1-4.
1-4-1.五月一日①
今週はいわゆるゴールデンウィークと呼ばれる連休ではあるが、今日はあいにくの平日で、普通に講義もある。先週は実習があったり入院していたりと色々あったから、今日は久しぶりの学校でもあった。とは言っても、特別何かあったわけではないが。
トピックとして挙げるなら、環境科学は代理の先生が担当することになったくらいか。学校側も
それから、特別課外のレポートの提出期限は今月中と
同じく途中で実習が中止になった
普段なら月曜日はバイトのシフトが入っており、午後の講義が終わったら
事前に連絡して呼び出した彼女を、
「すみませんね、呼び出しちゃって」
「全然いいよ。最初は何事かと思ってびっくりしたけど」
そう言って、
「それで、うちの弟が何かご迷惑を?」
「ああいえ、弟さんの件は、彼氏がどうにかしてくれたので。今日は、憩都さんのお話を聞きたくて」
席に運ばれてきたカップに少し口を付けて、すぐにテーブルに置く。わたしの方も、テーブルにはほとんど口を付けていないカップが置かれていて、どちらもゆらゆらと湯気が立っていた。
「……憩都さん、もしかして猫舌ですか?」
「ああ、わかる?
実はそうなんです、と顔以外の共通点に少しだけ盛り上がり、わたしたちの間にあったひりついた空気もわずかに和やかになった。
憩都さんの話と聞いて、彼女は警戒したように見えた。しかもそれを、表に出さないようにしていた。警戒していることをわたしに悟られないようにしていた。彼女の話を聞きたいと言われてそんな反応をするということは、憩都さん自身に何らかの触れられたくない話があるのだろう。
だから、少し緊張を取ることができたのは良かった。とはいえ、完全に警戒が解かれたわけではない。思わぬカウンターをもらう可能性もあるし、わたし自身も油断しないようにしなければ。
「回りくどいのはやめて単刀直入に聞きますけど、憩都さんって、うちの大学の里脇教授とはどんなご関係なんですか?」
「あはは、すごい直球で来たね。単刀直入と言いながら、まだ外角狙うだけの余裕はあるわけだ」
そう、わたしはある程度勘付いてはいる。だけれど確証が持てない。だからこうして、ど真ん中を狙わずにコースを突くような小賢しい真似をしているのだ。それでも変化球を使わなかったんだから、これには応えてもらいたい。
「色々すっ飛ばしたけど、志絵莉ちゃんはわたしがあの事件に関わってるって思ってるんだ」
「いえ、思ってませんよ。じゃなきゃこんな呑気にわたしと会っていられないでしょう。確かに憩都さんは一度警察から重要参考人として手配されたけど、恐らくすぐに取り下げられたんだと思います。憩都さんは犯人じゃない。どちらかと言えば、警察からしたら保護対象なんじゃないですか?」
警察も一枚岩というわけではないから、伝達がされていない部分もあるのだろう。新崎さんが中心に進めている捜査の方では、憩都さんは間違いなく重要人物で、殺されたり誘拐されたりしてはいけない存在だ。当然、監視の目もなくはないだろう。そんな中で犯行に及べるとも思えない。
だけれどそれを知らない捜査本部は、目撃情報のあった憩都さんを事件の関係者だと思い込んでもおかしくはない。まあ実際、大きなくくりで言えば関係者ではあるのだろうけれど。
「へぇ、そこまで知ってるんだ」
憩都さんは声のトーンを落として、少し考え込んだ。言うかどうか、迷っているのだろうか。それとも何を言うべきか、考えているのだろうか。
どちらだったのかはわからないが、彼女は再び口を開くことを選んだ。
「あの人は、わたしの父親なんだ。父親の自覚はないかもしれないけどね。わたしがあの人に会いに行ったのは、聞きたいことがあったからなんだよ。まあ、あの人はそれどころじゃなかったみたいだけど」
「聞きたかったのは、憩都さんのお母さんのことですか?」
「そう。わたしの母を殺したのはあの人なのか、それを聞きたかった」
憩都さんのお母さんも亡くなっていたのか。わたしのお母さんと何か関係があるのか聞きたかったけれど。いや、義理の弟たちがいる時点で、彼女の両親は健在ではないか、それとも彼女を捨てたのかと予想はしていたが。
「志絵莉ちゃんのお母さんはどんな人? その顔ってことは、わたしの母とも無関係ってわけじゃなさそうだけど」
「実はわたしの母は、わたしが産まれる前にもう死んじゃってるんですよ。だからこちらこそ、わたしのお母さんのことを何か聞けないかと思って話がしたかったんです」
お互いに求めていたことは同じだったらしい。もっとも、お互いに隠している部分もある。母親のことを、何も知らないというわけではないことだ。できればわたしの方はそれを話さずに、憩都さんからは聞き出したい。
「そっか、それは残念。わたしの母は“シラサギ”の正体を追っていて、それを掴んだらしいことはわかってるんだけど、それを公表する前に殺された。その正体は今も謎って話だし、何かに書き残しておいてくれれば良かったのにね」
「“シラサギ”って、あの“トリカゴ”の……?」
そう、と頷く憩都さん。“トリカゴ”のボス、“シラサギ”の正体はわたしのお母さんだ。憩都さんのお母さんは、何故その正体を追っていたのだろう。正体を掴んで、どうするつもりだったのだろう。
「わたしの母は、配信者だったんだよ。今も動画残ってるけど、全っ然見られてなくてね。きっと注目されたくて、“シラサギ”の正体なんて誰もが飛びつくものに手を出したんだと思うよ。わたしを産んで配信も休止してた時だったから、戻るには何か大きな話題を引っ提げて戻らなきゃとか思ったのかもね」
いや、それよりも、憩都さんは何故 彼女のお母さんのそんな事情を知っているのだろうか。彼女の話を聞く限り、彼女のお母さんは彼女が産まれて間もない頃に殺されたのだと思う。彼女も当時はかなり幼かったはずで、お母さんの記憶があるとも思えない。
そしてそんなに事細かにわたしに話す理由もわからない。最初こそ渋っているようだったのに、やけにあっさりと話すではないか。
「憩都さんは、お母さんを殺した犯人を突き止めようとしてるんですか?」
「そうだよ」
「報復するために?」
「うん」
憩都さんのお母さんを殺したのは、もしかしたらわたしのお母さんかもしれない。もし本当に憩都さんのお母さんが“シラサギ”の正体を掴んだのなら、口封じのために殺されてもおかしくはない。だけれど、わたしはお母さんのことをまだよく知らない。そんなことをする人なのかどうか、そう簡単に正体を掴まれる人なのかどうか、知らない。
もしかしたら憩都さんのお母さんは、別の人を“シラサギ”だと思ったかもしれない。そうして関わってはいけない人たちに関わって、殺されたのかもしれない。そういう可能性だってある。
「……親の犯した罪を、その子供が背負うべきだと思いますか?」
わたしの言葉に、憩都さんは口元を緩める。だけれど、目は笑っていない。
「さすがにそこまでは思わないよ。だからもし志絵莉ちゃんのお母さんが犯人でも、志絵莉ちゃんに代わりに死んでくれとは言わない。でもね、叶うならわたしの手で殺してやりたかった、もう死んじゃってるなんて残念だとは思うと思うよ。……もしそうだったらね」
「自分の母のことを調べていて、憩都さんのお母さんのことも何かわかったら連絡しますよ」
そうしてくれると嬉しい、と言って、憩都さんはすっかり冷めきったキャラメルマキアートをぐいっと嚥下した。
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