後編:なんなんだ、この家は!

 ブーツの中から這い出て、素早く廊下を移動していく。


 しばらくじっとしていたおかげで、頭もかなり冷静になれた。

 私は、そこらの蛇とは違う。かなり賢いのではないかと自負している。


 山に住んでいた頃、二人組の猟師がよく話こんでいるのを聞いた。『推理小説』とかいうものが好きらしく、それについての会話をよくしていたものだ。


「知ってるか? 蛇ってのは耳が退化してるから、音がよく聞こえないんだ」

 一人が言い、「へえ」ともう片方が声を上げた。


「じゃあ、『笛を吹いて呼び出す』とかはできないわけか」


「ついでに、蛇の主食はやっぱり肉だからな。ミルクなんかでは飼い慣らせない」


「じゃあ、『あの話』って嘘だったのか」


「そうなるな。俺もちょっとショックだが、あれはとんだ嘘っぱちだ」


 結論が出て、男が悔しそうに唸りを上げた。それからも、その推理小説とやらについての話は延々と続き、具体的にどんな話だったかが語られていった。


 たしかに蛇は耳が聞こえない。だが全身の皮膚で空気の振動を拾っている。だから私のようなツチノコには人間の言葉がはっきりとわかる。


 男たちは何日も山に通った。その度に似た話をしていたため、私は『推理』という発想を覚えるに至った。


 だから、今はとにかく頭を使う。ただ闇雲に逃げ回るのではなく、この家の住人たちの特性を見抜き、どうにか脱出の隙を見つけ出す。


 決意を固め、開いているドアの先へと滑り込んだ。





 やはり、この家は何かが変だ。


 入った先は台所だった。

 だが、妙にものものしい。長い柄のついた農具などがいくつも置かれている。こんなものを持ち出されたら、命がいくつもあっても足りない。


「二階の方でやれば良かったな。あっちなら煙まみれでも良かったし」

 廊下の方から、父親の溜め息が聞こえる。


 窓の開く音はしていた。だがすぐに閉める音も響き、脱出路はやはり作られていない。

 台所のテーブルの下を巡ってみるが、めぼしいものは見つからなかった。


 だが、直後にドアが開かれた。


「おや?」と、しわがれた声が聞こえる。

 しなびたつま先が見える。『ばあちゃん』という単語を息子が口にしていた。


「んん?」とテーブルの下を覗き込んでくる。


 次の瞬間、電流が走ったようになっていた。


「蛇!」と、老婆はすぐに部屋の隅へと走って行った。スプレーの缶を取るとすぐに、私へと向けて噴射しようとしてくる。


 く、と毒づき、すぐさま廊下へと撤退した。





 空気の流れを感じる。


 廊下の先。階段のあるところから冷たい空気が漂ってきていた。

 家の中の温度も低い。それぞれの部屋では暖房がかけられていたが、この廊下は酷く寒かった。


 階段の方へ向かいたい。だが、息子と娘が段差に足をかけていて、しばらく立ち止まっているのがわかる。父親と母親も階段の方ばかりを気にかけていた。


 どこかで、何かの割れる音がする。


 どうするか、と考えながら廊下へ目を走らせる。

 まだ、四人のつま先は私の方を向いていない。今なら気づかれない。うまくあの四人を突破して階段の上へと進めれば、無事に脱出できるのではないか。


 そのためには、どんな策を講じるべきか。

 玄関から階段まで、廊下は一直線に通っている。部屋は左右に二つずつ。片側が台所と娘の部屋。もう片側が息子の部屋と老婆の部屋。


「ねえ、本当にどうする?」

 娘が不安そうに声を出す。

「専門の人とか、呼ぶわけにいかないの?」


「一応は連絡したよ。でも、イタズラだと思われたよ」

 息子の方が応じ、「そっかあ」と娘が溜め息をつく。


「やっぱり、殺したらまずいんだよね。懸賞金とか、生け捕りなら出るんだろうし」


