第2話 ストーカー?
そうだ。
あの時から、れおは自分の周りに常に現れた。
実習が終わってようやく縁が切れると思っていたのに、翌週にはバッタリと駅前で出くわした。
「なんでっ」
出会い頭にそう叫んでも仕方がないことだろうう。
実習におとずれていた中学校は地元ではなく、同じ県内ではあるが駅三つ向こうにある公立の中高一貫校で、麻紀の住んでいる付近の学生は通わない。
最寄りの駅はその三つ先の駅まで通うサラリーマンか私立の学生が乗り降りするのみで、周辺には娯楽施設どころか買い物できるような店すら一つもない場所である。
わざわざやってくるような駅ではないのに。
れおはいつもの涼しげな笑顔を見せた。
「探してたから。今年の実習生はみんな通いだって聞いてたし、朝はいつもちゃんと食べててお弁当も作ってたから、きっと麻紀の住んでるところは遠くないだろうなと思って、駅で張ってた。思ったより時間かかっちゃった」
本当は朝食は理仁が作ってくれるし、お弁当も理仁の準備してくれたものなんだけど、誤解はそのままにしておく。八歳にしてできすぎた甥っ子だ。
「麻紀って呼ばないでって言ったよね?」
「学内ではだめって話だったよね? 実習が終われば学外で接触してもいいんでしょう?」
「だから……お姉さんをからかわないでくれる? あの時だって……」
言いながら麻紀は顔を赤らめた。
れおは笑みを深くして歩み寄ってくる。
体から発せられる放射熱が感じられるほど近くまで寄られて、麻紀はやっぱり後ずさった。
「だって、決めたから」
「だから、何を?」
「麻紀は僕のものだから」
「ちょっと待って。いつの間にそんな話になってるのよ。というかそれってなんて言うか知ってる?」
「知ってる。ストーカーって言うんでしょう?」
「そうよっ。即刻やめなさいっ」
「麻紀」
自分の名を呼ばれただけなのにれおの声は妙に色っぽくて、麻紀は視線を外す。
その隙に、れおは麻紀の手を取るとキスを落とした。
「な、な、なっ」
「隙だらけだよね、麻紀。それで星間パトロールになれるの?」
「……言ったわね。あんたに心配されなくったって立派になってやるわよっ」
――そしてこんなストーカーまがいの少年とはおさらばよっ。
心の声が聞こえたのかどうかわからないが、れおは微笑んだままきゅっと握った手に力を込めた。
「麻紀はなれるよ」
「えっ?」
「星間パトロール」
「そ、そう?」
「それで、麻紀の行きたい星ってどこなの?」
駅前の改札を出たところで立ち話でする話じゃないと思う。
麻紀はとりあえずくるりと回りを見回した。
改札から出てくるお客が迷惑そうにこちらをちらちらと見ているし、近くのベンチにくつろいでいるおばさまズは興味津々で聞き耳を立てている。
「えっと……とりあえず場所、移動しない?」
「構わないけど、この辺りはろくにお店ないよね。麻紀の部屋に行ってもいいなら」
「冗談でしょ? ストーカーを働くような少年をうちに入れるほど馬鹿じゃないわよ。少し離れてるけど喫茶店が一軒だけあるから、そこで」
渋々と言った体でれおは場所を変えることに同意した。
が、握った手を離そうとしない。
「ちょっと、これ離しなさい」
「やだ。離したら麻紀、逃げるでしょう? ああ、でも逃げる麻紀を追いかけるのも悪くないな」
「だから、仮にもあたしのほうが八歳も歳上なんだから、敬いなさいよっ」
くすくすと笑うれおに麻紀はいきり立つ。
そういえばこの時間帯は近所に住む学生たちの帰宅タイムにぶちあたる。
噂好きな子に見られでもしたら、明日から近辺がうるさくなるのは目に見えてる。
そうでなくとも麻紀の乳が多少でかいというだけでやっかまれているというのに、これ以上の面倒はゴメンだ。
「ほら、行くわよ」
仕方なく繋いだままの手を引っ張ると、れおはおとなしくついてきた。
◇◇◇◇
喫茶店は駅から十分ほど歩いたバイパス沿いにあった。
駐車場がないせいだろう、いつもそこは客の入りも少なく、静かな客も多いからレポートを書きながら長居したりするのに使っている。
入り口の蔦のゲートをくぐるといつものマスターが迎えてくれる。
奥のテーブルに腰を落ち着けると、マスターが水を持ってやってきた。
オールドタイプの喫茶店なのだ。
「いらっしゃい、マキちゃん。珍しいねえ、今日はお客連れかい?」
「たまたまよ。いつものお願い」
「はいよ。坊やはどうする?」
「麻紀、いつものって?」
「カフェオレよ」
「じゃあ僕もそれで」
マスターがカウンターに引っ込むと、れおは興味深そうに店の中をぐるりと眺めていた。
時代を感じさせる黒光りする木造のテーブルや椅子、柱や壁。天井に至るまでじっくりと眺めているようだった。
麻紀はとりあえず今日出たレポートを片付けようと資料を読み込み始める。
「はい、おまたせ。カフェオレ二つね」
「ありがと、マスター」
