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久里琳教授!『イリアス』に続けて『論理哲学論考』!夏休みの課題、山盛り過ぎですっっ 呪文堂、留年確定ですっ(TT)
このカチッカチッな積み上げ方、まさに西洋哲学ですよね!総ては言語化可能であり、言語化不能なものは存在しないに等しい。ここ、東洋思想とは『立ち位置』を異にするようにも思えるのです。
言語化や思考の限界、即ち生得的宿命。つい先日そこをうろうろ思ったのですが、でも同時に「進化とはなんだろう?」という幻想的世界にも遊びたくなります。
岡潔の『春宵十話 』、これも読まねばならないやつですが、岡潔のいう「情緒」とヴィトゲンシュタインの「論理」、この二つはどのように交わっていくのだろう?なんてことをふと思いました。いつもズレてて申し訳ございませんっ!
3年くらい夏休みが欲しいですっ!!
作者からの返信
ありがとうございます!
論理に論理を積み上げていく、しかも隙のない積み上げ方で、、たしかに西洋哲学的ですね。そこへ行くと言語や思考の限界の向こう側に意識を向ける東洋思想はずいぶん違いますね。どちらが正しいという話ではないですが。
進化もおもしろいテーマだと思います。生物学的なのも、社会学的な進化についても、考え出すと止まらなくなりますね。
ここで岡潔が出ましたか! 小林秀雄との対談ぐらいでしか彼の言葉は読んでいませんが、味があるというかクセがあるというか、、ヴィトゲンシュタインも元は数学者ですから、クセ強い同士、比べてみるのはおもしろそうだと思いました。
私も長い夏休みが欲しいです(^^)
朝からシンプルな脳みそを絞りました(笑)
7の文章だけを読むと、分からないことに口出しちゃいけないみたいな曲解しそうになるんですが、そもそも言語の限界はそれ以上の思考が広がらないってことなのかと解釈しました。ある言語で存在する単語が別の言語では存在しなかったりしますが、それはその概念がないからで、それがその言語での限界、世界の限界なのかなとか。
つい自分に分かりいいように解釈してしまいましたが、シンプル脳の子が頑張って考えたということで笑ってお許しください(笑)
作者からの返信
応援ありがとうございます!
7は、どういうことなんだろう・・?と考えこんでしまう一文ですよね。
自分に分かりいいように解釈するのが、案外正しい道筋なんじゃないかなと思ったりします。
思考できること=言語で語れることで、つまりは、言語の限界=思考の限界、、なんだか近い気がします。そして「私の」言語の限界とわざわざ言っているあたりが、世界の限界は言葉により・人により異なるのか、、と疑ってみたり、、私も迷宮のなかで頑張って考えています(^^)
久里 琳さま
こんにちは。
本当に刺激的ですね。ご紹介いただいた文章のいくつもに、強く興味をかきたてられます。
『示されうるものは、語られえない。』これは電子の位置と速度は同時に正確に求められないという不確定性原理を彷彿とさせて、面白いなと思いました。あまりにも短絡的ではありますが、哲学、数学、物理学と、どんな切り口で迫ろうと、向かおうとするところは同じなのかしらと予感させるものがあります。
作者からの返信
ありがとうございます!
刺激的ですよね。たぶん理系的な方のほうが、より関心をもたれるような気がします。
たしかに、量子物理学と通ずるものがあるような気がします。日常生活的な直観と相容れないことが、頭で理詰めに考えるとどうしても「正」であるというかのような。仰る通り、数学と物理学はもちろん哲学も、真実に向けてそれぞれ探究を研いでいっているような気がします。