一章6話


 リーゼロッテが眼を覚ましたのは倒れてから丸一日たってからの事だった。

薄らと眼を開けるリーゼロッテ。ぼやけた視界に傍らで二つ並んだ椅子に二人で寄りかかる様に寝ているフィンとミュゼ。

「眼を覚まされましたか陛下?」

 ぼんやりとした頭で声がする方を見ると、そこにはカインとピエールの姿。

「ここは?」

「ここは陛下用の幕舎の中です。昨日治療が終わった後、気を失って今まで眠っておられました」

「そうですか……迷惑をかけてしまったようですね。申し訳ありませんカイン、ピエール」

 そう言って動き出そうとするリーゼロッテ。それを慌てて制するカインとピエール。

「陛下、まだもう少しお休みになってください」

「しかし……」

「もう、流民の方は大丈夫です。陛下のおかげをもちまして怪我人も順調に回復しています。食料もいきわたり少しずつですが、よくなりつつあります」

 カインの言葉に安心したリーゼロッテ。

「そうですか……良かった……」

「はい。ですから今はもうしばらくお休みください」

「ありがとうございますカイン。申し訳ありません。では、もう少しだけやすませていただきます」

 その言葉に安心するカインとピエール。

「でも……」

「なんでしょう?」

「少しお腹が空いてしまいました……」

「解りました。何か用意させましょう」

 そう言ってカインはミュゼとフィンを起こす。

「二人とも、いつまで寝ているつもりだ?」

 声を掛けられたフィンは慌てて立ち上がる。そして、フィンに寄り掛かる様にして寝ていたミュゼが今まで寄り掛かっていたフィンがいなくなったため、フィンの座っていた椅子におもいきり頭をぶつける。

「いったーい!」

「何してるのミュゼ。陛下が眼を覚まされたのよ!」

「え!?」

 ミュゼは慌てて立ち上がる。

「陛下! ああ、良かった!」

 ミュゼは思わず涙ぐんでいるようだ。フィンの方も、いつも通り冷静に見えるが、その眼は何処か潤んでいるようにも見えた。

「本当に良かった……」

 一言そうフィンは漏らす。

「二人とも、随分心配をかけてしまいましたね。本当に申し訳なく思います」

 頭を下げるリーゼロッテ。そして、更にリーゼロッテが話しかける。

「寝ていたところを起こしてしまって申し訳ないのですが、何かお腹の中に入れたいのですが、お願いできますか?」

 その言葉に二人はやる気を出す。

「かしこまりました! 直ぐにお持ちいたします!」

 そう言って一度頭を下げると、ミュゼは直ぐに部屋を出て行く。それをフィンは見送る。

「陛下、食事の前に御着替えを。湯あみはできませんが、身体をお拭きいたします」

 フィンがそう言うと、ピエールとカインは幕舎の外に出る。そして、暫くすると近くの幕舎から良い香りが漂ってくる。ミュゼが食事を作っているのだろう。ピエールはその匂いのする方に向かい、幕舎の中を覗き見る。そして、ミュゼの姿を見つけると、その目の前の鍋を見つめる。

「どうしたんですかピエール?」

 少しおどけながら、鍋を見つめるピエール。

「駄目ですよ! 陛下のお食事なんですからね!」

 ミュゼにそう言われると、ピエールは急に何かを見つけたかのようにふとあらぬ方を見る。それにつられてミュゼもそちらに目線をやる。その隙に、ピエールは鍋の中に入ったスープを一口飲み、満足そうに微笑む。

