1-3-22.四月三十日②

 それからは、久しぶりにやってきたふるさとを巡りながら、マユと他愛のない話をして過ごす。こうした何でもない時間が何よりも大切なのだと、今のわたしには痛いほどわかる。

 それこそ昔は非日常に憧れていて、日常から抜け出したがっていたものだけれど、今は日常も非日常も等しく好きだ。わたしにとってすべての時間が大切なものだと感じられるまでに、二十年近くもかかってしまった。



 夕暮れ時にはまだ早かったが、マユに言われてわたしたちは待ち合わせをした石宮いしのみや駅前に戻ってきた。駅前に停まる一台の青い車にマユが走り寄っていき、わたしを手招きする。どうやらお迎えが来ているらしい。彼女が後部座席のドアをわざわざ開けてくれるので、わたしが中に乗り込むと、マユも助手席に座った。


「約束通り、これからお前をある場所に連れていく。帰りは家まで送っていってやるから、それまでに見聞きしたことは誰にも話さないと約束してくれ」


 ここからは非日常の時間というわけか。わたしはの言葉にわかったと答えて、シートに背を預けた。


 ぼうっと窓の外を眺めていると、どんどんと知らない道に進んでいく。いつもなら興味を引かれるものだが、思っていたよりも静かで揺れのない運転に、ついつい眠気を誘われてしまう。すると、前の席から声が飛んできて、眠りに落ちかけていたわたしははっと現実に引き戻された。


「お前、母親のことを知ったらどうするつもりなんだ?」


「それは知ってから考えるよ。お父さんやあんたの反応から察するに、知らない方が良かったと思えるようなことなのかもしれないとは思ってるから。それなりの覚悟はしてるつもりだよ」


 わたしの答えを聞いて、彼はふっと笑みを含ませて、満足そうに返した。


「そうか。聞くだけ野暮だったな。すまない」


 お母さんが何者なのか、それが良くないことである可能性はある程度覚悟している。機密レベルで隠匿されていること、お父さんが交わしたという“許される代わりの約束”のことを考えると、わたしが想像していた以上に大きな“悪”であったのだろうと思う。それでもわたしは、そんなお母さんの娘として、お母さんのことは知っておきたいのだ。



 やがて車はある施設に入り、その屋外駐車場に停まる。あたりは鬱蒼とした木々に囲まれ、ここに至るまでは道沿いにも店舗は見当たらず、隔離されたような閉塞感を感じる場所だった。この場所自体が、そもそも秘匿された場所なのだろう。

 に促されて車から降りると、が前を行き、マユが隣を歩いてくれる。マユもここには来たことがあるのだろうか。いつになく緊張しているような面持ちで、思い返せば彼女は車に乗ってから一言も発していなかった。


 三階建ての施設に入り、入り口すぐのロビーでマユとは別れ、わたしはに連れられて施設の奥へ進む。


「マユは置いてきちゃって良かったの?」


「あいつはこの先に入れるだけの権限がないからな。あそこに置いておくしかないのさ。まあ、この施設の中に居ればそう心配することはない」


 車に置いていくのは不安だったから、ロビーで待たせることにしたのか。施設の中であれば人の目もあるし、何かあった時にすぐに駆け付けることもできるという判断なのだろうか。


 少し歩いて辿り着いた、一階の奥の部屋。部屋に表札はない。無機質な白い壁紙に白い蛍光灯、リノリウムの床。そんな中で異質な、木製の重々しい扉。いや、木目柄が張り付けてあるだけで、扉自体は金属でできているらしい。

 扉の横のタッチパネルにがIDカードのようなものをかざすと、程なくしてタッチパネルが青く点灯する。そのままわたしに何の心構えもさせず、は当たり前のように扉を開いて、その先へわたしを通した。


 部屋の中は窓のない密室で、様々な機器が稼働していた。何の機械かはわからないが、様々な情報が飛び交う部屋であることは間違いない。研究施設か何かなのかと思わされる様相の部屋の中央に、その人物はいた。

 部屋の中央の円卓に向かって座っていたのは、わたしと同じ顔の女性だった。憩都けいとさんと出会った時のような感覚。まるで鏡を見ているかのように、わたしと同じ、瓜二つの顔が、そこにはあった。だけれど、わたしより少し年上に見えた憩都さんと違い、目の前の彼女はわたしよりも少し幼く見える。このような場所にいる、それなりに立場のある人物がわたしよりも年下だとは考えにくいが、彼女は一体何者なのだろう。


 が円卓の一つに着くと、わたしも座るよう促され、彼女ととで三角形を形作るように席に着いた。この部屋には、わたしたち三人以外に誰もいない。これから話すことは、わたしたち三人以外に漏れてはいけないことなのだと思わされた。


