八年の壁

と~や

第1話 来訪

「まったく、なんであんたがここにいるのよ」


 麻紀は戸口に立つ人物を睨めつけた。

 睨まれた男――早瀬れおは二十歳とは思えないほどの童顔でにっこりと微笑む。

 ボサボサに伸びた髪の毛が肩につきそうなほどで、身長も麻紀よりは十センチ高い程度。ジーンズとチェックのシャツに隠された細マッチョの体型は変わっていないようだ。


「なんでって、麻紀さんの部屋だから?」


 にこっと笑ったまま、れおは歩を進めた。

 思わず後ずさると、ベッドに躓いて座り込んでしまう。

 かちりと音がして顔を上げると、れおは扉から離れてこっちに歩いてくるところだった。


「な、なんで鍵っ……」

「だって、邪魔が入ったら嫌ですから」


 その言葉に麻紀は戦慄した。

 童顔でまるで高校生のような顔をした男の目には、自分しか見えていない。

 ああ、まるであの時のようだ。

 近づいてくるれおの顔を焦る心で見つめながら、麻紀は初めて会った時のことを思い出した。


◇◇◇◇


 れおに初めて会ったのは大学四年の教育実習の時。

 自分が二十二、れおは十四になったばかりの時だった。

 クラスの副担として二週間の実習をこなすことになった麻紀の昼食場所はもっぱら校庭を見渡せる花壇の横のベンチだ。

 一緒に実習に来ている他の女子たちはちゃっかり若い先生を捕まえて屋上でランチしているらしい。

 実習先に来てまでお盛んなことだ、と冷めた目で見つつ、目の前で走り回っている若者たちを見下ろす。

 まったく、何が楽しいのだろう。

 昼休憩とはいえそんなに時間はないはずなのに、あっという間に弁当を食べ終えてはグランドまでやってきて何やかやとやっている。


「元気ねえ」

「先生は元気ないんですか?」


 不意に声をかけられて麻紀は顔を上げた。いつの間にか男子が隣に座っているのに全く気がついていなかった。


「えっと、君は」

「二年F組の早瀬れおです。担当クラスの生徒、まだ覚えてないんですか?」

「お、覚えてるわよ。珍しい名前だったもの」


 至近距離に男子がいるなんて久しぶりのことだ。

 焦ってるのを押し隠してお姉さんの笑顔を貼り付ける。

 れおだなんて名前で、しかも平仮名。当て字でないだけマシだ。

 名前とかけ離れておとなしくて物腰の柔らかい少年で、童顔で中学二年生とは思えないほどなのに、妙に大人びている。

 だからといってクラスで浮いてるかといえば逆に人気者で、女子からも男子からも慕われている。私でさえ彼を狙っている子が何人もいるのを知っているくらいだ。


「なんでこんなところで一人でお昼してるんですか?」

「職員室には実習生の席はないもの。早瀬くんは何でここにいるの?」


 そう問うと、れおはくすっと笑って一人分開いていたスペースを詰めてきた。


「先生がいるから」

「え?」

「ねえ、先生。実習終わったら先生になるの?」

「え? 卒業までに取れる資格を全部取ろうと思っただけだから、先生にはならないかな」

「そうなんだ。残念」


 ん? と麻紀が首をかしげると、れおはくすっと笑った。


「じゃあ、何になるんですか?」

「え?」

「将来、何になるつもりなのかなと思って。大学院に進むんですか?」

「ああ、それはないかな。公務員目指すつもり」

「へえ。意外と堅いですね。先生、確か帝大でしたよね。国家公務員ですか?」


 れおの言葉に麻紀は首を振った。


「私がなりたいのは星間パトロール」

「えっ」

「やっぱり驚くよね。あれは国家選抜でトップに食い込めないとなれないから」

「国家公務員より狭き門じゃないですか」

「そうなんだけど、公的権力を背景に他星に堂々と行けるのっていいでしょう? 貿易商や企業のトップでも行けなくはないけど、通商条約がない星にはいけないし」

「……どこか、通商条約のない星に行きたいんですか?」

「うん、ちょっと訳ありでね」


 グランドの学生たちに目をやると、そろそろ校舎の方に戻ってきた。

 ちらちらとこっちに視線が飛んできて、麻紀はあわててお弁当の残りを片付けるとれおの方を向いた。

 れおはうつむき加減でじっと麻紀の手元を見ている。


「そろそろ五時間目よ。戻らないと……」

「……決めた」

「え?」


 顔をあげたれおは、童顔とは似合わないほど大人びた顔を見せた。


「先生の名前って、島田なに?」


 れおの視線の先には胸元につけたバッジがある。実習生だけに装着を義務付けられたそれには苗字しか掘られていない。

 麻紀は苦笑した。


「初日に挨拶したけど、覚えてないよね。島田麻紀よ」

「麻紀」

「こら、学校では先生って呼びなさい」

「じゃあ、学外では麻紀って呼んでいい?」

「学外でって……実習中は学外でも生徒との接触は禁止されています」

「そうなの?」

「そうよ」


 予鈴が鳴る。ここから教室に戻るのにはギリギリだ。

 腰を浮かした麻紀は不意に腕を掴まれた。


「きゃっ、何っ」


 後ろに倒れかけた麻紀は、腕を引っ張ったれおもろともベンチに倒れ込んだ。


「ご、ごめん」


 麻紀より小さなれおを押しつぶしてしまった、とあわてて体を起こすと、れおを引き起こした。


「麻紀に潰された」

「だから先生って呼びなさい。それに、引っ張ったのは早瀬くんでしょう?」

「れお」

「え?」

「れおって呼んで」

「れお?」


 するとれおは嬉しそうな顔をした。

 予鈴が鳴って、グランドはもう他に人はいない。


「そうだ、先生、ちょっと耳貸して」

「え?」


 立ち上がった麻紀はれおに合わせて少し身をかがめた。れおは麻紀の耳元に口を寄せると囁いた。


「この名前、ホントは嫌いなんだ。でも、麻紀が呼んでくれたら好きになれそう」


 また麻紀って呼んだ。怒らなきゃ、と顔を向けた瞬間、ドアップのれおの顔が視界に入って唇に柔らかいものが当たった。

 すぐに離れたれおは頬を赤らめながらもにっこり微笑んだ。


「な、な、なっ」

「売約済みの印。他の人に許したらだめだよ、麻紀」

「なっ、は、早瀬くんっ」

「れおだよ。麻紀」


 れおは口の中で何事かつぶやくとやはりにっこり笑って校舎の方に戻っていった。


「もう、何なの……」


 心臓がばくばく言っている。きっと顔も真っ赤だろう。

 こんな顔で教室に戻ったら何を言われるかわからない。そうでなくとも校内で生徒とあんな……。

 思い出してまた頭に血が上る。

 柔らかい唇の感触が残っている。

 本鈴が鳴っても、麻紀は立ち尽くしたままだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る