わたくしは二度婚約破棄にあいましてよ

モグラノ

第1話 別れのキス

其方そなたに婚約破棄を申し渡す」


 ガシャンと音を立て、ティーカップは散り散りに割れた。──それはまるで、私の心のように。


 じわりじわり、とこぼれた紅茶がドレスを染め上げていく。──それはまるで私の涙のように。


「そんな、王子。どうしてですの」


「ええい、うるさい煩い。素性の知れぬ其方など最初はなから信じてはおらぬわ。もう顔も見たくない。早々に立ち去るが良い」


 怒りに肩を震わす王子に、私は声を掛けることすらはばかられた。それに恐らく声にならなかった。止めどなく溢れる涙が、細かく震えるのどが、それを許したとはとても思えなかった。


 王子はもう、こちらを振り向きもせず言う。


此方こちら側からの離縁だ。生活の保証は致そうぞ。なに、不自由はさせぬ」


 私を停める物はもうなくなり、涙に崩れ落ち、王子は目を背けたままで立ち去っていった。


 城を追い出され、今更帰る場所もない。途方に暮れる私に向かい、唯一の付き人が声を掛けてきた。


「姫様、とりあえず村に宿を借りました。そちらでおくつろぎくだせえ」


 宿で死んだように数日をすごし、意を決して付き人に言った。


「探偵と名乗る方が、この村にいると聞きました。呼んではもらえませぬか」


「いけません、姫様。あんな素生の知れぬ、ゴロツキの様な者と関わりあいになっては。貴方様の品位に関わりまする」


 付き人の言う事は尤もであった。本来ならば関わり合いになるべきではない存在だ。


 それでも、私は──。


 再びほほを伝う涙に、付き人は色を失くした。私はそれを分かってやっている。ずるい女だと罵られるだろうか。


「それでも私は、理由が知りたいのです」


 付き人は、ただ黙って頷いた。


 私の前に現れた探偵は薄汚いボロをまとった、卑屈な笑みを見せる男だった。


「ヒヒ、王子さまの心変わりの理由を知りたいと。どうぞ任せてくださいな」


 法外な報酬を求められた。付き人も難色を示している。でも私は、そんな探偵にすがるしか他に道がなかった。


 それから数日、探偵からの音沙汰はなかった。報酬の半分はすでに渡してある。逃げられたのか、騙されたのか、託した私が馬鹿だったのか。


 付き人が我慢できず手配を付けようと動き出した頃、探偵はようやくその姿を現した。


 より薄汚くなった探偵はボロボロでヒビの入った手鏡を掲げた。それは割れた鏡を張り合わせたような、手鏡というには如何いかにもみすぼらしい物。そんな物を探偵は得意気な顔をしてみせてくる。


