8.郊外の古城

 やがて景色は廃墟から古い歴史を感じさせる石畳とレンガ造りの町並みに変わり、間もなくして古城が二人の前に現れた。ヴォルフはその駐車場でスクーターを停めた。

「夕べ、ティモにここの入館チケットもらったんだ。知り合いがここで働いているらしい」

「それで今日出かけることになったんですね」

 言いながらブランカは町の風景を眺める。

 市街地から町外れのここに来るまでの廃墟の道は、車通りもそんなに多くなく、道を歩いている人もそれほど多くはなかった。

 しかしここは観光地なのだろう。独特の賑わいがそこにはあった。

 すると突然視界にヴォルフが入り込んできた。

「大丈夫か?」

 ブランカはハッと我に返り、勢いよく首を縦に振る。

「ごめんなさい。ぼーっとしてました」

「いや、別にそれはいいんだが……」

 ヴォルフははぁと息を吐いて、心配そうな眼差しでブランカを見る。いつの間にかブランカの頬を持ち上げていた手で、そのまま彼女の頭をごしごしかき混ぜた。

「ま、とにかく着いたんだ。せっかく来たんだし、楽しもうぜ」

 ヴォルフはニッと笑ってブランカの手を取った。当たり前のように引かれる腕に、ブランカは思い出したかのようにじわじわ顔を赤くする。

――またヴォルフはこういうことを平気で……。

 ブランカの恥ずかしさとは裏腹に、ヴォルフはそのまま古城の入り口を進んでいく。

 建築様式からして数世紀前のものだろう。星形の堀に沿ってそびえる城壁は幾十にも重なり、荘厳な装飾が施されている。城の屋根にも同様の装飾が為されていて、中心の広場を正方形に囲うようにそれぞれの塔が建っていた。

 隣を歩くヴォルフは「すげえな」と城を見上げながら嘆息するが、ブランカはこの町から城に上がってくるまでを不思議に感じていた。

 この町はどこもかしこも欠陥部分が無い。戦後建て直したにしても建物の年季が入っているし、単純に戦中に攻撃を受けなかったということだろうか。それでも町を行き交うヘルデンズ人の悲愴感は、ヘルネー市街地よりも若干マシではあるものの、濃く漂っている。町並みがいくら整っていようと変わらない人々の様子が、ただただ心苦しい。

 それを察したように、ヴォルフが繋いだ手に力を入れた。

「俺さ、ヘルデンズのこういう城来るの初めてなんだ」

 城の中へ足を進めながら、ヴォルフは明るい口調で言った。だけど彼にしてはどこか滲み出るぎこちなさが、わざとこの場を明るくしようとしているように思えた。

「それは外を出歩けなかったから……?」

「あー……まぁそうだな。だからこういう田舎の城でも来てみたかったんだ。状況が状況じゃなかったらもっと堪能してるところではあるがな」

 ヴォルフは一瞬だけバツの悪そうな笑みを漏らすが、すぐにおどけた調子を取り戻し、繋いでない方の手でブランカの頭をぽんと叩いた。

「ブランカは? こういうところ、昔はよく行ったか?」

「そうですね……。こういう小さなところは初めてですけど、ヘルデンズ国内の有名なところとノイマール近辺はいくつか――」

 祖父に連れてもらいました。

 そう言いかけてブランカは口を閉じた。一応ヴォルフは一昨日の夜、祖父に関する話でも聞かせてほしいと言ってくれたけれど、だからと言って当たり前のように話題に出すのは流石に気が引ける。

「だっだけど、さっきみたいな城下をゆっくり歩くなんてことは初めてです……っ」

 急に話題を止めて不自然になった会話を繋ぐように、ブランカは無理矢理先を続けた。けれども余計に不自然になってしまった感じだ。

 ヴォルフは「そうか」と困ったように笑った。

「有名どころの城はもっと凄いのか? 迫力とか豪華さとか」

「どうでしょう……私も小さかったので記憶が曖昧ですが、庭が見渡せないくらい広くて、お城自体も大きかったような気がします」

 ぼやけた記憶の中で、一番印象深かった真っ白い大きな城が頭に浮かぶ。迫力だけで言うと他の城に負けていたような気もするが、幼いクラウディアは一番そこが好きだった。清廉な外観と白薔薇の庭園に惹かれたのもあるだろう。

