初めに私自身のことをしるしておきます。


 私こと三浦晴海は、ある地方都市に住む二十代の女性です。職業は公務員で市役所に勤務しています。部署は地域振興課のまちづくり推進室で、ふるさと納税や移住の促進そくしんをはじめ、地元の観光名所や産物の振興しんこうをはかる業務を担当しています。簡単に言うと市の宣伝、広告活動を行う役目となるでしょう。


 これ以上のプロフィールについては、この場で詳しく伝えることはできません。読まれた方々が私を通じて、勤務する役所や地域にネガティブなイメージを抱かれてはいけないからです。当然、本作品も私の仕事とは一切関係ありません。どうか過剰な詮索せんさくはされないようお願いします。なお私の作家活動自体は、職場の承認を得ているので問題ありません。


 事の発端ほったんは、今年の春先に大叔父おおおじが亡くなったことです。


 大叔父の三浦すぐるは81歳の男性で、私にとっては昔に亡くなった祖父の弟にあたる人物でした。生涯独身で子供はおらず、私も住んでいる実家の近くにマンションを借りて一人で暮らしていました。彼の兄にあたる私の祖父とも兄弟仲は良かったらしく、祖父の死後は息子である私の父がたまに会いに行って様子を見ていました。


 墓参りの時期には実家を訪れることもあり、大姪おおめいにあたる私にも親しく接してくれていました。同じく読書が趣味でしたが、大叔父は近年の小説よりも古典文学や歴史の検証をテーマにした作品をよく読んでおり好みは合いませんでした。企業向けの事務機器を扱うメーカーに勤めていましたが、定年退職後はカメラを手に史跡しせきめぐりや野鳥観察によく出かけていました。


 10年ほど前に肺ガンをわずらってからは体調を崩すことも増えていましたが、特に介助の必要もなく穏やかに日々を過ごしていました。私が最後に見たのは一年近く前の正月で、実家の居間で腰を下ろして静かにテレビを見続けていました。この頃もどこかに旅行しているのかと尋ねたら、切符きっぷの買い方が分からず苦労したとゆっくり答えていました。隣で聞いていた母が、おじさんは少し前に運転免許証を返納して車も売ったのよ、と説明してくれました。


 そんな大叔父が、不運にも他人の運転する車にねられて亡くなりました。


 今年の3月20日の夕方。自宅近くの横断歩道を歩いていた大叔父は、信号を無視した乗用車に撥ねられました。大叔父は縁石えんせきに頭を強く打って即死。乗用車の運転手は通報を受けて駆けつけた警察に逮捕されました。


 私がそれを知ったのは事故発生から3時間ほど経った夜でした。実家の固定電話が鳴ったあと、母の緊迫した返答の声が聞こえて、何かよくないことが起きたと予感しました。それでも『卓のおじさんが、事故で亡くなったって……』という母の言葉は信じられませんでした。その可能性は全く想像していなかったからです。


 その後、父と3人で病院へ向かい大叔父の亡骸なきがらと対面しました。事故の際に付けたのか、ほおに黒いアザと引っかかれたような傷跡があるものの、他に目立つほどの外傷は見当たりませんでした。しかし真っ白な顔色と、かすかな動きすら見せない寝姿ねすがたを見れば、すでに大叔父がこの世にいないことは明らかでした。私より繋がりの強かった両親が悲しむ姿を見たせいか、私自身はかえって冷静な気持ちで事態を受けとめていました。


 なお逮捕されたのは隣の区に住む46歳の男性会社員でした。事故を起こした道路は仕事で日常的に利用しており、大叔父を撥ねたのも会社の営業車でした。当初は『分からない』だの『覚えていない』だのと供述きょうじゅつしていましたが、あとになって『脇見わきみ運転をして信号が目に入らなかった』と証言を変えていました。


 大叔父の81年の生涯はこうして幕を下ろしました。いつかはこんな日を迎えると思っていましたが、あまりにも突然で、理不尽で、容易には受け入れられない心境でした。あの真面目で心優しかった大叔父の最期がこんな形でいいのかと、前方不注意で大叔父を死に至らしめた運転手にやるせない怒りが湧きました。


 しかし何を言ったところで大叔父が戻ってくることはなく、起きてしまった不幸がくつがえることはありません。ただ運が悪かった、仕方がなかったと自分に言い聞かせて、大叔父をとむらうしかありませんでした。


 その時は、それで終わるものと思っていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なぜ『あしか汁』のことを話してはいけないのか 三浦晴海 @miura_harumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