「ヒヒ、ようやくみつけましたよ。さあ姫様、遠慮なさらずに覗いてごらんなさい」


 言われるがまま覗きこみ、私は真実を知る事となった。


「そうだったのね、王子」


 後日、私は再び王子に謁見を願った。渋る王子にこれが最後ですからと念を打ち、どうにか相まみえる運びとなった。王子は随分とやつれていた。


 私も多くは語らない。ただ、言葉少なく王子に懇願する。


「王子、別れのキスをいたしましょう」


 数日後、隣国で挙式があげられる運びとなった。新婦はもちろん私。聞きたくもない言葉が耳へと届く。


「あれが噂のどスケベ姫か。ええ、可愛いのになあ。もったいねえ」


「いや、あれで王子にグイグイとそれはそれは羨ましいものだったぞ」


「あの軽薄バカ王子の何処がいいんだか。世界中の女を妃に迎えることしか考えてない奴だぞ」


「まったくだ。ましてや五番目の妻だと言うのに自ら志願するなんて。どうかしちまってるんじゃないのか」


 言いたい放題だった。でもこれでいい。相手が軽薄であればあるほど、妃が多ければ多いほど。


 隣国の王子は式典の前に、私の前へ現れた。恨まれるだろうか。憎まれるだろうか。そしりを受ける覚悟ならできている。


「王子、私は。やはりあなたとは婚約いたしかねます」


「ふぅん、そっかそっか。残念だよ。可愛いから五番目の妃にいいと思ったんだけどなあ」


 特に残念がりもしない姿に憤りを覚えはするが、予想通りの人柄だった。加えて王子は言う。


「最後にさ、其方の唇を吸わせてはもらえぬものか。別れのキスじゃ」


 此方に非がある事を見据えての言葉なのだろう。私はその言葉に応じた。


「ええ、分かりました」

 と。


 愛する王子を想いながら。


 ────。


「なんだそりゃ」


 ボーボーに生えた口ひげにエールの泡を引っさげながら、ヘッセンは素っ頓狂な声を上げた。


 目論見通りの反応にほくそ笑みながらエールを煽る。いいね、いいね、こいつは愉快じゃないかと。


「件の話に出てきた汚い探偵がアンタだってのはよく分かる」

 と言われ、『薄』が抜けたら大違いだぞと、内心ムスッとしながら応じた。


「たしかに話の探偵はこの俺だ。探偵なんて、俺以外にだれがやるんだよ」


 ヘッセンは、

「ちげえねえ」

 と豪快に笑う。


「探偵なんて、そもそもお前が作った言葉じゃねえか。ひとのこと突っつき回して金貰おうなんざ、罰当たりにもほどがあるってもんだ」


 まったく言ってくれるじゃねえか。ハン、と鼻で笑ってやった。


「ヘッセンよ。お前さんの飲んでいるエール代は、誰が出すと思ってんだ」


「そりゃおめえ。姫様だろうよ」


 ガハハと笑い、ジョッキをテーブルに打ち付けた。そうしてからぼやく。


「でもよう、その姫様はいったい何がしたかったんだ」


「そりゃ決まってんだろ。キッスがしたかったのよ」

 

 面白いように言ってやる。


「どスケベ姫か。そいつあ、いいや。でもよ、俺はお前さんが姫様から莫大な報酬をもらった理由を訊いてたはずだぜ?」


 そっと辺りを見回し、指を立てる。


「あまり大きな声を出すな。ひょっとしたら俺は、世界中に敵を作ったかもしんねえんだからよ」


「ほう、そいつは難儀だな」


 冗談ではなかった。姫様から貰った報酬は、俺と姫様が世界を敵に回した共犯者だという証に相違ないのだ。


「いいか。あの姫様は、かつてな。毒を盛られて死地をさまよってるんだ」


「そいつあ、穏やかじゃねえな」


 ヘッセンの顔が引き締まる。引き締まった所でゆるゆるとしてやがるが、まあ、いいだろう。


「その美貌を妬まれたんだよ。そして毒というか、まあ呪いだな。相手はみるも恐ろしい魔女だったのさ」


 呪いを受けた姫様は、いつ死んでもおかしくない状態だったと聞く。


「そこにあの王子が通りかかった」


「どの王子だよ」

 

