〈パープルヘイズ〉に戻ると、カウンター席にアルフォンセの姿があった。

 エヴァンとレジーニに「おかえりなさい」と声をかけるアルフォンセは、すっかり元気を取り戻しているようだった。事件の疲れは、もう取れたらしい。

 ふと彼女の足元を見ると、布張りのキャリーケースが置かれていた。

「アル、今日はどうしたんだ?」

「うん、ちょっとね」

「図書館の修復はどうだい」

 と、レジーニ。

「はい、順調です。思ったほど被害が大きくなかったそうですから。図書館の利用者も少しずつ戻ってきてくれています」

「そりゃよかった」

 アルフォンセは席から立つと、エヴァンとレジーニに深く頭を下げた。

「この度は、大変お世話になりました」

「ちょ、ちょっとアル! やめろよ、頭上げてよ! そんなことする必要ないから!」

 エヴァンは慌てて止めさせた。アルフォンセに頭を下げさせるわけにはいかない。

「でもエヴァン、これはけじめだから。私はあなたやレジーニさんに助けられた。そのお礼はきちんとしなきゃ」

「大したお嬢さんだ。猿には黄金以上にもったいねえな」

「まったくだ」

 ヴォルフとレジーニが、感心して頷き合っている。

「えーえー、どうせ俺は猿で馬鹿だよ。それでアル、今日はわざわざお礼言いに来てくれたの?」

「それもあるんだけど」

 アルフォンセは足元のスーツケースを持ち上げ、ヴォルフの許可を得てカウンターの上に置いた。

 留め具を外し、蓋を開ける。ケースの中に鎮座していたのは、蒼い機械剣だった。焼け焦げ、傷だらけだった機体は、見事に当初の美しさを取り戻している。

「ブリゼ……」

 思いがけない愛剣との再会に、レジーニが驚いて目を剥いた。彼のこんな表情は珍しい。

 オーバーヒートした〈ブリゼバルトゥ〉は、アトランヴィル・シティで数少ない武器職人アーメイカーでも修復不可能と診断され、レジーニはやむなく手放した。長年使用してきた武器を捨てざるを得なかったレジーニに対し、責任を感じたエヴァンは、代わりの武器を探そうと思った。だが、〈ブリゼバルトゥ〉ほどの性能を持つクロセストは、どこを探しても見つからなかった。

「ごめんなさい、勝手に回収してしまって。私にできることで、何かお返しがしたかったんです。どうぞ」

「私にできることって……君、まさか」

 レジーニの言わんとすることを察したらしいアルフォンセは、こくりと頷いて、バッグの中から一枚のカードを取り出した。

「一応、こういうことです」

 カードは資格証明書だった。「第一級特殊兵器取扱資格証明」と書かれており、その文字の横に〈政府〉の紋章が描かれている。つまりは国家資格である。しかも第一級特殊兵器には、クロセストも含まれている。

「じゃあアルって、武器職人!?」

「クロセスト専門だけどね」

 驚くエヴァンに、アルフォンセははにかんだ笑顔を見せた。

「父の遺品には、クロセスト用のメンテナンスツールもあったの。いつか活用する日が来るかもしれないと思って、勉強した甲斐があったわ」

 レジーニはケースの中から、完璧に修復された〈ブリゼバルトゥ〉を持ち上げた。艶やかな表面を指先でなぞり、あらゆる角度から眺める。

「内部機関は焼き切れていましたけど、別のパーツを組み替えることで代用可能でした。オーバーヒートの原因は、ブースターの出力異常のせいです。クロセスト本体はブースター対応仕様でしたが、ブースター自体はジャンク製だったので、出力の調整幅が安定しなかったんです」

「たしかに、ときどき暴走していたよ。それで君は、これを一週間足らずで修復したのか」

「お仕事に必要でしょうから、少しでも早く渡せるようにと。変形器トランスフォーミュラも問題ありません」

 レジーニの目線が、クロセストからアルフォンセに移った。じっと彼女を見つめ、

「……ありがとう」

 呟くように礼を述べた。あのレジーニが人に礼を言う姿を、エヴァンは初めて目の当たりにした。

 だが、なにか、都合の良くない空気が流れそうな気がしたエヴァンは、二人の間に割って入った。アルフォンセとレジーニがいい感じになるのだけは、絶対に阻止せねばならない。

