1-4-2.五月一日②

里脇さとわき教授に会いに行って、会えはしたんですか? その後 行方不明になってるんですよね?」


「そうらしいね。一応、会ったは会ったけど、ろくに話ができる状態じゃなかったよ。何かに怯えてるみたいで、わたしに対してもすごい攻撃的だったし。それにそもそも、わたしが産まれてたことすら知らなかったみたいだしね」


 何かに怯えてる……綿垣わたがきから既に何かしらの接触があったのだろうか。しかもそんな焦燥に駆られた状態だったのなら、冷静な判断ができずに簡単に罠に嵌ってしまう可能性が高い。そうなると、もう手遅れなのかもしれないな。


「というか、憩都けいとさんのお母さんと里脇教授ってどんな関係だったんですかね。憩都さんが産まれたの、二十数年前ですよね? 里脇教授は四十から三十くらいだったでしょうし、結婚もして子供もいたんじゃ……もしかしなくても不倫?」


「それね。わたしを産んだ時のお母さん、まだ中学生だったみたいだよ。だから表沙汰にはできなくて、逃げたんじゃないかな」


 逃げたって言うか、泣き寝入りさせたのか。実の父とはいえ、憩都さんは里脇教授のことだって殺してやりたいと思ったかもしれない。


「どう? 聞きたいことは聞けた?」


「最後にもう一つだけ。憩都さんのお母さんが配信してたっていうアカウント、教えてもらえますか?」


「いいよ」


 するとすぐに、とある動画サイトのURLがメッセージで送られてきた。


「すみません。わたしばっかりあれこれ聞いちゃって」


「いいんだよ。こんな話、弟たちにもしてないから、話せて少しスッキリしたよ。ありがとう」


 そう晴れやかに言われてしまうと、かえってわたしの方が心苦しくなる。わたしは憩都さんから少しでも情報を引き出したくて、この場を設けたのだから。


 彼氏くんと仲良くね~、なんて言いながら、憩都さんはお金を置いて帰っていった。わたしが呼び出したんだからわたしが払うと言ってあったのに、まんまとやられた。


 時間も時間だったので、わたしもさっさと会計を済ませて店を出て、少し早足にしゅうくんの家に向かう。

 萩くんの家に行くのは“あにまる保育園”の一件があってからはこれが初めてだ。彼はどうしているだろう。まだこのバイトを続けたいと思ってくれているだろうか。



 彼の家に着いて呼び鈴を鳴らすと、彼が自ら出迎えてくれた。今日も相変わらず中学の制服姿のまま、不敵な笑みを口元に湛えながら、よく来てくれたね、なんて言う。良かった、いつも通りだ。


「ちょうど話したいことがあったんだ。とりあえず上がってくれ」


 彼に招き入れられて、玄関に入る。普段なら、彼が出迎える時でも佐路さじさんかセレナさんが玄関には控えていたが、今日はその姿が見当たらない。ちょうど不在のタイミングで来てしまったのだろうか。いや、時間はいつもと同じだ。わたしが来ることがわかっていて、過保護気味の二人が不器用な主人を一人置いて不在にするとは思えない。

 見れば、廊下の先でちらと顔を覗かせて、心配そうにこちらを窺っている。どうやら、この小さなご主人様が一人で客人を迎え入れることができるのかどうか、見守っているようだ。


 わたしがいつものようにソファに腰掛けると、少し待っていてくれ、と萩くんはキッチンへ向かい、お茶を淹れたカップをわたしの前に差し出した。彼も自分のカップを持ってきて、先に一口啜る。


「さすがにお茶はセレナに淹れさせるべきだったか……。すまない、あまり美味しくはないかもしれない」


 萩くんがカップをテーブルに置くのと入れ替わるように、わたしもカップに口を付ける。セレナさんはいつも、わたしが猫舌なのをわかってくれているから少し冷ましてから持ってきてくれる。だけれど彼はそこまでの気遣いが至らないようで、わたしがギリギリ口を付けられる程度の熱々のお茶が注がれていた。まあ、本職のメイドさんと気遣いの面で比較するのも酷と言うものだが。


