精霊の綿毛 -Ⅶ

「おやすみ、ミリィ、ジグ」

 黒い羊ブラックシープの頭上で、メリッサは子どもたちの額にキスを降らせた。子ども部屋前の廊下で、母は二人の子を寝室へ見送る。

「母さんも早く寝なよ。今日も仕事あったんだから、疲れてるだろ」

 ジグはそれこそ母親のような小言を一つ、口にする。肩の上でうとうとしている炎の鱗フレイムスケイルを撫でながら、ジグは自分の部屋へと向かった。

 対してミリィは、ぐずぐずとしながらメリッサの袖を引っ張る。

「もう寝なくちゃだめ?」

「寮の消灯時間よりも、もうずいぶん遅いわよ」

「だって」

 本当は眠気に襲われているだろうミリィの腕の中は、ぽかぽかしている。それでも久々に会った母との時間が惜しいのだろう。ミリィはしばらくその場で粘っていた。

「ミリィ、いい加減にしろ。母さんを困らせるな」

 自室から顔を出して、ジグが叱った。これまた大人のようにミリィを窘めるジグだが、就寝前で眼鏡を外した顔はいつもより幼く見えるなと、そんな風に黒い羊ブラックシープは思う。

『ほらほら、もう寝るぞ。眠いもんは眠いだろ』

「うー……。おやすみなさい、母さん」

「おやすみなさい、ミリィ」

 渋々ながら、ミリィは自分の部屋へと向かう。不満そうな顔でベッドにもぐりこんだミリィはしかし、あっという間に眠りに落ちてしまった。


『おやすみ、ミリィ』

 一緒に布団に入った黒い羊ブラックシープは、そっとベッドを抜け出す。

 薄暗い廊下をてこてこと歩き、短い足で幼児のように一段一段しっかり踏みしめて階段を下りた先のキッチンで。

「ミリィは寝た?」

 テーブルについたメリッサが、一人晩酌を楽しんでいる。

『俺はこの体だから、一杯も付き合えないぜ』

 椅子によじ登りながら黒い羊ブラックシープは言った。

「お喋りには付き合ってくれるでしょ?」

 オリーブの塩漬けを齧りながら、メリッサは微笑む。

「あなたとは色々、お話をしておかないとね。ミリィの使い魔さん」

 グラスに注いだ果実酒が、ランプの光に輝く。淡い黄金色のグラス越し、強い眼差しに黒い羊ブラックシープは姿勢を正した。

『……娘さんと関わったことは、申し訳ないと思ってる』

 自分でも、なぜミリィと繋がりを持ったのかははっきりわからない。偶然だったと思うし、たとえ学長の言葉を借りて運命と呼ぶのだとしても。

『自分の子どもが得体の知れないモンと契約したら、普通は警戒する』

「そうねえ」

 グラスの中身を少しだけ口にして、メリッサは言う。


「そりゃあ学校が隼便ウイングメールで手紙をよこしてきた時は、びっくりしたわよ。普通は郵便で届くところを、学校専属使い魔のはやぶさを飛ばしてくるなんて、よっぽどの緊急事態だもの」

『ミリィの手紙以外にも、学校から連絡は行ってたのか』

「あなたがミリィの使い魔になった経緯と、あなたについてと、学校ではどんな対応をするかと……学長先生直々にお手紙を下さったわよ。誰よりも早くね」

 エヴァリット先生の手紙も添えられてたわよ、とメリッサは付け加える。

 黒い羊ブラックシープは学校や教師というものがどういう存在か、実情はよく知らないけれど。

「ま、手紙ぐらいは当然ね。大事な子どもを預けてるんですもの」

 黒い羊ブラックシープが思ったよりもメリッサに友好的に接してもらえたのは、学校側の根回しが、サポートがあったからこそなのだと思い知った。

「もちろん、なんでも学校に任せるわけにもいかないけど。ご迷惑だっていっぱいかけてるでしょうし」

『……なるべく、騒ぎは起こさないようにする』

「あなたを選んだのは、ミリィ自身なんだもの。そこは信じてあげたいしね」

 そう言うメリッサの笑顔は、敵意も不信感もなく黒い羊ブラックシープに向けられていた。


『不安じゃないのか、俺みたいなのが使い魔で』

「まあね、不安は不安よ。でもあの子、本当に悩んでいたのよ。自分は使い魔すら得られないって」

 手元でグラスを揺らしながら、メリッサは小さな泡を見つめる。

「私も使い魔はいないから、気持ちはわかるわ」

 くっとグラスの中身を煽る横顔に、黒い羊ブラックシープは思わず聞き返した。

『いないのか』

「いないのよ」

 メリッサは笑顔で繰り返す。

『まあ、魔法使いみんながみんな、使い魔を従える訳でもないか?』

「それはね。適性がなかったり必要がなければ、持たない人もいるわ。でも魔法学校では必ず学ぶことだから、使い魔を得られないと落ちこぼれ扱いよ。そのつらさは、よくわかる」


