第10話 飯森とピクニック

「うわ、ほんとに先輩? 誰かと思ったっすよ」


 待ち合わせの場所に現れた飯森直也は、開口一番そう言った。

 失礼な。この格好を指定してきたのはお前だろうがっ。いらっとしてぐりぐりとつま先を踏んづけたのは正当な権利だと麻紀は思う。


「お前が言ったんじゃないの。……はい、弁当」

「うほっ、マジで作ってきてくれるとは、俺感激っす」

「……何?」


 半眼になりながら飯森の胸倉をつかみあげる。弁当はもちろん下に置いて。

 お前が言ったんだろうがっ、彼女たるものピクニックに弁当ぐらいもってこいと。

 それが何だと?

 マジで作ってきてくれるとは、だと? 持ってこないと思ってたのか?


「飯森」

「う、っはいっ」

「……この格好も弁当も、必須じゃなかったのね? 嘘だったんだ?」

「あの、いえっ、そんな」


 弁明もなしか。ということは本当に要らなかったんだな。

 理仁とれおに無理させてまで弁当作ってもらって、こんな似合いもしない格好で、朝かられおにまで怒られてっ……。

 そのあとのことを思い出して、麻紀は顔に血が上るのを感じた。

 飯森を突き放すように手を離してから背を向けて顔を隠す。


「先輩?」

「……覚えてなさいよ」


 振り向きざま鳩尾に拳を入れる。痛みで体をくの字に折り曲げてる飯森に一瞥をくれて、風呂敷包みを持ち上げた。


 ◇◇◇◇


 腹を抑えながら歩く飯森に案内されたのは、普通の人なら決して簡単に入れない場所――猫星キャスターの大使公邸の敷地内にある広い庭、だった。

 これは日本だろうか、都市部にこんな場所があるとは思わなかった。

 うっそうと茂る森に四方を囲まれたそこには人工でない川が流れ、玉砂利の敷き詰められた河原にはすでにバーベキューの準備が整っているらしく、テントや天幕が張られている。

 ドラムを半分にぶった切って横たえたようなバーベキューコンロのそばには白いシェフ服とエプロンに身を包んだ背の高い男が立っていた。

 これがおそらく飯森が言っていたレストランのシェフだろう。その周りをピンク色のエプロンドレスを着た小さな女の子がスキップしながらぐるぐる走り回っている。走るのに合わせて揺れる薄茶のふわふわ頭がかわいらしい。耳としっぽは黒だが、耳の後ろ側に茶色い斑が入っている。

 そういえばシェフのほうは黒い耳としっぽだ。


「あれがミリティちゃんっす。その横にいるのがミリティちゃんのお父さんで、ノルティさんっす」

「可愛いな」

「へへ、でしょう? もう、俺もメロメロで」


 飯森がでろでろに崩れた顔でこっちを見る。なんというか、彼女に見せていい表情じゃないだろう、それ。まあでもわからなくもない。

 ミリティはこちらに気が付いたようで、飯森の顔を見て大きく手を振った。


「いーもりー」

「ミリティちゃーん」


 いとしい人を出迎えるみたいに飯森は走っていき、ミリティもとてとてと走って、膝をついて待つ飯森の腕にぽすんと飛び込んだ。そのまま飯森は彼女を抱っこして立ち上がる。


「いーもり、なかなか来ない」

「うん、ごめんねー。お仕事忙しくて。ミリティちゃんは元気にしてましたか?」

「してたけどいーもりこないからつまんない」


 でろでろに甘ったるい会話が続いている。こちらに興味を持たないのをいいことに、麻紀はミリティを観察した。薄茶の髪はふわふわで柔らかそうで、飯森をじっと見てる目はこげ茶色だ。

 年齢はどれぐらいだろう。パティは十八歳だと言っていた。地球の――十八歳女性としては少し小さめな気がする。目の前の女の子は四歳ぐらいに見えるが、見た目より年上なのだとすると、六歳ぐらいか。

 と、不意にミリティの目が麻紀を射抜いた。その目は、あどけない視線ではない。見知らぬ者を見とがめる視線でもなく、まぎれもなく恋敵を見る目だ。


「こんにちは」


 とりあえず、飯森のガールフレンドという立場だ。無難に挨拶をすると、ミリティはぷいと唇を尖らせて顔を背けた。


「いーもり、このひとだれ?」

「うん、僕の恋人。麻紀さん」


 違うから。と内心否定しつつも、またこちらをちらりと敵愾心たっぷりの目で見るミリティに微笑みを作る。


「いーもり、のどかわいた」

「はいはい、ドリンクはテント?」

「あっち」


 抱っこされたミリティの言葉に従って飯森はテントに向かう。麻紀は、手元の弁当もどこへもっていくべきか悩み、結局バーベキューコンロのそばにあるテーブルに置くことにした。