「そ、そっかー! 凄いなアル! まさか君が武器職人だなんてな!」

「ありがとうエヴァン。それでね、ヴォルフさんと話し合っていたんだけど」

 名前を出されたヴォルフが、ゴホンと咳払いした。

「今日からアルフォンセは、お前たち専属の武器職人だ」


 

 図書館までアルフォンセを送る公園の道すがら、エヴァンは、もう何度聞いたか分からない質問を、彼女に投げかけた。

「本当にいいのか、アル。裏社会と関わっちまうことになっても」

「協力させてほしいって言い出したのは私よ。ヴォルフさんには無理を通してもらって、感謝してるわ」

 アルフォンセはワーカーになるのではなく、オズモントと同じ〝協力者〟という立場になるらしい。

 ジェラルド・ブラッドリーの庇護が保証された上、身近に武器職人がいるのは効率がいい、ということで、ヴォルフは彼女の申し出を許可したのである。

 レジーニは始め、この提案に難色を示したものの、再起不能だった〈ブリゼバルトゥ〉を見事に蘇らせた彼女の実力を見せつけられては、反対のしようもなかった。

 エヴァンとしても、諸手を上げて賛成できることではない。だが、こちらの心配をよそに、アルフォンセの表情は晴れやかだ。

「私の力がどれだけ役に立つか分からないけど、メメントのいない世界を目指した父の願いを、私なりに受け継いでいこうと思ったの。あなたたちに協力することで、少しでもそれが叶えば本望だわ」

「だけど、危険な目に遭うかもしれないぜ?」

「うん、そうね。でも、そうなったときは、また助けてくれるんでしょう?」

 深海色の瞳が、いたずらっぽく輝く。その瞳にエヴァンの心は、いつも吸い込まれそうになる。

「も、もちろん! いつだって守るよ!」

「なら安心ね」

 朗らかに笑うアルフォンセ。その笑顔が、抑えていた感情を突き動かした。

「アル」

「はい」

 歩みを止め、互いに向き合う。

「俺、い、言ったよね。君が好きだって」

「はい」

「あのときの返事を、よかったら聞かせてほしいんだ」

 アルフォンセの頬が、みるみる朱に染まっていった。もじもじと身じろぎし、どう答えるべきか迷っているように見えた。

 やがてエヴァンを見上げた瞳は、熱を帯びたように潤んでいた。

「わ、私……、私も……」

 も、の続きが早く聞きたい。というより、いっそのこと抱き締めたい。

 そんなエヴァンの先走る気持ちを嘲笑あざわらうが如く、携帯端末エレフォンの呼び出し音が鳴り始めた。

「私のだわ」

 はっと我に返ったアルフォンセは、慌ててバッグから端末を取り出し、電話に出た。

「はい、お疲れ様です。……はい、……ええ。……分かりました、すぐ戻ります」

 通話を終了したアルフォンセは、いそいそと端末をバッグにしまい込む。

「え、なに、誰から?」

「図書館の人から。事務処理で私にしか分からないことがあったから、すぐに戻ってって」

「え、でも、ほら、今もの凄く大事な一言をさ」

「ええ……、だけど待たせてしまってるから。ごめんなさい、もう行くわね。ここまで送ってくれてありがとう。それじゃあまたね」

 挨拶もそこそこに、アルフォンセは走って行ってしまった。

 一人残されたエヴァンは、しばらく彼女の後ろ姿を呆然と見送った後、

「うおああああああイチャイチャしてええええ!!」

 髪を掻き毟りながら吠え、あらゆる残念なフレーズを叫びまくった。

 その結果、数名の巡回警官に職務質問をされるはめになった。


        * 


 ソレムニア海が眼下に広がる丘の上。下から吹き上げる潮の香を孕んだ強い風に、髪や服が煽られる。猫のように鳴いているのは海鳥か。

 海は場所によって匂いが違う。そんなことを、どこかで聞いたような気がした。と、同時に、海に消えていった男のことが思い出される。

 丘の上に停めたスポーツカーを挟んで、エヴァンとレジーニは、吹く風にしばし身を委ねていた。

 先に口を開いたのはレジーニだ。

「それで? 少しは進展したのか?」

 アルフォンセとのことを言っているのだと、すぐに察した。

「したって言いたいけど、残念ながらまったく。告白の返事もまだ聞けてねえし、デートに誘おうとしたら、何かよく分かんねえけど、いろんなもんが邪魔するし。仲はいいけど、どういうわけか先に進めねえ」

