第12話 罠?

「はい、あーん」

「あーん」


 いたたまれない。

 いたいけな少女の差し出すウインナーをぱくりとくわえる飯森を生ぬるい目でちらりと見つつ、麻紀は皿の中のお肉を箸でつついた。

 理仁が作ってくれたお弁当はテーブルの上に並べたものの、あまり減っていない。朝も早くからわざわざ起きて作ってくれたのにと箸を伸ばす。

 大使もその次男も、ミリティに気兼ねしているのか弁当には手を付けていない。

 飯森まで手を付けないようなら、明日きっちり報復させてもらうつもりだったけど、一応いくつか食べたみたいだから許してやろう。


 ――それでも、今回のは高くつくけどね。


 そう思いながらちらりと飯森を見ると、飯森ではなくミリティと目が合った。飯森は横を向いていて、見られていることに気が付いていないらしい。

 麻紀はにっこりと微笑んで見せた。若干顔はひくついてたかもしれないが、子供に大人げない態度をとるのはやはり気が引ける。

 しかし、ミリティは大人の女ばりに勝ち誇った笑みを麻紀に向ける。

 飯森がミリティにべったり張り付いてあれこれと世話を焼いているのだからこれは仕方ない。

 そもそも、麻紀は最初から競うつもりはない。ミリティが飯森にべたぼれだとか結婚したいと思ってるだとかという情報を知っていれば、飯森の言う通りに恋人の振りなんかしなかった。

 ああでも、そうするとここに入る口実がなくなっていたわけで。


「おや、お口にあいませんかな?」

「い、いえ。おいしいです」


 声をかけられてはっと顔を向けると、大使のフェレスが焼けたばかりの肉を皿にのせるところだった。

 ちらと飯森の方を見ると、ミリティはもうこっちを見ていない。


「そういえば、お弁当を作って来ていただいたんでしたね。朝早くから大変だったでしょう?」

「いえ、その……」


 自分で作ったわけではないのに褒められるのは実に居心地が悪い。返事をしあぐねていると、ノルティがカップをのせた盆を手にやってきた。


「親父、スープできた」

「ありがとう。麻紀さんもどうぞ」


 差し出されたカップに口をつけると、まろやかな甘さが口に広がった。スープ、というとコンソメとかポタージュとかクラムチャウダーとか、とにかく塩味というイメージだったのだが、これは甘い。

 甘いのに、デザートやジュースという感じではない。暖かくて不思議な、甘いスープ。


「驚かれましたか?」

「はい。……不思議な味です」


 目を丸くした麻紀に大使フェレスはにっこりと微笑み、次男の方を見た。つられて麻紀もノルティの方を見ると、面白くなさそうに眉を寄せた。


「この星にはない植物の樹液を使うんだ。原液で使うと甘すぎるから、煮詰めてシロップ状にしたり、結晶化させて保存する。シロップなら一滴、結晶ならほんの小さな欠片を垂らすだけで鍋まるごとこの味になる」

