OUTRO
1
〈スペル〉事件から一週間後、エヴァンとレジーニは、ヴォルフの指示で、あるホテルを訪れていた。大陸全土に支店を構える有名高級ホテルである。
整然としてきらびやかなホテルの様相に圧倒されたエヴァンは、落ち着きなく辺りを見回しながら歩いていた。
「うっへええ。高そうなとこだよなあ」
「お前には不似合いなくらい高いよ、実際。恥ずかしいから、他人の振りしてくれ」
ヴォルフの指示は、このホテルのラウンジで待つ人がいるから会って来い、というものだった。誰が待っているのかと尋ねたが、ヴォルフは「行けば分かる」としか言わなかった。
指定のラウンジに足を踏み入れると、一人の女性が、きびきびした足取りで歩み寄ってきた。細身で長身の美女だ。ワインレッドのスーツを着て、同じ色のハイヒールを履き、金髪をきっちりと結い上げた、いかにもキャリアウーマンといった風情である。
「ミスター・アンセルムと、ミスター・ファブレルですね。本日は急なお呼び立てに応じていただきありがとうございます」
口調もきびきびしている。
「あの、あんたが呼び出した本人?」
「いいえ、ミスター・ファブレル。お二人への面会を希望しているのは、私のボスです。どうぞこちらへ」
女は先に立ち、エヴァンとレジーニをラウンジの奥へ案内した。
他の席とは離れた場所に、大きなソファとテーブルがあり、そこには壮年の男性が一人で座っていた。
男の目の前には、大きめのグラスに盛られた、甘そうなチョコレートパフェが置かれている。
「お連れしました」
女はソファの脇に立ち、慇懃に一礼する。
「ありがと。下がってていいよ」
男がパフェスプーンを振って命じると、女は再び一礼し、エヴァンとレジーニにも礼をして、ふたスペース離れた席で待機した。
「やあ、どうも。よく来てくれたね」
壮年の男が立ち上がり、にこやかに握手を求めてきた。まずレジーニが握手に応じ、エヴァンは次に彼の手を取った。力強い手だ。
男はレジーニと同じくらい背が高かった。彫りの深い顔立ちは、映画俳優といっていいほどに整っていて、若い頃はかなりの美男であっただろうことが窺える。
ライトグレーのブランド物スーツに、黒いシャツとワインレッドのネクタイという姿が、ロマンスグレーの髪にも映え、よく似合っている。
「君がレジーニ君だね。噂どおりのいい男じゃないか。ちょっとお晩酌お願いしたいくらいだねえ。君の今までの活躍、ボクも聞いてるよ」
男は怪しい目つきで、レジーニの頭からつま先までを眺めた。それから視線をエヴァンに移し、にこりと笑う。
「やあやあ、君がマキニアンかあ。見た目は本当に人間と変わらないんだね。昔、アニメや映画で観たような存在が、こうして目の前にいるとは、ちょっと信じられないよねえ」
男は感心しながら、しきりとエヴァンの身体を触る。嫌なのだが、なぜかママ・ストロベリーの時のように、強く抵抗できなかった。
それよりも、なぜ彼はマキニアンのことを知っているのかという点が疑問だった。
「さ、どうぞ掛けて。あ、パフェ食べない? おいしいんだよ、ここのパフェ」
「いえ、結構です」
「あ、じゃあ俺食べる」
男の向かいのソファに座りながら、それぞれに答えた。迷わず「食べる」を選んだエヴァンの横腹に、レジーニの突きがめり込む。
「いいよいいよ、今日はボクの奢りだから遠慮しないで。エヴァン君、何にする? あのねえ、おススメはチョコレートパフェなんだけどね、抹茶もいいよ。抹茶って分かるかい?」
聞けば、遠い島国のお茶を使ったパフェらしい。面白そうなので注文してみた。何も頼まなかったレジーニのために、男はコーヒーをオーダーした。
やがて運ばれてきた抹茶パフェに、エヴァンは瞳を輝かせて魅入った。バニラソフトクリームには、緑色の粉末がかかっており、スティックチョコが二本刺さっている。餡子というらしい黒い甘味と、金粉を振ったマロングラッセが二つ乗っている。なにより素晴らしいのは、抹茶とバニラのソフトクリームがグラスの底まで詰まっているということだ。
