21 『万葉集』への応援コメント
万葉集、必ず習うのに、実は読んだことないです……!
『防人の歌』などは、中学の歴史の教科書にも一節が載っていたりしますね。最近、子供のテスト範囲でした。
>ねえねえきみ名前教えてよ、ぼく偉いんだよ、いっそぼくから名告っちゃう
笑いました。そんなプレイボーイが!
柿本人麻呂と山上憶良の歌の韻の踏み方、カッコいいですね。口に出して読みたい。
字余りの時の音の縮め方も興味深いです。
当て字は今のキラキラネームにも通じるものがありそうですね。
作者からの返信
ありがとうございます!
なかなか読む機会はないですよね。でもそのなかの歌は教科書に載ってたりして、意外と知っているものもあったりします。
プレイボーイっぷり、お楽しみいただけましたら幸いです(^^)
口に出して読みたい、まさにそんな歌ですよね。ふたりの歌は、特にそう思います。
古代では字足らずより、字余りを避けていたような気がします。それだけに、音を縮める工夫が進んだのかも、と。キラキラネームの自由な当て字/読みは、万葉の頃からの日本人の伝統なのかもしれませんね(^^)
19 『柳宗悦民藝紀行』への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
柳宗悦の言葉に初めて触れました。
> 『伝統は既に個人を越えた一般のものであります。その非個人性こそは、貧しい個性より持ち合せない衆生のために、どんなに有難い依り所でありましょう』
もう、この最初の引用からして、なにか胸のうちでうずうずするものを感じました。目からうろこが落ちるような、きっぱりとした何かに目覚めたわけではないけれど、決して自分ひとりでは気づけなかった視座に光を当てられた気持ちです。新たな出会いをいただき、ありがとうございます。
ところで、日田・小鹿田は「おんだ」ではなく「おんた」と濁らなかったかと思います。些末な話で失礼ですが、元県民としてはついつい気になってしまい (^^;)
作者からの返信
ありがとうございます!
個性や独創性を大事と考えるのが王道だとは思いますが、型に忠実な没個性を評価する視点も、考えを豊かにするように思います。まさに、新たな視座に光を当てる作業ですね。
文章も、個性を磨くより先に、先人たちの名文に近づく努力をすることで得られるものがあるのかも、、と思いました。
小鹿田の読みのご指摘、ありがとうございます。ずっと誤読していました;。このあと修正します。
見苦しい言い訳をしますと、この本(岩〇文庫)でははっきり「おんだ」とルビを振っているのです。編集者のミスなのか、もしかしたら柳宗悦自身が誤って書いたのかもしれません・・・。
20 森鴎外『阿部一族』への応援コメント
子どもの頃に読んだ『最後の一句』が確か父親の助命のために子ども全員で代わりに自分達を処刑してくれと願い出る話だったと思うんですが、現在との価値観の違いに当時は共感もへったくれもない、という感じでした……。
九里琳様が森鴎外の武士の精神に対する共感と反骨精神について書かれているのを読み、なるほどなあ、と感じている所です。
作者からの返信
ありがとうございます!
昔の本や、外国の小説を読んだときに、価値観のちがいがあると入り込めないことってありますね。
親を助けるために子が命を投げ出すというお話は、特に中国古典に頻出して「逆だろう(親が子のために犠牲になる、が人情じゃないの)」と思いますが、、儒教の教えとして森鴎外にも流れ込んでいたのかもしれませんね。
20 森鴎外『阿部一族』への応援コメント
「高瀬舟」が高校の教科書に載っていて、森鴎外にはそのイメージしかないのですが、「安倍一族」、おもしろそうだなと読ませていただきました。
江戸時代を小説の舞台に据えると、そこになにが描かれていても「時代小説」や「歴史小説」にジャンル分けされそうな現代では、相当の歴史好きでもない限り、殉死は不可解な風習だとしか思えないんだろうな、とも思いました。
作者からの返信
ありがとうございます!
『高瀬舟』、載っていましたね。これは最晩年の作で、鴎外の到達点としてやはり読む価値が高いと思います。『阿部一族』は、そこへ達するための重要な分岐点だというのが重要な一冊ですし、純粋に読み物としても文句なしに面白いです。
殉死は理解しがたいですよね。まあ江戸時代でも、この物語の舞台となった年代の二十年後ぐらいに殉死は禁止されているので、江戸時代後期には「不可解な風習」になっていたんだろうと思います・・・。
20 森鴎外『阿部一族』への応援コメント
森鴎外といえば『舞姫』しか読んだことがないハナスです。こんにちは。
『阿部一族』タイトルからしてかっこいいですが、文体も風格がありますね。
興味がわきました。教えてくださりありがとうございますm(__)m
作者からの返信
ありがとうございます!
『舞姫』は初期の作品ですが、やはり美しい文章にロマンチックな物語ですよね。『阿部一族』はちょっと堅く重たい物語ですが、、仰るとおり、風格があるのが魅力です。機会があればお手に取っていただければと思います。
編集済
20 森鴎外『阿部一族』への応援コメント
森鴎外氏、
「ファウスト」や「即興詩人」を読んだはずなんですが、正直あまり印象に残っておらず、、ちょっと距離を感じる文豪さんでした。
けれど「阿部一族」の出だし数行はしびれるほどカッコよく、これは読んでみようかなと思いました。
いつも素敵な作品との出会いを、感謝です✨
作者からの返信
ありがとうございます!
ちょっと距離を感じる文豪さん(^^) ぴったりの表現ですね。近づきたかったら君たちから歩み寄ってきなさい、って言われているような気がするんですよね。
それでも踏んばって近づいてみたら、いいことのある作家だとも思います。
『阿部一族』はほんとにカッコいいですよ。ぜひお楽しみくださいませ!
6 ホメロス『イリアス』への応援コメント
これまた濃厚なお話でした。
人間くさい神様(他の動物などでも)を垣間見た時の奇妙さは、人間にとってホッとするエンタメなのかも、なんて思いました。
二つ名に繋がりそうな枕詞も、吟遊詩人の口承だからこそ説明と盛り上げをリズムよく、という話にはナルホドと頷かされました。
喩えを使い、観客を飽きさせない工夫なども。
ただストーリーを追うだけでなく、描写を掘り起こしながら読むと、深みが増して面白さが何倍にもなりますね。
作者からの返信
ありがとうございます!
神様の人間くささに触れてホッとする、そんなところがありますね。異質であるはずのものにも実は共通点があると思うと、親近感が生まれるのでしょうか。
その点ギリシアの神さまは本当に人間くさくて、欧州全域がキリスト教に改宗したあとも生き残った理由かもしれませんね。
描写を掘り起こすのも、読む愉しみ方ですよね。面白さが何倍にもなる、そんなきっかけの一つにこの小文がなっていれば光栄です。
13 『論語』への応援コメント
中島敦の『弟子』、そうです、この物語に触れてから急に孔丘先生に血肉が通い、僕のなかで魅力的に輝き出したんです。大学では東洋思想をとっていたんで、論語は必読で、しかし面白くなくて。訳解んない荘子なんかに惹かれたりしたんですが、『弟子』を読んでから論語の観方が変わったんですね。先生、結構ボヤいたり口が滑っちゃったりしている感があって。怪力乱神を語らず、なんて言いながら、土中の怪?それは墳羊だよ!なんて言っちゃったりしてて。民間施術的な巫祝の技を国家の政に昇華させたい、そんな想いが見え隠れしているように思えたりして。
読むのは骨ですが、またちゃんと読むべきですねっ!ご教授、ありがとうございました!
作者からの返信
ありがとうございます!
東洋思想を学ばれていたんですね。となると、釈迦に説法でした・・。「訳解んない荘子」というのが、いやもうほんとに、って思いました(^^) 名伯楽の逸話が『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』に紹介されていましたね。
中島敦の『弟子』、いいですよね! 私も論語の観方が変わったと思います。今回のような読み方になったのも、この小説の影響が入っているはずです。
民間施術的な、、言われてみると、楽や詩や易が大事だ、というのもそれかもしれませんね。
19 『柳宗悦民藝紀行』への応援コメント
何をもって芸術とするのか、これもまた一つの答えですよね。機能美って私も大好きです。伝統にはあまり惹かれませんが、身近なところにある美への気づきのは大事にしたいですね。
作者からの返信
ありがとうございます!
人の心への響き方も、いろいろな形があってよいと思いますね。
機能美は本能に訴えるものがありますよね。身近な美、これを見出す目が民芸運動の根幹のような気がします。
編集済
19 『柳宗悦民藝紀行』への応援コメント
わたしはNHKEテレの「日曜美術館」で民芸という言葉を知りました。
民芸の思想にはとても共感しますが、美術品に備わる「美」と、民芸の持つ「美」を同列に扱うのは、筋が違うように感じます。もちろん、民芸を否定するという意味ではまったくありませんが。
>決して独創などをそれらの人々に期待は致しません。ですが力もない人々ですから、何か便たよれるものを持たねばなりません、それには伝統が用意されております。伝統は既に個人を越えた一般のものであります。その非個人性こそは、貧しい個性より持ち合せない衆生のために、どんなに有難い依より所でありましょう。
この言葉……わたしのことを言われているようでおどろきました。
独創性を持たないわたしのような(自称)Web作家は、これまで先達の作家さんたちが書いてきた作品をなぞるように没個性的な小説を書いているわけで……、じゃあわたしがやってるのは創作じゃなくて民芸に似たものってこと?
今回もおもしろかったです。ありがとうございました。
作者からの返信
ありがとうございます!
「日曜美術館」でも取り上げられていたのですね。映像つきで説明されると、文字だけよりも格段に分かりやすいだろうと思います。
美術館の美と民芸の美は同列で扱うものではない、というのは仰る通りだと思います。何が、なぜ、どのように違うのかを文章にしていくと、美というものへの考えが深まりそうで、興味深いですね。
それを文章について適用するのもまたおもしろい考察になりそうですね。独創性を発揮しなければ価値がないのか、それとも伝統や流行の型に乗って心地よい文を書くのも尊いのか、、、後者もOKなら、物書き全体がけっこう民芸寄りなのかも、と考えることも可能ですし、どの一文も同じものはなく皆なにか新しいものを生み出そうと努めている以上は独創の営みなのだ、、とも言えそうです。
編集済
12 倉橋由美子『ヴァージニア』への応援コメント
いきなりレベルを下げてしまって申し訳ないのですが、学生時代、古本屋で手にした恩田陸の『六番目の小夜子』に衝撃をうけたんです。男性作家だと思い込んでいた為だろうと。あくまでも私見ですが、僕は男性と女性とでは本質的な違いがあるように感じます。そもそも世界の汲み取り方が違うのではないかと。女性はスイッチや調整つまみがゴマンとあるが、男性はオン・オフの一つだけ、なんて云われたりしますけど(僕はがっちり当て嵌まりそうです…)、故に女性は生じるそばから霧散する情念までもしっかり汲み上げ刻み込み、男性はざっくり切り取りぱぱっと組み立て、まあこんなもんだろうと満足気に喜んでいる、そんな生来の性質が世界の再構築においても関わっているのではあるまいか、と思ったりします。
『スミヤキストQの冒険』、面白そうですね!探してみます!ありがとうございました!!
作者からの返信
ありがとうございます!
言われてみると、最初に名前で性別を誤解して取りかかって、あれっ? て思うことがありますよね。それが衝撃になる感覚、わかります!
やはり男性と女性の違いがそうさせるのでしょうか。男性の方がざっくり単純、オン・オフ2択しかない、、、ちょっとひどい言われようですが、でも否定しきれないんですよね(^^;)
そんな生来の性質が世界の再構築にも関わっている、、私もそう思います。
『スミヤキスト』は、呪文堂さんならきっと存分に味わわれるんじゃないかと思います。ぜひお試しくださいませ!