 はあ、とため息をつく。レジーニが肩をすくめ、

「まあ、せいぜい頑張れ」

 適当な応援をよこした。

 会話が始まったついでに、エヴァンは一つ、言っておきたいことを言おうと思った。

「あのさあ、ちょっと、まずお前だけに話すんだけど」

「なんだ」

 言葉を選ぶのが難しく、どうしてもたどたどしい口調になってしまう。いつもの自分らしくない。

「俺、なんていうか、昔……その、十年前な、今と違う人格でさ……結構やな奴っていうか、悪い奴っていうか、そういうタイプだったらしいんだ」

「で?」

「記憶がねえから分かんねえんだけど、そっちが本当の俺らしいんだよな。それでさ……」

「何が言いたい」

「うん、だから、つまりさ、今の俺と昔の俺は違うからさ、今の俺を見てほしいっつーか」

「今も昔も何も、僕が知っているのは、エヴァン・ファブレルとかいう馬鹿猿だけだが」

 レジーニは、大したことなど何もない、というように、さらりと言った。


「お前の昔のことなんか知ったことじゃないし、僕にとって不要な情報であれば、今後も知る必要はない。誰にでも〝今と昔〟がある。そんなのは当たり前だ。いちいち気にしてられるか」 


「そっか……」

「昔の自分を、アルやヴォルフに隠しているのが心苦しいなら、いっそ話してしまえばいい。必要がないなら黙っていてもいいんじゃないか。どうせみんな、馬鹿な今のお前しか知らないんだ」

 馬鹿馬鹿といちいち付け加えるが、以前のような刺々しさが、ほんのちょっとだけ和らいでいるように感じるのは、気のせいだろうか。

 レジーニなりの気遣いだろう。エヴァンはそう思うことにした。

 試用期間は過ぎたが、レジーニからの解雇通告はない。これまでと変わらず隣にいることを、レジーニは拒まなかった。

 無言のうちに、正式なコンビ結成が成立したようだ。


 エヴァンの十年前の記憶は、まだ曖昧な部分が多い。まったくの空白になっている時期があることにも気づいた。

 まるで、歩いてきた道が突然消えて、自分がどこに立っているのか分からず、深い森で迷子になったかのようだ。

 だが、来た道が消えてなくなっても、先に進む道は残されている。どこに続くか知れない獣道かもしれないが、どうやら歩みは止めなくてもいいらしい。


「なあなあ、あれやろうぜ、あれ」

「あれって、なんだよ」

「ハイタッチだよ。ドラマや映画でよくあるだろ? コンビがさ、ひと仕事終わらせたあととか、絶妙なコンビネーション決めた後とか。俺、憧れてたんだよなー」

「なぜこの僕が、そんな野暮ったいことをお前とやらなきゃならない」

「いーじゃん、ちょっとテンション上げていこうぜ。一回だけ! な?」

「うるさい。後輩の分際で、先輩様に何かを要求するなんて百年早い。どうしてもというなら」

 背後を振り返るレジーニ。麗しき武器職人の手で生まれ変わった〈ブリゼバルトゥ〉を肩に担ぎ上げる。

 エヴァンもきびすを返す間に、両腕を真紅の〈イフリート〉に変化させた。

 丘の斜面を、異形たちが登ってくる。数種類が入り混じった、何十体という群れだ。

「僕より多く倒せたら、考えてやるよ」

「言ったな。よっしゃ、じゃあ俺の勝ちだ!」

 荒波のように押し寄せるメメントの群れに向かって、二人は同時に駆け出した。

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