「あ! 今飲んだでしょ! もう、ほんとに……」

 そう言っている間にもピエールは、切り揃えられた大きな丸いパンの真ん中を一つ抜き取り、それをもぐもぐと食べ始める。

「あ! パンまで! もうほんとに! つまみ食いするなら出て行って下さい!」 

 ミュゼにそう言われ、ピエールは幕舎を追い出されてしまう。そして、カインの下にとぼとぼと戻ってくるピエール。

「なんだピエール。またつまみ食いして怒られたのか?」

 カインは、しょんぼりとしているピエールを苦笑いで見ている。そうしているうちに中にいるフィンから声が掛かる。

「もういいですよ」

 そう言われて中に入る二人。中には身綺麗になったリーゼロッテが着替えを済ませ、ベットの上に座っていた。

「二人とも、改めて礼を言います。ありがとうございます」

 リーゼロッテは笑顔で二人に頭を下げる。

「陛下、どうかお気になさらないでください。これも臣下の務めにございます。もうすぐ食事も運ばれてきます。それを召し上がったらもう少しお休みください」

「解りました。そう言えば……」

「何か?」

「ミリアムの姿が見えませんね」

 その言葉にフィンが答える。

「ミリアムなら今出かけてますよ。何か、探しに行くと言ってましたけど……」

「そうですか、解りました」

「陛下、お待たせしました!」

 そう言って、元気に入って来るミュゼ。先ほどのスープとパンを乗せたトレイをリーゼロッテの前の机に置く。そこからは美味しそうな香りが漂う。机の上に置かれたスープをリーゼロッテは一匙掬い口に運ぶ。いつもはガサツな感じがするミュゼだが、料理の腕は一流で、どんな場所でも、どんな材料でも素晴らしい料理を作る。逆にいつも冷静なフィンは料理の腕は全く駄目だ。しかし、フィンはリーゼロッテの身の回りの事を完璧にこなす。ある意味いいコンビと言える。

 リーゼロッテが食事をとっている姿を皆で見ていると、リーゼロッテが皆の顔を見ながら話し始める。

「そんなに見られていたらなんだか食べにくいです。少し外に出ていてください」

「これは失礼しました。では、みんな一度出よう」

 カインの言葉にピエールを除くみんなが外に出て行く。それを見送って一つため息を吐くリーゼロッテ。そして残りのスープを口に運ぶ。スープを飲み終わって一心地ついたところで、またため息を吐き、今度は悲しそうな顔をする。その顔を見たピエールがリーゼロッテの顔を覗き込む。

「ピエール、いたのですか?」

 こくりと頷き、ピエールがリーゼロッテの頭を撫でる。こんな姿をカインに見られたらまた威厳が無いなどと言われそうな姿であるが、ピエールだけが唯一、リーゼロッテの甘えられる相手だった。ゆえに、リーゼロッテはそのピエールの手をそのままにする。

「私は駄目ですね……まだまだ力も無く、自分で出来る事も少ない。知識も強さも無い……いつもこうやって皆に迷惑ばかりを掛ける……」

 誰かに聞かせる訳でもなく、ただ独り言のように呟くリーゼロッテ。それを黙って頭を撫でながら聞き続けるピエール。

「私はもっと頑張らないといけませんね。自分で判断して、自分で何でもできるように! ありがとう、ピエール。もう大丈夫です。皆を呼んできてもらえますか。他にここで何かできる事が無いかを確認します」

 リーゼロッテの言葉に頷き、幕舎の外にいるカイン達を呼びに行くピエール。

「お呼びですか陛下」

 カインの言葉に頷くリーゼロッテ。

「はい。現状を教えてください」

「解りました」

 カインはそう言うと、リーゼロッテが倒れていた間の事を話し出した。リーゼロッテ達の持ってきた物資殆ど配り終わり、それによって流民達の生活はよくなったが、恒久的なものではなく、いずれは物資を使い果たせばまた今と同じような状況になるだろう、そしてそれを防ぐためには彼らに安心して住める土地を与え、自立して生活できるまで面倒を見ないといけないだろう。と、カインはリーゼロッテに説明する。その言葉にリーゼロッテは考え込む。確かに一時的な援助だけでは流民達は救われる事は無いだろう。では、やはりイーリスに流民を受け入れるしかないのだろうが、イーリスもそれ程裕福でもないし、土地もそれ程肥沃ではない。何とか今は国の人口は支えられているが、これ以上の人口を養う事は難しいだろう。これ以上の人口をイーリスに受け入れてしまえば、必ず国内で軋轢を生んでしまう。そうなれば最悪内戦にまで発展しかねない。では、どうすればいいのか? ほんとうであれば自分たちの住んでいた所に安心して住めれば一番いいのだろう。では、どうすれば元の場所に戻り、安心して住めるようになるのか? リーゼロッテは考えた、そして一つの結論に達した。しかし、リーゼロッテはそれを口にすることは無かった。そう、今の状況ではそれは到底無理な事であったからだ。

