第2話『証す人』その2
ピンポーン
日曜の午後、唐突になったチャイムに僕は身構える。
作業途中だったパソコンを閉じて、ワイヤレスイヤホンをポケットに押し込みながら、扉から顔を出す。
「どうもぉ、お久しぶりです」
「あぁ、お久しぶりです」
「今、お時間は……?」
「大丈夫ですよ」
既視感のあるおばさまが現れた。僕は頭の中で指をポキポキと鳴らす。今回もどうやら仲間は連れていないらしい。複数人でのコミュニケーションが苦手な僕にとって1on1は望むところだった。
今回はおばさまも帽子を被って本気の装備、メガネの奥がキラリと光る。
前回はジャブに過ぎなかったということだろうか。
「早速ですけど、こんな動画があるんですよぉ」
おばさまは僕に喋らせる隙を与えずに先制攻撃を加えてきた。
「音声大きかったですね」
そう言ってコントロールセンターで音量を操作すると、僕にコントロールセンターの画面を見せてくる。僕は無言でタップして画面を動画に戻す。本当にスマホの扱いには不慣れのようだ。
僕は本腰を入れようと、ドアを閉じて背を預けながら動画に視線を落とす。
今日は頭の調子が悪く、映像の音声は恐ろしいほどに僕の鼓膜を滑っていく。今回は『神様が』や『世界が』などの多い抽象的な内容だった。
要約すると『神様は頑張って人間を幸せにしたいけど、悪い存在が裏で糸を引いて邪魔をしてるんだよ。神様を信じれば楽園で幸せになれるよ』という内容だった。
なんだか陰謀論染みた考えだった。
同じ陰謀論なら地球平面説の方が笑って見られる。彼らには実験によって地球の形を探ろうとする姿勢があるからだ。
「どう、思いますか?」
「少し曖昧ですね、社会の裏にいる存在というのが」
おばさまは首を傾ける。
「曖昧?」
「『ここに住んでるこの人が悪い』、ではなく漠然と『悪意を持った存在』と表現しているのが、ですね。具体的な事例でもあれば納得ができるんですけどね」
「昔ですね、神様が——楽園で——唆されて——という話があったんですよぉ」
「あぁ前回に話した蛇の話ですね」
「そうです、そうです」
勤勉な僕は眠たい話でも単語は覚えているタチだった。
「それで、神と悪魔が裁判のようにですね——」
とりあえず、神と悪魔が人間を使ったチェスゲームをしていることは分かった。
おばさまはそうして聖書がいかに正しい書物なのかを告げてくる。
「……人間の知能には限界がありますよねぇ?」
「そうですね」
その切り出し方からなんとなく着地点は想像がついた。
「ですが……ここの16節のところを読んでみてください」
「聖なる書は神の聖なる力によって書かされているとありますね」
要は人外に強制されて書かされた書物ということだ。
おばさまは大きく頷く。
「神さまは人間を作られましたから、一番良い方法を知っている訳ですね」
「はぁ」
その論理に関しては以前に否定した筈だ。
『作った』なら『一番知っている』とならないのは、将棋の発案者とプレイヤーの論理で証明したのに、あの発言は帳消しになっていたようだ。
彼女にとって神が全能であることは絶対の真理らしい。
「なので、その時代に合わせた65の書物があって、それを合わせたのが現在の聖書なんですよぉ。ほら、ここにも……」
そう言ってスマホの画面を見せてくる彼女。
アプリの画面には『創世』などとラベルづけされたボタンが並んでいた。
おばさまはその後も聖書について長々と述べた。
「……ということで、聖書を正しく読めば、神さまが手を差し伸べてくれるようになるんです」
「聖書は翻訳されたってあるじゃないですか?」
「えぇ、でも書かれている内容は同じで……」
「別々の言語の翻訳ってどうしても完璧には行かないんですよ。言語はその語順だったりとか、あとはその地域の文化などに影響を受ける訳なので……それは自然なことですよね?」
「まぁ、はい」
おばさまは斜めに頷いた。頷く時は縦にしなさい。
「ということは、同じ対象について述べても、読み取る内容には差異がある訳じゃないですか?」