「おー、うんめえ!」
初めての抹茶パフェに舌鼓を打つエヴァンを見て、レジーニは呆れ、男は満足そうに頷いた。
「いいねいいね、若い人の食べっぷりは。見てて楽しくなっちゃうね」
「そろそろ本題に入りませんか」
男が注文したコーヒーを一口だけ飲み、レジーニが両膝に腕を乗せた。
「わざわざ一介のワーカーと面会されるとは、どういうお考えによるものでしょうか。〈
「え?〈長〉?」
エヴァンは思わず、パフェを食べる手を止めた。この男が〈長〉だって? つまりは自分たちの大ボスということだ。
ジェラルド・ブラッドリーがにやりと笑った。
「君たちのファンになった。って言っても、信用しないだろうね」
「ええ、まったく」
「ははは、きっぱり言うじゃない。いいよ、そういう媚びない態度。そうだね、理由は特にないよ。今回ボクの依頼を見事にこなしてくれたでしょ。そのお礼がてら、一体どんな人が活躍したのかなって、気になったから会ってみようと思ったのさ」
帝王の二つ名で恐れられている男は、パフェを食べながら話を続けた。
「今回の一件で、ボクの
「はあ……」
エヴァンは曖昧に頷き、レジーニを横目で見た。相棒もまた横目で「余計なことは言うな」と訴えていたので、この場はまかせることにした。
「あなたがサイファー・キドナをダシにして、〈
「うんうん、続けて」
「メメントの原因であるモルジットや、〈パンデミック〉の事実が、今の今まで明らかにされなかったのは、徹底した隠蔽工作が施されていたからでしょう。にも関わらず、あなたは初めから、サイファー・キドナが〈政府〉に繋がることを把握していた。同時に彼がマキニアン――元〈
レジーニが話し終えると、少し間を置いて、ジェラルドは声を上げて笑った。
「凄いね、そこまで推理したんだ。でも、なんで〈イーデル〉関係者だと思うの?」
「いかに派閥があろうとも、〈政府〉というものは、〈政府〉という絶対的領域を守ろうとします。この点では、どの派閥も同じスタンスでしょう。では、他に〈政府〉の牙城を崩そうとする者がいるとすれば、組織解体に追い詰められた〈イーデル〉関係者だろう、と考えました」
あらかたパフェを食べ終えたジェラルドは、ナプキンで口元を拭いた。
「ヴォルフの言うとおり、なかなか頭の回る子だね。そこまで分かってるなら否定はしないよ。でも、これ以上は、ボクの口からは教えてあげない。秘密ってのはね、最後まで残しておくものだよ」
長い足を組んで、膝の上に手を乗せるジェラルド。それまでの軽薄な雰囲気とは一変して、巨大な裏組織の頂点に君臨するにふさわしい、帝王のオーラを纏っている。
「〈政府〉は罪深いからね。こらしめてやろうって考えている人たちは、たくさんいるんだよ。そういう点で見ると、ボクら裏社会の住人の方がよっぽどクリーンだよ。だって、悪いことをした人は、ちゃんと罰するもの。さて、君たちには今後も存分に活躍してもらいたいな。アトランヴィルには〈
「アルに何を……」
突然彼女の名前が出てきて、エヴァンは条件反射で腰を浮かせた。レジーニが座るようにたしなめる。
「やだなあエヴァン君、怒らないでよ。今回の報酬のおまけとして、彼女の今後の身の安全は保障するよって言いたかったの。彼女も〈政府〉の犠牲者だからね」
「そうするように、あなたに情報をリークした人物が言ったんですね」
「そう。同じ〈イーデル〉で働いていた人の娘さんだもん、心配するのは当然でしょ? これからも期待してるよ、レジーニ君とエヴァン君。ボクはすっかり君たちのファンだからね。嘘じゃないよ。だから、頑張ってね」
ジェラルドとの会見は、その五分後に終了した。
ホテルの前で、じゃあまたね、とにこやかに手を振り、白い高級車で去って行ったボスを、エヴァンは複雑な心境で見送った。
「なあレジーニ、あの人、実はめちゃくちゃ怖い?」
「分かりきったことを訊くな」
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