1-3-23.四月三十日③
「待ってください、わたしのお母さんが二十三年前に死んだのなら、今年で二十歳になるわたしはどうやって産まれたって言うんですか?」
いや、本当はこれの答えも大体わかっている。だけれど、きちんと確認しておきたかった。推測ではなくて、事実を知りたかった。
「それはわたしも驚いたよ。
「その……お母さんが“トリカゴ”の主犯格だっていう証拠はあるんですか?」
こんなこと聞いたって意味のないことはわかっている。証拠があろうとなかろうと、それをわたしが信じるか信じないかというだけのことだ。だけれど証拠を突き付けられたなら、その現実は否応なしに受け入れるしかないのだと思っていた。
「まあ、ないこともないけど……今はまだそれを見せられないんだよね。一応、わたしは本人から聞いてるし、それこそ志乃が死ぬところに立ち会ったというか。わたしは当時も警察として志乃と対決したわけだよ。自分の半身みたいなあの子とね」
「おい、気を付けろと言ったはずだぞ」
「ああ、そうだった。これもダメなんだったね。今すぐには受け入れられないかもしれないけど、いずれはちゃんと証拠も目にすることがあると思う。お母さんとわたしの本当の関係や、その生まれについてもね」
さて、と切り替えるようにぱんと手を叩いた新崎さんは、近くの作業台に置いてあったノートパソコンを持ってきて、その画面をわたしに向けてテーブルに置いた。画面には、ある人物の名前が記されていた。
「ここからが本題になるんだけど、今 ある捜査チームを結成してるのは聞いてるね? わたしとそいつと、あともう一人いるんだけど、今忙しくて同席できないみたいだから、彼はまた今度紹介するよ。そして新たに志絵莉ちゃんを加えた四人で、ある人物の逮捕を目指すためのチームを作ったんだ。その人物こそ、先日 志絵莉ちゃんが潜入してくれた“あにまる保育園”にも関わっていた、
マユの顔に傷を付けた、
「多くの事件に関わっているらしいことはわかってるんだけど、一向に足取りが掴めなくてね。こいつは国が秘匿している機密について知っている可能性が高いうえに、それを利用して何らかの計画を企てている可能性がある。それは志絵莉ちゃんも、“あにまる保育園”の件で思ったでしょ? あの保育園は、何かの実験が行われていた場所なんじゃないかって。まあ、たぶんその予感は大体合ってると思うよ。そして恐らく、綿垣の最終目的は、第二の“トリカゴ”を生み出し、今度こそ国家を転覆させること。それだけは絶対に阻止しなくちゃいけない。そのために、かつて国家を転覆させようとしたカリスマテロリストの娘の力が必要なんだから、ひどい皮肉だよね」
SSBCの責任者がそうした結論にたどり着いたということは、そこに至るだけの証拠や情報があるのだろう。だから、裏を取る必要もない。実際に、“トリカゴ”は一度国家の転覆を成し遂げかけた。同じかそれ以上のことが起こる可能性があるなら、それを止めなくちゃいけない。
確か“トリカゴの乱”は、自殺志願者を募って暴動を起こしたとされている。“あにまる保育園”の出身者に対して行われていると思われる、何らかの暗示を掛けて殺人へ誘導する手法が完成されれば、その再現は現実的に可能となるのかもしれない。
「本当は捜査に協力してもらうんだから、資料を全部見せてあげられたらいいんだけどね。この件は他の機密にも触れるから、ちょっとその辺りの許可取りとかが面倒で、すぐにというわけにはいかないんだ。志絵莉ちゃんを捜査チームに捩じ込んだのも、結構無理をしたんだよ? だから当面は、自由に動いてもらって構わない。もし必要なら人手を貸してあげてもいいし、うちにある資料の閲覧も、一般職員が見れるレベルのものであれば自由にさせてあげる。志絵莉ちゃんにやってほしいことは、そうだねぇ……行方知れずになった
「里脇教授はまだ見つかってないんですか?」
警察は
「そうなんだよね。彼は超重要参考人というか、綿垣に取られたらマズい人間なんだよ。簡単に言うと、野望を成すために綿垣が求めている人材の一人なんだ。だから死んではいないと思うけど、もう綿垣に捕まってるかもしれない。それならそれで足取りを掴んでほしいのと、もし綿垣に捕まっていないなら早急に保護したいってわけ」
里脇教授が綿垣が求めている人材……。里脇教授の専攻分野って何だったっけ。環境科学でしか関わりがないし、知らないな。でも里脇教授の行方調査は、翠泉に通うわたしが適任という判断は妥当だと思う。今は情報をすべては明かせないと言うなら、わたしができることを、できる限りでやるしかないのかもしれない。
「わかりました。調べてみます」
「くれぐれも、一人で危険なことはしないでね? 志絵莉ちゃんはこの捜査チームの大事なブレインなんだから、死なれちゃ困るからさ」
わかっている。今回のことで、色んな人に何度も言われた。この命は、自分だけのものじゃない。わたしが死んだら、嘆き、悲しみ、悔やみ、惜しむ人はたくさんいるのだと思い知った。だからもう、無茶はしない。
「ええ、もちろん。長生きしたいですからね」
わたしの言葉に、そうだね、と返した新崎さんは、どこか悲しそうな顔をした。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。しかしそれ以上この話題には触れることなく、今日はこれで解散となった。
とりあえず今日は、新崎さんとの顔合わせと、捜査チームの目的、そして現在話せる限りのお母さんのことを話すつもりだったらしい。
ロビーに戻ると、退屈そうに長椅子に腰掛けて待っているマユが、こちらを見るなり顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「終わったの?」
「ああ。こいつを送ったら、俺たちも帰るぞ」
ここに来る時はあんなに緊張していたようだったマユは、帰る時にはもうすっかりご機嫌になっていた。車に乗り込むと、お母さんのこと聞けた? なんて聞いてくるので、聞けたよ、と答えてやる。そうすれば、それだけでもマユは自分のことのように嬉しそうにしていた。
家まで送ってもらって、二人には今日のお礼を言うと、
部屋の鍵はちゃんと掛かっていて、
貸してあげた服は洗濯機に入れておけば良いというメモを残しておいたので、その通りにしたことと、昨夜の感想が書かれていた。わたしはそのメモを折りたたんで、手帳型のスマホケースのポケットに差し込んだ。こんなものでも大事にとっておきたくなってしまう。彼がわたしのために書き残してくれたものだから。
今のわたしはどんな顔をしているだろう。きっと誰にも見せられないような
新崎さんは調子のいいことを言っていたけれど、あれは表向きの理由だけだ。
お母さんが死んじゃってからわたしが生まれたんだから、直接お母さんの思想は引き継いではいない。だけれどお父さんがいる。お父さんはお母さんに心酔して、お母さんもお父さんに自分の遺伝子を託すほど信頼していた。二人は互いに信じ合い、愛し合う関係だった。だとすれば、お父さんだって多少なりともお母さんの思想を理解し、受け継ごうとしていたかもしれない。そして娘のわたしにその思想を植え付け、わたしがお母さんの理想を果たせるように教育することもできる。それをさせないために、お父さんの言っていたようにお母さんに関することを娘のわたしにすら話してはいけない“約束”を結ばせたのだろう。
だけれど、その“約束”が果たして守られたのかどうかを確認する術はほとんど皆無と言える。もしあるとすれば、こうして成熟したわたしの考えが、お母さんのそれと同じかどうかを確認すること。もしかしたら、新崎さんの狙いは最初からそれなのかもしれない。
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