真説『今度は落とさないでね』怪談
黒澤カヌレ
勘弁してください! 悪気はないんで!
冴えない人生を送ってきた。
年齢は三十五歳。つまらないサラリーマンだった。朝起きて、会社に出かけ、夜遅くに帰宅したら寝るだけの生活。
容姿には恵まれなかった。生まれてこの方『カノジョ』なんて出来たこともない。
それが記憶する限りの、俺の前の人生だった。
気持ちが昂ぶらずにいられない。
実際にあったら素晴らしいだろうと、何度も考えたことがある。
生まれ変わり。
出来ることなら、異世界が良かった。剣や魔法のファンタジー世界で無双するとか。
でも、贅沢を言ってはいけない。
とりあえず俺は、またこの日本という国で人間として生きられる。それだけで満足だ。
母親の名前は
抱き上げてくる母親の顔を見て、ニヤリとほくそ笑む。
その瞬間に、母親は不気味そうに顔をしかめた。
「ねえ、あの子ももしかして『前世』の記憶がある子なんじゃない?」
三歳の誕生日を迎えた頃に、蛍子が不安そうに話すのが聞こえた。
どうやら、父親と二人で俺についての相談をしているらしい。
「子供らしくないところがあるし、たまに不気味な表情をするの。鈴木さんの家でも変な前世の記憶を持つ子が生まれたみたいだし」
泣きそうな声が聞こえてきた。
どうやら、ここの近所には『転生者』が他にもいたらしい。
これは少々、まずい事態かもしれない。
「あなた、やっぱり普通の子供じゃないわよね?」
数日は様子を見ようと、蛍子の顔色ばかり窺っていた。
それが逆にまずかったか、子供らしさが薄れてしまったようだ。
外に連れ出される。家のすぐ傍には川があり、蛍子がそこへ歩いていく。「おいで」と手招きされたので寄っていくが、突然腕を強く掴まれた。
「どうして、ウチの子として産まれてきたの?」
母親は顔を歪ませ、俺のことを羽交い締めにする。
抵抗しようとしたが三歳の子供だ。力で敵うはずもない。
そのまま、目の前の川へと投げ込まれた。
皮肉というのはあるものだ。
抱き上げた母親を見て、つい苦笑が生まれる。
どうやら蛍子の『次男』として、俺はまた生まれてきたらしい。
今度は表情に気をつけて、普通の子供らしく振る舞うことをしてきた。
でも、ちょっとだけイタズラ心が芽生えた。
幸せそうに子供の手を引く蛍子。その笑顔を見ていると、胸の中にモヤモヤとするものが込み上げてくる。
殺された恨みは忘れない。川の水はとても冷たかった。
「お母さん、川の水が綺麗だよ」
家の近くの川を指差し、母親と共に歩いていく。「そうね」と朗らかに笑う母親を見て、ニヤリと下から笑い返す。
不思議そうに、蛍子が首をかしげるのが見えた。
俺はすかさず、用意した言葉を口にした。
「今度は落とさないでね、お母さん」
少々、調子に乗り過ぎたようだった。
五月とは言え、川の水は冷たかった。
どうして俺は、こんな結果を予想できなかったのだろう。
川に投げ落とされた際、一番に思ってしまった。
『ですよねー』と。
元々、薄気味悪いからという理由で我が子を殺したような母親だ。そんな相手に『今度は落とさないでね』とドヤ顔で言う子供が現れる。
その時に、どんな行動に出るか。
もちろん、『また殺っちまえ』と考えるのが当然だろう。
大失敗だ。
今度生まれたら、慎ましく生きよう。
嘘だろ、と目を見開いた。
またこの家かよ、と全身に冷気が走ったようだった。
俺を抱き上げる母親は、間違いなく蛍子だった。
驚愕ははっきりと顔に出た。それを母親もはっきりと見て取る。
一瞬で顔が青ざめ、俺を抱く手がわなわなと震え始める。
「また、あんたなの?」
彼女の目が窓の外へ向けられる。自宅の外にはいつもの川が流れていた。
身の危険を感じ、俺は赤ん坊の身ながらも必死に声を絞り出した。
「勘弁してください! 本当、悪気とかないんで! 大人しくしてるんで!」
最初の二回はまだマシだった。
三年くらいとは言え、ちゃんとこの世界を味わうことが出来た。自分の足で歩けた。
今度は生まれ落ちてたったの数日。また川の中に入るとは。
そしてまた、次の機会が訪れる。
今度もまた蛍子だった。赤ん坊を見る目にはかつてのような愛情はなく、はっきりとした疑惑の色が滲んでいた。
精一杯の愛想を込めて、俺は微笑みかけてみた。
「やっぱり、あなたなのね?」
はい、失敗。
可愛い赤ん坊を演じてみたが、どうも才能がなかったらしい。
「あの、少し話し合いませんか?」
五度目の誕生の際には、冷静に対応しようと試みた。
どうせ気づかれるのは確定だから、赤ん坊の振りはやめる。
「俺、いや、僕はなるべく早く自活して、この家を出ますので。少しの間だけ置いてもらうことは出来ないでしょうか? ほら、こうして長男として生きている限り、次は別の子が生まれることにもなるでしょうし」