 けれども一番の理由は、おそらく祖父がよく連れて行ってくれたからだ。祖父は時間を見つけるとクラウディアをそこへ連れて行き、庭園の脇のベンチで色んな話をしてくれた。クラウディアもアカデミーの話を沢山祖父に話した。今思うと話の内容には愚かで残酷なことも含まれていただろう。けれどもその穏やかなひとときが、クラウディアは好きだった。

 もう焼け落ちて無くなってしまった真っ白な城。

 そこで過ごした時間は、ブランカにとってはかけがえのない思い出だ。

――そう、こんな思い出すら忘れられないのに……。

 ブランカはポケットの中のブローチをぎゅっと握りしめる。

 明後日になったら明かさなければならない側面の暗号。本当にそれはホフマンの爆弾に関するものなのか? もしそうだとしたら、一体どうしてそんなものを託したのかという裏切りを感じて止まない。それとも一体祖父はそれでブランカに何を求めているのだろうか。

 そんなことを考え出したとき、目の前で指が鳴らされた。

「おい、大丈夫か? さっきから上の空だな」

「え、あ……ごめんなさい……」

「いや、まぁ無理もないが……。とりあえずここ土臭いしな、一端外に出よう」

 言いながらヴォルフは近くの窓から中庭へブランカを引っ張り、適当なベンチへブランカを座らせた。

「あそこで飲み物買ってくるから、ちょっと待っていろ」

 ヴォルフが親指で差した先を見ると、中庭の脇に清涼飲料と簡単なお菓子のワゴンが立っていた。

 ブランカは自分が情けなくなった。

「ごめんなさい、せっかく連れてきて頂いたのに考え事してしまって……」

「いい、俺が来たかったから連れてきたんだ。気にするな」

 ため息混じりに身を小さくするブランカへ言い聞かせるように、ヴォルフは柔らかく笑ってブランカの頭の上で二、三手をバウンドさせた。

 そうしてワゴン車の方へ向かおうとする直前、彼は思い出したかのようにブランカを振り返った。

「あ、そうだ。その敬語、いい加減なくしてくれよな」

 ヴォルフは悪戯っぽく笑ってそれだけ言うと、彼はいよいよワゴン車の方へ向かった。

 ブランカは深々とため息を吐く。

 ブランカが不安に押しつぶされないようせっかくヴォルフが連れてきてくれたというのに、本当に自分は何をしているのだろうか。それもブランカに変な気を遣わせないよういつにも増して明るい雰囲気を作ってくれているというのに、気分転換どころか考え事ばかりしている。本当に彼には申し訳ない。

――だけど、どうしても考えてしまうんだもの……。

 祖父のこと。爆弾のこと。

 確かに部屋に籠もって考えてばかりいても答えは出ないけれども、かと言って自分がこれでは気分転換も何の意味も為さない。そうして迫るアロイスの期限に焦るばかりだ。

 本当に、どうすればいいのだろうか――……。

 そう思って下を向いたとき、ブランカはふと足元の石畳に目を向けた。その表面には、『戦争はいつ終わるウェノーア・クリーゲン・オーバ?』という文字が彫られていた。ちらりと見渡すと、同じような文字が、庭園の石畳にぽつりぽつりと散らばっていた。