15 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
小林秀雄は高校生のときに国語の読本で出会ったきり、ほぼまともに触れたことがありませんでした。食わず嫌いのまま、とにかく難しい(文章も人も)と思い込んでいました。難しいのは確かだとしても、それは一つ一つ積み上げた論理的思考を問うものではなく、その土台の上で自由に跳躍する直観ゆえだとわかりました。久里 琳さまのご解説で、二の足を踏ませていた思い込みがなくなったように感じます。とても興味深かったです。
作者からの返信
ありがとうございます!
とにかく難しい、というのはまったくその通りですよね。文章も人も!
自由に跳躍する直観ゆえ、、これがまた厄介なのだと思います。共感できればはまりますが、違う、と感じたらもう頭に入ってこなくなることも。
でもそんなところもひっくるめて面白い批評を書く人だと思います。またちょっと覗いてみよう…と思っていただけるなら、望外の喜びです。
18 星新一『ボッコちゃん』への応援コメント
私も卒業生です。中学一年の頃読み漁りました。
同窓会したくなるの分かります。久里様も影響を受けた作家さんなんですね。
人間の本能や欲望を見事に書き、皮肉混じりもあってユニークです。
S氏、N氏がカタカナなの初めて知りました。
オチも勉強になった遠い記憶。今もショートショート執筆時、参考にしてます♪
また、読み返したくなりました。ありがとうございますm(__)m
作者からの返信
ありがとうございます!
卒業生がまた一人! 同窓会が開けそうですね(^^)
人間の本能や欲望を見事に書き、、そうなんですよね。簡潔な描写なのに、「人間って、こうだよな」と思える的確な型を描いているのがすごいです。
あのオチは勉強になりますよね。それが今も活きてて、、やっぱり影響力は大きいですね。いま読み返されても、きっと参考になることがあるんじゃないかと思います。
18 星新一『ボッコちゃん』への応援コメント
私も卒業生です!
同時にショートショートはもう先生が全部書いた、とも思ってます。あの作品群を書ける作家はもう現れないし、まして超える作家はいないだろうなと。
憧れても手が届かない、まさに巨星です。
作者からの返信
ありがとうございます!
ここにも卒業生がお一人!
たしかに、あらゆるパターンを書き尽くされて、もう私たちがなにを書いても二番煎じになってしまいそうですね。
星には手が届かない、そして天で輝きつづける存在ですね。
18 星新一『ボッコちゃん』への応援コメント
読ませていただいて、星新一作品にめちゃめちゃ興味が湧きました。お恥ずかしいのですが、私、まったく読んだことがないのです(^^;
SFもショート・ショートも好きだったのにどうしてだろ。出会うきっかけがなかったって感じかもしれません。
十代の頃、ショート・ショートだとアイザック・アシモフ選集の『ミニ・ミステリ100』がお気に入りで、日本の作家だと赤川次郎の『踊る男』なんかを読んでいた憶えがあります。どうしてあの頃に星新一にいかなかったのか……なんだか悔しいです。琳さんのこの解説を読む限り、読んだら絶対ハマる自信があります(笑)
作者からの返信
ありがとうございます!
星新一は未読でしたか。でもショートショートはアシモフと赤川次郎でお読みとは、すでに一流の作を味わわれているわけですね。
最後に意外な結末・真相に辿りつくのは、推理小説にも近いものがありますね。トリックが偶然のいたずらで生まれたり、破られたり。
たしかに十代の頃の方がよりストライクだったかもしれませんが、いろんな作品を読まれて目の肥えた今の千弦さんにも、十分ご満足いただけると思います。ぜひお試しくださいませ!
18 星新一『ボッコちゃん』への応援コメント
私もかつて星新一を卒業した身です。同窓会を開きたくなる感覚、よく分かりますね。
引用されている『殺し屋ですのよ』、すごく腑に落ちるラストで印象に残っています。
あと、中学の英語の教科書に『おーい でてこい』の英文バージョンが載っていました。あの話もすごく星新一らしさがありますよね。私もショートショートを書く時は、あの感じを意識してます。
こうしてコメントしていたら、久々に読みたくなってきました(*´ー`*) 実家にあったはず……!
作者からの返信
ありがとうございます!
同窓会を開きたくなる気持ち、やはり分かっていただけましたか(^^) ぜひご実家で見つけ出してくださいませ!
『殺し屋ですのよ』『おーい でてこい』も好きなお話です。あの発想がつぎつぎ出てくるのがすごいですよね。
あの感じを意識されているとのこと、陽澄さんのストーリーテリングの巧さの秘密の一端を見た気がします。
8 ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
本当に刺激的ですね。ご紹介いただいた文章のいくつもに、強く興味をかきたてられます。
『示されうるものは、語られえない。』これは電子の位置と速度は同時に正確に求められないという不確定性原理を彷彿とさせて、面白いなと思いました。あまりにも短絡的ではありますが、哲学、数学、物理学と、どんな切り口で迫ろうと、向かおうとするところは同じなのかしらと予感させるものがあります。
作者からの返信
ありがとうございます!
刺激的ですよね。たぶん理系的な方のほうが、より関心をもたれるような気がします。
たしかに、量子物理学と通ずるものがあるような気がします。日常生活的な直観と相容れないことが、頭で理詰めに考えるとどうしても「正」であるというかのような。仰る通り、数学と物理学はもちろん哲学も、真実に向けてそれぞれ探究を研いでいっているような気がします。
17 アドルフ・ポルトマン『人間はどこまで動物か』への応援コメント
そもそもキリスト教的世界観が前提にあるのが厄介ですね。もう遺伝子レベルの教義で、すでにフィルターがかかってますからね。進化論も地動説も、すんなりと理解できない厄介さはありますね。
作者からの返信
ありがとうございます!
遺伝子レベルの教養、、確かに! 後から得た知識で容易にひっくり返るものではないですね。キリスト教徒に限らず、科学者であってもどこかでなにかのフィルターがかかるものかも、とも思います。
17 アドルフ・ポルトマン『人間はどこまで動物か』への応援コメント
人間の脳の特殊性と比較するのにどうしても他の動物を単純化してしまう部分があるのかなと想像しましたが、生物学を歪めて政治利用するナチスに対する危惧と科学者としての怒りが前面に出ているのでしょうね。自尊心ではなく尊厳という言葉の選択に頷かされます。ただ自尊心をくすぐられることに弱いのも人間という動物のサガで、そこに非科学的な理屈をつけられるとまるで後ろ楯を得たかのように正当化できるという……後天的に学習する脳だからこその弱さも考えさせられました。
作者からの返信
ありがとうございます!
集団の特徴を表すために、単純化が相応しいこともありますね。そこに危惧と怒りが加わると、つい調子が強くなってしまうのもしかたないかも。
自尊心をくすぐられることに弱いのも人間のサガ、、本当にその通りですね。後天的に学習する脳だからこその弱さ、というのも考えさせられます。
自身も含めて、人間には、注意しなければならない痼疾が多々ありますね・・・。
17 アドルフ・ポルトマン『人間はどこまで動物か』への応援コメント
たぶん、科学的知見を人間の営みに当てはめてなにかを引き出すべきではない、ってことなのでしょうね。
これが生物学以外の分野だったら、たとえば電磁気学で人間の心理を説明するとか、プレートテクトニクスを応用してあるべき社会を設計するとかいったら、ウソでしょ無理があるでしょ、ってすぐ気づくのに、
なぜか、というか人間も生物であるのは事実なんで、進化論だけは、なにか人間のあるべき道筋を示しているように錯覚してしまうという。。
ダーウィンも不本意でしょうし、そういうんじゃない=生物学で説明しきれないところにこそ、われわれ人間が生きてる実感?意義?があるように感じるのですが。
作者からの返信
ありがとうございます!
仰る通り、科学的知見を人間の営みに安易に当てはめるのは無理がありますよね。そして困ったことに、その無理をしてしまう誘惑に負ける人が多いんですよね・・・
なかでも生物学の知見が、人間社会に適用しやすいので、いろんな間違い・錯覚が起こっているのでしょう。まったく、ダーウィンも毀誉褒貶のすえにこんなことになっているとは不本意でしょうね。
自然科学の語り得ないところに、社会科学・人文科学のおもしろさ・深さがあって、さらにはそれらでさえ解きほぐせない生の人間の問題は残って、そういった部分を語るのに文学の価値があるのかもしれませんね。
11 江上波夫『騎馬民族国家』への応援コメント
これっ!大好きなやつです!この書に触れたお陰で、歴史というものの捉え方ががらりと変わったのを覚えてます。暗記物だった科目が、実は推理小説より面白い!と知った瞬間でした。
そういえば。この本を読んでいた頃、『皐の民』という(こちらは軽めの小説ですが)海洋民族を扱った物語に古本屋で出会い、今まで習ってきた歴史は農耕民族の歴史でしかなく、そもそも『国』という概念が全く異なる人々が存在していた、そんなことに気付かされたものです。
それにしましても…
久里琳様!博識に過ぎますっ!
作者からの返信
ありがとうございます!
呪文堂さんもお好きでしたか。本当に、歴史というものの捉え方ががらりと変わりますよね。俄然、日本史が面白くなりました。
『皐の民』は存じませんでした。中央の歴史が農耕民族の歴史である一方、海民・山民の歴史はスルーされる、、そこに着目するとまた世界の見え方が変わると思いますね。
博識とのご評価はうれしいですが、呪文堂さんこそどんな話題にも反応されるので、すっかり脱帽です!
10 スヴェン・ヘディン『さまよえる湖』への応援コメント
『さまよえる湖』!そういえばまだ読んでませんっ!僕の初海外旅行は敦煌だったんです。学生時代、ある写真家の方が主催するツアーに参加させて貰い、砂漠を目指す夜汽車のなかで玉門関、楼蘭、そしてロプ・ノールの話を聴いたのを覚えてます。帰国後井上靖の『西域物語』を読み、いつか行く!と思いつつ、チベット仏教にも強く惹かれてしまった為、バイトで貯めた貯金は天山山脈を目指す前に崑崙山脈方面に費やされてしまいました。河口慧海の『西藏旅行記』を読んだ後、ヘディンの『西藏探検記』も読むつもりだったのですがこれも未読!やばいですね!『さまよえる湖』の三部作と『西藏探検記』、俄然読みたくなりました!
西域って、どうしてああも人を惹きつけるのでしょうね?
今はダムだのミサイル基地だの作られているようですが、千年・二千年後には人無き砂漠にまた湖が戻っているのかもしれませんね。
ロマンティックなお話、ありがとうございました!旅に出たいですっ!
作者からの返信
ありがとうございます!
西域は、本当にどうしてあれほど人を惹きつけるんでしょうね。河口慧海! 彼にチベット密入国までさせるほどに。ヘディンもけっこう地方政府から痛い目に遭ったりしたようですが、、それでも強く誘われるんですよね。
敦煌に崑崙! 砂漠を目指す夜汽車! うらやましいです。
私もしっかり西域に惹きつけられているのですが、ウィグル人たちに平和が戻るまでは彼の地に足を踏み入れるまいとかつて心に誓ったおかげで、いまだに果たせていません・・・せめてヘディンのこの書で行った気になっています。
・・・旅に出たいです!!
16 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』への応援コメント
ニューロマンサー、タイトルは知っているけど読んだことなかったです。面白そうですね。
サイバーパンクものって変な日本っぽい(めちゃくちゃな日本語の看板がかかってたりする)街が出てくるイメージがあるんですが、もしかして後続の作品がニューロマンサーの世界観を真似しようとした結果だったりするのかなと思いました。
作者からの返信
ありがとうございます!
この世界観にはまるとすごく面白いです。一度お試しになられる価値はあると思いますね。
変な日本っぽい、、そういう映像多いですよね(^^) ここでもその片鱗が・・・。いわれてみると、ニューロマンサーの影響はあるような気がします。
16 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』への応援コメント
挫折組です。当時も話題作でしたから張り切って読んでましたが、内容がさっぱり頭に入ってこなかった覚えがあります。
攻殻機動隊は好きですし、何ならアップルシードの頃から追っかけてましたね。欄外のメモを読むのが楽しかったり。
それはさておき、このエッセイ読んで文体が苦手だったのかなと思いました。翻訳の加減もあるんでしょうが。
作者からの返信
ありがとうございます!
