そうであればあの条件は完全にこちらが舐められている証拠。それを外交で解決するというのはどうかと思われますがな」
「しかし……」
そこでリーゼロッテが声を掛ける。
「もう後に戻る事はできません、今は争っている場合ではないのです! 二人とも準備を進めて下さい。これは勅命です」
そう強く言い放つリーゼロッテ、その言葉にルーベールは頭を抱えてしまう。しかし、そんなルーベールと違って、ザイーツの表情はどこか喜んでいるようにも見える。
「陛下、今すぐにでも予備役の兵を招集し、戦に備えます。それと、国境の警備を厳重にするように手配いたします。それでよろしいでしょうか?」
ザイーツの言葉に頷き答える。
「そのように。ですが、決してこちらから攻め入る事はなりません。あくまでも、こちらは守りに徹するようにお願いいたします」
「御意。では、私はさっそく準備に取り掛からせていただきます」
頷くリーゼロッテ。ザイーツは軽く頭を下げて謁見の間を後にする。
「面白い時代になりそうだ」
ザイーツは謁見の間を出た後、一人呟き思わず頬を緩めてしまう。
謁見の間では未だ頭を抱えたルーベールだが、ふと顔を上げてリーゼロッテを見る。そして、徐に話しかける。
「陛下」
「なんでしょう?」
「もう私は必要ないのでしょうか?」
ぽつりと呟くルーベール。
「そんな事は有りません。私は戦争を望んでいる訳ではありません。戦争などせずに事を運べるのであればそれに越した事は有りません。ですから、ルーベールには今後も頑張って頂かなければなりません。今後ともよろしくお願いいたします」
「解りました。しかし、私は今度の事、まだ諦めたわけではありません。私は出来る限り戦争を回避するよう努めます」
そう言うとルーベールは頭を下げ、足早に謁見の間を後にする。
謁見の間に残されたリーゼロッテとカイン。二人は暫く黙ったままいる。そんな沈黙をリーゼロッテが独り言のように呟き終わらせる。
「これでよかったのでしょうか……」
まだ迷いがあるのだろう、リーゼロッテはそんな言葉を呟いてしまう。しかし、事はもう動き出してしまった。そう思い直し、決断したことを少し後悔する自分を戒めるように、自分の頬を叩く。そして立ち上がり、部屋に戻るリーゼロッテ。その後ろにはいつものようにカインが続く。
そして、戦争への準備は進められていくのであった。
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