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文芸作品の価値って、読み手にとっていかに刺さるものがあったか、没入感とか共感を持てるかどうかだと思うのですよね。
そうでなければどれだけ有名で権威ある作品でも、退屈でばらばらな文字の蓄積でしかないわけで。
散文であれば、エポックな主張を地の文で解説する方法もとれますが、詩だとそうもいかない、真剣勝負の刀の切っ先だけが見えてる的な緊迫感も感じます。(自作の詩に作者が解説をつけはじめたら、それってお笑い芸人が「今のコントのどこが面白いかというと…」って言いだすような不粋さがあり。
前段での絵画との比較をふまえ、詩人って実はすごくストイックで、現世的バランス感も要求される仕事?立場なのかなぁ、と思いました☺
作者からの返信
応援ありがとうございます!
読者ひとりひとりで、作品の価値評価は異なるんですよね。その人に刺さるものがあるかどうか、そこは横から解説・説得してどうにかなるものじゃない。特に詩はそうですよね。仰るとおり、緊迫感みなぎる真剣勝負。
実は現世的バランス感も要求される、、面白い視点ですね。頭に思い浮かぶ詩人らしい詩人って、そういう現世的なことには疎くてひたすら我が道を行く…というイメージですが、だから生前は売れなかったのか、、と思ったり、あるいはもっと現世と折り合わない詩人が死後も埋もれたままになってるのかもと思ったり。
編集済
中原中也の詩は、こうして見るとあれもこれもそうだなと思い出しますね。
大人になってからは、子供と一緒に見たEテレの『にほんごであそぼ』でもよく取り上げられていたのが印象深いです。耳に残るフレーズが多いですよね。
>皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
これは知らなかったんですが、視覚的なインパクトもすごいですね。笑
作者からの返信
応援ありがとうございます!
そうでした! 『にほんごであそぼ』でも取り上げられていましたね。仰るとおり、耳に残るフレーズだからこそなんだろうと思います。
皿皿皿……、すごいですよね(^^;) 本来は縦書きなので、皿が積み重なっている姿を描写しているそうです。
☆もいただいて、ありがとうございました!
中原中也は『汚れつちまつた悲しみに』くらいしか憶えていないのですが、『ライ麦』を読み終わったばかりのためか、ホールデンの呟きにもリンクするように思えてしまいまして。
――すぐれた詩人が必ずしもすぐれた小説家ではないが、すぐれた小説家はほとんどすべてが詩人の資質をもっている――
撃ち抜かれましたっ 認めるのは辛く悲しいものですが、いやひょっとしたら欠片くらいはあるかもっ!諦めるのは死んでからでも遅くないですよね!
ぼけっと生きていないで、ぴりぴりするような感覚を研ぎ澄まし、言葉に宿すことができるよう精進したく! (近頃、胸に宿るホールデンの冷たい視線が痛いのですっ)
作者からの返信
ありがとうございます!
仰る通り、「汚れつちまつた悲しみ」の声は、ホールデンにも共通するような気がします。
果たして自分は詩人の資質をもっているか??? 確認したいけど答えを知るのは怖い、残酷な問いですね(^_^;) でも諦めるのは死んでからでも遅くない、勇気づけられるお言葉です! 私も感覚を研ぎ澄まして、文章を磨いていきたいと思います。
ホールデンの冷たい視線を体内に感じられるとは、それはつまり既に詩人なんだろうな、と思いました!