「ようこそ、上杉うえすぎ志絵莉しえりちゃん。こうして直接会うのは初めてだけど、本当にお母さんに似てるね。その顔を見ると、昔を思い出すよ」


 この人、お母さんに会ったことがあるのか。一体いくつなんだろう。そして恐らくこの人が、お父さんが言っていた、お母さんをよく知るもう一人の人。


「早くお母さんのことを聞きたいと思うけど、先に、ここが何なのか、わたしが誰なのかを教えておこうと思うんだ。それでもいい?」


 この人、初対面なのに、いやにフランクに話し掛けてくる。でも、それなりに立場がある人なのだろうから、わたしは失礼のないようにしなければと思って、わたしは警戒を解かずに接することにした。


「はい、構いません」


 するとそれを見抜かれたように、優しく微笑まれる。


「そんなに緊張しなくていいよ。わたしと志絵莉ちゃんは目的を一にする仲間、そして同じ血筋の家族みたいなもんなんだし。あれ、これはまだ言っちゃダメなんだっけ? まあいいや、順を追って話すから、まずは聞いてくれるかな?」


 わたしが無言で頷くと、彼女も満足そうに微笑んだ。ちらとの方へ視線を向けると、は退屈そうに腕を組んで、椅子に深々と腰掛けていた。


「まずは自己紹介をしておこうか。わたしは新崎にいざき科乃しなの。ここ、SSBCの所長を務めてるよ。それだけ言えば、頭の良い志絵莉ちゃんなら色々察してくれるかな。それと志絵莉ちゃんのお母さん――北川きたがわ志乃しのとは、良く言えば幼馴染、悪く言うと好敵手みたいな関係だったんだ」


 ちょっと待ってほしい。その一言にはあまりに情報量が多い。

 が関わる事件についての組織ということを踏まえれば、SSBCというのは“捜査支援分析センター”のことだろうか。ということは、新崎さんは警察官なのか。結構若く見えるが、見た目ほど若くはないのだろうか。

 それにお母さんの姓も、ようやく知ることができた。そんなお母さんと幼馴染にして好敵手というのは、確かにお母さんについてよく知る一人と言って差し支えないのだと思った。


「あの、どうしてわたしを選んだんですか?」


 思わず問うと、新崎さんはにやりとしてテーブルに両肘をついて、その手に顎を乗せる。


「いい質問だね。志絵莉ちゃんを捜査協力者として、こいつが推薦してきたからというのもあるけど、そうでなくてもいずれは志絵莉ちゃんを選んでいたかもしれないね。それくらい、志絵莉ちゃんは特別な存在なんだ。なんたって、あの・・北川志乃の娘だからね」


 結局はそこに行き着くのか。その若さでSSBCの所長を務めるくらいだから、新崎さんだってかなり賢くて、成果も挙げているのだろう。そんな彼女をして特別な存在と言わしめるお母さんは、何者なのだろうか。


「まあ、その北川志乃が何者なのか知らなければ、いくら話してもそこに納得はできないと思うよ。だから早速、北川志乃の話をしようか」


「話し過ぎないように気を付けろよ? あの話・・・はまだ許可が出ていないんだから」


 ここでようやくが口を挟んだ。ここまで来て、まだわたしに話せない内容もあるらしい。でも構わない。少しでもお母さんのことが知れるなら、それだけでも充分だ。


「北川志乃は二十三年前に死んだ。そう、二十三年前の、四月二十九日に。この日に何があったか、志絵莉ちゃんも知ってるよね? そう“トリカゴの乱”だよ」


 合間合間に挟む問いかけに、わたしの答えは必要とされていないようで、答える間もなく新崎さんは話を続ける。

 “トリカゴの乱”は、二十三年前に起きた“トリカゴ”と名乗るテロ集団による大規模テロ運動。警視庁を始めとした永田町の省庁が襲撃され、国家転覆を目論んだとされる事件だ。わたしが生まれる前の話だけど、もう教科書にも載っている。お母さんはその日に死んだ。ああ、そうか。もしかしてお母さんは――。


「警察を手玉に取って、幾度となく犯行予告通りの殺人やテロ行為を繰り返してきた史上最悪のテロ組織、“トリカゴ”。その主犯格は当時未成年で、素性は公にされなかった。コードネームは“シラサギ”。その人物こそ――北川志乃だよ」


 それを聞いて、多くのことが腑に落ちた。お母さんのことが秘匿されていた理由、わたしの価値。

 わたしは、史上最悪のテロリストの娘だったのだ。

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