 コンロに歩み寄ると、火の準備をしているシェフの男が体を起こした。

 飯森に紹介もしてもらってないのに、声をかけていいものかと迷っていたが、男の目が不審者を見とがめるものだったことから足を止めた。


「あの、飯森さんに招待いただいた島田真紀と申します」

「ああ。……話は聞いています。私はノルティ。娘はミリティです。よろしく」


 そう答えたものの、ノルティの視線は油断なく鋭い。


「お弁当を作ってきたんですけど、テーブルに置いても?」

「ええ、どうぞ。火の準備にもうしばらくかかりますから、座って待っていただくか、そのあたりを散策してきてもいいですよ」

「ありがとうございます」


 会話はそこで途切れてノルティは火を起こす作業に戻った。

 なんというか、アウェイ感が半端ない。肝心の飯森までが猫星側にいて、こちらにいるのは自分ただ一人なのだ。

 麻紀は言葉に甘えて川べりを歩いてみることにした。広さが半端ないためかあちこちに監視カメラが配置されているのが見て取れる。逆にSPらしき人影はあまり見かけなかった。

 大使公邸の敷地内だから、ということもあるんだろう。それでも大使がら現れれば黒スーツの護衛が出てくるのだろう。

 それにしても広い。植えてある木は落葉樹もある。桜も何本も植えてあって、きっと桜の時期にはここで花見をするのだろう。鳥の声もすぐ近くから聞こえたりと、ここが都心部であることを忘れてしまいそうになる。

 ノルティと飯森のほうを見たが、まだ動きはないらしい。

 途中にしつらえられてあった切り株風のベンチに腰を下ろすと、ため息をついた。

 水の流れるきらきらした音と鳥のさえずりが聞こえてくる。車の音も何もかも、一切聞こえてこないのは、もしかしたら猫星の技術で音を遮断しているのだろうか。そう思えるほどに静かだ。


「静か……」

「いい場所でしょう」


 ふいに声が聞こえて慌てて立ち上がると、作務衣に麦わら帽子の恰幅のいいおじさんが立っていた。作務衣の下から白いランニングシャツが覗く。手には熊手と青いバケツ。

 庭師だろうか。これだけ広い庭を管理するのは大変だろう。

 無精ひげの庭師は、優しそうな青い瞳で麻紀を見ていた。男性の年はわかりにくいが、少なくともれおの父よりは若いだろう。


「ええ、静かで居心地にいい場所ですね」

「ここを取り潰してビルにする話もあったんですよ。でも今の大使がこの場所に惚れ込みましてね。そのまま残してもらえることになりました」

「そうですか。……猫星にもこんな場所があるんでしょうか」

「都会にはもう残っていませんね。地方に行けばありますが、そこはすでに人が住める場所ではありませんし」


 その言葉に麻紀はふと庭師を見た。気が付かなかったが、背後で揺れているものがある。少し太目の黒い尻尾は、先っぽに行くほど白く細くなっている。

 庭師も猫星から連れてきたのだろうか。


「隣、よろしいですか?」

「ええ、どうぞ」


 真ん中に立っていた麻紀は左にずれて右側を開けた。庭師はにっこりと微笑み、空いた場所に腰を下ろした。バケツや熊手はすぐ横に降ろしている。

 すぐ近くで鳥が鳴いた。


「こちらには長いのですか?」

「ええ、それなりに」


 今の大使はこちらに来てから長い。息子が店を出し、孫もこちらで生まれたのだと聞く。

 先ほどの話だと、この庭師は前任の大使も知っているのだろう。それほど長く故郷を離れているのはつらくないのだろうか。家族は一緒に来ているのだろうか。

 胸が締め付けられる。眉根を寄せ、麻紀は口元を引き締めた。


「あの……不躾なことをお聞きしてもいいですか?」

「ええ、どうぞ」


 庭師の笑みに押されて麻紀は口を開いた。


「……故郷から長く離れて、お辛くありませんか」


 視線を上げた先の庭師の顔は、一瞬眉根を寄せたあと、じっと麻紀を見つめて目を見開いた。


「辛くないと言えば嘘になります。ですが、覚悟のうえで受けた使命です。疎かにするつもりはありません」

「そうですか」


 答えを聞いた後、麻紀はそっと目を伏せた。何を聞いているのだろう、自分は。

 姉はその覚悟を持ってこの星を出た。理仁を置いて。

 いずれ自分もこの星を出て、帰らぬ旅に出る。――すべてを置いて。

 その覚悟はできている。

 なのになぜ、そんなことを聞いたのだろう。


「あなたには最愛の人はいますか?」

「え……?」


 目を見開いて庭師を見ると、元の柔らかな笑みを浮かべたまま、森のほうを眺めていた。


「幸いに、私は最愛の人が付いてきてくれました。おかげで、故郷から遠く離れてはいるものの、家族とともに過ごすことができました。――いや、彼女が付いて行くと言ってくれたから、今の私はあります。もしあの時、星に彼女を置き去りにすることになるのであれば、私はここに来なかった」


 その言葉には庭師の思いが込められているように思った。


「だから――あなたも大事なものを間違えないように」


 すっと自分に向けられた庭師の視線に心臓がずきりと痛む。

 初めて会ったばかりのこの人が自分の何を知っているはずもない。くすぶり続けている胸の内を知るはずがないのに、なんでこんな言葉をくれるのだろう。

 大事なもの――。

 その言葉に真っ先に浮かんできたのは、今朝見たれおの怒った顔だった。

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