特徴的な文体は好き嫌いがどうしても出ますよね。『ニューロマンサー』はたしかに、そういう好き嫌いがはっきり分かれる文体なんだと思います。文体が合わなければ挫折もやむなし、かと。
士郎正宗の欄外のメモは楽しいですよね。これを書いているうち懐かしくなって久々に引っぱり出してみたのですが、細かい文字を読もうとすると視力の低下が如実にわかって、愕然としました(^^;)
編集済
9 谷崎潤一郎『春琴抄』への応援コメント
本作を読むのが楽しみで、久しぶりに『春琴抄』を読み直してきました。以前読んだときは句読点が無くて四苦八苦したように思うのですが、いやいや、一文一文のリズム感が完璧で成程点や丸は寧ろ邪魔、この文は春琴そのもののように気高いものなんだ、と漸く気付きました。
僕もサディズム、マゾヒズムには非常に興味があるのですが、世にいう『加虐性』『被虐性』という解釈をそのまま受け入れることに若干の疑問があったりします。加虐、被虐はたんなる行為、遣り取りの手段に過ぎず、その本来は自らを離れ渾然一体に繋がろうとする欲求だったりするのではないか、そんな風に思ったり。故にSとMは入れ替え得るものという解釈は分かる気がします。ただ、Sは相手により与えたい、Mは欲求そのものにより忠実、その微妙な差異が両者に役割を与えているのではないかと思うのです。春琴は生まれながらの姫様ですが、しかし非常に脆い。対する佐助は従順のようで非常な強さがあります。むしろ主従師弟の関係を壊すことなく継続しようとしたのは佐助の方であり、春琴の美が失われることを許さなかったのは佐助であったことをみても、単に加虐と被虐とでは語れない繋がりを二人の間に感じます。
それにしましても気高く無駄なき文章、学ぶことはまだまだ多いです!深く広がりのあるご指南、いつも本当に有難うございますっ!学ばせて頂きますっ!
作者からの返信
ありがとうございます!
『春琴抄』、読み直していただいたんですね。たしかに最初は手こずるんですよね、、でもこれに慣れてしまうとじつに心地よいリズム。春琴のように気高い、その通りだと思います。
SとMは単純に「加虐」「被虐」で括れるものではない、渾然一体に繋がろうという欲求だ、というのも同感です。微妙な違いが役割を変える、、そうですよね。
この関係には佐助の側に主導権、というか関係性を規定するのは常に佐助の方である、、卓見ですね。新たな視点を得た思いです。さすが勇者と従者のエロスと関係性に飽くなき探究を注ぐ呪文堂さんです!
本当に、谷崎潤一郎の文章は勉強になりますね。と同時に、うっとり浸るのにもぴったりです。学びの道は尽きませんね!
16 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』への応援コメント
サイバーパンクに限った話じゃありませんが、SFって案外とっつきにくい、言ってしまえば読みにくい側面も多分にあるように思うのですよね。
そういう作品が悪いというより、作者が伝えようとしている世界観が、自分の中で具体的なイメージとして立ち上がってこないとなかなか楽しめないという。
その点、ビジュアルで伝えられるマンガや映画は強いよなと思う一方、小説作品もハマれば、脳内に異次元世界が構築されてゆくような没入感がありますね。
作者からの返信
ありがとうございます!
仰るとおり、世界観を具体的にイメージできるかどうかがまず最初のハードルになりますよね。作者も大変ですが、読者側にも負荷を強いるジャンルなのかもしれません。
でもそのハードルを越えられたら、すごくはまるんですよね。まさに没入感!
ビジュアルの作品は綺麗でわかりやすくてやっぱり強いな、と感嘆しつつ、小説にもいいとこあるよなあ、と思います。
編集済
16 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』への応援コメント
当方『ニューロマンサー』は高校生のころに挫折したクチです。読んだ(読もうとした)のはずっと昔のことで、インターネットはなく、当時のわたしにネット空間をイメージする能力はありませんでした。小説の高い評価とは裏腹にまったくおもしろくなくて、残念な思いをしたことばかり覚えています。
『GHOST ln The SHELL』や『マトリックス』のような映像作品としてのサイバーパンクに触れ、はじめて『ニューロマンサー』がわたしに伝えようとしていた世界観が理解できたような気がしたものです。
>なにを以て「サイバーパンク」とするかは人により異なるでしょうけれど、多くの愛好者が魅かれる要素のひとつは、虚無的でハードボイルドな雰囲気にあるのではないでしょうか。
まったくそのとおりですね。
理解はできませんでしたが、『ニューロマンサー』の文体が醸し出す世界観は無闇に・闇雲にかっこいいんですよ(笑)サイバーパンクはクールだというイメージが植え付けられましたね。たった一作でSFのなかにひとつのサブジャンルを作り出したのが『ニューロマンサー』という小説じゃないでしょうか。
作者からの返信
ありがとうございます!
インターネットのなかった時代、あの作品世界を文字から想像するのはかなりハードですよね。たぶん作者も伝える難しさを自覚していて、苦労してあの表現を生み出したのだと思います。もしかしたら「伝えるのが難しいならいっそもっと分かりにくくしてしまえ」ってあの表現にたどりついたのかも、、と想像したり(^^;)
無闇に・闇雲にかっこいい! 同感です(^^) SFは小説よりも漫画・映画から入ったクチですが、画なしに文字だけでここまで読ませるとは、とあらためて活字の魅力を感じました。やはりサイバーパンクはクールですね!
16 ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』への応援コメント
攻殻もマトリックスも大好きですが、こちらの作品は存じ上げませんでした。
抜粋いただいた文章を見るだけでも、めちゃくちゃハードでカッコいいですね!
文体が作り上げる作品の空気感って大事ですね。肌にビリビリきそうな感じが、まさに電脳世界のイメージそのものです。
作者からの返信
ありがとうございます!
やっぱり攻殻・マトリックスはお好きなんですね。比較しながら『ニューロマンサー』を読まれるとまた面白いんじゃないかと思います。
文体が作り上げる作品の空気感、まさにそれですね。40年も前に電脳世界を描いたのがすごいです。
15 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』への応援コメント
小林秀雄氏については、名前は聞いたことがなくもない気も、、いや多喜二氏と混濁している??というありさまで、無関係連想系のコメントを失礼しますm(_ _)m
8.15をまたぐこのアツい時期、自分ごととしては知らない世代でも想像はめぐらせる先の大戦。
現代から振り返って批評するなら、いやいや何してくれてんの当時の大日本帝国、みんなバカだったの??ですが、直観の人小林氏をも熱狂させる、冷静な状況分析を阻害するなにものかのパワーがあったのでしょうね。。
ユートピア的「新しき村」を創始した武者小路実篤も開戦後は戦争称賛に傾いていましたし、
「この世界の片隅で」の天然癒やし系ヒロインが、玉音放送を聞いて「最後の一人まで戦うじゃなかったと!?」と激昂し、直後に、暴力で従えていたから暴力に屈したのだと気づく、戦争に負けるってそういうことなのだなぁと。
作者からの返信
ありがとうございます!
小林秀雄と小林多喜二、対極にあるような二人の取り合わせですね(^^;)
まったくもう、バカだったの? と思ってしまうのに同感ですが、実際パワー滾るその場に放りこまれると熱狂してしまうのも人間の性のような気がします。武者小路のユートピア志向、小林の知性と直観を以てしても陥ってしまうほどの。
「この世界の片隅で」では自然体で戦争に処していたすずさんは本当に癒やし系でしたね。戦争が終わって狐が落ちたようになった人たちや社会を、彼女がどう見たのか、、切なくなります。
15 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』への応援コメント
こんばんは。
私の中で、小林秀雄と言えば、「ガリア戦記」と「徒然草」への言及です。参考になりました。
あと、弟子である隆慶一郎。
隆は、ラノベに影響を与えたと言われる時代小説家なのですが、この人、歳を取ってから作家になりました。
理由のひとつが、師匠の小林秀雄が怖かったからだそうです。作品を見せた先輩たちが泣くほど責められるのを見て、生前は作家を目指そうとはしなかったそうです。
戦地帰りの隆が恐るなんて、どれだけ怖かったのかなと思います。ではでは。
作者からの返信
ありがとうございます!
「徒然草」は私もハッとしまして、「読まなきゃ」と本屋へ走るきっかけになりました。
隆慶一郎が小林秀雄の弟子というのは初めて知りました。たしかに泣かされそうですが、、直に考えを聞いたり批評をしてもらえるのはちょっとうらやましいですね。
命のやりとりを経験して肝は据わっていても、自分の自信作を完膚なきまでに批判され尽くすのはまた別の恐怖なんでしょうね・・・。
編集済
14 三島由紀夫『金閣寺』への応援コメント
エンタメ中心に読んでいるわたしにとっては、ある意味当然ではあるのですが、三島由紀夫は読んだことのない作家のひとりです。近年、わたしが読書の幅を純文学方面にまで広げるまでは、純文学の世界で評価の高い作家だということすら知りませんでした。
もちろん『金閣寺』も読んだことはないのですが、先年NHKEテレの「100分de名著」で取り上げられ、はじめて内容を知ると同時に三島由紀夫の人となりに触れたように思います。
三島の文学的才能については、久里琳さんの書かれているとおり、なんの異論もありません。むしろ、一般的な評価が低すぎるのではないかとすら思います。やはり、三島の最期の行動――自衛隊駐屯地に侵入、自衛官にクーデターを唆す演説の末に自殺した――が彼の文学的業績に大きな影を落としているのでしょう。非常に残念なことです。
今度、三島の作品を読んでみます。
作者からの返信
ありがとうございます!
名前は知っているけれど読んだことはない作家、というのもたくさんありますよね。もしかしたら、名前も知らない作家が実は超有名だったりすることも。
だからこそ、新しい作家・作品との出会いは楽しいのだと思います。これを機に、三島由紀夫を手にとっていただけましたら幸いです。三島を初めて読むなら『金閣寺』は最適の作品だと思います。
三島の文学的才能についてご同意いただいて、うれしいです。実は一部の評論家の間で低く評価されることがあって、仰る通り、三島の最期やそこまでの言動が禍いしている部分は大きいと思います。作品そのものとは関係ないところで評価されるのは、本当に残念ですね。
編集済
14 三島由紀夫『金閣寺』への応援コメント
三島由紀夫の作品はフランスの書店にもたくさん並んでいて、安定した人気がうかがえます。もちろん翻訳版ですが、外国語に変換されてもその美学が読者に訴えるのだろうと思います。あと久里さんが挙げられた文章を読んでいると、決して難解な単語や言い回しをしていないのに光景や心情まで絵になって浮かんでくるようで、その一文一文が組み合わさって全体的な美しさを作る、彫刻みたいな印象を受けました。今回も読み応えある解説、ありがとうございます。
作者からの返信
ありがとうございます!
フランスでも人気なんですね。外国語に翻訳されたときに三島由紀夫の文の美しさがどれほど再現されているか私には確かなところは分かりませんが、その片鱗は感じられるのだろうと想像します。
それに、仰る通り、彼の美学はしっかり伝わるのだと思いますね。
光景や心情まで絵になって浮かぶのは柊さんの読解力あればこそですが、読む人が読めばそこまで分かる文章というのは、やはり凄いですよね。
彫刻みたいな印象、たしかに! 匠の技で形づくられた文章ですね。
はじめに・目録への応援コメント
こんにちは。青切と申します。初めまして。
自主企画へのご参加ありがとうございました。こういう書評を求めていたので助かりました。これからも楽しく拝読させていただきます。
個人的には「星新一」「ソクラテスの弁明」「伊勢物語」を楽しみにしております。
それでは失礼いたします。ご参加ありがとうございました。
作者からの返信
はじめまして。お越しいただき、ありがとうございます!