 茶化しやがる。


「最初に婚約破棄しやがった王子だよ。いまは件の姫様とチュッチュ、イチャイチャとしてやがるがな」


「ほう、そうなのか」


 軽く目を閉じ、エールをくぴりとやった。


「それでだな。通りがかった王子が姫様の呪いを肩代わりする事で、姫様は一命をとりとめたってわけだ」


「おう、命の恩人じゃねえか」


 ナッツをパクリとやる。


「そうだ。美男美女が互いに惚れ合い全てはハッピー。に終わらないのが、世の常だ」


 ガハハと笑い、

「そうでないと酒が美味くねえ」  

 ヘッセンはエールを煽った。


「二人は婚約したものの、王子がいずれ気付くわけだよ。呪いの存在にな。ありゃ、魔女の怨念だからな。消えてなくなるような物じゃない」


「というと?」


「王子はもう自分が永くない事を知ったのさ。姫様を未亡人にするわけにもいくまい。だからこその婚約破棄だ」


 ヒュー、と口笛が鳴った。


「姫様はそんな世迷言を良く信じたもんだな」


 世迷言とは言ってくれる。全てはありのままの真実だというのに。だからこそ俺は探し歩いたのだ。


「あの手鏡さ。あれにはな、実は魔法がかかってんだ」


 ガハハとヘッセンは今日いちばんの大笑いをする。


「そいつあ、傑作だ」


 これっぽっちも信じてやがらねえ。むすっとしてその手鏡を取り出した。


「いいか、お前にも見せてやろう」


 そっと鏡に手をかざす。


「鏡よ鏡、世界でいちばん美しいのは?」


 ぼうっと映るその姿に、ヘッセンは感嘆の声を上げた。


「へえ誰だい、この綺麗なひとは」


「件の姫様、『白雪姫』さ」


 声にならぬ声を出し、口をパクパクとさせるヘッセンに言ってやる。


「この鏡で王子の未来をみせた。呪いでくたばる姿をな。白雪姫は泣いたよ。どうすれば助けられるのと」


「ちょっと待て、白雪姫だって?」


 コクリとうなずく。


「ああ、魔女に毒リンゴを食わされたという。お前さんも噂くらい知ってんだろ。あの白雪姫さ」


 グイッとエールを飲み干し、ガツンとテーブルへ乱暴に放る。


「ありゃあ、呪いだったのか」


「そりゃそうだろう。ひと口食って倒れる毒が、キスなんかで治るもんか」


 ナッツを指で弾いて口に放る。


「そもそも、ただの毒ならな。今頃はキスした王子ごとお陀仏してるってもんだろうぜ。二次中毒でな」


 おお、とも、うう、とも取れる唸り声が聞こえた。


「じゃあ、そのきたねえ手鏡は」


「きたねえは余計だ。探すのに苦労したんだぜ。なんたってあの、魔法の鏡さまなんだからな」


 さすさすと鏡を撫でてやる。


「まあ、割られてた時はどうしようかと思ったけどな。手鏡にはめる分だけはなんとか残ってやがったよ」


「割られてたのか?」


 にやりと笑ってみせる。


「妃さまだろうな。訊いてみるか? 鏡よ、鏡。お前を割ったのは誰だい、なんてな」


 冗談めかし言ってやると、ヘッセンはぐうの音も出ないようだった。俺は上機嫌なまでま話を続けた。


「そしたらよ、とある仮説が立つわけだな。あの呪いは人へと分ける事が出来ると。キスして呪いを分けた事で、白雪姫は目を覚ましたんだからな」


 頭に手をやり、ヘッセンは唸った。


「あれちょっと待てよ。つまり何だ、その、お前さんは……」


 予想したろう事を先に言ってやる。


「白雪姫に王子から呪いを引き取ってこい、と言ってやったのさ」


 キスで呪いが移動するとは、王子も気付いてないようだった。だからこそ別れのキスに応じたのだろう。それこそ王子は、今生の別れのつもりだったろう。


 呪いを吸えるだけ吸ってこいと言ってやったら、白雪姫は限界ギリギリまで吸ってきやがった。


 フラフラだったけどなと、その姿を思い出してにやけていたらヘッセンが大きな声を出した。


「いや、待て待て。お前、姫様は」


「シー」

 と指を立てる。


 にわかにヘッセンは小声になり、

「お前、姫様が隣国の王子と婚約破棄しに行ったと話したよな?」

 訊いてくる。


「言ったな」


「別れのキスもしたんだよな?」


「したな」


 ゴクリと飲み込む音が聞こえる。エールが欲しくなるな。


「呪いはどうなったんだ」


 俺はエールのおかわりを頼んだ。


「おい、聞いてんのかよ」


「お前こそ聞いてたのか。俺は言ったはずだぞ。世界に恨まれるとな」


 ヘッセンはあわわと口を押さえる。もうすぐにエールが届くだろうから、そいつで飲み込んでしまえ。


 フフと含み笑いをし、

「王子はプレイボーイだからな」

 とひとり呟く。


「あん?」


「いい感じに呪いを小分けしてくれるだろうさ。それこそ致死量にならないほどに弱毒化させた上でな」


 エールが届いて、ふたりで煽った。ヘッセンはいつもよりも、ハイペースでよく飲んでいた。


「まあよ、祝ってやろうじゃねえか。二回目の婚約破棄から始まる様な幸せだって、世の中にはあるって事だ」


 やけくそだと言わんばかりヘッセンは大きな声で乾杯と叫んだ。その声は白雪姫にも届いているだろうかな。


「俺たちにも。そのうち回ってくるんじゃないか、その呪い」


 不安そうに愚痴る。


「そうさなあ」


 鏡にあの呪いの事をくわしく訊いてみた事があった。鏡は言った。あれは人を溶かし、殺す呪いなんだと。


 キスをすると回ってくる呪い。その呪いが俺たちに回ってくる頃には相当に小分けされているだろう。


 人を溶かす力も随分と弱まっているはずだ。せいぜいが歯を溶かすくらいなものだろう。恐らく死にもしない。


 溶けた歯は虫に食われたようになるかもしれないけどな。おお、そうだ。


「ヘッセンよ。あの呪いを『虫歯』と名付けてみたんだが、どう思う?」


「何が虫歯だよ。お前にはやっぱり、ゴロツキ風情がお似合いだ」


「おいおい、俺は探偵だよ」


「うるせえ、やめちまえ。探偵なんてくだらねえもんはよ」


 空に向けて乾杯する。


「酔っ払いの戯言だ。そう、目くじら立てるもんでもねえよ。もしくはそうさなあ、俺たちだけの秘密だぜ?」

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