「そうですねぇ」
「それは正しく読んだことにはならないじゃないですか?」
「もちろん、人によって捉え方は代わりますが、そういうのも含めて神様は一番良いように書かせてる訳なので……」
神様万能過ぎる。
「つまりその人の解釈に委ねて良い、ということですか?」
「はい、そうですねぇ」
「僕は以前に見せてもらった……『神は人間を作ったから、人間に一番良い方法を知っている』というのがありましたよね?」
「えぇ、はい」
「以前に将棋の作り手と差し手の話をしたように、その理屈は正しいとは言えない訳です。僕は謝った記述だと捉えたのですが、その解釈もまた正しい、ということですよね」
「う〜ん、それはですねぇ」
おばさまは困ったように唸る。
流石に極論が過ぎたようだ。
「そもそも、僕が宗教に対して疑り深い部分はあるかもしれないです。僕には宗教で困っている友人がいたので……」
「困っている、ですか?」
「友達は宗教2世で、親は多分あなたの同じ宗教だったんですね」
実際は全く違うが、そういうことにしておこう。
「勉強熱心な友達で、医学部にも合格するぐらいの学力があったんですが……大学に合格して一年後に彼と会った時、彼は親の借金を返すためにバイトをしていました」
「戒律の厳しいところですねぇ、多分統御教会だと思います。ウチはそこまで厳しい献金は行われないので……」
うわぁ、あっさり嘘が見抜かれた。
「へぇ、知らなかったです」
苦し紛れに言葉に出すがダメージは大きかった。
「ここら辺は教会が多いですからねぇ」
おばさまにフォローされて、少し気分を持ち直す。確かに、この辺りには宗教施設が多かった。歩ける距離だけで支部のようなものを二、三箇所は見かけた。特に探す意図がなくてもそうなのだから、調べれば10を超えるだろう。
「でも、本当の神様は一人ですから、審判の後には本当に正しい宗派だけが楽園へ行くことができます」
つまり宗教バトルロイヤルということか。燃える。
「そう言えば、良く楽園という言葉が出てきますけど……貴女は楽園をどういうものだと思っているんですか?」
『貴女は』と付け足したのは、『聖なる書を読め』と言われるのを防ぐためだ。一瞬読んだことはあるが、ライトノベルに慣れた僕の脳味噌では抽象的な文章はあまりにも壁が高かった。
神様が出てくるライトノベルなら何度も読んだことがあるので、それが実質聖書代わりだろう。
古代でもきっとそんな感じの扱いだったに違いない。
「楽園はキリサトが144000人と共に、神様を信じる者たちの住む場所を治めます」
「……なる、ほど。そう言えば、さっきこの世界は不平等だという話をしていましたよね?」
「? ……えぇ、はい」
僕は問いかけながら、楽園の階層構造を頭に浮かべる。
「楽園、不平等じゃないですか?」
「そう……ですかね?」
おばさまが訝しげに問い返してくる。
「先に言っておきますけど、平等というのは『生まれや立場によって待遇が変わらないこと』ですよね」
「そうですねぇ」
「なら、その治められる側の人は、キリサトと交代したいと思っても、入れ替わることは出来ないんですよね?」
「それは……キリサトは実は天使で、人の心を知るために地上に降りて、人が何に苦しんでいるのか、何が人のためになるのかを分かっていて……」
なんかそんな感じの設定の小説をネットで見た気がする。
多分探せば出てくるだろう。大抵は前世が悪魔だったりしそうだ。
「でも、キリサトも楽園の中の一人、ですよね。平等というならキリサトでなくとも構わないじゃないですか?」
「能力に違いがあるから、それは無理かと……」
ほら来た、とばかりに僕は畳み込む。
「そうですよね。能力に違いがあるなら、待遇は代わりますよね?現実社会もそうじゃないですか。より多くのものを提供できる側が裕福になる。自然なことですよね」
実際はそうでないこともあるだろうが、概形はそうだろう。
「『平等』、という言葉の意味が私とで違うかもしれないですねぇ……」