こちらこそ、自主企画に参加の機会をいただきまして、ありがとうございました。こういう書評を求めていらしたとのお言葉、ほっとしました。
星新一、ソクラテス、伊勢、ですね。5-6話先までは「だいたいこれで行こう」という計画を立てていますのでその次以降になりますが、意識して計画したいと思います。
最新話まで一気にお読みくださり、☆もいただいて、ありがとうございました!
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8 ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』への応援コメント
久里琳教授!『イリアス』に続けて『論理哲学論考』!夏休みの課題、山盛り過ぎですっっ 呪文堂、留年確定ですっ(TT)
このカチッカチッな積み上げ方、まさに西洋哲学ですよね!総ては言語化可能であり、言語化不能なものは存在しないに等しい。ここ、東洋思想とは『立ち位置』を異にするようにも思えるのです。
言語化や思考の限界、即ち生得的宿命。つい先日そこをうろうろ思ったのですが、でも同時に「進化とはなんだろう?」という幻想的世界にも遊びたくなります。
岡潔の『春宵十話 』、これも読まねばならないやつですが、岡潔のいう「情緒」とヴィトゲンシュタインの「論理」、この二つはどのように交わっていくのだろう?なんてことをふと思いました。いつもズレてて申し訳ございませんっ!
3年くらい夏休みが欲しいですっ!!
作者からの返信
ありがとうございます!
論理に論理を積み上げていく、しかも隙のない積み上げ方で、、たしかに西洋哲学的ですね。そこへ行くと言語や思考の限界の向こう側に意識を向ける東洋思想はずいぶん違いますね。どちらが正しいという話ではないですが。
進化もおもしろいテーマだと思います。生物学的なのも、社会学的な進化についても、考え出すと止まらなくなりますね。
ここで岡潔が出ましたか! 小林秀雄との対談ぐらいでしか彼の言葉は読んでいませんが、味があるというかクセがあるというか、、ヴィトゲンシュタインも元は数学者ですから、クセ強い同士、比べてみるのはおもしろそうだと思いました。
私も長い夏休みが欲しいです(^^)
7 中原中也『山羊の歌』への応援コメント
中原中也は『汚れつちまつた悲しみに』くらいしか憶えていないのですが、『ライ麦』を読み終わったばかりのためか、ホールデンの呟きにもリンクするように思えてしまいまして。
――すぐれた詩人が必ずしもすぐれた小説家ではないが、すぐれた小説家はほとんどすべてが詩人の資質をもっている――
撃ち抜かれましたっ 認めるのは辛く悲しいものですが、いやひょっとしたら欠片くらいはあるかもっ!諦めるのは死んでからでも遅くないですよね!
ぼけっと生きていないで、ぴりぴりするような感覚を研ぎ澄まし、言葉に宿すことができるよう精進したく! (近頃、胸に宿るホールデンの冷たい視線が痛いのですっ)
作者からの返信
ありがとうございます!
仰る通り、「汚れつちまつた悲しみ」の声は、ホールデンにも共通するような気がします。
果たして自分は詩人の資質をもっているか??? 確認したいけど答えを知るのは怖い、残酷な問いですね(^_^;) でも諦めるのは死んでからでも遅くない、勇気づけられるお言葉です! 私も感覚を研ぎ澄まして、文章を磨いていきたいと思います。
ホールデンの冷たい視線を体内に感じられるとは、それはつまり既に詩人なんだろうな、と思いました!
3 カフカ『審判』への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
カフカが自分の作品を仲間の前で朗読するのに、くすくす笑いながら朗読したというのが印象的でした。その笑いにはどんな意味が込められていたのか、気になりますね。
カフカの言葉の「生き生きしたかなしさ」に、つかめそうでつかめないもどかしさを感じます。
以前から久里 琳さまの「カフカ像」を知りたいと思っていましたが、この一話からつかみとろうとするのは、考えが甘過ぎました (^^;) 自分のカフカを持たずして知ろうとするのがまず間違いだったのかもしれません。
久里 琳さまの「カフカとは文学そのもの」という言葉。迷路の攻略のヒントを得ようとしたら、そのヒントがまた謎かけになっていたようです。でも、どちらかが解ければ、もう片方の強力な鍵になるのでしょう。追求していかないといけませんね。
作者からの返信
ありがとうございます!
カフカの笑い、何に対する笑いだったのか、たしかに気になりますね。
カフカが何者なのか、私や誰かにとってのカフカはどんな存在なのか、当人にとっても難しい問いですね・・・。やっぱり答えはカフカの文章のなかにあるような気がします。とすると、読むたび新しいカフカが立ち上がりそうで、、つかめそうでつかめないというのが正しいのかもしれませんね。
「迷路」という言葉が出ましたが、迷路をさまようイメージも近いかもしれません。プラハ旧市街の塔やアパートの迷宮、石畳の上の靴音がカフカには似合います。
6 ホメロス『イリアス』への応援コメント
『イリアス』、恥ずかしながらちゃんと読んでいないのですっ あちこち引用されているので、お話としては知っているつもりになっちゃってますが、いけませんね!反省ですっ
神様の起源!これ、面白いですよね!日本神話でもアマテラス、ツクヨミ、スサノオは『兄弟』ってことになってますが、ツクヨミなんかが荒ぶる神、即ちスサノオ的な要素を色濃く持っていたらしい痕跡なんかあったりして。ギリシャ神話の『家族構成』なんかも、実に興味深いです。その裏にどのような衝突や併呑、融解があったのかと思うと、ワクワクしますね!
そして、枕詞!勉強になりますっ!リズムとしての伝承、なるほどですね!
叙事詩は本当に懐が深く、一度その門を潜ったら、戻ってこれないような甘美な恐ろしさすらありますが、それにしましても久里琳様の知の巨人ぶりに畏怖驚愕するばかりですっ
ご教授っ!ありがとうございましたっ!
作者からの返信
ありがとうございます!
そこらじゅうで引用されている有名な作品でも、全部読んだという人はそんなに多くなかったりしますよね。それでもたぶん十分なんでしょうけど、原本に当たると意外なことが書いてあったり、新たな発見があるかもしれません。
神話としてきれいに整理される前のお話も、探ってみるとおもしろいですね。日本神話も幾つかの系統を撚り合わせてるっぽいですし、ギリシア神話もそんなところがあるようです。仰る通り、ツクヨミは複数の顔を持っていて、興味深いですね。
叙事詩の懐の深さ、どっぷり浸かるのも楽しいですが、戻ってこれなくなるのは困りますね、、いえ、至福なのかも。私の知などまだまだですが、すこしでもご参考になるところがありましたら幸いです。
5 サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』への応援コメント
『僕が本当に感動するのは、それを書いた作者が親友で、電話をかけられるときにはいつでもかけられるようだったらいいなと、そんな気を起こさせてくれる作品』というくだり、以前読んだときから印象に残っていまして。
学生の頃、友達のアパートで取り留めもないことをくっちゃべり、気付けば辺りが明るくなっていて、やばい一限目般教だ!寝たらまずい!お前も起きていてくれよ!なんて騒いでた頃の雰囲気を思い起こさせてくれるような作品で。
無為、焦燥感。そんなものを抱えながら、『でも、世の中妙だな?』なんて思いも脳裏をかすめる。鈍い僕はそのインチキぶりになかなか気付けずに、『妙だな?』くらいにしか思えなかったのですが。
久しぶりに読み返してみて、むしろ今回の方が刺さるものが多かったような気もして。得も言えぬ余韻に浸らせて頂いております。やっぱり、読書っていいものですね。
作者からの返信
ありがとうございます!
サリンジャーが親友で、悩んだときに電話をかけられるんだったらどれだけいいだろう、って思いますね。そう考えると、『ライ麦畑』に感動するのも当然なのかもしれません。
なぜだかノスタルジーを誘われて、戻れない昔を思って、涙をこぼせないことに切なさが募るような、、そんな想いを呪文堂さんもされたんですね。ふだん無意識に受け入れているインチキに気づかせてくれる作品でもありますよね。
いい小説は、読み返すたびに刺さる何かがあって、本当にいいですね。
13 『論語』への応援コメント
論語、唯一覚えているのが「師曰く、朝に道を知れば、夕べに死すとも可なり」
って、懐かしくてググったら「知れば」じゃなくて「聞かば」でしたorz
2500年も前の人だったとは、現代から振り返ればブッダ=ゴータマ・シッダールタともあまり変わらない時代の印象ですね。
「儒教」「仏教」というけれど、これらを宗教と呼ぶか??は違和感もあり、それは帰依する人たちが信じるのが、人智の及ばない絶対的超越者の神ではなくて、自分たちの内にある願望や知覚だからなのだと思います。
現在の地球上で、インドから日本列島に至るアジアモンスーン地域(の一部)だけが、ユダヤ教に端を発するアブラハムの宗教の支配的影響下にないのは、歴史的な事情もあれど、それらの社会が「そういう宗教」を必要としなかったから、とも思うのですよね。
作者からの返信
ありがとうございます!
「夕に死すとも可なり」も孔子先生らしい言葉ですね。「知れば」も「聞かば」も言わんとするところは一緒だからいいんじゃないかな、と思います。
釈迦と孔子がよく似た時期、というのも面白いですよね。老子もだいたい同時期らしいです(実在したか不明ですが)。
たしかに仏教(特に初期仏教)・儒教・道教は、西洋人の考える「宗教」とはずいぶん性質が違いますよね。仰る通り、この3者は神秘思想を持ってはいても内省的で、自分たちの外に絶対者を置く必要はなかったのだと思います。なかでも孔子は「怪・力・乱・神を語らず」「鬼神につかえず」と言っているぐらいですし。
13 『論語』への応援コメント
とてもおもしろく読みした。と同時に言葉のもつある種魔術的な力を感じました。
>二千五百年も前のこと
と書かれているように、『論語』は大昔(という言葉では表せないくらい昔)の一人の男を巡る言行録にすぎませんが、2500年後の現代に生きるわたしたちを、その価値観で規定しています。書物として男の言葉が残っているからです。
久里琳さんが書かれているように、同時代の権力者たちからは容れられなかった孔子の思想は、その言葉が書物として後世に残されたことによって、当時以上の影響力を現代に及ぼしています。
言葉を残さなかった当時の権力者たちが、どういう人でなにをしようとしていたのか、現代ではほとんど知る人がないのとは対照的です。
言葉を持つこと、言葉を操ることで孔子は2500年の時を超えてわたしたちに語りかけることができるのですね――興味深いと思いました。
作者からの返信
ありがとうございます!
言葉の魔術的な力、仰る通りだと思います。「ペンは剣より強し」がただのきれいごとではないと思えるのは、こういう実例を見る時ですね。
言葉は同時代では圧倒的な暴力の前に無力だとしても、百年・千年のスパンで見ればけっきょく言葉の力が残り、力づくで勝ち取られたものは滅び・忘れ去られる。そう考えると、考えること・語ることが、行動することに劣らず大切だと、あらためて気づかされますね。
2500年の時を超えて語りかけることのできる言葉の力の大きさ、、本当に魔力を持っているなと思いました!
1 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』への応援コメント
久里 琳さま
こんにちは。
書籍のラインナップを拝見するだけで、もう、自分の読書不足に恥ずかしくなり、コメントなど書けたぎりではないのですが、無知を晒せるのも進歩に繋がるかもしれません。勉強させていただきます。
ドストエフスキーの魅力について、きわめて明瞭にまとめられていて、とことん読み込まれたのだなあと感心しきりです。人物造形、筋立て、それに圧倒的な情熱と思想、ですか。この最後の思想、これに私はいつも引っかかります。人物造形にもこの思想は色濃く反映され、登場人物の行動やせりふに自ずと現れてしまう思想の色合いに、戸惑うこともしばしばです。久里 琳さまが絶賛なさるドストエフスキー、そういう目で読んでみたいと思います。
柄谷行人の「ドストエフスキーの対話だけは本当のダイアローグ(対話)だが、他のほとんどの作家のセリフはモノローグ(独り言)に過ぎない」という言葉は痛烈ですね! うーむ、考えさせられます。
作者からの返信
お越しいただき、ありがとうございます!
