妖精
秋色
妖精
日曜日のショッピングモールは賑わっていた。
佳織はキャップを深くかぶって、フードコートの一番隅のバーガーショップで注文をすると、空席を探した。たまたま客が立ち上がり、空いたテーブルにトレイを載せると、後ろに誰かの気配を感じ、ビクッとした。
「ここ、相席してもいいかしら」
そこにいたのは、一人の老婦人。ラベンダー色のニット帽と同じ色のニットのスーツを着て、上品に微笑んでいる。
持っているのは、佳織の目の前にあるのと同じ、バーガーショップ・エルフィンのトレイ。そのちぐはぐさに一瞬だけ目を見張ると、佳織は無言でコクンとうなずいた。
老婦人は、「あらあら」と小さな声で言ったような気がする。でも気にしない。どうせ老人が愛想のない十代の子に言いそうな事の見当はついている。相席は苦手だ、と心の中で呟いた。
ひたすら無言でバーガーを頬張っている佳織とは反対に、老婦人は周囲の風景にずっと目を向けていた。フードコート内の風景ではなく、ガラス張りの向こうに広がる風景を。
ここは急速に発展してきた地方都市で、少し前までは畑の広がる田舎だった。だから今も、ちょっと歩けば野山が広がっている。
このフードコートからも遠くに山々が連なる風景が見える。今は咲きかけの桜でほんのりピンク色に染まっていて、それを見ながら老婦人は、「やっと春本番ね。出番だわ」などとつぶやいていた。
その時。突然二人のテーブルに、佳織と同じ女子高生と思われる二人組がやって来た。そして佳織に向かって、にこにこしながら話しかけてきた。
「体操の北原佳織さんですよね? サインを下さい」
佳織は澄んだ眼で二人を見て、抑揚のない声で言った。「違います」
二人の女子高生は顔を見合わせてから、「すみません」と言い、立ち去った。
二人の去った後のテーブルは、それまでと同じ、いやそれ以上の静寂に包まれていた。でもその静寂を簡単に破り、老婦人が言う。「まるで本人ですって白状しているような言い方だったわね、ふふ」
その表情は責めるわけでもなく、ただの感想のようだった。そしてバーガーショップのプラスチックカップの紅茶を、まるで高級な陶器のように両手で持っている。
「だって仕方ないでしょ。私はずっと我慢してきたんだから」
「我慢?」
佳織は、せきを切ったように話し始めた。
「中学生で体操の全国大会に出てから、テレビやネットに私の写真が出て。それも初めての大会で良いところまで行った時に、ニュースで『体操界の新しい妖精』なんて書かれてしまって。それ以来、すっごく居心地が悪いの」
「どこで居心地が悪いの?」
「どこにいてもよ。周りからクスクス笑われて『画面で見るほど可愛くないね』と囁かれたり、ちょっとぶっきらぼうにしたら『妖精なのに』って言われるし」
「まあまあ。それは嫌な思いをしたわね」
「でしょ? だから周りの目が気になって体操も続けたくなくなって、最近は休んでる。体操してなかったらこんなものも食べられるし」
「それでは、体操はあまり好きじゃなかったのね?」
佳織は戸惑って、思わずストローの袋を握りしめた。
「ううん、それは別。体操は好き」
「じゃあ別に何て言われても気にしなかったらいいんじゃない? 大体妖精が必ずしも可愛かったり優しかったりするわけじゃないでしょ?」
「そうかな。妖精はやっぱり可愛くてキレイで優しいものだと思うけど」
「でも妖精を見たって人に会った事ある?」
「あるわけない。ま、確かに居もしない妖精に振り回されても仕方ないけどね」
「妖精が居もしないとは、誰も言ってないけど」
「妖精はともかく、何か……なんて言うんだろ。損してた感じ」
「でしょ?」
「周りを気にしないって、難しいね。でもそうしてみようかな」
「そうね。でもケチャップが付いてるのは気にした方がいいかもね」
「え? ほらココ」
老婦人は口の右横を指した。
佳織は口元を指で触ってみてケチャップが付いているのに気が付いた。
「ほら、これで拭きなさい。これ、要らないから」
老婦人はハンカチを差し出した。
「ありがとうございます」
「じゃ、私はもう行くから、ゆっくり食べてね」
「あ、でも私もここでこんなん食べてる場合じゃないな。来週から体操のトレーニング再開しようと思うから。食べ物にも気をつけなくちゃ」
「そう。ではがんばってね」
佳織は老婦人がテーブルを離れた時、もらったハンカチをふと見た。桜の花びらの刺しゅうがされたとてもきれいなハンカチだ。
こんなの使えないよと思い、老婦人の跡を追った。でもつい今しがた席を立ったばかりのはずの人の姿がどこにもない。
バーガーショップ・エルフィンのカウンターは、フードコートの入り口に面している。佳織はそこにいた従業員の青年に尋ねた。
「さっき出ていったおばあさんは、どっちに向かいましたか? 私と同じテーブルにいた人です」
「え? そんな人は見かけてませんよ。お客様はテーブルにお一人だったかと」 従業員の青年は、首を傾げた。そして隣にいた別の従業員に訊いた。「な、誰かおばあさんのお客さんて、隅のテーブル周辺にいたっけ?」
訊かれた方は首をすくめ、知らないというジェスチャーをした。
佳織はそのハンカチを手品師みたいに右手と左手でヒラヒラさせながら、何かヒントがないか考えていた。
そして老婦人の言葉を何度も心の中で繰り返した。
――妖精が居もしないとは、誰も言ってないけど――
席に戻ると、テーブルの上に何枚かの桜の花びらが、デザートのように置かれていた。
妖精 秋色 @autumn-hue
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