後編:どうして、わたしは『サスペンス』の扱いなの!?

 かつて、ゼウスには別の『妻』がいた。


 テミス。法と掟の女神。

 彼女を妻としていたが、ゼウスは『わたし』に激しく惚れ込んできた。


「わたしに相手にされたかったら、今の奥さんとは別れなさい!」


 そう言って強硬につっぱねたら、本当にテミスとは別れてしまった。


 罪悪感も、なくはない。

 テミスはわたしを恨んでいるだろうか。わたしはゼウスの浮気を許さないけれど、元々はわたしの方こそ『浮気相手』にされかかっていた過去もある。


 そんな姿を見て、テミスは何を思っているだろう。





 容疑者リストは完成した。


「やっぱり、怪しいのはテミス。でも、他の女も油断できない」


 もしかすると、これまでの浮気相手と再燃している可能性も。


「熊になったカリスト。牛になったイオ。怪物になったラミア」


 この街を見ていると、熊だろうが牛だろうが、恋愛対象としては『アリ』に思える。


「とりあえずは、どうやって調べましょうか」

 本人たちを訪ねて行って、直接問い詰めるか。


「それよりは、ゼウスのこれまでの行動を洗ってみましょう」


 何か、おかしな行動は見られなかったか。


 このアキハバラに来て、多くの『二次元』の女たちに魅了されていた。

 猫耳少女。男の娘。寝取られた女。罵倒好き。戦国武将。ヤンデレ。


 その他にも数多くの娘たちを『変身』させてきた。ゼウスはそれにも全く動じず、全てに興奮する様子を見せた。


「そんな中で、わたしは力を失った?」


 この時に、一体何が起こったのか。街でゼウスを追いかける中で、誰かがわたしに何かを仕掛けた。

 どういう形で、そんな犯行を実現できたのか。





 空しい。

 怒りがいったん収まると、心の中に風が吹く。


「ゼウス。それほどまで、わたしに興味がなかったの?」


 どんなに妙な属性を与えても、それを『可愛い』と言い張る男たち。それと同じように歓喜するゼウス。


 それにも関わらず、『わたし』には見向きもしようとしない。

 一体、いつからこうなってしまったんだろう。


「はあ」と溜め息が出る。


 とぼとぼと、街の中を歩く。隣のガラス窓にわたし自身の顔が映り、ふと足を止める。


 金色の髪に、大きな瞳。まだ幼さの残る顔立ち。

 二次元の少女たちにだって、絶対に負けないはずなのに。


 そんな風に、煩悶している時だった。


「ねえ、聞いてよ。本当に最悪なの」


 すぐ後ろを、若い女の子たちが歩き過ぎる。


「この前、マッチングアプリで知り合った男なんだけど、とにかく最低でさ。そいつが浮気してるのかと思って問い詰めたら、『とんでもない事実』が出て来て」

 甲高い声で、自分のプライベートを吐露する女。


 ついつい、耳をそばだててしまう。


「実を言うと、そいつ……」


 女が口にした続きの言葉。


「え?」と、呆然と目を見開かされた。





 すぐにでも、確かめなくちゃいけない。


『わたし』にだったらわかるはず。『わたし』の考えていることは、『わたし』ならば手に取るように掴めるはずだから。


 さっき、街角で耳にした言葉。それによって、頭の中に電気が走った。


『実を言うと、そいつに奥さんがいたの。私の方が「浮気」だったわけ』


 どうして、気づかなかったんだろう。


『も、萌え~』


 ゼウスはいつもそれしか言わない。

 だったら、『試すべきこと』があったんじゃないのか。


『わたし』だったら絶対に、そのことを思いつかないはずがない。


「この考えが正しいなら、絶対にあるはず」


 近くの店の中に入る。青い看板のアニメ専門店。

 平積みにされた漫画本の表紙をまじまじと見ていく。


 多種多様な美少女のイラスト。シリアスな絵柄のバトルもの。あとは女性向けな線の細い男たちの描かれたもの。


 そういうものに混じって、たしかな『異物』が見て取れた。


「やっぱり」と小声で呟く。


 手を伸ばし、発見した『一冊』を掴み取る。


『美少女戦士ヘーラームーン』


 セーラー服にミニスカート、金色のツインテールの髪。


 主人公の顔は、他ならぬ『ヘラ』のものとなっていた。





 たしかに、これは合理的な判断だ。