好きなもの・興味あるものを手当たり次第に読んでいるうちそれなりの量になったというだけでどこまで理解できているか怪しいですが、、ご参考になるものがありましたら幸いです。
思想が人物造形に反映される、、仰る通りだと思います。だからこそ、合う・合わないもありますよね。ときには、認められない!と感じることも。
その点、ドストエフスキーは思想が作品にも人物にも横溢しまくっていますので、合わないとなったらとことん合わないかもしれませんね。逆にひとたび共鳴すれば、のめり込んでしまうかも、、とも思います。
柄谷行人の言葉は、本当に痛烈ですよね。たぶん、書く・読むに真剣であればあるほど痛烈に響くのだと思います。
「モノローグ」だったら即ダメ、というわけではないと思いますが、セリフを考えるときの指針の一つにすると有益なんじゃないかなと考えています。
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11 江上波夫『騎馬民族国家』への応援コメント
歴史学は、あと生命の歴史的なのもそうですが、
追試実験が可能なたぐいの分野とは違って、過去に起きたことを知るのには限界がある、という制約のもとで、どんな理論も「説」の領域を出ない、これが真相!と断言は永遠にできない・そういう言い方してるのは眉唾、ってことなのかなぁと。
騎馬民族説も、初めて聞く身としてはなかなか説得力を持って聞こえますが、ダメなんでしょうかね。。
エビデンスが今のところ見つかってない、からその説が間違ってるってことにはならないだろうと思う一方、
オッカムの剃刀=なるべく少ない仮定に依拠する説のほうがだいたい正しい、
たとえばピラミッドやアンコール・ワットは宇宙人が残した異星文明の遺跡だ!という説も可能ではあっても、
いやいや、フツーに地球人が作ったんじゃないかい?という説のほうが明らかに説得力がある、それと同じ確からしさなのか、、
興味深かったです☺
PS.
1コ反論を思いついたのは、日本列島の地形って、あまり騎馬民族向きではないような、
馬が入ってきたあとも、交通や運送の主力になることはなく、
イザベラ・バードの主な交通手段は人力車だったし、
零戦を工場から飛行場まで運んだのは牛車、、
騎馬民族がやってきてたとして、その機動力を頼みに征服できたか?は疑問の残るところですね。
作者からの返信
ありがとうございます!
仰るとおり、歴史学は(記録の不確かな時代は特に)絶対的な結論というのが出せないのが、歯がゆさでもあり面白さでもありますね。
なかでも征服王朝説は、賛否どちらに立つにしてもいろいろ考えてみたくなる仮説なんですよね。そして、信じたくなる魅力・説得力もあります。
ミッシングリンクに関しては、ほとんど致命的とも言えそうなのは、
①古墳の様式に根本的な変化がなく、同じ前期も後期も同じ民族文化をもつ者により造営されたと言えそう、
②中国の史書に「東北の蛮族が倭国を征服した」的な記録がない(4~5世紀なら、そのような動きがあれば記録されているはず)、
の2つに関して今後も新事実が見つかる可能性がゼロに近い、、ということかな、と。
日本は騎馬民族向きの地形じゃない、、たしかに、騎馬民族の好きな地形じゃなさそうですね。大地に鍬を入れるのがそもそも卑しい、みたいな思想も彼らにはあるみたいですし。馬車より牛車、の文化ですしね(^^)
11 江上波夫『騎馬民族国家』への応援コメント
なるほど。
手塚治虫が「火の鳥 黎明編」に描いた征服者ニニギは、この「騎馬民族征服王朝説」が元になっていたんですね。深く納得しました。
この「黎明編」のおかげで、日本の皇室は渡来系の騎馬民族の家系なんだろうかとずっと思ってました。長年の疑問の一端が解けました。ありがとうございました。
作者からの返信
ありがとうございます!
「征服王朝説」は多くの人を魅了したようで、その歴史認識に沿ったマンガや小説も生まれています。「火の鳥」はその代表ですね。
日本の皇室にも騎馬民族の血が、、という想像はやっぱりしてしまいますね。個人的には一部その血は入っていて、日本の古層文化と混じり合っているように思いますが、生半可な知識で語ると新たなトンデモ説になるので控えます。ともかく、いろいろ考えが触発されますよね。
☆もいただいて、ありがとうございました!
11 江上波夫『騎馬民族国家』への応援コメント
この説は初めて知りましたが、面白いですね! ものすごくロマンがあります。
最近、子供のテスト勉強に付き合って歴史の勉強をしたんですが、私の習った時とは微妙に内容が違っていて驚きました。
歴史って解釈や発見で、後世になっていろいろ変わってくるものなんですね。
作者からの返信
ありがとうございます!
ロマンチックで、惹きつけられる説ですよね。想像の翼が広がります。
きっと歴史研究者たちは、大なり小なりこんな研究を地道につづけて、それが教科書の内容変化にもつながっているんだと思います。
お子さまも、そのまたお子さんが歴史を学ぶ頃には「変わってる!」と驚かれるかもしれませんね。四半世紀後、どんな新発見・新説が出てきているのか楽しみです。
編集済
11 江上波夫『騎馬民族国家』への応援コメント
「騎馬民族は来なかった」大好きな本です…!! 言及されていて思わず目を見開きました!! 「騎馬民族国家」の方は目を通したことが無かったので、「騎馬民族は来なかった」を読んでいる間は、騎馬民族説を唱えた人がいたんだー、くらいにしか思っていませんでした。ですが、久里さんの文章を拝読した今では、「騎馬民族国家」がすごく気になります。そして、魅力的なものについつい飛びついてしまうものだがそれはフェイクニュースの信奉にもつながる、という箇所では、確かに…と納得し、この本によって学者や一般の方々の関心を集め研究が進んだという側面があるという箇所には、きちんと物事を色々な側面から見なければいけないと思わされました。一冊の書物をさまざまな論点から語っていらっしゃって、毎回すごく新鮮です。今回も、新たな知見と素晴らしい時間をありがとうございました!!
作者からの返信
ありがとうございます!
「来なかった」方から読まれたんですね。騎馬遊牧民族と日本古代の文化をより広く深く比較して、共通部分と異なる部分とを丁寧に仕分けし検証していく姿勢は、学的探求を志す者はかくあるべしと、語らずとも示されていると感じたものでした。
一方で「来た」方の論説も、発想の跳躍と、その裏付けを検証していく研究の魅力が輝いていておもしろいです。
でもこの検証を怠ったり、思い込みが強くなり過ぎると、真実の探求から外れていってしまうんですよね。仰るとおり、物事を色々な側面から見なければ、、ということだと思います。そのことを思い出すためにも、この2つの書は意義深いと思いますね。
毎回すごく新鮮とのお言葉、勇気づけられます。ありがとうございました!
10 スヴェン・ヘディン『さまよえる湖』への応援コメント
シルクロード、四方を海に囲まれ、年中雨が降る国土の住人からするとロマンですねぇ。
「タクラマカン」「ロプノール」という言葉の響きだけで心の琴線が共鳴現象でビキビキ震えるような。
ロプノールが本当にさまよっていたのか?は議論がありつつも否定されたわけでもなし、
タリム川の上流にダムが作られたんでロプノールは干上がったと言うけれど、ずっと以前に楼蘭は乾燥化で滅びてしまった・一方でヘディンの頃はカヌーで航行できるくらいの水量はあったとのことですし、
安定した湿潤気候と違って、ちょっとした気候変動が生死に関わるレベルの自然現象として現れてくる、もはやリアル異世界ですね。
作者からの返信
ありがとうございます!
言葉の響きだけで、共鳴現象でピキピキ震える、、やっぱりロマンですよね。
ダムが作られたり河の管理がされたりすると、もうこんな自然現象も起こることはないんでしょうね。
いつかふたたびロプノールから南の方へ湖が動くのかどうか、、それを確かめるチャンスはこの先なさそうです。タリム盆地もすっかり乾燥してしまったのでしょうか。
気候変動や人為的な自然改造の影響で人間も動植物も栄枯盛衰、生死さえ左右される、、まったくもって、異世界もかくや、ですね。
9 谷崎潤一郎『春琴抄』への応援コメント
『春琴抄』と『細雪』は読みました。
文章の素晴らしさはもちろんですが、キャラの立ちっぷりも凄いですよね。ノーベル文学賞を逃したのは面白過ぎるからかなー、なんて思ってしまいます。春琴なんて、ラノベの女王様キャラの元祖みたいな感じすらするけど、それを流麗な文章で綴っているというのが面白いです。
作者からの返信
ありがとうございます!
ノーベル文学賞を逃した理由が、面白過ぎたから! 面白い解釈ですね(^^) だとしたら、谷崎潤一郎も面目躍如と満足しているかもしれませんね。
女王様キャラの元祖みたい、、ほんとうに、女王道のど真ん中を堂々歩んでいるような・・・キャラの立ちっぷりと流麗な文章とが両立しているのが稀有ですね!
9 谷崎潤一郎『春琴抄』への応援コメント
谷崎潤一郎氏の作品は、「痴人の愛」「瘋癲老人日記」そして「刺青」が既読、
ちょうど「卍」を読んでるところで、おぉ次は「春琴抄」だなっ、て思いました☺
ある意味、戯画的なまでに感情ないし情念の振り幅が大きい登場人物が醍醐味の作家さんだなという印象で、
さすがにこんなオトコはいないでしょ!(痴人の愛の譲治くん)
いやいやこんなオンナありえる!?(卍の園子・光子)
そうしてひとしきり爆笑したあとでふと、でもそれは自分が世間知らずなだけで、情念の坩堝とやらに吸い込まれたらこうなってしまうんだろうか??
と、ちょっと空恐ろしいような感覚もありました。
ストーリー展開で十分楽しめる一方、文章表現の技術にも意欲的だったんだろうなぁと、文章の良し悪しは評価できないながらも思います。
「瘋癲老人日記」はカタカナの旧文体で、初見だと大日本帝国憲法的に非常に読みづらいんですが、我慢して読んでるとそれが味に思えてきたりもし、
引用されている「春琴抄」の一文を読むと、また別の味わいがありそうですね。
作者からの返信
ありがとうございます!
晩年の作「瘋癲老人日記」も独特、というか率直に言ってしまうと…読みづらい文体ですよね。仰るとおり、それが味でもあるのですが。
戯画的なまでに、というのがまったく同感で、それが醍醐味であるというのも同感です。胡散臭さがクセになるというか。でもたぶん、じつは人間はそういう戯画的な部分をもっている/戯画的に生きようとする性向をもっている、というのが本当のおそろしさ、おもしろさなのかも、、と思ったりもします。
次は「春琴抄」、そう思っていただけたなら書いた甲斐がありました! ぜひ文章と、戯画的なふたりの物語をお楽しみくださいませ!
8 ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』への応援コメント
朝からシンプルな脳みそを絞りました(笑)
7の文章だけを読むと、分からないことに口出しちゃいけないみたいな曲解しそうになるんですが、そもそも言語の限界はそれ以上の思考が広がらないってことなのかと解釈しました。ある言語で存在する単語が別の言語では存在しなかったりしますが、それはその概念がないからで、それがその言語での限界、世界の限界なのかなとか。
つい自分に分かりいいように解釈してしまいましたが、シンプル脳の子が頑張って考えたということで笑ってお許しください(笑)
作者からの返信
応援ありがとうございます!
7は、どういうことなんだろう・・?と考えこんでしまう一文ですよね。
自分に分かりいいように解釈するのが、案外正しい道筋なんじゃないかなと思ったりします。
思考できること=言語で語れることで、つまりは、言語の限界=思考の限界、、なんだか近い気がします。そして「私の」言語の限界とわざわざ言っているあたりが、世界の限界は言葉により・人により異なるのか、、と疑ってみたり、、私も迷宮のなかで頑張って考えています(^^)
編集済
4 夏目漱石『こころ』への応援コメント
「た」で終わる文章。勉強になりますっ!
