第5話 左近の少将

 楓が陰陽寮から帰宅しても、利憲はまだ帰ってはいなかった。

 書物を開いて飛燕が用意してくれた水菓子をつまんでいると、屋敷の門の方から何やら物音と声が聞こえる。

 屋敷の主人が帰って来たのかと楓が向かうと、出迎えに行った飛燕が見知らぬ公達と話していた。

 

「利憲殿はおられるか」

「まだお帰りになられていません。お待ちになられますか?」

「そうさせてもらおう。高也、ここで待っていてくれ」

「かしこまりました」

 

 従者ずさの男にそう言いおいて飛燕に案内される彼を見て、楓は首を傾げた。

 ここにきて以来、この男が初めての客人である。

 それも公卿の子息だろう。まだ若いが、ずいぶんと位の高そうな公達だ。

 涼しげな露草色の狩衣は文目も美しく、また気品のある顔立ちでかなりの美男子と言える。

 

 利憲も妖艶と言えるほど整った顔をしているが、どちらかと言えば近寄り難い湖の底のような冷たい美貌である。それに比べて、この公達は口角がきゅっと上がっており、人好きのする快活な性格が見てとれた。

 

「相変わらず君の主人は女っ気のない生活をしているのか、飛燕。君のような美女を常に見ているせいなのだろうかね」

「面倒だ、だそうです」

「あいつらしいね。少しは人嫌いをなおせばよいのに。いくら君たちが有能だとはいえ、一人で屋敷にいてさみしくならないのかな」


 どうも彼は主人とはかなり親しいようだ。この屋敷には式神しかいない事を知っているらしい。

 

 からりと笑いながら歩いて来た彼が、立ち尽くしている楓に気付いた。

 

「おや、見た事のない子だな。新しい式神かい?」

 

 そう言って歩いてくると、顔を近づけてまじまじと見る。

 楓は男性に顔を見られるのもだいぶん慣れてはいたが、それでもこの青年に正面から覗きこまれて少したじろいだ。なんだろう、距離が近い気がする。

 素性を調べられている気がして、慌てて楓はお辞儀をした。

 


「いや、珍しい。人間だな、君は」 

「わかるのですか?」

「なんとなく。顔に思っていることが出ているからね」

「え?」

 

 楓は思わず頬を手で押さえた。居心地悪く感じていたのが表情に出ていたのだろうか。

 飛燕が助け船を出すように代わりに楓を紹介した。

 

「左近の少将様、こちらはお館様がお世話をしています楓様です」

「ああ、そういえば利憲が優秀な弟子を探して来たと噂になっていたな。なんでも見鬼の才を持っているとか。あれは君か」

 

 よろしく、と言ってにこりと笑う。

 

 絵巻物に描かれているような美しい公達に笑いかけられて、楓は固まってしまった。

 

「おや、人見知りかい? それとも私に見惚れてしまったのか」

「え?」

「頬を染めて、……これは期待してもいいのかな?」

 

 揶揄するような言葉をかけられて、楓は真っ赤になった。

 

(左近の少将ではなく、交野の少将なのではなくて?)

 

 彼を見ていると昔読んだ物語に出て来た遊び人プレイボーイの代名詞という美男子を思い出した。先程の飛燕への態度を見ても、この青年はずいぶんと女性慣れしているようだ。初めて会った自分をいきなり口説いてくるとは、と楓は一歩後退る。

 いや、今は髪も短く水干を着ている。少将は自分を男だと思っているはずだ。もしかしたら稚児と思われているのだろうか。だとすれば、利憲にもかなり失礼だ。


「客人が珍しく失礼しました。少将様がなにか誤解をされておられなければよいのですが。僕はこの屋敷でお世話になっているただの陰陽生です」

「あはは、わかっているよ。すまないね。あんまり君が可愛らしいから、つい」

 

 そう言って、少将はくすくすと肩を揺らして笑う。

 楓は頬を膨らせて憮然とした。

 

 少将といえば内裏を警護する近衛府の武官だが、この美青年に荒事など出来るのだろうかと少し心配になる。

 陰陽頭である利憲に何の用があるのだろうか。性格的には全く接点があるようには思えないのだが。

 


「楓様、少将様、お館様がお帰りになられました」

 

 楓がぷんぷんしていると、飛燕が二人に向けて声を掛けた。

 そう言われてみれば、牛車を引く音と牛の鳴き声がしている。


 牛も牛飼い童も式神という徹底ぶりの利憲ゆえに、彼の牛車は物音がほとんどしないのだが、今日は左近の少将の牛車も止まっている。本物の牛の方が式神の牛を不気味に思って鳴いているのだろう。

 

 そう待つこともなく、屋敷の主人が少将の元へやってきた。

 利憲は楓の隣にいる少将の姿を見ると、何の用だとばかりに顔をしかめる。

 

斉彬なりあきらか。何しに来た」

「つれない奴だな。親友がわざわざ訪ねて来てやったというのに」

「今をときめく左近の少将が、辺鄙へんぴな我が屋敷に何用だ」

「内大臣殿から内裏の調査の依頼が入っただろう?」

 

 少将の言葉に利憲は片眉を上げる。

 どうやら父・中納言は内大臣の使いで陰陽寮へ来ていたらしい。

 

「詳しい内容を伝えに来てやったのだ。私の管轄だからな」

 

 お前自ら乗り出すのだろう?

 そう問う友の言葉に、利憲は目を伏せて仕方なさそうに溜め息をついた。

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異能の姫は後宮の妖を祓う〜平安陰陽奇譚〜 藤夜 @fujiyoru

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