テレビと深夜

真花

テレビと深夜

 女は照明を消した方が好きだと言うので部屋を暗くしたが、テレビは付けっ放しにしたままだった。女の部屋は狭くて、テレビの光だけで十分に俺達の表情も陰影も浮かび、下げていないボリュームは俺達の息遣いを邪魔した。わざわざ来たが、それに見合う熱中には届かなくて、それでも行為は完遂されて、俺達はシングルベッドに陳列されるみたいに横並びになる。居心地が悪い。それは狭いからではない。俺はベッドを出て、テレビの明かりを頼りにタバコを探って、シガレットを構える。

「吸っていい?」

「いいよ」

 ぼ、と着火されたライターの上を中心に光と影が逆転する。煙を吸い込んで、女と反対方向のテレビに向かって吐く。女が後ろから俺を抱く。

「ねえ、次はいつ会えるの?」

 テレビの画面が切り替わり、アーティストの演奏がCMとして流れる。そのアーティストを俺は知っていた。公表されてはいないが、自殺未遂で俺が勤務する病院に運ばれて来て、俺が担当医になった。治療は上手く行って、退院し、俺の外来に通院していた――


 半年近く通院を続けたその日、アーティスト……安永やすながさやかは予約通りに来た。いつも遅れることが多かったのに、おや、と思った。

「安永さん、二番診察室にどうぞ」

 診察室に入って来た安永は見るからに調子がよさそうだった。薬はまだ飲んでいたし、これからも飲む必要がある。安永は椅子に腰掛けて、俺が喋る前に声を俺に突き刺した。

「もう、ここには来なくていいと思います」

「いや、お薬を続ける必要があるので、通院はして下さい」

「大丈夫です。それだけを今日は言いに来ました。これ、餞別です。私のCDです」

 安永は俺に直接渡さずに、机の隅にそっと置いた。

「調子はどうなんですか?」

「先生、さようなら」

 安永は空気みたいに軽く立ち上がって、診察室から出て行った。俺は追いかけるか迷って、迷っている間に追いかけられる時間は過ぎて、次の患者を呼んだ――


 テレビから安永の歌声が聞こえる。あれから一年半は経っている。

「ねえってば」

「ちょっと黙ってて」

 女が拗ねるのが背中で分かった。だが、それどころではない。安永は生きていて、活動をしていて、それがテレビに出るまでになっている。見立てが甘かったのは俺の方なのかも知れない。CMの最後に曲名が「ディア・ドクター」と表示された。

 俺はこんなところで何をしているのだ。

「帰る」

「え? 何で? 泊まっていってよ」

「何をしなければならないのかは全く分からない。でも、何かをしなくてはならない。そしてそれは、ここにはない。だから帰る」

「急に何なの?」

 女の顔がテレビの光でチラチラと浮かぶ。女から見たら俺の顔は陰になっているだろう。テレビはもう別の内容を垂れ流しにしていて、俺にはノイズでしかない。俺はノイズばかりを食べて日々を生きているのかも知れない。そこから抜け出さなくてはならない。だが別れ話をするエネルギーを別のことに使いたい。ここから出なくてはならない。

「ごめん。でも帰る」

「次はいつ会えるの?」

「近々また来るよ」

 女はむくれて見せながら、しょうがないね、お帰り下さい、王様、と泥団子を積み上げるように言う。

「ありがとう」

 俺はサッと服を着て、カバンを持って玄関に向かう。女は裸のまま見送りに来た。

「じゃあ、また」

 女は何も言わなかった。だが、ドアが閉まる直前にあかんべーをする。

「嘘つき」

 そのままドアは閉められた。俺は弁明のためにノブを回す気にならなかった。女がどんな気持ちであるかに興味がなかった。

 住宅街を歩く。空には半月が物足りなそうに浮かんでいる。タバコに火を付けて、大きく煙を吐き出す。月が煙に覆われる。どこに向かえばいいのだろう。ここじゃないと言うことだけは分かった。俺は深夜の道を歩き続ける。

 あのCDはどこにやっただろうか。


(了)

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