平易透明で染み入るような。なるほど、字面の形式でなく、語り言葉同様の自然体。…考えれば考える程にいよいよ難しくなっていくようですが、いや、考えてばかりだから駄目なのか。例の『カラマーゾフ』で、そもそも自由意志ってなんだったっけ?と頭を悩ましているのですが、本作で漱石先生をおもいだし、意志ばかりじゃない、感性や情緒ってなんだっけ?自我は何から構成されてるんだ?とぐるぐるが更に加速しましたっ!(だから!考えてばかりだから駄目なんですね!)
漱石先生の言葉はリズム感が素敵で、読むとはなしに入ってきます(旧仮名遣いは読み手がポンコツなのでたまに引っかかりますが、確かに江戸以前の情緒のようなものを感じる気がします)。作品の途中から読んだとしても、まるで音楽のように楽しめてしまいます。凄いですよね。
しかし、勉強になりました。漱石先生、また改めてじっくりと読み直したいと思います!ご教授!ありがとうございましたっ!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
自然体でいいんだ、と思ってもそれを極めるのが実は難しいですよね。考えれば考えるほど、、深く考えられる呪文堂さんだからこそ、ぐるぐるの迷宮にはまりこまれるのだと思いますが、その先にはリンちゃんと勇者以上の開眼が待っているはず。
読むとはなしに入ってくる、そうなんですよね。途中から読んでも楽しめるのが、まさに理想的な文章だと思います。道は険しいですね。
先日は身に余るすてきなレビューを寄せていただき、ありがとうございました! 『道徳形而上学原論』やほかの作品も、いずれ取りあげるつもりですので、お楽しみいただければと思います。
5 サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』への応援コメント
初めまして。突然コメント失礼します。「ライ麦畑でつかまえて」が大好きなもので、矢も楯もたまらず読みました。サリンジャーの作品の中には、他にはない優しさがあると思います。久里さんのお言葉をお借りすれば、憐みとも呼べるような。そんなところが読者の心を強くゆさぶるのに、彼自身がそれを忌避していたとは……。初耳です。詳しい解説、サリンジャーへの深い考察、とても楽しく拝読しました。目録の中にはほかにも気になる本がいっぱいあるので、これから時間を見つけて読んでいこうと思います!ありがとうございました!
作者からの返信
初めまして。お越しくださり、ありがとうございます!
『ライ麦畑でつかまえて』がお好きなんですね。同好の方にお読みいただいて、楽しく読まれたと伺って、光栄でうれしいです。
他にはない優しさ、そうですよね。そこに心を揺さぶられる、まったくその通りだと思います。(言われてみて、「優しさ」に関して言及が足りなかったなと気づきました)
サリンジャー自身が忌避していたというのは、もしかしたら考え過ぎなのかもしれませんが、、世間からの評価に苛立つところがあったような気がします。
さっそく☆もいただいて、ありがとうございました! 他に気になる作品が出てきましたら、またお越しいただけましたら幸いです。
編集済
7 中原中也『山羊の歌』への応援コメント
文芸作品の価値って、読み手にとっていかに刺さるものがあったか、没入感とか共感を持てるかどうかだと思うのですよね。
そうでなければどれだけ有名で権威ある作品でも、退屈でばらばらな文字の蓄積でしかないわけで。
散文であれば、エポックな主張を地の文で解説する方法もとれますが、詩だとそうもいかない、真剣勝負の刀の切っ先だけが見えてる的な緊迫感も感じます。(自作の詩に作者が解説をつけはじめたら、それってお笑い芸人が「今のコントのどこが面白いかというと…」って言いだすような不粋さがあり。
前段での絵画との比較をふまえ、詩人って実はすごくストイックで、現世的バランス感も要求される仕事?立場なのかなぁ、と思いました☺
作者からの返信
応援ありがとうございます!
読者ひとりひとりで、作品の価値評価は異なるんですよね。その人に刺さるものがあるかどうか、そこは横から解説・説得してどうにかなるものじゃない。特に詩はそうですよね。仰るとおり、緊迫感みなぎる真剣勝負。
実は現世的バランス感も要求される、、面白い視点ですね。頭に思い浮かぶ詩人らしい詩人って、そういう現世的なことには疎くてひたすら我が道を行く…というイメージですが、だから生前は売れなかったのか、、と思ったり、あるいはもっと現世と折り合わない詩人が死後も埋もれたままになってるのかもと思ったり。
編集済
7 中原中也『山羊の歌』への応援コメント
中原中也の詩は、こうして見るとあれもこれもそうだなと思い出しますね。
大人になってからは、子供と一緒に見たEテレの『にほんごであそぼ』でもよく取り上げられていたのが印象深いです。耳に残るフレーズが多いですよね。
>皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
これは知らなかったんですが、視覚的なインパクトもすごいですね。笑
作者からの返信
応援ありがとうございます!
そうでした! 『にほんごであそぼ』でも取り上げられていましたね。仰るとおり、耳に残るフレーズだからこそなんだろうと思います。
皿皿皿……、すごいですよね(^^;) 本来は縦書きなので、皿が積み重なっている姿を描写しているそうです。
☆もいただいて、ありがとうございました!
6 ホメロス『イリアス』への応援コメント
アキレス腱の由来となったアキレウスとトロイの木馬しか知らないハナスです。
こんにちは。
私、きっと読み始めたらギリシャ神話ってハマると思うんです。
エンターテイメントの基本を押さえた作品って後代に残りますね。
久里様のご紹介、分かりやすくて読みたくなります。
ありがとうございます♪
作者からの返信
応援ありがとうございます!
星都さんはギリシャ神話と相性がいいと想像します。登場人物たちは魅力たっぷりでエピソードも豊富ですので、推しが見つかるかもしれませんね。ギリシャバージョンの「〇〇に恋して」が生まれるといいなと思います。
神話や叙事詩にもエンターテイメントの基本は大事なようですね。ぜひハマってくださいませ!
編集済
3 カフカ『審判』への応援コメント
『カラマーゾフの兄弟』にどハマりで、なかなかお伺いできずにすみません!(むっちゃ面白いです!【ドストエフスキー】という名に恐れをなしていた自分が情けなくって抱きしめたいくらいですっ)
文学。僕は未だにこの文学ってやつが解っていないんですよね。『面白い、興味深い、好き』。そんな単純な判断でしか作品を評価できていないのですが、それで良いのかどうかも分からないのです。例えば『カラマーゾフ』は面白く、宗教や性の捉え方が興味深く、作者の親切丁寧ぶりが大好きです。ならばこれは文学か?と問われると、正直よく分かりません(いや、たぶん間違えなく文学なんでしょうね!)。
つまり、なんといいますか、崇拝しようというのであれば、汎ゆる文章は崇拝の対象足り得るような気もするのです。何故なら文章とは、どんなものであったとしても内省を促し得るものであり、自分と自分の中にいるモノとの会話であるような気がするからです。(娯楽が芸術に昇華?していく歴史的事象をどのように捉えるべきか、という問題もありそうですが。)
しかし、まず文学とは何かを知るためには、カフカに触れる必要がありそうです!
『変身』は知ってますが、ちゃんと読んでません!(だって、害虫ってまさか【G】のこと!?なんて思うと手にとれなくてっ)
でもまずは『審判』から読んでみますっ!
最高の読書体験を満喫させて頂いております!本当にありがとうございますっ!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
『カラマーゾフ』、読んでいただいているんですね。むっちゃ面白いとのお言葉、うれしいです!
面白い、好き、と思えるかどうか。それだけで十分だと思います。「汎ゆる文章は崇拝の対象足り得る」とのお言葉、まったくそうですね。そこから触発されて自分のなかで思索がひろがり、感情が豊かに動く、それでいいじゃないかと。
その点、カフカもぜひお読みいただきたい作家です。『変身』の毒虫は、Gではなさそうです。どちらかというと巨大芋虫といった感じ。それはそれで、等身大であらわれたら気持ち悪いですけど・・・、ひとまずは『審判』からでいかがでしょうか。
今後も、お役に立つ情報紹介になれば幸いです!
5 サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』への応援コメント
サリンジャーは私がもっとも大好きな作家のひとりです!
しかしながらライ麦畑は今一つピンとこなかったんですよね。なんというかずっとモヤモヤが残る感覚で読み続けているような。しかしこうして解説文をあらためて読んでみて、読み直してみたほうがいいかな、と思いました。まぁ当時は「読んでおかなきゃ」みたいなスタンスで読んでいたのもありますし(笑)
ちなみに村上版はあまり読む気にならないんですよね。村上春樹事態は好きなんですが、どうも野崎版のあの雰囲気が好きなもので。
ということでフェバリットはグラース家サーガなんです。うすうすお気づきかもしれませんが、北乃家サーガはそのオマージュになっていたはずが……なんか違うものに変貌しましたけど(笑)
こう、音楽でもそうですけど、時代性って結構作品理解に大事だと思うんですよね。サリンジャーはたぶん当時の流行作家だったと思うんです。その当時の雰囲気を上手に出しているのが野崎訳なのかなと。
「チェッ」みたいなセリフは今は死語になってますし、女性のセリフなんかもどこか色めいていてるというか、男性の場合は気取っているけど悩みに素直な感じとか、そんな空気感が好きですね。
まぁ聞き流してほしいですが、アトランティス~の中で未来パートの語り口はなんとなくあの雰囲気に寄せたいと思いながら書いてました。
ということで長々と失礼しました!
御作楽しく読ませていただいてます!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
サリンジャーがお好きなのは、物語からも伝わってきます。独り語りの少年らしさとかに。
『ライ麦畑』よりグラース家サーガなんですね。私も好きです。シーモアが亡くなった後も弟妹たちの心を支えたり軛になったり、どうしようもないほどの影響力を持ちつづける、ある種神話的な……まさに「サーガ」ですよね。
一方の『ライ麦畑』は拗れたところも含めて魅力だと思うのですが、モヤモヤと言われるのは分かる気がします。
私も野崎訳で育ってきましたから、村上訳よりしっくりきますね。一部で酷評されるほど村上訳が悪いとも思わないですが、仰るように、あの雰囲気! まさにアメリカ、ニューヨークなんですよね(想像ですけど)。やはり野崎訳の醸し出す雰囲気が私にはぴったりはまりす。
北乃家サーガでは、お父さんの「北乃くん」がバディの役回りというところでしょうか。それともシーモア・・・と同じ運命にはなりそうにないですね(^^)
好きな作家はつい語りたくなりますよね。ありがとうございました!