 その時だ、外が妙に騒がしくなってくる。

「どうしたのでしょう?」

 リーゼロッテの言葉にカインが返す。

「見てまいりましょう」

 そう言ってカインは幕舎を出て行く。そして、近くの兵士に声を掛ける。

「おい、何かあったのか?」

「え? ああ、カイン様。実は対岸の流民の居留地にグライラットの兵隊が現れまして」

 そう言われたカインは、対岸の方を見る。確かに、居留地にはグライラットと思われる兵隊が二百人ほどいた。

「あれは何をしているんだ?」

 カインの疑問にその兵士は答える。

「恐らく連れ戻しに来たのでしょう」

 カインの見ている所からでは声は聞こえないが、その様子から何か言い合っているようにも見える。そして、兵隊が剣を抜き、それを流民の代表だろう今まで話していた相手に着きつける。怯えた様子の男。しかし、それでも男は懇願しているように見える。

「カイン、何かあったのですか?」

 幕舎の中からリーゼロッテが出てくる。

「陛下、グライラットの兵が流民を連れ戻しに来たようです」

 そう言われたリーゼロッテは対岸の方を見る。そして、リーゼロッテが対岸を見たその時、それは起こった。今まで剣を突きつけていた兵士が、今まで話していた流民に切り捨てたのだ。リーゼロッテは何が起こっているのか一瞬理解できず、暫くそれを眺める。そして、その事をようやく理解する。

「いったいなんてことを! 自国の民を切りつけるなんて絶対に合ってはならないこと、カイン、助けてあげてください!」

 リーゼロッテの言葉にカインは首を横に振る。

「陛下、こればかりは何ともなりません。イーリスが攻撃を受けている訳ではない以上、こちらからグライラット領に入る訳にもいきません」

「それでは目の前の事をただ見ているだけしかできないと?」

「その通りです陛下」

 カインの言葉にリーゼロッテは唇を噛みしめる。その意味はリーゼロッテにも解っている。しかし、目の前でくり拡げられている惨劇を止めれない。その事実にリーゼロッテは眼をそらしてしまいそうになる。

 しかし、そうしている間にも、グライラットの兵隊達と流民との間に混乱は広まりつつある。最初は流民達も抵抗をしていたが、グライラットの兵士は武器を持ち、抵抗する者を鎮圧し始める。そして、それから逃げようとするものが橋を渡ってイーリス側に渡って来るが、イーリス側ではそれを兵士が止め、押し戻している。それを何もできずにただ見ているだけのリーゼロッテ。眼からは自然と涙が零れ落ちている。そのリーゼロッテに流民の一人が話しかける。

「なあ、あんた俺達の事を助けてくれたじゃないか! なら、今も助けてくれよ。頼むから、お願いだから!」

 その言葉にリーゼロッテは顔をそむけることしかできない。リーゼロッテの代わりにカインがその男に答える。

「すまんが、それは無理だ。我々が攻撃を受けている訳ではない以上、こちらから攻撃を仕掛ける訳にはいかない」

 顔を青ざめさせて男が答える。

「じゃあ、俺達に死ねと言うのか?」

「すまん……」

 カインもただそう一言言う事だけしかできなかった。

「そうかよ……解ったよ!」

 男は何かを覚悟したかのように、グライラットの兵士、いや、指揮官であろう者に向かって大きな声で叫びだす。

「どうしたグライラットの腰抜けども! 俺達は直ぐにでも逃げ出せるんだぜ? 指揮官は能無しか? お前らの敬愛する皇帝陛下もお前らみたいな大馬鹿野郎なのか?」

 明らかにグライラットの指揮官を挑発するような発言。それに、グライラットの皇帝に対しても不敬にあたる言葉を吐き続ける男。グライラットの指揮官は確実に頭に血が上っている。今にもその暴言を吐き続ける男を捕まえ、させようとしているが、それを副官が抑える。そして、吐き続けられる暴言についに堪忍袋の緒が切れたグライラットの指揮官は弓兵に対して命令する。

「あの男を射殺せ!」

 その命令に躊躇っていた弓兵の一人の弓を取り上げ、指揮官自らその男に対して弓を弾く。その矢は大きく外れるが、それを皮切りに弓兵達が矢を撃ち始める。次々と撃たれる矢が男に刺さる。男の背中はハリネズミのようになっているが、カインの方を向いてニヤリと笑いそのまま倒れる。

 男が倒れた時にはもう矢は放たれていなかったが、大量に放たれた矢は男にばかり飛んできたわけではなかった。そのいくつかは、イーリスの兵士にも当り、かすり傷程度だが怪我覆わせるものが有った。それを見たリーゼロッテはカインに力強く命じる。

「カイン! 国王として命じます。目の前の敵を排除しなさい!」

「ハッ! 承知しました!」

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