「心配ないよ。セレナさんの淹れるお茶が特別美味し過ぎるだけだから」


 それにしても、わたしと彼が互いにいつもの席に着いたというのに、二人はまだ顔を出さない。今日は彼一人にすべて任せるつもりなのだろうか。

 そわそわと辺りを窺っているわたしに、萩くんはわざとらしく咳払いをしてわたしの注意を向けさせる。


「無事に退院できたようで何よりだ。本当にすまなかった。あんな危険な目に遭わせてしまって」


「それはもういいんだよ。こうして生きているわけだしね。それにこちらこそ、色々とありがとう。萩くんの力が無かったら、わたしは助からなかっただろうからね」


「先生に大変な迷惑を掛けたことは自覚しているが、それを承知でお願いしたい。今後も、僕とこうして話をしてくれるか?」


 こうして話をする、というのは、今までのように何かの事件について一緒に考察するということだろうか。この間のようにわたしに行動させはしないけれど、話はしたいということなのだろう。


「いいよ。わたしも楽しいからね。それで、話したいことっていうのは新しい事件の話? それともこの前の続き?」


 わたしがそう言うと、彼は少し俯きかけていた顔を持ち上げて、ぱあっと輝かせる。


「ありがとう。この前の続きになる話だな。例の“あにまる保育園”の出身者が殺傷事件の犯人になっている割合が高い件で、先生が立てた仮説、黒幕のような存在が接触し、犯行に導いたのではないかという話についてだ」


 “あにまる保育園”では、特殊な思想を植え付けるような教育がされていた。いわばそれは種蒔きのようなもの。しばらくして収穫のタイミングになった時、何者かが働きかけて、彼らを犯罪に導いた。黒幕のことが明るみにならないということは、彼らはそれが犯罪に至った原因だと認識していないか、そもそもその黒幕のことを覚えていないのか。

 “あにまる保育園”のことが証拠を以って事実だと証明されたことで、黒幕の存在についても現実味を帯びてきた。今後 被害を拡大させないためにも、この黒幕の正体を暴き、逮捕することが急務となるだろう。


「“あにまる保育園”の出身者が起こした事件の調書を読み漁っていて、気付いたことがある。死生観についての価値観が少しズレていることもそうだが、“親”という存在に対する異常な執着と妄信、そして渇望だ」


「少し言い方に含みがあるね。その“親という存在”っていうのは、“親”ではないってこと?」


 そこに気付くとはさすがは先生だ、なんて満足そうに微笑む萩くん。いつもの彼らしい表情が見れて、何だか安心する。


「そう、“親”ではないんだ。実際のところ、家庭環境に問題を抱えている割合はむしろ低かった。それがどうして“親”を求めるようになるかまではわからないが、問題はそこではないんだ。“親”という存在は、子供にとって大きな影響力を持つ。それこそ信仰にも匹敵するほどの絶対的な影響力を。“あにまる保育園”で受けた教育によって育たなかった死生観は、いわば幼児のそれと同じ。無垢で無邪気だ。それ故に、悪意なく人を殺す。そんな部分的に幼児退行した精神に働きかけて、“親”として絶対的な命令を与えれば、従順な子は余計に“親”の言うことを聞くだろう」


 部分的な幼児退行か。確かに、わたしも一紀かずきくんに対して感じたことがある。

 部分的に退行した精神に働きかけて、疑似的な洗脳を施す。それが現実的に可能かどうかはわからないが、理屈としては筋が通っているように感じる。


「なるほどね……。だから家庭内に問題を抱えていない子が犯人になっていたんだね」


「恐らくは。そしてそれができるであろう人物に、僕は心当たりがある」


 少しもったいぶって、萩くんは一つ小さな息を吐いてから、静かに告げる。その眼を見て、初めてわたしは、彼の心の内がわからないと感じた。


「それは貴女だ、先生。あなたなら、それができる」

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