5 サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』への応援コメント
10代の頃イキって英語で読んだんです(笑) 半分ぐらいしか分からなかったのですが、感じの悪い冒頭とタイトルの出てくるくだりだけは印象に残ってます。今思うと、その頃のイキった自分とイキった主人公を重ねようとして失敗した感があります(笑)
センチメンタルが文学的に浅いと思われる風潮があった、というのは驚きだし悲しいです。それでもたくさんの魂を救ったのは間違いないし、作品が生き続けているのがその何よりの証拠ですね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
英語で読書だなんて、イキる方向がさすがですね(^^) ホールデン少年もイキっちゃってますが、柊さんとの違いに恥じ入ってますます拗らせてしまいそうです…。
センチメンタルを低く見たのが一部だったのか大勢だったのかは分かりませんが、そんな評価はあったそうです。作品が生き続けているのが何よりの証拠、というお言葉が心強いです。時代を超えて、心に訴えかけるものがここに確かにあるんだと思いますね。
編集済
5 サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』への応援コメント
なるほど。
サリンジャーを読んだことはないのですが、久里琳さんの解説で、『ライ麦畑でつかまえて』が評価される理由がわかったような気がしました。
鍵は「イノセント」なんですね。
わたしにも心当たりがあります。高校生の頃ですが、処女性や無垢であることに大きな価値を感じていた時期がありました。
やがて、大人として世間と関わるようになると人は無垢でいられなくなりますが、そういうことへの苛立ちや幻滅が確かにありましたね。いまとなっては懐かしいばかりですが。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
すこしでも『ライ麦畑』を感じられるきっかけになりましたら幸いです。私も読むまでは「なにがそんなにいいんだ?」という感じでしたし、読んだ瞬間もまだ完全に共感したわけではなくて、後からじわじわ沁みてきました。
「イノセント」へのこだわりと、そう在り続けられない苛立ちや幻滅は、多くの人に共通するのかもしれませんね。それを乗り越えて皆大人になっていくんでしょうけど、そこにじかに触れてくるものがあると、つい立ち止まる、その時かけがえのないものを思い出す、、そんな物語であるような気がします。
5 サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』への応援コメント
この作品は、二十代半ばに村上春樹訳のものを読みました。
十代のころに読んでいたら、もしかしたらもっと刺さったのかも、と当時思いました。
今読み返したら、また違った感想が出てくるのかもしれません。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
(どんな本でもそうかもしれませんが、、特に)『ライ麦畑』は、読むときの状態で、受け止め方はずいぶん異なるような気がします。村上春樹訳と野崎孝訳とでも、すこし変わるかもしれません。
再読すると前とはちがう印象を受けることもありますので、もしかしたらそんな一冊になるかもしれませんね。
4 夏目漱石『こころ』への応援コメント
言文一致というのですね、夏目漱石って近代日本文学のパイオニアな認識ですが、
元祖にして完成形というか、痛快活劇の「坊っちゃん」あり、いわゆるスローライフ的な「吾輩は猫である」あり、
「夢十夜」「倫敦塔」のような幻想・怪奇小説も手掛けていれば、「草枕」ではまさかのラッキースケベありと、現代の潮流をほとんど先取りしているような。
表現豊かなぶん、ストーリーの展開がまだるっこしかったり、どうも話の畳み方がうまくないような印象もありつつ、日本人作家によくある世を拗ねたような陰湿さがなく、結構重いお話でも、飄々?泰然?としたような安定感があって、読んでてホッとします。
個人的に印象的だったのは「彼岸過迄」の、なんだか推理小説みたいな序盤から、中盤、幼い女の子(宵子ちゃん)が突然死してしまい、急に倒れてから焼骨までの経緯が、そこだけボコッと浮き出たようなリアリティで違和感があったら、漱石自身が5女(雛子ちゃん)を亡くしていたと知って納得、
ちょうど今読んでいる「虞美人草」では、中盤まで、例によってふんわり雅なだけでいまいちつまらないなー、と思ってたら、ヒロイン藤尾が始動してやおらドラマが動き出し、それにしてもこの人(藤尾)なんなんでしょう、小悪魔的・男を狂わす美女というより、メンヘラ?中島みゆきが歌ってるほうの悪女??と、俄然楽しみになってきました。
と、長々と、別の作品の話ばかり、不躾で失礼いたしましたm(_ _)m
次は「こころ」を読んでみようかな、電子書籍だと青空文庫のが無料で読めるし、これも地味に、夏目漱石作品への敷居を下げるポイントですよね
作者からの返信
応援ありがとうございます!
まさかのラッキースケベ、、たしかに! そう見ると、漱石先生も売れ線を外しませんね(^^) パイオニアの評価に恥じないご活躍です。
ストーリー展開については仰るとおり、そんなにお上手じゃないような気がします。元々の専門が英文学の研究で、全集のなかに収められている論文を読んでも理屈っぽさが目立つような。
飄々/泰然もそうですね。世を拗ねたくなるような経験はたっぷりして神経症になったりもしていますが、そういうことまでも笑いにしてしまえるのが漱石らしいと思います。
実体験を反映したエピソードは、やはり身に迫る力がありますよね。その迫力は活かしながら、フィクションとして突き放して描写できるのも、漱石の特徴だと思います。
一方で藤尾は本当に小説的な魅力があって、こんな人物を生み出したりもするんですよね。漱石は読めば読むほど、ぱっと見だけでは見落としてしまう味がにじみ出る作家だと思います。
青空文庫なら無料なんですね。多くの方に読んでいただきたい作家です。
3 カフカ『審判』への応援コメント
「殺し屋日記」でもカフカのことを書かれていましたが、こちらにも久里さんのカフカ愛が溢れていてすごい熱量を感じました。(というかここまで読んでそれぞれの作品紹介に圧倒されています)
文学とか文学的という言葉はあまりにも漠然として本当に個人の感覚によりけりなのだと思います。でもカテゴライズするようなものではなく、その作家の生き方や琴線に触れる言葉に見出だすものなのかも知れませんね。
引用されていた言葉、特に、『しかし僕たちが必要とするのは……』『誰でも自分の内部に……』から始まる引用が、生と書くことが直結しているように感じました。
こんなに読み応えのある書評を読めるのはとてもありがたいです。これからも楽しみにしています!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
カフカ愛がだだ洩れになってしまいました(^^) 「殺し屋日記」の記載も覚えてくださっているとは感激です。
生と書くことが直結している、、まさにカフカの本質だと思います。そしてカフカ好きはそこに魅かれるんですよね。
文学には、「何が文学であるのか」も含めて皆さんそれぞれの思い入れがありますので、一言では語れませんね。その作家の生き方や琴線に触れる言葉に見出すもの、というお言葉がしっくりきました。
読み応えある書評とのご評価、光栄です。身に余る素敵なレビューもいただいて、ありがとうございました! この先も、いただいたレビューに恥じない作品紹介をしていきたいと思います。
2 ガルシア=マルケス『百年の孤独』への応援コメント
うわあっ!こちらも必読書ですねっ
実は先日、本屋さんで手に取ってぱらぱら捲りながら悩んだのです。明らかに噛み応え抜群、攻略度最難クラス、にしては妙に惹きつける文章。これ手に取ったら数カ月外界と遮断されまいか?いや未読本も山積みだし、積ん読になってしまったら如何にも惜しいし…なんて言い訳して保留にしたのですが、久里琳様のご講義を受け圧倒的に吸引されちゃいました!後ほどポチります!
比喩、その必然性。お言葉、沁みます。もやもやしたものを、雰囲気だけで書いてはいまいか?視て掴むことを簡単に諦めてはいまいか?突き刺さりましたっ
ああ。夏休みの最終日、手付かずの宿題を前にしたのび太の気持ちが痛いほど分かります…でも、始めなければ始まらない!
読ませて頂きます!ご講義ありがとうございました!!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
噛み応え抜群、ぱらぱら捲っただけでもそう感じますよね。その分、噛めば噛むほどどんどん味が出てきます。ぜひこの世界にどっぷり浸かってくださいませ。
比喩は本当に、諸刃の剣だと思います。名手がつかうとぴったり響くのに、半端な使い手だとうんざりする。さらには、うまい表現しててもそれがかえって鼻について興ざめなこともあったり。
たっぷりの宿題に、さらにひとつ追加してしまうことになってしまったかもしれませんが、、宿題を楽しんでいただければと思います。
1 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』への応援コメント
『カラマーゾフの兄弟』!これ読まないといけないヤツですね!大慌てでアマゾンポチリしてきましたっ
それにしましても久里琳様の書評の面白さ!ああ、教養人の品格ある文章とはかくあるものか…といたく感動させられました。自分は本を読んでいたのではない、見ていただけだと改めて学んだ次第です。しかし、人から学び本から学ぶことで、世界はこんなにも広く深いのかと知れることは幸せです!まだまだまだまだ、開いていない扉がごまんとある!生きねばっ!ですね!
本当に素晴らしいご講義、ありがとうございました!『謎解きカラマーゾフの兄弟』もポチりました!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
『カラマーゾフ』は呪文堂さんの感性に合うんじゃないかと思います。お気に召しますことを願っています。そうなれば、拙い小論も書いた甲斐があったと満足できそうです。
開いていない扉がごまんとある、まったくその通りですよね。私もまだまだ貪欲に扉を開きにいきたいと思います。それだけでも生きる理由になりますよね。
はじめに・目録への応援コメント
やばっ!無茶苦茶楽しみですっ!!まさかカクヨムで【デカルト『方法序説』】【カント『道徳形而上学原論』】などを学べるとは思ってもおりませんでしたっ!✨️
恥ずかしながら未読のものも盛り沢山!何人かの好きな作家の作品では「おおっ!そっちできますかっ!」と興奮。序文でこれだけ楽しめる作品ってそうそうないですね!すっごく嬉しいですっ!!
作者からの返信
お越しいただき、ありがとうございます!
無茶苦茶楽しみ、とのお言葉、うれしいです。同時に、ご期待に応えられるか緊張もしますが、精一杯努めます。
『方法序説』はもちろん『道徳形而上学原論』も、読むとおもしろいこと請け合いです。『純粋理性批判』でないあたりはあれっ?となるかもしれませんが。
どれを代表とするか選べない、ということも多く、「おおっ!そっちで・・」のため息も出てしまうかもしれませんね。
お楽しみいただけましたら幸いです!
2 ガルシア=マルケス『百年の孤独』への応援コメント
なるほど! マジックリアリズム的手法で書かれた作品は他にもいろいろある中で、なぜ『百年の孤独』は別格の面白さなのか、九里琳様の説明で理解出来ました。
ジャーナリスト出身の作家の文章は往々にして読んでいて肌感覚にピッタリきます。
私は他に『エレンディラ』や『予告された殺人の記録』も好きです。
「ガルシア·マルケスと握手した事がある」と言うメキシコ人ミュージシャンと会った事があり、ミーハーにも思わず間接握手させてもらいました!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
『百年の孤独』は別格ですよね。このお話がすこしでもご参考になりましたら幸いです。ジャーナリストはやはり文章や叙述の技術が磨かれていると感じますね。
『エレンディラ』『予告された殺人の記録』もいいですね。『予告…』も実話ベースで、否応なしにあの結末に向かってすべてが回っていくのが、さすがガルシア=マルケスだな、と。
間接握手、うらやましいです!
編集済
2 ガルシア=マルケス『百年の孤独』への応援コメント
ガルシア・マルケス、代表作の「百年の孤独」は読んだことがないんですが、
「エレンディラ」の映画化で知り、「幸福な無名時代」「美しい水死人」、、もうあまり覚えてはいないんですが、何気ない日常のようで、あれこれって全部もう、それっぽく見える奇怪な夢なんじゃ??という不安な感じが好きでした
ルルフォの「ペドロ・パラモ」もそれに近い幻想感があり、生者と死者が空間を共にするみたいな、それがラテンアメリカの文化なのかなとおもってましたが、
じつはマルケスが開拓した文化だったりするんですかね?
作者からの返信
応援ありがとうございます!
『エレンディラ』、映画は未見ですが、原作はなかなか衝撃的な物語でした。(ちなみに彼女は『百年の孤独』のなかにも登場します)
彼の小説を映画化したらたしかに奇怪な夢になりそうです。
『ペドロ・パラモ』! さすがのご慧眼です。どちらかというとルルフォの方が先行するようですが、共通するものがありますよね。ともに南米で育まれた土壌であるとは言えそうです。
正統のキリスト教会に黒人やインディオの神さまが出没して、近代文明とジャングルの境界がない世界だからこその土壌かもしれませんね。
2 ガルシア=マルケス『百年の孤独』への応援コメント
いくつもウンウンと頷くようなところがあり、「香味あふれる文章」と評されているのが凄く良いなと思いました。
また、『百年の孤独』は実話ベースではないか、これはまさに私も読書中に感じたことです。
他の時代、他の土地(気候風土や文化、宗教など)ならば違ったかもしれない出来事や人のなりふりを、彼自身の驚嘆の心とセンシティブな五感、時に第六感その他を伴って、信じがたい事実の異様さ、繰り返したくないことなどを伝えるために、客観性で以て描き尽くされたのではないだろうか、と。
例えば
>耄碌した家長が庭の木に何年もつながれる
認知症や夢遊病のようにところ構わず歩き回って怪我などしてしまうので、心配した家族に半ば家に閉じ込められるようになってしまったことについて、「確かに長く生きられたかもしれないが、どんなであっても個人の感性の自由を奪って良いのだろうか」とガルシア=マルケスが憂いたことをそのように表現されているのだろうか、とか。
「遠近法を無視した文体」と表現されているのにも、腑に落ちた感がありました。
少し違うかとは思いますが、ピカソとブラックが確立した表現技法キュビスムのように、多面的なものをそれぞれの視点で観察し、一つの平面に一様に配置した時の歪さ(「一つの視点から眺める日常の光景は、他の側面の真実を歪ませて見ているからこそ自分にとって心地よいものだった」という事実を突きつけられる)を目の当たりにするような。
それが「ある感覚」を現実的なものとした時に、非現実的な日常風景と入り乱れ、絶妙な色合いの描写として表れているのだろうかと感じました。
語感や想像力を総動員することを呼び覚ましてくれる(ある意味で体力のいる)読書体験であることは間違いないように思います。
(つい、長くなってしまいました)
作者からの返信
お越しいただき、ありがとうございます!
