1-4-3.五月一日③

しゅうくん……それ、どれくらい本気で言ってる?」


 確かに、一紀かずきくんのような子が相手なら、わたしが本気で実現しようと思えばできるかもしれない。それに“あにまる保育園”の出身者でないにしても、萩くんだって近しい状態の子だと思う。わたしが一紀くんや萩くんに殺人を行うよう唆せば、彼らはその通りに動くかもしれない。


 自分で考えてみて、改めて恐ろしい状況を作り出してしまっているのだと思った。彼らの価値観の幼さも問題だが、わたしがそこに対して影響力を持ち過ぎている。わたしがこうした方が良いと言えば、彼らはその通りにしてしまうだろう。いや、理屈で言いくるめてその通りにさせることすらできてしまうかもしれない。結果として、わたしは彼らの“親”になり得るのだろう。だからきっと、彼らでなくても、他の特別な教育を受けた“あにまる保育園”の出身者に対しても、わたしは同じことができてしまうのだろう。


 萩くんがそれに思い至ったのは、自分自身の危うさと、わたしとの歪な関係に気付いたからだろうか。いや、それはないか。彼は歪とすら思っていないだろう。だからこそ、彼はわたしを求めるのだろうし。


「さすがに僕も先生を疑っているわけじゃない。今回、黒幕となり得る人物像について考えた時、一番しっくりくるのが先生だったんだ。恐らくは先生と同等かそれ以上の能力を備えた人物なら、同じく黒幕となり得るのだと思う」


「わたしと同等かそれ以上、か……。いないってことはないと思うけど、それをどうやって探すかって話だよね」


 わたし自身がどうやって今の自分になったのかを辿っていって、それに近い人生を歩んでいそうな人を探す……くらいしかないのだろうか。“あにまる保育園”の出身者、というようにわかりやすい目印があれば良いんだけれど。


「一つの可能性として、翠泉すいせんの出身者っていうのはないかな。わたしも中学は翠泉に通ってて、今のわたしが形成された時期って、たぶんその辺りだったと思うんだよね。だからもしかしたら、今のわたしみたいな人間が生まれたのは、翠泉の付属中が関係してるとか……っていうのは無理があるかな?」


「何も宛がないよりは良いだろう。“あにまる保育園”の時のように、集計してみたら偏ったデータが出る可能性もある。物は試しということだな」


 先生以上の能力と言えば、と萩くんが思い出したように口にする。


「そう言えば先生、僕の母と会ったらしいな。あの人も、先生と互角かそれ以上の存在だと僕は思うが……」


「ちょっと待って、萩くんのお母さん? どういうこと?」


 会ってないと思うけれど。最近の話だろうか。すると萩くんは不思議そうに首を傾げた。


「SSBCに行ったんだろう? 新崎にいざき科乃しなのは僕の母だ」


 突然の衝撃的な情報に、脳の処理が追い付かない。新崎さんが萩くんのお母さん? 見た目は若そうだったけれど、わたしのお母さんとは幼馴染だったと言うのだから、歳は近いのだろう。そう考えれば、彼女が萩くんのお母さんでも別に驚くことではない。

 いや、驚くのはそこではない。新崎さんは、わたしと同じ顔なのだ。瓜二つと言えるくらいに似ている。つまり萩くんは、わたしの顔がお母さんにそっくりだとわかっていて、わたしを採用し、母親に向けるような感情を向けている。もちろん彼はわたし個人を見てくれているとは思うけれど、自分の愛する母親にそっくりなお姉さんを前にして、何も思わないとも思えない。