『も、萌え~』と、ゼウスはどんな属性にも興奮してみせた。さすがにこれは無理だろうと思うような内容ですら、『可愛い』と感じて受け入れる。


 だったら、それを利用してやればいい。


『あなたは今すぐ、「ヘラ」になりなさい!』


 ただ闇雲に痛めつけるより、明らかに効果的。


 ゼウスの愛するヒロインが、『わたし』に変わったら。その時は、やっぱり同じように興奮してくれるのだろうか。


 邪魔な女を排除でき、更に自分の魅力をアピールできる。まさに一石二鳥。

 そんな、理想のアイデアのように思えたのだけれど。


「でも」とわたしは小声で呟く。


 リュックサックにネルシャツ姿の男たち。彼らの姿を見てみるけれど、思ったような反応は出て来ない。


「これ、絶対に流行ってない」





 ようやく、真相が見えてきた。

 なぜ、わたしは力を『失って』しまったか。


 ゼウスを追ってアキハバラに来て、邪魔な女たちを『改変』していった。

 その先で、『ヘラ』の身には何が起こったか。

 その先で、『わたし』の身には何が起こったか。


「つまり、これが真相ね」


 手の平を見る。すぐに店の外へ出て、近くのガラスに自分自身の姿を映す。


 それは、紛れもない『ヘラ』の顔。

 今まで何度も見てきた、美しい顔。

 今まで何度も見てきた、と『思っている』顔。


「愚かなことを」


 ガラスからは目を背け、深々と溜め息をつく。


「つまり、『わたし』はヘラじゃない」





 ヘラはきっと、躍起になっていた。


 ゼウスが愛情を向けた少女たちを、『自分自身』の姿に変えてやれば。そうすれば、ゼウスがまた妻の元に戻ってくると期待した。


 けれど、思うようには進まなかった。


『サレ妻の復讐』


 周囲を見ると、なぜかその手のジャンルのものが増えていた。浮気をされた妻が夫や浮気相手に復讐するというタイプのもの。


 主に、『サスペンスもの』として人気があるらしい。

 でも、『可愛さ』とは無縁。


「さすがにこれは、理不尽過ぎない?」


 今までは何を見ても興奮していたゼウス。そしてアキハバラの男たち。

 なんにでもホイホイ釣られていた奴らが、なぜか『ヘラ』には目もくれない。


「これじゃあ、やっぱり納得できないよね?」


 店の中に戻り、漫画本や、アニメのブルーレイを見て回る。

 ヘラが次に何をしたかも、手に取るようにわかる。


「ああ、やっぱり」


 ヘラはやはり諦めなかった。一作目が無視されても、次こそはと『改変』を繰り返した。


 今度こそ、『ヘラたん萌え~』と言ってもらえるに違いないと。


 棚の中を見ていくと、いくつもの『ヘラ』の姿が見て取れる。


『へらめきメモリアル』


『あの日見たヘラの名前を僕たちはまだ知らない』


『へらおん!』


『やはり俺の青春ヘラコメは間違っている』


『風の谷のヘラジカ』


『13日のヘラ曜日』


『ヘラ田一少年の事件簿』


 何から何までヘラづくし。

 でも、どれもヒットには遠そうだった。





 わたしは本当のヘラじゃない。


 ヘラは暴走し、次々と周りのものを『ヘラ』の姿に変えていった。そんな中で、わたしも『嫉妬』の目を向けられて、同じくヘラに変えられた。


 けれど、記憶や思考は共有できている。『ヘラ』だったら次に何をするか。『ヘラ』だったら今頃何を感じ、どうしているのか。


「正直、ものすごく迷惑な話」


 でも、おかげで行き先も予想がついた。


 アキハバラの市街にあるビジネスホテル。『わたし』だったらこういう場所を選ぶだろうな、と勘を頼りに進んでいく。


 その先で、はっきりと『彼女』を見つけられた。


「あ、ヘラさ……じゃないか」


 アポロン、アルテミス、アレス、ヘスティア。ホテルの部屋の前には、見知った神々が集まっていた。


 わたしは小さく頷きかけ、問題の部屋の戸に手をかける。


 やっぱり、こうなっていたか。


 どんなものにでも興奮していたゼウスやオタクたち。そんな彼らでも、なぜかヘラには一切反応してくれなかった。

 何度も何度も無視されて、ヘラがその後どうなったか。


 そっと中を覗き込むと、部屋の中は真っ暗だった。


「いいもーん。どうせわたし、魅力ないもーん」


 両手で膝を抱え、ヘラがしょんぼりとしていた。





