初めまして。突然コメント失礼します。「ライ麦畑でつかまえて」が大好きなもので、矢も楯もたまらず読みました。サリンジャーの作品の中には、他にはない優しさがあると思います。久里さんのお言葉をお借りすれば、憐みとも呼べるような。そんなところが読者の心を強くゆさぶるのに、彼自身がそれを忌避していたとは……。初耳です。詳しい解説、サリンジャーへの深い考察、とても楽しく拝読しました。目録の中にはほかにも気になる本がいっぱいあるので、これから時間を見つけて読んでいこうと思います!ありがとうございました!
作者からの返信
初めまして。お越しくださり、ありがとうございます!
『ライ麦畑でつかまえて』がお好きなんですね。同好の方にお読みいただいて、楽しく読まれたと伺って、光栄でうれしいです。
他にはない優しさ、そうですよね。そこに心を揺さぶられる、まったくその通りだと思います。(言われてみて、「優しさ」に関して言及が足りなかったなと気づきました)
サリンジャー自身が忌避していたというのは、もしかしたら考え過ぎなのかもしれませんが、、世間からの評価に苛立つところがあったような気がします。
さっそく☆もいただいて、ありがとうございました! 他に気になる作品が出てきましたら、またお越しいただけましたら幸いです。
サリンジャーは私がもっとも大好きな作家のひとりです!
しかしながらライ麦畑は今一つピンとこなかったんですよね。なんというかずっとモヤモヤが残る感覚で読み続けているような。しかしこうして解説文をあらためて読んでみて、読み直してみたほうがいいかな、と思いました。まぁ当時は「読んでおかなきゃ」みたいなスタンスで読んでいたのもありますし(笑)
ちなみに村上版はあまり読む気にならないんですよね。村上春樹事態は好きなんですが、どうも野崎版のあの雰囲気が好きなもので。
ということでフェバリットはグラース家サーガなんです。うすうすお気づきかもしれませんが、北乃家サーガはそのオマージュになっていたはずが……なんか違うものに変貌しましたけど(笑)
こう、音楽でもそうですけど、時代性って結構作品理解に大事だと思うんですよね。サリンジャーはたぶん当時の流行作家だったと思うんです。その当時の雰囲気を上手に出しているのが野崎訳なのかなと。
「チェッ」みたいなセリフは今は死語になってますし、女性のセリフなんかもどこか色めいていてるというか、男性の場合は気取っているけど悩みに素直な感じとか、そんな空気感が好きですね。
まぁ聞き流してほしいですが、アトランティス~の中で未来パートの語り口はなんとなくあの雰囲気に寄せたいと思いながら書いてました。
ということで長々と失礼しました!
御作楽しく読ませていただいてます!
作者からの返信
応援ありがとうございます!
サリンジャーがお好きなのは、物語からも伝わってきます。独り語りの少年らしさとかに。
『ライ麦畑』よりグラース家サーガなんですね。私も好きです。シーモアが亡くなった後も弟妹たちの心を支えたり軛になったり、どうしようもないほどの影響力を持ちつづける、ある種神話的な……まさに「サーガ」ですよね。
一方の『ライ麦畑』は拗れたところも含めて魅力だと思うのですが、モヤモヤと言われるのは分かる気がします。
私も野崎訳で育ってきましたから、村上訳よりしっくりきますね。一部で酷評されるほど村上訳が悪いとも思わないですが、仰るように、あの雰囲気! まさにアメリカ、ニューヨークなんですよね(想像ですけど)。やはり野崎訳の醸し出す雰囲気が私にはぴったりはまりす。
北乃家サーガでは、お父さんの「北乃くん」がバディの役回りというところでしょうか。それともシーモア・・・と同じ運命にはなりそうにないですね(^^)
好きな作家はつい語りたくなりますよね。ありがとうございました!
10代の頃イキって英語で読んだんです(笑) 半分ぐらいしか分からなかったのですが、感じの悪い冒頭とタイトルの出てくるくだりだけは印象に残ってます。今思うと、その頃のイキった自分とイキった主人公を重ねようとして失敗した感があります(笑)
センチメンタルが文学的に浅いと思われる風潮があった、というのは驚きだし悲しいです。それでもたくさんの魂を救ったのは間違いないし、作品が生き続けているのがその何よりの証拠ですね。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
英語で読書だなんて、イキる方向がさすがですね(^^) ホールデン少年もイキっちゃってますが、柊さんとの違いに恥じ入ってますます拗らせてしまいそうです…。
センチメンタルを低く見たのが一部だったのか大勢だったのかは分かりませんが、そんな評価はあったそうです。作品が生き続けているのが何よりの証拠、というお言葉が心強いです。時代を超えて、心に訴えかけるものがここに確かにあるんだと思いますね。
編集済
なるほど。
サリンジャーを読んだことはないのですが、久里琳さんの解説で、『ライ麦畑でつかまえて』が評価される理由がわかったような気がしました。
鍵は「イノセント」なんですね。
わたしにも心当たりがあります。高校生の頃ですが、処女性や無垢であることに大きな価値を感じていた時期がありました。
やがて、大人として世間と関わるようになると人は無垢でいられなくなりますが、そういうことへの苛立ちや幻滅が確かにありましたね。いまとなっては懐かしいばかりですが。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
すこしでも『ライ麦畑』を感じられるきっかけになりましたら幸いです。私も読むまでは「なにがそんなにいいんだ?」という感じでしたし、読んだ瞬間もまだ完全に共感したわけではなくて、後からじわじわ沁みてきました。
「イノセント」へのこだわりと、そう在り続けられない苛立ちや幻滅は、多くの人に共通するのかもしれませんね。それを乗り越えて皆大人になっていくんでしょうけど、そこにじかに触れてくるものがあると、つい立ち止まる、その時かけがえのないものを思い出す、、そんな物語であるような気がします。
『僕が本当に感動するのは、それを書いた作者が親友で、電話をかけられるときにはいつでもかけられるようだったらいいなと、そんな気を起こさせてくれる作品』というくだり、以前読んだときから印象に残っていまして。
学生の頃、友達のアパートで取り留めもないことをくっちゃべり、気付けば辺りが明るくなっていて、やばい一限目般教だ!寝たらまずい!お前も起きていてくれよ!なんて騒いでた頃の雰囲気を思い起こさせてくれるような作品で。
無為、焦燥感。そんなものを抱えながら、『でも、世の中妙だな?』なんて思いも脳裏をかすめる。鈍い僕はそのインチキぶりになかなか気付けずに、『妙だな?』くらいにしか思えなかったのですが。
久しぶりに読み返してみて、むしろ今回の方が刺さるものが多かったような気もして。得も言えぬ余韻に浸らせて頂いております。やっぱり、読書っていいものですね。
作者からの返信
ありがとうございます!
サリンジャーが親友で、悩んだときに電話をかけられるんだったらどれだけいいだろう、って思いますね。そう考えると、『ライ麦畑』に感動するのも当然なのかもしれません。
なぜだかノスタルジーを誘われて、戻れない昔を思って、涙をこぼせないことに切なさが募るような、、そんな想いを呪文堂さんもされたんですね。ふだん無意識に受け入れているインチキに気づかせてくれる作品でもありますよね。
いい小説は、読み返すたびに刺さる何かがあって、本当にいいですね。