早口に、相手にとってのメリットを説いてみせる。
だが、蛍子の表情は歪むばかりだった。
「気持ち悪い」
ただ一言呟いて、川への道を直行した。
その後も何度も、蛍子の赤ん坊として生まれてしまった。
現代の科学は偉大だ。蛍子はいつまでも若々しく、問題なく子供を産み続けられる。薬とかサプリメントの力なのか、出産できる年齢に余裕があるらしい。
それにしても、すごいガッツだ。
毎回、赤ん坊として俺が生まれる。その度に川へ投げ込む。
それでもまったく諦めない。
もういいんじゃないの、と言ってやりたい。
そろそろ、産むのをやめて欲しい。
というか、警察は何をしてるんだ。
いい加減、この女を逮捕しろよ。
意識が開けた瞬間、憂鬱な気持ちになる。
前世でサラリーマンだった時にも、こんな気持ちを味わっていた。
月曜日の朝を迎え、カーテンから差し込む光を見る。その瞬間に暗い気持ちになった。
しかし、今回は違っていた。
目を開けた瞬間、これは夢ではないかと疑った。
今回、俺を抱き上げているのは黒髪の女性だった。少々ぽっちゃりとした顔立ちで、美人というほどではないが愛嬌のある顔立ちをしていた。
どうしたのだろう、と不思議な気持ちになる。なぜ今回は蛍子ではなく別の母親のもとに生まれられたのか。
なんにせよ、やっと生きていける。
理由に関しては、一週間とせずに判明した。
「ただいま、
俺と母親が暮らす家に、一人の男が訪ねてくる。その顔を見て、すぐに合点がいった。
こいつの顔には見覚えがある。
少々老けこんではいるが、『俺の父親』だった男だ。
つまり、蛍子の夫。
なぜか毎回、俺は蛍子の子供として生まれてきた。そういう宿命なのだと諦めていた。
でも、本当は違ったらしい。
俺が子供として誕生していたのは、蛍子ではなくこの父親の方だった。
理屈はよくわからない。たしか、ブライアンなんとかっていう精神科医が『ソウルメイト』とかいう話を提唱していた記憶がある。なんでも、魂と魂には繋がりがあって、毎回生まれ変わる度に家族とか友人になる相手がいるという。
俺にとってはこの父親が、そういう存在だったということか。
でも、毎回のように蛍子に殺されていた。
きっと、この父親もうんざりしていたのだろう。
子供が生まれては、何度も川に投げ込んで殺してしまう妻。
そういう妻を見て、愛情を持ち続けられる男はいるだろうか。
そうやって、この男は蛍子に愛想を尽かした。そんな折りに別の女と知り合って関係を持つに至った。
そうして俺が、この家に誕生した。
一方の蛍子は、また子供を殺したらしい。
あの父親との夫婦関係はまだ続いていたようだった。そして再び子供を産み、今度は念願の『俺ではない子供』が誕生するに至った。
最初は喜んでいたらしい。だが、途中で事実に気づいてしまった。
なぜ、生まれてくる子供が俺ではなかったか。
そして夫の素行を疑い、他に女がいることを察した。
自暴自棄になり、せっかく生まれた子供も殺してしまう。
今回は凶行も明るみに出て、すぐさま逮捕される運びとなった。
四歳の誕生日を迎えられた。
優しい母親と、お調子者の父親。家族三人で穏やかに暮らしている。
蛍子は服役し、獄中で離婚届にサインをしたらしい。夫婦関係も無事に解消され、父親は新しい妻と改めて夫婦になれる。
やっと、まともに生きていける。
誕生日ケーキのロウソクを吹き消し、俺は父親に笑いかける。
「今度こそ幸せになれるね、お父さん」
しかも、今度の家は特典付きだ。
現在の母親である松子は、『とある旧家』の娘らしい。妻のいる男との間で子供を作り、一時は勘当される身となっていた。
でも今はそれも許されて、俺たちは田舎にある『名家』へと受け入れられた。
俺は、これで金持ちの一員だ。
この、『犬神家』という一族の。
……そう、思っていられたのだが。
一体、どうしてこうなったのだろう。
俺は二十歳。頭も良く、外見も美しい青年として人から憧れられていた。金持ちの親戚もいることで、将来も嘱望されていた。
でも、ここ数日は何かがおかしいと感じていた。一族の中で遺産相続の問題が起こり、周りの奴らが変な空気を漂わせていた。
そして今、俺の頭は『刺さって』いる。
屋敷の前にある大きな池。その池の底の地面に、俺の頭は突き刺さっていた。
上下逆さまに。きっと、水面からは俺の足だけが飛び出して見えていることだろう。
俺はずっと、願っていた。
『今度は落とさないでね』と。
だからって、逆さまに池に突っ込む奴がいるか!
ちくしょう! 誰がこんなことをやったんだ。
もうちょっと、マシな殺し方はなかったのかよ!
(了)
真説『今度は落とさないでね』怪談 黒澤カヌレ @kurocannele
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