顔を上げてようやく、向かい側にもう一人いたことを思い出した。
「あ、ごめん」
「いいよ。麻紀を眺めてるのも楽しいし」
「……何が楽しいのかわかんないけど、とりあえず話そっか」
カフェオレで喉を潤すと、麻紀は展開していた資料を閉じてれおを見つめた。
「麻紀が行きたいっていう星の話。聞かせてくれない?」
「……聞いたって面白いもんでもないわよ?」
「だって、何が何でも行きたいんでしょう? なにがあったの?」
「それはっ……君には関係のないことだ」
麻紀は叩きつけるように言ったあと、言い過ぎたと唇を噛んだ。
まだ十四になったばかりの子には縁もゆかりもないこと。知らないのは当然だ。
「……もしかして、初期星間船の事故?」
息を飲んだ。なんで知っているのだ。もう二十年も前の話なのに。
「なんでっ……」
「本で読んだ。それに……うちのじいちゃんたちが乗っていたって母さんが言ってた」
事故関係者の家族だったのか。少年の両親は今年四十だったか。二十年前なら二十歳前後でその親は働き盛りだっただろう。新天地と夢を求めて旅立った可能性は低くない。
「そう……。あたしの両親も乗っていたのよ」
「それで、事故調査団にでも入るつもりなの?」
「まさか。事故はもう二十年も前の話だし、調査は終わってる。今では星間ゲートも整備されてて、あの危険地域を通らなくてもさらに遠方までらくらくと跳躍できるようになったし、行く意味は無いわ」
「じゃあ、なんで?」
麻紀は目の前のれおを見つめた。
邪念のない真っ直ぐな瞳に刺し貫かれるようで、目を伏せる。
「両親が最後に見た風景を見たいの。事故はあたしが二歳の時だったし、両親の記憶はまるでない。姉に育てられたようなものだから。でも一枚だけ……両親が最後に送ってきたと思われる映像があってね。一度だけ姉が見せてくれたことがあったのよ」
これが全てではないけれど、自分があの場所を目指しているのは間違いなくあの一枚の映像だ。
嘘は言ってない。
「麻紀のお姉さんって、宇宙考古学の分野で最近名前が上がってる藤原早紀博士ですよね?」
「ええ、そうだけど、よく知ってるわね」
姉はもう結婚していて苗字も違うのに、よく探し当てたものだ。
中学二年生にしては興味の範囲が広い。将来なりたいものがはっきりあるのだろうか。
「僕も宇宙考古学の道を目指してるから」
「そうなの」
麻紀はちょっとだけ力を抜いた。
つまりこれは、憧れの姉に会いたいがために妹のあたしに接触してきたパターンか。珍しいにも程がある。
「姉に会いたいならおあいにく様ね。もう八年も帰ってきてないわ。大学に近いから留守番と子守りを兼ねて住んでるだけで」
「麻紀が住んでるのって博士の家なの?」
きらりとれおの目が輝く。やっぱりそうなんだ。
校庭でキスされた時は勘違いしちゃったけど、そういうことね。
なあんだ、とほっとしつつも内心がっかりしている自分がいて、麻紀は眉根を寄せた。
「ええそうよ。でも」
「見たい!」
れおは十四歳にふさわしい幼さを見せて声を上げた。
ずっと大人びた態度を見てきた麻紀に取っては逆に新鮮に見えた。
「見たいって……姉たちの部屋は施錠してあるから入れないし、資料室も立ち入り禁止よ。何が見たいの」
「博士の生家なんでしょう?」
「ええ、まあそうだけど」
つまりは麻紀にとっても生家なのだが。
結婚して姉の旦那が引っ越してきた時に麻紀は家を出るつもりでいた。
だが、まだ義務教育期間だった麻紀に一人暮らしはさせない、とそのまま大学を卒業するまでは同居することで同意した。
その後、幼い息子一人をおいてフィールドワークに出て行った姉の代わりを務めることになって、家から出る話は潰えた。
次にチャンスがあるとしたら甥っ子が成人するか、姉夫婦が戻ってきたタイミングだろう。
それもまだまだ先の事のようだ。
「何にもしない、見るだけならいいでしょう?」
甥っ子にねだられているような気分になって、麻紀は苦笑を浮かべた。
「まあ、見るだけならいいけど、でも姉貴たちの部屋に入ったり、不用意にあちこちさわったりしないでよ? それに、この時間だと甥っ子も帰ってきてると思うから」
「甥っ子っていくつですか?」
「ええと今年で八つね。腕白に育つかと思ったら意外とメカに興味があるらしくて、学校が終わったあと、工作教室に通ってるの」
「へえ。僕はそっち方面は苦手だな。あ、そういえば作ってないメカキットがあるから今度持って行きますよ」
「そう?
にまにまと微笑み返してはっと我に返る。なんでここでストーカー小僧に次回の自宅来訪の約束を取り付けられているのだ。
「麻紀、やっぱり隙だらけだねえ」
「う、うるさいっ。行くんならさっさと行くわよっ」
ぬるくなり始めたカフェオレを飲み干すと、麻紀はさっさと立ち上がった。
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