論語、唯一覚えているのが「師曰く、朝に道を知れば、夕べに死すとも可なり」
って、懐かしくてググったら「知れば」じゃなくて「聞かば」でしたorz
2500年も前の人だったとは、現代から振り返ればブッダ=ゴータマ・シッダールタともあまり変わらない時代の印象ですね。
「儒教」「仏教」というけれど、これらを宗教と呼ぶか??は違和感もあり、それは帰依する人たちが信じるのが、人智の及ばない絶対的超越者の神ではなくて、自分たちの内にある願望や知覚だからなのだと思います。
現在の地球上で、インドから日本列島に至るアジアモンスーン地域(の一部)だけが、ユダヤ教に端を発するアブラハムの宗教の支配的影響下にないのは、歴史的な事情もあれど、それらの社会が「そういう宗教」を必要としなかったから、とも思うのですよね。
作者からの返信
ありがとうございます!
「夕に死すとも可なり」も孔子先生らしい言葉ですね。「知れば」も「聞かば」も言わんとするところは一緒だからいいんじゃないかな、と思います。
釈迦と孔子がよく似た時期、というのも面白いですよね。老子もだいたい同時期らしいです(実在したか不明ですが)。
たしかに仏教(特に初期仏教)・儒教・道教は、西洋人の考える「宗教」とはずいぶん性質が違いますよね。仰る通り、この3者は神秘思想を持ってはいても内省的で、自分たちの外に絶対者を置く必要はなかったのだと思います。なかでも孔子は「怪・力・乱・神を語らず」「鬼神につかえず」と言っているぐらいですし。
とてもおもしろく読みした。と同時に言葉のもつある種魔術的な力を感じました。
>二千五百年も前のこと
と書かれているように、『論語』は大昔(という言葉では表せないくらい昔)の一人の男を巡る言行録にすぎませんが、2500年後の現代に生きるわたしたちを、その価値観で規定しています。書物として男の言葉が残っているからです。
久里琳さんが書かれているように、同時代の権力者たちからは容れられなかった孔子の思想は、その言葉が書物として後世に残されたことによって、当時以上の影響力を現代に及ぼしています。
言葉を残さなかった当時の権力者たちが、どういう人でなにをしようとしていたのか、現代ではほとんど知る人がないのとは対照的です。
言葉を持つこと、言葉を操ることで孔子は2500年の時を超えてわたしたちに語りかけることができるのですね――興味深いと思いました。
作者からの返信
ありがとうございます!
言葉の魔術的な力、仰る通りだと思います。「ペンは剣より強し」がただのきれいごとではないと思えるのは、こういう実例を見る時ですね。
言葉は同時代では圧倒的な暴力の前に無力だとしても、百年・千年のスパンで見ればけっきょく言葉の力が残り、力づくで勝ち取られたものは滅び・忘れ去られる。そう考えると、考えること・語ることが、行動することに劣らず大切だと、あらためて気づかされますね。
2500年の時を超えて語りかけることのできる言葉の力の大きさ、、本当に魔力を持っているなと思いました!
中島敦の『弟子』、そうです、この物語に触れてから急に孔丘先生に血肉が通い、僕のなかで魅力的に輝き出したんです。大学では東洋思想をとっていたんで、論語は必読で、しかし面白くなくて。訳解んない荘子なんかに惹かれたりしたんですが、『弟子』を読んでから論語の観方が変わったんですね。先生、結構ボヤいたり口が滑っちゃったりしている感があって。怪力乱神を語らず、なんて言いながら、土中の怪?それは墳羊だよ!なんて言っちゃったりしてて。民間施術的な巫祝の技を国家の政に昇華させたい、そんな想いが見え隠れしているように思えたりして。
読むのは骨ですが、またちゃんと読むべきですねっ!ご教授、ありがとうございました!
作者からの返信
ありがとうございます!
東洋思想を学ばれていたんですね。となると、釈迦に説法でした・・。「訳解んない荘子」というのが、いやもうほんとに、って思いました(^^) 名伯楽の逸話が『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』に紹介されていましたね。
中島敦の『弟子』、いいですよね! 私も論語の観方が変わったと思います。今回のような読み方になったのも、この小説の影響が入っているはずです。
民間施術的な、、言われてみると、楽や詩や易が大事だ、というのもそれかもしれませんね。