 いつもめそめそしていた落ちこぼれミリィ。

 どれだけ傷ついてきたか、その身を涙で濡らされてきた黒い羊ブラックシープは知っている。

「魔力豊富で、才能豊かな夫に似れば良かったんだけどねえ。私は開き直って魔法道具を収集して、それが今の仕事にも繋がってるけど」

 メリッサは苦笑いを浮かべた。

 大人になってから仕事に活きただなんて、そんなことを子どもに言ったところで、大した慰めにもならないだろう。

「だから使い魔を誇らしげに私に紹介して、胸を張るミリィから、あなたを引き離すことなんてできないわよ」

『ああ、頑張ってるミリィを信じてやってくれ。俺を信じろとは言わないさ』

 もし、偶然を運命と呼ぶのなら、それはきっと彼女が引き寄せたものだから。


『それに先生たちにも睨まれてるし、ジグ兄さんもおっかないし?』

「ジグは良い子よ、本当に良い子。気負わなくったっていいのに、自分が家を守る気でいるんだわ。ミリィのことだって、本当に心配してる」

 少しばかり酔いが回ったような目をして、メリッサはしみじみと言う。

「私たちの可愛い可愛いお砂糖ちゃんを泣かせてみなさい、ただじゃおかないんだから」

『お砂糖ちゃんねえ』

 砂糖のように甘く、綿菓子のようにふわふわと柔らかく。

 子どもは大人を癒す菓子ではないけれど。永く孤独の牢獄に囚われている己には、あまりにも。

『俺には、甘すぎる』


「母さん、シープさん?」

 軽い足音が聞こえて、黒い羊ブラックシープは階段を振り返った。

「どうしたの、ミリィ。起きちゃったの?」

「……うん。なんか、夢見た」

 目をとろんとさせながら、ミリィは階段を下りてこようとする。おぼつかない足元にメリッサが慌てて立ち上がった。

「良いわよ、降りて来なくて。一緒に部屋行く?」

「んー……シープさん、まだ、寝ない?」

 ふわふわとした口調で呼びかける主に、黒い羊ブラックシープもメリッサも、一瞬、きょとんとして。

『いや、もう寝る。一緒に行くか』

 黒い羊ブラックシープは足に魔力を溜めて、ひと跳びで二階まで上がった。

 背後から、メリッサが笑う声が聞こえる。

「二人とも、おやすみなさい」

 優しい声を聞きながら、黒い羊ブラックシープとミリィは廊下の暗がりを戻る。


「あのね、不思議な夢を見たよ」

『夢?』

「うん。シープさんと同じ、青い光。それがね、見えて。それで遠くに、男の人が、いて。その人の胸のところに、光ってた」

 ミリィは訥々と、夢を思い出し思い出し語る。

「髪が邪魔で、顔は見えなかったんだけど。刺青? がいっぱいあったよ。あれは、シープさん?」

『……かもな』

 夢の中で出逢った自分たちだが、起きてメリッサと話していた黒い羊ブラックシープが現れる道理はない。ならば本来の夢らしく、ミリィの空想の産物か。

「それでね、シープさん? の周りに、小さい光がいっぱい飛んでたの。その光はね、みんな呼んでたんだよ。シープさんのこと、『せんせい、せんせい』って」

 息が止まる。

 ぬいぐるみに器官はないはずなのに。

「もしかしてシープさんって、先生だったの?」

『……そんなんじゃない』


 自分が見た夢でもないのに。

(せんせい)

 今もってその小さな光が自分の周りを取り囲んで、呼んでいる気がする。

「ハンナちゃんと、学校ごっこしたからかなあ」

『きっとそのせいだろ。先生なんざ、俺がそんなお偉いモンであってたまるかよ』

「でも先生役、似合ってたよ」

『魔法学校の先生たち、ミリィのために良くしてくれてんじゃねえか。ああやってきちんと子どもを守ってくれるのが、先生って言うんだろうよ』

 味方になってくれない先生もいるけども。けれど黒い羊ブラックシープに厳しくしたり警戒の目を向けているのは、それはそれできっと、学校にいる数多の子どもたちのことを考えてのこと。

『子どもなんざ、守ってやれた試しねえよ』

「私はいつも、守ってもらってるよ」

 何の疑いもなく、ミリィは言う。

『お互い様だ、そりゃ。使い魔と主だからな』

 部屋に戻って、布団に潜り込む。

 ミリィの瞼はもう、今にも閉じそうだ。

 黒い羊ブラックシープは綿菓子のような柔らかな髪を、ぽふぽふと優しく叩いた。

『おやすみ、お砂糖ちゃん』



 ☆ ☆ ☆



 現在公開分はここまでとなります。お楽しみいただけたなら嬉しいです。

 カクコン中の完結を目指しておりますので、お待ちくださいませ。

 お読みくださり、ありがとうございました!




 

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