「それはまた……強烈ですね」

「ああ。それは、欠片に湯をかけただけの代物だけど、もっと薄めて、料理のベースにしたりもする。――日本でいうところの出汁とかコンソメとかに近いものだ」

「なるほど。……面白いです」


 甘さのせいか、緊張がほぐれてきた気がする。肩に入っていた力が抜けて、ほんのりと口元がほころぶ。


「……あんたは効きが強そうだな。それ以上は飲まない方がいい」

「え?」


 手にしていたカップを取り上げられて、追いかけるように顔を上げると、ノルティの険しい目にぶつかった。


「ああ、このスープには緊張を和らげる効果があってね。君がずいぶん緊張しているみたいだから、作ってもらったんだ」

「そう、ですか……」


 しかめ面をしながらも、口元が緩んだままだ。

 そんな場面じゃないって言うのに。

 ……油断した。人当たりのいい表の顔にすっかり騙された。薬盛られるとは。


「何を緊張しているのか、聞かせてもらっても?」

「大使に会うのに緊張するのは普通だと思うけど?」


 するりと言葉が出てくる。ああやっぱり、自白剤的な何かも入ってたのね。……ますますまずい。

 飯森はと目で探すと、ミリティと手をつないで川の方へ降りて行くところだった。


「さて、島田麻紀さん。……飯森の彼女ってことだけど、ほんと?」


 ノルティの口調が砕けたものに変わる。さっきまでの高圧的な物言いから、ずいぶん軽くなった。麻紀は目の前に立つノルティを上目遣いに睨み上げた。


「どういう意味?」

「言葉通り。飯森から彼女がいるような話、一度も聞いたことがなくてね。いつも娘にべったりだから」

「なるほど」


 麻紀は相槌を打ちながら、自分自身を分析する。

 口調はおそらくノルティに引きずられているのだろう。化けの皮がはがれて普段の受け答えになっている。

 言葉を口に出すのに抵抗がない。だが、言いたくない、と思う言葉はちゃんとストッパーがかかる。自白剤とは少し違うものらしいことは分かる。


「そういえば、藤原早希博士はお元気かね?」


 向かいに座る大使が口を開いた。

 麻紀は眉を寄せ、大使を睨む。そこまで知られているということは、理仁のことも、パティのことも知っているに違いない。

 まだ知られていないと思っていたけれど、猫星教会も大使も馬鹿ではなかったということだ。

 知っていて、まだ手を出してこないのは、なにかを待っているからなのか。それとも、警察機構の抑え込みに手間取っているのか。

 おそらく後者だろう、とあたりをつけて、麻紀は頷いた。


「元気だと思うわよ。連絡はないけど」

「そうですか」


 にこにこと微笑む大使に底知れぬ恐怖を感じる。


「博士の息子さんを養育なさっているというのも本当ですか?」

「……ただ同居してるだけよ。お弁当も理仁が作ったものだし」


 麻紀は苦笑を浮かべたまま首を横に振った。むしろ理仁に世話してもらってる状態で、養育してるとは言えない。


「おや、そうでしたか。てっきりあなたが作ったのかと。ミリティが妬くので手を付けませんでしたが、それならいただきましょう」


 大使は手を伸ばしておにぎりを取り上げるとほおばった。やっぱり孫娘に遠慮していたのだと思うと勝手に口角が上がっていく。

 いやむしろ、何らかの薬が仕込まれていることを警戒したのかもしれない。


「まあ、あなたが飯森の彼女でないのなら、気にする必要はないんですけれどね」

「そこまで知っているならわたしの素性もご存じでしょう?」


 飯森と同じ職業、同じ部署の先輩後輩。麻紀と姉の関係を知っているのならその程度、調べていないはずがない。

 それにしても、さっきのスープの効果が恐ろしい。

 よくあるドラッグとは違って、思考が四散したり止まったりしない。あくまでも自分の理性と思考能力は保たれたうえで、どこかのタガが外されている。思ったことがするりと口から出るのはその証拠だ。

 これ、後遺症とか依存性とかないわよね? 現職の警察関係者にすることじゃないでしょうに。


「ええ、ただ男女の仲は分かりませんので」

「残念ながら、飯森にはときめかないわね」

「あ、麻紀さんひどいっす」


 飯森の声が横入りしてくる。声の方を見ればミリティを肩車した飯森が立っていた。


「じゃあ、いーもりはわたしのでいいのよね?」


 嬉しそうにミリティは父親に言い、飯森の肩の上ではしゃぎまわっている。


「で、麻紀さん、これいったいなんです? なんの集会っすか」


 机をはさんで大使が座っていて、麻紀のすぐ横にはノルティが立っている。甘ったるい匂いのするスープはすぐ横に置かれたままだ。


「別に」


 麻紀はうっとうしそうに首を振った。知られるとおそらく面倒なことになる。

 飯森は大使が赴任して間がないと説明していたように思うけれど、確か読み込んだ資料ではずいぶん長くこっちにいることになっていたはずだ。

 それに、この庭をこよなく愛して手入れを続けている大使が、来たばかりということはありえない。

 飯森は彼らから聞いた一次情報しか持っていないのだろう。まあ、仕事上の付き合いではないのだから、それをとがめることはできないのだが。

 麻紀が黙り込んでいる間に、ミリティが再び飯森を連れて向こうへ行った。


「飯森に助けを求めればよかったのに」


 ノルティが不思議そうに聞いてくる。麻紀は苦笑を浮かべた。


「巻き込む人間は少ない方がいいもの」

「なるほど。……彼は知らないわけですか」


 何が、とは聞かない。パティのことだとわかっているはずだ。


「それで、わざわざ我々のところに潜り込んで、何を知りたかったんです?」

「……成人の儀式のことよ」


 ここまで知られてしまっているのなら、直接聞いた方が早い。麻紀は開き直ることにした。

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