百物語怪談会 開会の御挨拶

蟹場たらば

第十回百物語怪談会の開催に寄せて

 本日は皆様ご多忙にもかかわらず、百物語怪談会にお集まりいただき、誠にありがとうございます。


 景気の後退や感染症の流行など、様々な社会問題が出来しゅったいする昨今ではありますが、当会は本年も無事開催の運びとなり、節目となる十周年を迎えることができました。これも会員の皆様のご支援ご厚情の賜物たまものでございます。この場をお借りして、深くお礼を申し上げます。


 当会の趣旨である百物語については、会員の皆様であれば、初参加の方であってもおそらくご存じのことでしょう。しかし、確認の意味も込めて、僭越ながら今一度ご説明させていただきたく思います。


 百物語というのは、一種の降霊術であり、また度胸試しでもあります。夜、部屋の中で、一人ずつ順番に怪談を語る。一話語り終えるごとに、蝋燭ろうそくあるいは行燈あんどんの火を一つ消す。そうして最後の百本目の蝋燭を消した時に、正真正銘の怪奇現象が起こる……というものです。


 ただ先程申し上げた通り、今回は記念すべき十周年目の百物語怪談会となります。そこで例年にない、をご用意させていただきました。あちらを御覧ください。


 ええ、ご認識の通りです。青い行燈あんどんでございます。


 ご説明させていただいたように、現代の百物語においては、蝋燭が使用されることがほとんどです。ただし、それはあくまでも略式であり、江戸時代前期に記された『伽婢子おとぎぼうこ』によれば、本来は蝋燭を青い紙で囲った行燈を使うのが正式な作法だとされています。


 同様の記述は、中期の『今昔こんじゃく百鬼ひゃっき拾遺しゅうい』にも見られます。本作では、百物語を行うと怪異が現れるという説明とともに、行燈の後ろに立つ鬼女の絵が描かれているのです。また、その鬼の名前は青行燈あおあんどんというのだそうです。


 もっとも、鬼というのは、古くは頭に角の生えた怪物ではなく、幽霊や妖怪全般を意味する言葉でした。そのため青行燈についても、いわゆる鬼ではなく、百物語で起こる怪奇現象の総称だとする説があります。実際、他の文献では、首吊り死体の霊が現れたという記録や巨大な人間の腕が現れたという記録が残されているようです。


 ですから、本日皆様がどのような怪談を語られるのかはもちろんのこと、百話目でどのような怪奇現象が発生するかについても、わたくしはもう何日も前から期待で胸を膨らませておりました。そこで手前勝手ながら、百物語の第零話として最後に怪談を語って、簡単ではありますが開会の御挨拶を締めくくらせていただきたいと思います。


 ちょうど件の『今昔百鬼拾遺』には、青行燈の他にも鬼にまつわる話がいくつか記載されております。本日はその内の一つをご紹介させていただきましょう。


 遣唐使である父が、現地で行方不明になってしまったという知らせを受けた。そのため、息子の弼宰相ひつのさいしょうは、自らも遣唐使となり父を探し出すことにした。けれど、捜索は難航し、手がかりすらろくに見つからない。


 とうとう訪れた帰国の日の前夜、唐の役人が送別の宴を開いてくれた。ただその最中、役人は部屋に置かれた燭台をむちで打ち始める。不思議に思って理由を尋ねると、許可なく動いた罰だという答えが返ってきた。


 弼宰相が燭台だと思っていたものは、実は蝋燭を頭に載せられた人間だったのである。


 手足を縛りつけて逃げられないようにする。喉を潰して口を利けないようにする。体中に刺青を入れて、部屋に飾るのにふさわしい見た目にする。そのように人体を改造して作られた人間燭台を、燈台鬼とうだいきと呼ぶのだという。


 しかし、幸か不幸か、燈台鬼は正気まで失くしたわけではなかったらしい。唇を噛んで床に血を垂らすと、足の指で文字を書いた。


 その文字とは、行方不明になった父の名前だった……


 皆様も、もうお気づきのことでしょう。


 私の用意した特別な行燈というのは、百人の燈台鬼を使った行燈なのでございます。






(了)

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