体力のいる読書体験、まったくその通りですね(^^) 語感や想像力を総動員して頭がぐったり、でもそれが楽しいという・・・
ポロさんも実話ベースと感じられたのですね。信じがたい事実の異様さは、たしかにマジックリアリズムの表現のなかでこそ鋭く浮き上がってくるような気がします。日本でも過去の戦争や現在の他国の事件などがファンタジーになったり、逆にフェイクに現実感を感じたり、、私たちはいまいちど感性を研ぎ澄ませる必要があるのかもしれません。
ガルシア=マルケスは、「自由」や「圧制」というものに敏感で拘りが強いので、このエピソードにもそれが表れているかもしれませんね。
「香気あふれる文章」「遠近法を無視した文体」に共感いただいて、うれしいです。絵画に比しての視点はなるほど確かに!と思いました。すこしレベルの低い比になりますが、「だまし絵」にも言えるかもしれませんね。視点をずらすと、現実認識ががらっとひっくり返って、今まで事実と思っていたのが幻想で、幻想と思っていたのが事実だった・・のような。
1 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』への応援コメント
ドストエフスキー大好きです!
初めて『罪と罰』を読んだ時、今まで水彩画しか見たことがなかったのが初めて油絵を見たかのような衝撃を受けました。『白痴』『悪霊』も好きだし、『分身』というマイナーな作品も好きですね。
キャラのアクが強すぎて私は結構笑いながら読みました。
柄谷行人氏の言葉は本当に耳に痛い……。物書きの端くれとしては、まさに「この最高峰を目指したい!」と思わされる存在ですね……。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
rainyさんもドストエフスキーがお好きですか! 初めて油絵を見たかのような、、それほどに人物、セリフ、ストーリーが精彩を放っているんですよね。
『分身』とはまた渋いところを(^^) アクの強い人物を描くときのドストエフスキーは、ノリノリだったんじゃないかと想像したりします。
柄谷行人の指摘には本当にはっとさせられますね。「この最高峰を目指したい」、あまりに高い山ですが、私も志は持ちたいと思います。
1 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』への応援コメント
ドストエフスキーといえば『カラマーゾフの兄弟』
手にしたものの、途中で断念した記憶があります。
そんな私に妹が薦めてくれたのが、日本のドラマでした。
原作を現代の日本に落とし込んだものです。
人間の本質は変わらないですが、やはり時代や文化、宗教観の違いは大きいですね。
いつか、読破したい長編小説です。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
『カラマーゾフ』は超長編ですので、途中で断念されるのも無理はないと思います。
現代日本を舞台にしたドラマがあるのですね。多少翻案しても見応えのあるドラマができることを疑いませんが、仰るとおり、19世紀ロシアが舞台の物語だからこその味わいもあります。特に宗教観は、星都さんに響くんじゃないかと想像しています。(共感されるか反対されるか、どちらにせよ心を揺らされるのでは、と)
1 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』への応援コメント
ドストエフスキー、あまりにも有名ですが『カラマーゾフの兄弟』は読んだことがないです。
もっともとっつきやすいと聞けば、いつかじっくり読んでみたいですね。
が、『罪と罰』は昔々、読んだ記憶はあるのですが内容はあまり覚えていないと言う……💦
そんな私です( ´艸`)
作者からの返信
応援ありがとうございます!
ドストエフスキーは長編が多いので、ちょっと躊躇われるかもしれません・・。『カラマーゾフ』は全3巻で、、すみません、「とっつきやすい」かというと、実はあまり自信はありません。が、抜群に面白いことは、自信をもってお勧めします。
読んで時間が経つと記憶が薄れるのはしかたないですよね。再読するのも楽しいと思います。
1 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』への応援コメント
久里さま、流石です。ドストエフスキー大好きな私ですが、彼の魅力を余すところなく端的に述べられておられます。
そう、彼の著作は一大エンターテイメントなのですよね。そして、人物を深く掘り下げてあること。これは、彼の洞察力・哲学的思考は勿論、異色の人生経験に根差したもので。母親の死に次ぐ、父親の撲殺から始まる…。
私は次兄イヴァンの「罪のない子を殺した人間が赦され、殺された子と天国で手を繋いでいるという考えが解せない。この世で自分を律せない弱い人間の為に天国に行けるかどうかという枷(エサ)で律しているのが宗教」というような言葉が印象に残っています。
そして、私も『白痴』が『罪と罰』より好きです。
作者からの返信
お越しいただき、ありがとうございます!
『青いつばめ』で『白痴』に言及されていましたね。ドストエフスキーがお好きなのだとは思っていました。『白痴』、いいですよね!
一大エンターテイメント、同じお考えでうれしいです。そして人物。「深く掘り下げている」、まさにそうですよね。仰るとおり、異色の人生経験と生来の洞察力・思考から来るのだと思います。
兄弟の中で最も頭が切れるイヴァンの思想もまた印象深いですよね。シニカルでいて情熱的で、たぶん生真面目でもある。だからこそ、あのような運命に行き着いたのかなと考えたりします。
1 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』への応援コメント
コメントを、そして冒頭から自分語りで失礼しますm(_ _)m、
ドストエフスキーは、日本語✕文庫か電子書籍で読める作品はたぶんあらかた読み切ったくらいにファンで、あの偏執的とも言える人物描写と長セリフが、辟易もするのになにか中毒的な魅力ですよね。
シベリア流刑前後で書かれた作品で、どっちが良いというわけでもありませんが、凄みというか、別の人物によって書かれたようなギャップ?違和感?隔絶感もあり。
絶筆✕未完✕小説では最長編の「カラマーゾフの兄弟」は、文豪の集大成という感もある力作ですが、個人的には”思春期の気まぐれ少女”=リーザだったかな、アリョーシャと破局(?)した直後に自分で指をドアに挟んで潰すみたいな、おぉ痛そう😿なシーンと、
ゾシマ長老の遺体が葬儀中に臭いだしてきて、そうすると聖人みたいに崇め奉ってた信徒たちが距離を置きはじめるくだりが、信心の危うさ、悪く言えば薄っぺらさを感じて好きでした☺
「罪と罰」の悪魔的なスヴィドリガイロフや、ドゥーニャ、そして「白痴」のナターシャといったドS美女も生き生きとしてますが、個人的に1冊選ぶとしたら「虐げられた人々」かなぁ。。
作者からの返信
お越しいただき、ありがとうございます!
イチ押しは『虐げられた人々』なんですね。落ちぶれていく養父母と、不幸が運命づけられた恋に苦悩する義妹と、なにより夭逝するみなし子の、ラストが印象的ですね。
メルヒェンのシーンの端々から、ドストエフスキーを読み込まれていることは薄々感じていました。中毒的な魅力、まさにそうですよね。
リーザの自罰のシーン、私も好きです。ドストエフスキーの描く女性たちはなかなか一筋縄ではいかないですね。ドSも多い(^^;)
ゾシマ長老の臨終も、あんなシーンを描けてしまうのがまた。スヴィドリガイロフの魅力は、『虐げられた人々』のアリョーシャの父親にも通じる気がします。逆にソーニャの父親のような、とことんみじめな男を意地悪なほど鮮やかに描いて見せたり・・・
本編で書いておきながら、いくらでも語ってしまいそうです。
1 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』への応援コメント
罪と罰を途中で挫折した人間なので、感動と尊敬の眼差しを込めて読ませていただきました。
作者からの返信
お越しいただき、ありがとうございます!
『罪と罰』も大長編のうえに話があっちこっち行きますからね。いずれまた再チャレンジされてはいかがかと思います。あるいは『カラマーゾフ』や『白痴』の方に行かれるのもおすすめです。
1 ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』への応援コメント
『カラマーゾフの兄弟』は読んだことがあります。仮にもWeb作家を名乗ろうとするならドストエフスキーくらい読んでおいた方がいいんじゃないかと思いまして。
内容は三分の一くらいしか分からなかったのですが、大変な熱量で書かれた小説だというのはよく分かりました。自分でも驚いたことにラストでは泣きましたもん。三分の一の理解でこれなんだから確かに傑作です。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
ドストエフスキーぐらい読んでおいた方が、、まったく同感ですが、そう思っていただける方が多いといいなと思います。
大変な熱量、やはり感じられましたか。ラストで涙されるほどに物語に入り込まれたのですね。汚いことや理不尽なことが山盛りのなかで、一服の清涼剤のようなラストでしたね。
編集済
14 三島由紀夫『金閣寺』への応援コメント
『金閣寺』を読んできました。昔読もうと試みたものの、その文章のどこまでもどこまでも執拗に内へ籠もっていくような難解さに挫折したものです。しかし、今回改めて読んでみると、いやかなり難解ではあるのですが、見事なまでの形式美が貫かれていることに気が付きました。
おっしゃるとおり、女性に対する忌避。これは三島の『絶対美』に対し、美を象徴しそうな女性が、生命であるため衰退を免れない『不完全性の象徴』に陥らざるを得ないことからの帰結であろうか、と久里琳様のご講義から思い至りました。
三島由紀夫には『絶対美』がある、故に『ねばならぬ』という構図が必然的に浮かび上がってくる。『絶対美』たる金閣を前に、主人公溝口は自己を肯定するためには金閣を焼かねばならぬ。溝口の絶対美たる金閣が失われた以上、絶対美に近づくための唯一の手段、死ぬことは回避されることとなり、故に、溝口は生きねばならぬことになった。ここは見事な形式美であって、クライマックスのカタルシスを打ち捨ててでも、三島由紀夫が堅持した美の哲学なのかなあ、なんて思いました。
ただ、どうしてもわからないことがあります。金閣は『絶対美』の象徴たり得ても、物体である以上は、そのものは『絶対美』たり得ない。金閣を絶対美とするためにこそ金閣は焼かれるべきであって、そうであるならば、溝口は金閣とともに焼失することで美に合一できたのではないか。物語的にもカタルシスに至ることができたはずで、きれいに纏まります。ラストを読み返すと、三島はその構想も持っていたのではないか?とうがった考えが横切ります。しかし、それは採用されなかった。ここは僕にとっての謎なのです。
三島は、不完全であっても生きるべき、という泥臭い考え方は持っていない。自らを収斂させ、精神的肉体的に絶頂と自ら認めたときに、美の絶対性に自らを合一させた。その意味で、溝口は三島の分身であると同時に、生の不完全性に堕ちた側の三島の影、ということになるのでしょうか。
読み解くにはまだまだ修行が足りません!
ご講義、ありがとうございました!
作者からの返信
ありがとうございます!
わざわざ『金閣寺』をお読みいただいたのですね。執拗に内へ籠もっていくような、、いやもうたしかに! 三島のとっつきにくさはここにありますね。
金閣のなかに絶対美を見る。美は永遠であり、永遠とは滅んでこそ得られるもの、、では目のまえにある金閣はなんなのか? そして生きている人間は、ついに美と合一するわけにはいかないのか??
それとも絶対美が失われた以上、自らは滅びる必要がもはやないのか? ・・・興味深い問いですね。
おそらく三島のなかでは、溝口が死なない結末が最初から浮かんでいたと思います。モデルは死ななかったので、そこはモデルをなぞっただろうと。三島の望む方向には筆を進められないからこそ、あれだけの人物を描き出せたのだと思うと、制約は傑作を生むためのスパイスのような気もしますね。