 何やら物騒な相談を始めた。


「さすがに、殺したら怒られるだろ。生きたまま捕まえないと」

 父親の声が響き、娘が再度溜め息をついた。


「ひとまずはツチノコ、どうにかしないとね」

 娘の足が動き、つま先が私へ向きそうになる。


 逃げよう、と体が動きそうになる。

 だが同時に、『待てよ』という思考も生まれる。


 やはり、この家の中には普通ではないものがある。


 その直後に、娘のつま先が私の方へ向く。


 そうか、と心の中に光が宿った。

 活路はおそらく、一つしかない。


 私は迷わず、目の前の部屋へと入って行った。





 これまで、何度か人間に見つかったことがあった。


 ツチノコ。それは、多くの人間にとって『ロマン』らしい。私を見つければ多額の懸賞金も入り、更には世界を変えるほどの大発見ともある。


『あれ? これ、本物?』


 運よく私を見つけた人間は、そんな風にしげしげと見ようとする。パッと見はただ横幅の広い蛇。それが世間で言うツチノコなのかと吟味したがる。

 それが、私を見つけた人間の『最初の行動』だ。


 あとは写真を撮るなど、せめてもの記録を残そうとする。


 その点で、この家で起こったことは異常だ。


(嘘だろ? なんで、よりにもよって)


 私にとっては、生まれて初めて聞く言葉だった。

 あの息子。あいつはきっと、私の姿をじっくりと見た。そうしてツチノコであることを見抜き、すぐに捕まえようとしてきた。


 だが、そこには喜びも興奮もなかった。


 そして、更なる違和感。


(蛇! なんか蛇がいる!)

 妹は私を見た時、すぐに恐怖した声を出した。


(蛇!)

 老婆もまた、すぐに攻撃しようとスプレーを手にした。


 おそらく、これが自然な反応だ。蛇には毒を持った者も多く、家の中に現れたとしたら人間はまず恐怖する。

 それこそが自然な反応。


 だからこそ、私は見抜くことができた。


 青い絨毯の上を進み、真っすぐにベッドの下へと入る。


 やはり、ここにあった。私が作戦に利用し、いったん呑み込んで吐き出した笛。

 そして、ベッドの下にはミルクの入れられた皿。


 一階の部屋には全て入ってみたが、猫の姿はなかった。猫を飼っているならばベッドやらトイレやらも用意する必要があるが、それらの事物も見当たらなかった。

 だが、こんなミルクが用意してある。それも、ベッドの下に隠すようにして。


 つまり、この家の息子は明らかに『何か』を隠している。

 だから、私がそれを明るみに出してやる。


 勢いをつけ、皿に横から体当たりをする。ガチャンと音が鳴り、皿がベッドの下から吹き飛んでいく。


「あれ? なんだこれ」

 私を追ってきた父親たちが、部屋の中に入ってくる。


 足が四組。父親と母親、息子と娘が集まってきた。


 さあ、気づけ。


 誰も、ベッドの下を覗く者はない。皿の前に立ち止まり、それを取り囲んでいる。


「トシフミ、これはなんなんだ?」

 父親が皿を拾い上げ、問いを発する。


「お前、何かやろうとしてたのか?」





 私は気づいてしまった。


(ツ、ツチノコ?)


 この家の息子は、私がツチノコであることを冷静に見抜いた。


 他の人間のように、まずは『蛇』がいるということに驚かない。私の皮膚は繊細だから、人間がビクリと驚けば、すぐに空気の流れで察知できる。


 だが、この息子は一切そんな反応をしない。最初に数秒じっと見つめ、その先で私がツチノコであることを確認したに違いない。


 なぜ、彼は蛇がいると驚かなかったか。この家は山の中だから、そういうことが頻繁にあるものだったか。でも、娘も老婆も過剰な反応をしていることから、そういった事実は確認できない。