やからさっき平等の定義を確認したやろ。
確かに彼女の言うとおり、この世界にも平等でない部分は多いが、それもまた人の生み出した功罪である。断じて悪魔とやらのせいにして良いものでは無い。
その論調には浮気をした男が浮気相手の女を淫魔と呼んで自分を正当化するような気持ちの悪さを覚える。
「そもそも、楽園を運用する144000人というのも、不平等そのものに聞こえるんですよね」
「そんなことはありませんよ。信心深い人の中から、他人に奉仕してきた人たちが選ばれるので、皆さんのためになるように行動する筈です」
僕は首を傾ける。政治家だって初めから汚職に手を出すつもりで成る者ばかりでは無いだろう。そこまで腐っているとすれば、僕はおばさまの導きに従って入信しよう。
「でも、それでも人間は不完全なので、必ず汚職に手を出す人はいると思いますよね?」
「えぇ、でも。その度に罷免されます」
なぜか、楽園に仕事がある前提で話しているが、彼女が特にそのことについて突っ込んでくる様子が無いので異論は無いのだろう。
「平等、ということはどのような仕事をしたとしても与えられる対価も平等ということですか?例えば4時間仕事をする人と8時間する人とで給料が同じということは無いですよね。もしそうならば、それは不平等では無いですか?」
「それは……流石に無いと思います。けれども、どのような人にもある程度は分配されるように、上手くやります」
なんだか、政治の話を考えているせいか、街頭演説でも聞いている気分になる。それに最低限を分配、というとベーシックインカムのような考え方なのか。
「それは例えば、手足が無く働けない人がいた場合、その人を皆で養うような形になる訳ですよね。それは平等なんですか?」
僕の言葉を聞いて、おばさまは嬉しそうな顔をした。
「楽園に行く時には、神様の力で体も完璧な状態に戻して貰えるので、そのようなことは無いんですよぉ」
これは一本取られた。確かにそんなことを前におばさまは言っていた。病気に苦しまない永遠の命が与えられると。
「そうして死んでいた人も蘇るんです。良いと思いませんか?」
僕は前に彼女が来た時に祖母が死んだ話をしたら、『でも……そのおじいさんが蘇ったら嬉しいと思いませんか?』と嬉しそうな顔をして言ってきたことを忘れていない。
あの時はあまりの無神経さに怒りそうになった。
そもそも、信心深い人が蘇る、という話はなんとなく分かるが、それを餌にして信者を募るのはどうなのだろうか。
それで入信した者が蘇るのも、なんかおかしな話に思う。
おばさまの話を聞き流していると、少し困ったような顔をする。
「……えぇと、私も一人にかけられる時間は限られていて……すみませんねぇ」
あれ、もしかして僕、フラれた?
「……あぁ、こちらこそお時間を取ってすみません」
僕は判然としないものを感じながらドアを閉める。
気づけば1時間以上が経っていた。
おそらく彼女は論理の正しさをそれほど重要視していない気がする。僕を『聖なる書を読んでいない人』という色眼鏡で見ているのだ。
僕が彼女を『宗教に冒された人』として見ているのと、根本は同じだ。
ただ、個人的には彼女が何を思って布教に勤しんでいるのか、気になるところではある。
「あ、電球を買わないと」
トイレの電球が切れていたことに気付いて家を出てドラッグストアへと向かう。
ついでにお菓子を買ってカウンターに籠を差し出す。
「お会計1000円です」
「……現金で」
僕はこんな日にピッタリ1000円が出たことで運命的な何かを感じる。
店員になんとなく会釈をしてから道に出ると、レシートの数字をもう一度確認する。
「この程度なら信じられるんだけどね」
永遠に生きられる、などと大言壮語するから面倒な話になるのだ。
「あなたはカミを信じますか?」 沖唄(R2D2) @R2D2
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