第6話 六年
そして話は冒頭に戻る。
「ねえ、麻紀。僕、二十歳になったんだよ」
「そ、そう。おめでとう。これであなたも大人の仲間入りね」
空々しくお祝いの言葉を述べてみると、れおは鼻白んだようで、つまらなそうに眉根を寄せた。
「そう、大人になったんだ。だから――」
後ろ向きのままなんとかベッドの上によじ登った麻紀の前に立つと、れおは彼女の足をまたぐように膝をついた。
「約束、果たしてくれるよね?」
顔をこわばらせて後ずさる麻紀に妖艶な笑みを浮かべてみせる。ベッドの端まで追い立てられて逃げ場がなくなると、麻紀は両手を前に突き出した。
「や、約束ってなんのことよっ」
「やだな、忘れたの? ちゃんと契約もしたよね?」
突き出された手に自分の手を絡めると、れおはぐいと麻紀の手を引いた。まさか体ごと引っ張られると思っていなかった麻紀は、あっけなくれおの腕の中に収まっていた。
「ち、ちょっとっ……んっ!」
抗議しようと顔を上げた途端、唇を塞がれた。至近距離にれおの顔がある。こんなこと、前にもあった。嘘。……忘れてるはず、ないじゃない。
「思い出した?」
軽く触れただけで離れたれおは麻紀の顔を覗き込んでくる。その瞳が柔らかく微笑んでいて、心臓がどきりと痛む。
「もちろん、他の男に許してないよね?」
「何の話よ……」
ぷいと横を向いて視線を逸らす。麻紀とてもう二十八だ。今まで浮いた話がなかったわけじゃない。
「そう。……僕との契約があるのに、浮気したんだね?」
「ちょっと、れおとは何の約束もしてないでしょ? れおが二十歳になってもあたしが結婚してなかったらってっ……」
れおを振り仰ぎ、そう反駁してからはっと麻紀は口を閉じた。れおがにっこりと微笑むのが見える。
「やっぱり覚えててくれたんだ。嬉しいな」
「嬉しくないっ!」
ぐいぐいとれおの体を押し返すが、びくともしない。昔はれおの方が小さくて、軽くいなせたのに。今では細く見えるのにやっぱり男だ。腕力では敵わない。
いつだったろうか。
勤務先にやってきた理仁とれおが帰ったあと、散々同僚たちにからかわれたのだ。
曰く、小さな恋人がいるんだって? と。
以来、麻紀に近寄る男がいれば周囲の者たちがやんわりと遠ざけるような言動をしていたと知ったのはつい最近のことだ。
まさか、あの時からずっと手を回しているとは思っていなかった。
いいなと思った男が自分から不自然に離れていったことも一度や二度じゃなかった。今になって考えれば分かる。
れおの仕業だと。
「あたしの同僚たちになにしたの」
「何って? 何にもしてないけど」
「嘘。あたしに気がありそうな人が寄ってきたら邪魔したり、いいなと思った人が急によそよそしくなったり」
ネタはあがってんのよっ、と麻紀が睨みつけると、れおはくすりと笑った。
「そりゃもちろん協力してもらったよ。だって僕は学生だし、四六時中君のそばに居られる人たちのほうが何倍も危険だし」
「何が危険だっていうのよ、同僚よ?」
「男として、だよ。麻紀、自分の魅力に気がついてないでしょう」
「そんなの、かまってられないわよ。あたしはもっと上を目指すんだからっ」
「じゃあ、なんで……オファーがあった時に選ばなかったの?」
れおが体を離して麻紀を覗き込んでくる。
「……知ってたの?」
「うん、理仁が教えてくれたよ。麻紀姉のお荷物になってるって」
「……退いて」
低い声で言うとれおは手の力を抜いた。麻紀はれおを押しのけるとベッドから立ち上がり、背を向けた。
「あたしは、姉貴から理仁を託されてるの。あの子がちゃんと成人するまでは……離れるわけには行かないわ」
「理仁が成人するのを待ったら三十四だよ?」
「いいのよ。……それに、言ったでしょ? 選んだら、もう戻らないって」
背を向けたまま、麻紀は告げる。声が震えないように気を配りながら。
「君が選んだらここからいなくなることは、理仁はちゃんと理解しているよ。それでも、麻紀の望む道を歩いて欲しい。そう言っていた」
麻紀は天井を見上げた。顔を上に向けていないと涙がこぼれそうだからだ。
「いっぱしの男のようなことを言うようになったじゃない」
「僕も同じ意見だよ、麻紀」
肩に手が置かれた。
「僕も理仁と同じだ。君の望む道を進んで欲しい。……まあ、僕は理仁ほど君の重荷にはなってないと思うけど」
麻紀は首を横に振った。
「理仁が大人になるまでは行かないわ。もしも姉貴たちが帰ってくれば考えは変わるかもしれないけど、姉貴たちが地上に何年も居られるはずがないから、やっぱり行かないと思うわ」
「そっか。……ねえ、麻紀」
肩に置かれていた手が二の腕に降りてくる。
「理仁が成人するまでの六年間を、僕にくれない?」
麻紀は体の前で両手を握りしめた。
「それって……どういうこと?」
「麻紀は星間パトロールの資格をもう持っているんだろう? いつ就任してもかまわないんだって聞いているよ。それを理仁が成人するまで伸ばすってことだよね」
「ええ。……そのつもりよ」
「君がこの星を去るまでの六年間を、僕と過ごして欲しい」
麻紀は振り向こうとしたが、れおの両腕が全力でそれを阻止した。
「ごめん、情けない顔見られたくないから。……返事はイエスしか聞きたくないけど、ここまで六年間待ってきたんだ。いくらでも待つよ」
「れお……」
「まだ学生の分際だ。君を養う甲斐性もないし、将来もまだ未定のままだ。君が戸惑うのも無理はないし、断ってくれても構わないから、考えておいて」
腕を掴んでいたれおの手が離れる。麻紀は振り向けなかった。そのまま、鍵が開く音がして、階段を降りていく足音が去ってしまうまで、麻紀は動けなかった。
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