 では、なぜ彼は冷静だったか。


 要するに彼は、『部屋に蛇が現れること』を予想していた。


 そう思って私を観察したが、予想外に『ツチノコ』だったことに気づいたのだ。


 ここから先は、以前の知識が役に立つ。

 かつて、山で猟師が語っていた話。蛇を呼び込むために『笛』を使い、家の中に招き入れるため、ロープを張っておく。その上で、蛇を飼い慣らすよう『ミルク』を用意する。


 蛇の生態からすれば、現実的ではない考えだ。だが、その知識のない人間だとしたら、それを参考に『何か』をすることも十分にありうる。


 猟師たちの話の続きを、私はしっかりと聞いた。

 その『推理小説』の中では、蛇を利用した殺人が行われようとしていた。笛で蛇を操り、飼い慣らしておくことにより、その蛇に人間を噛ませて殺す。


 つまり、この家の息子は『殺人』を企図していたのではないか。


 窓が開いていたのも、なぜか老婆の部屋だった。そこから蛇が侵入し、老婆を噛むことを期待していた。

 だからこそ、自分の部屋でもないのに彼はあの部屋に立ち寄っていた。





 案の定、全員が彼を問い詰めていた。


「ばあちゃんの部屋の窓に変な仕掛けしたの、お前だったのか!」

 父親から問い詰められ、「それは」と息子がたじたじとなる。


 後は、勝手にやってくれ。


 彼がどうして老婆を殺そうとしたかは知らない。

 父親と母親と娘。三人は現在、息子を取り囲んでいる。彼は何かを説明しようとしていたが、うまく言葉になっていなかった。


 今の内だ。


 私は滑らかに廊下へと向かう。台所にいた老婆も外に出てきている様子はなかった。

 あとはゆっくり、二階から脱出するのみだ。


 風の流れを感じる。寒さもあるが、若干心地よくも感じる。命の危険のない、自由への道しるべ。


 体をはねさせ、階段を二段ずつ跳躍していった。

 ゆっくりと、開かれた部屋のドアをくぐっていく。


 その先で、私の体は凍りついた。


 愚かだった。私は何を、賢いつもりでいたのだろう。

 都合のいい情報だけを読み取って、何かわかった気になっただけだった。


(じゃあ、別に良くない? 正直、ツチノコなんかどうでもいいでしょ)


 どうして、あの違和感と向き合わなかったのか。あれは絶対にありえないことだった。

 自分の家にツチノコがいる。世界が変わるなんてものじゃない。私を捕まえようとするだけでなく、もっと興奮して我を忘れたっておかしくない話だった。


 それなのに、この家の家族はいたって普通。『蛇』と思った瞬間には驚きもした。だが、その後は冷静に『ツチノコがいる』という事実を受け止めていた。


 彼らはなぜか『UMA』に素早く適応できた。

 それは、どういう理屈からだったのか。


(さすがに、殺したら怒られるだろ。生きたまま捕まえないと)


 階段前に集まって相談をしていた。『専門家』を呼ぶなどと口にし、自力では手に負えないかのような口ぶり。

 その割には、新聞紙やスリッパ、蠅たたきや素手、そして殺虫剤。別に私なんて殺したって構わないというくらいに、私に対して雑な手段も取ってきた。


 つまり、あそこで会話していたのは。


 部屋の奥。窓が開いているのがわかる。

 ガラスが粉々に砕けていて、外からの風が強く吹き込んでいる。


 なんという、ことだろう。


 私は大きく、勘違いをしていた。息子は確かに、『毒蛇』を招き入れようとしていた。例の推理小説を鵜呑みにし、その毒を使って『あるもの』を退治しようと。


 人間ならば、蛇の毒で死んだだろう。だが、もっと体の丈夫な何かなら、麻痺する程度で済んでいたはず。

 毒を注入したかった対象は、決して老婆なんかじゃない。


 はっきりと、私は状況を理解した。


 今、目の前には『つま先』が見えている。

 とても大きくて、真っ黒な毛で覆われたもの。ありえないほどの『ビッグつま先』。


 そうだった、と記憶が蘇る。この家に入る前に、やたらと土の上にくぼみが出来ていた。


 状況はわからない。だが、山奥にあるこの家の二階には、ある時に『こいつ』が侵入した。それを理解しつつも、彼らは対処できずに悩んでいたのだ。


 身動きすることもできない内に、目の前のつま先が迫ってくる。

 むんずと、巨大な手が私の体を掴み上げる。


 どうやら私は、とんでもない『秘境』に来てしまったらしい。


 なんと、凄まじい家に迷い込んだのか。本当にここは日本なのか?


 ふざけんな、と全力で叫びたい。

 いくなんでも、こんな状況を想定できるか!


 ビッグフットのつぶらな瞳が、私をしげしげと見つめていた。

                                     (了)

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ツチノコくんSOS! 黒澤カヌレ @kurocannele

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