 ブランカは息を飲んだ。ドクドクと心臓が鳴り始める。

 けれども引き寄せられるように、ブランカはその文字を一つ一つ追い始めた。

『どうか神様、早く戦争を終わらせてください』

『子供にミルクを!』

『息子を帰して』

 やがて城の壁まで行くと、その文字はかなり多くなった。

ここは地獄だヘルベーデ

『ブラッドローよ。何故我々を攻撃する?』

『わたしたちが何をした?』

平和をフレド!』『平和をフレド!』『平和をフレド!』

 どれも力任せに無理矢理彫ったような字で綴られていた。ふと視線を下に向けると、看板が立てられていた。

「『祈りの壁』……?」

 そこに書かれている内容をブランカは読み始める。

 すると、間もなくしてぐいっと後ろから肩を掴まれた。

「戻ったらいなくて焦った」

 ヴォルフは少し血相を変えてブランカの顔を覗き込んだ。ブランカはハッとすると、またやってしまったと後悔する。

「本当に今日はごめんなさい……」

「はぁ、謝らなくて良いが、流石にいなくなるのは焦る……」

 ため息混じりに言いながら、ヴォルフはブランカが見ていたところへ視線を向けた。

「何だ、これは?」

「ここを……」

 看板だけ見て眉を顰めるヴォルフへ、ブランカは壁に書かれた文字を指差した。瞬間、ヴォルフは目を見開いた。

 曰く、戦中ブラッドローやオプシルナーヤなどの空襲が激しくなってきた頃、この地域ではこの城に人々が立てこもって避難生活を送っていたらしい。結果的に空襲の被害がなかったものの、食糧供給も途絶える中いつ来るか分からない攻撃に怯えて暮らす生活は、確実に人々の心を蝕んでいったのだろう。異常な精神状態の中で、人々は心の叫びを城の壁に刻んだそうだ。

「ブランカ。さっきも言ったが、辛いなら見なくて良いんだぞ?」

 じっと彫られた文字を眺めるブランカへ、ヴォルフは言い聞かせる。

 けれどもブランカは首を横に振った。

 ブランカはそっと彫られた文字を指でなぞる。

「ねぇ、ヴォルフ。空襲ってどれくらい怖いの?」

 気が付いたら、そんな質問をしていた。

 するとヴォルフは大きく息を飲んだ。

「何でいきなりそんなことを聞いてくるんだ?」

 明らかに困惑した声音で、ヴォルフは聞き返す。それは不快と言うよりもただただ疑問であるかのような口ぶりだったが、ブランカは咄嗟に答えるのを躊躇った。何故ならあまりに恥ずかしい理由だから。

 しかし、そう思った自分を、ブランカはすぐに叱責した。

「知らないんです、私。空襲の怖さも、街中での銃撃戦も。勿論、収容所の過酷さも……」

 それどころか戦争が引き起こす飢えの苦しみすら、ブランカは知らない。

 フィンベリー大陸戦争が始まってから終わるまで、ブランカはずっと守られ続けていた。終盤、家の中は決して幸せとは言いがたい状態だったし、いつ連合軍が襲ってくるか分からない状況ではあったけれど、それでも食べるものには困らなかった。屋根のある家の中で、ちゃんとベッドに寝て過ごせていた。父に殺されそうになって全てを失った後も、ダムブルクの施設で、ブランカはずっと守られていた。

 どれほど自分の生活が悲痛だったとしても、その悲痛さはこの町の――多くのヘルデンズ人の生活とは比べものにならないほどマシだったに違いない。そんな自分がいくらこの城の壁に書かれた文字を悲しく思っても、ブランカがそれらを理解しきることはないのだ。

 きっと耳を塞ぎたくなるような話だろう。

 けれどもブランカは純粋に知りたいと思った。

 ヴォルフは一つ息を吐くと、ブランカの頭をくしゃくしゃかき混ぜながら彼女を支えるようにして横に立った。

「俺自身は空襲を経験していない。俺が住んでたところがやられたのは、俺が収容所に入れられてからだし。だが、空襲に怯えることは何回かあったな――まだ街中に潜伏してた頃」

 そうしてヴォルフは昔自分が体験したことを一つ一つ話してくれた。予想していたよりも恐ろしい内容にブランカは身体を震わすが、それでも黙ってヴォルフの話をじっと聞く。

 その最中、ブランカはふと薄萌葱色の手紙に書かれていた文を思い出す。

ヘルデンズの運命はスケーブヌ・ヘルデンズ・イアお前の手にイ・ディン・ハンダー

 同時にポケットの中にあるブローチをブランカは強く握りしめた。

 そこに書かれている暗号は、ホフマンの爆弾に関する情報と認識されている。

 街を丸ごと吹き飛ばせるものだ。

――けれど、よく見て。

 本当に爆弾の情報をブローチに隠したのなら。

 街はもうとっくの昔に壊れているのだ。

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