 結局、解決までには一週間を要した。


『気にしちゃダメだよ!』、『ドンマイドンマイ!』、『強く生きて!』と、神々が思い思いの励ましの言葉を投げかけた。


 最初はまったく響かなかった。でも、どうにか気力を取り戻せたようだった。


 わたしもこれで、自由になれる。





 ゼウスも少しは、気にしていたみたい。


 ヘラがあまりに暴走したこと。アキハバラの『萌え』の枠には受け入れられず、なぜかサスペンスのキャラにしかなれなかったこと。


『もちろん、君が一番だよ』と、ちゃんと妻へのフォローくらいはしていた。そうは言ってもゼウスなので、日中は美少女フィギュアを買い漁っていたみたいだけど。


「やれやれ」とわたしは肩の力を抜く。


 今回の件については、ヘラも反省したようだった。闇雲に嫉妬して、誰かの姿を変えてしまうこと。それがいかに迷惑なことなのか、ようやく理解できたらしい。


「悪かったと思ってる。あなたのことも疑って」


 そんな風に言い、『わたし』の姿も元に戻す。


「本当にごめんね、テミス」





 私はテミス。

 法と掟を司る女神。


 ゼウスの先妻で、彼がヘラと付き合うと共に、一方的に別れを突きつけられた。


 でも、別に恨んではいない。


「というか、これで良かったでしょ? どう見ても」


 ヘラの苦労を考えたら、別れて正解だったとつくづく思う。

 それでもやはり、『疑惑』はかけられてしまった。


 私は休暇で、この日本にやってきていた。最近は日本のどら焼きというものがお気に入りで、東京の名店巡りをしていたところだった。


(あなたが、浮気相手なんじゃない?)


 ゼウスが好んでいたキャラクターの中に、『元カノ』という属性のものが出てきたらしい。

 そうして、『ヘラ』に姿を変えられた。


「もう、勝手にやっててよ」


 ホテルの部屋に帰り、東京のガイドブックを手に取る。亀十、うさぎや、清寿軒、草月。あちこちで和菓子を食べ歩く予定だったのに、思わぬ形で邪魔をされた。


「それにしても、ゼウスは今頃どうしてるんだか」


 二次元にハマっているのは紛れもない真実。

 きっと今も、何かに夢中になっているに違いない。


「今度は、何にご執心なんだか」


 ちょっとだけ、好奇心も働く。思い立ち、スマートフォンに手を伸ばす。


「ねえ、今ってどうしてるの?」


 ヘラの側近の女神に連絡し、ゼウスの近況を聞こうとする。


 でも、様子がおかしかった。


「それが」と、電話の先から重い声が響く。


 ん、と首をかしげさせられた。


「テミス様。今すぐ、その場を離れた方がよろしいかもしれません」


「どうしたの?」と眉を寄せた。


「ゼウス様が、最近特にお気に入りの『作品』がありまして。それを見て、ヘラ様がまた酷く動揺されているそうなんです」


「それって」と恐る恐る、詳細について聞こうとする。


「はい」と相手は力のない声で、問題の『タイトル』を読み上げる。


 聞いた瞬間に、背筋が凍った。


『俺の元カノがこんなに可愛いわけがない』


 そして、ゼウスは姿を消した。

 現在捜索中であること。アキハバラ全体を探しても、気配は感じられなかったこと。


 だとしたら、今は一体どこに。


「ですから、テミス様もくれぐれも……」


 もう、最後まで話をしている余裕はなかった。

 カタ、と渇いた音が響いてくる。


 私は現在、高級ホテルに宿泊している。五十階にあるスイートルームで、夜景を楽しむのが最近のブームだ。


 そんな部屋の窓の方で、何かがぶつかる音がした。


 まさか、と思いつつ、恐る恐ると振り返る。


 そこで、はっきりと『目』が合った。


「も、萌え~」


 窓ガラスに顔を張り付け、ゼウスがニタリと笑っていた。

                                     (了)

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ゼウスさんちのアキバ紀行 ~最高神の妻ですが、夫が『二次元』にハマりました~ 黒澤 主計 @kurocannele

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