 あれ、こんなこと、前にも思わなかったっけ。ああそうだ、一紀くんが死んだお姉さんとわたしが似ていると話してくれた時だ。


「そうだったんだ。あの人が、萩くんのお母さん」


 確かに、警察の偉い人ということは聞いていたが……その通りではある、か。


「驚いただろう? いくつになってもあんな若作りして。それでも警察関係者や法曹界、政界では、“我が国の希望”なんて大層な呼ばれ方をしているらしい」


「いや、わたしと同じ顔じゃない? 驚くところそっちなんだけど」


 それを言われると、萩くんは少しきまりが悪そうに口を閉ざした。少しずつ俯いていってしまい、目を合わせてくれない。


「確かにそれは、僕も思った。だからこそ、先生のことは念入りに調べたんだ。でも、関係性を突き止めることはできなかった。僕が先生に興味を持ったのは、確かにその顔からだ。ここまで似ている人が他にいると思わなかったから。でも先生は、僕の母とは違う」


 萩くんは本当にお母さんから何も知らされていないんだな。わたしのことも、わたしのお母さんのことも。新崎さんはどう思っただろう。自分の息子が自分と同じ顔の年上の女に懐いていると知って、どう思っただろう。


「わかってるよ。萩くんはちゃんとわたしを見てくれてるって」


 そう、まさにこれだ。ここでわたしが掛ける言葉は、彼にとってきっと大きな影響力を持ってしまう。黒幕はこれをやったんだ。今わたしが彼に殺人をするよう促したら、彼は実行するだろうか。そこに何の疑問を持たずに。いや、疑問を持ったらわたしが論理で圧し潰す。それか、彼自身の中でもっともらしい答えを見つけて解消するだろう。だからきっと、彼はわたしの言うことを守るのだろう。たとえそれが、殺しの命令だったとしても。


「萩くんは、わたしとお母さんのどちらかしか助けられない状況になった時、どうする? どっちも助けるっていうのは無しね。どっちも見捨てるのはいいけど」


「難しい質問だな。それに唐突だ。しかし、うーん……」


 考えてはくれるらしい。それに、そんなに悩むことなのか。わたしはてっきり、彼はお母さんを選ぶのかと思っていた。“我が国の希望”だなんて言われているような人なら尚更だ。萩くんは情に絆されて、利のない選択をするとは思えない。しかしそれを悩むということは、萩くんにとってのわたしの存在は、“我が国の希望”と並ぶということだ。

 よくよく考えてみれば、もし萩くんのお母さんが新崎さんであることが綿垣に知られていて、綿垣も新崎さんを脅威だと感じていた場合、萩くんを狙うということはないだろうか。“あにまる保育園”の出身者と同じ手法で、彼を殺人に導くことはできてしまうだろう。息子が殺人犯になったら新崎さんの立場はどうなるだろう。もし息子が殺されたら新崎さんは悲しむだろうか。息子が新崎さんを殺したら、どうするのだろう。色々考えてはみたが、どの可能性もないと思えた。新崎さんの立場は何があっても揺るがないのだろうし、悲しみに暮れている暇もないだろうし、萩くんは能力的に新崎さんを殺すことはできないだろう。だから萩くんをこうして放っておいているのだろう。


 だけれどわたしとしては、こんなに危うい子を放っておくのは危険過ぎると思う。多少なりとも母親譲りの頭脳があって、簡単に“母親”に洗脳されてしまう精神的な脆さがある彼が、もし犯罪者となってしまったら……。その犯行を止めるのは不可能ではないかもしれないが、困難を極めるかもしれない。

 ならわたしは、一紀くんと同じように萩くんも監視しておかなければならないのかもしれないな。


「僕は、先生を選ぶよ」


 やがて考え抜いて出してくれた萩くんの答えに、わたしはにんまりと笑みを見せる。

 そう、それでいい。本当はこんなことしたくなかったけれど、彼をわたしに縛り付けている限り、きっと彼は何者にも脅かされない。わたしを超える大切な存在が生まれなければ、彼の優先順位は何よりもわたしが先になる。だからわたしの一言で、彼を支配できる。


「そっか、ありがとう。まあ一番は、そんな状況にならなきゃいいんだけどね」


 そう言って、ぽんと彼の頭に手を置いて、そのままよしよしと撫でてやった。

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