1-3-21.四月三十日①

 今日はマユと一緒に出掛ける約束があった。と言っても、遠出をするわけじゃなくて、懐かしの場所をぶらぶらするだけ。まあでも聞きたい話も色々あるし、カフェにでも入ってのんびりできたらと思っていた。どうやらマユもそのつもりのようだし。


 わたしの実家がある小石原こいしはら市に戻ってきて、わたしが通っていた石城いしき高校の最寄り駅、石宮いしのみや駅前で彼女を待つ。時間は少し早かったけれど、ほどなくして改札口から少し小走りで彼女がやってくる。相変わらず、長い前髪で右目を隠したままだ。


「おはよー。早いねー、しーちゃん」


「おはよ、マユ。ちょっと色々あって、早く出たんだ。そう言うマユだって、まだ時間前だよ」


「だって楽しみだったんだもん」


 わたしたちは目的もなく、とりあえずで歩き出す。でもたぶん、歩いていたらいつものところにたどり着くのだろう。もうずっと歩き慣れた道なのだから。


「しーちゃん、最近どう? 毎日楽しい?」


 舗装された歩道を並んで歩きながら、マユが尋ねてくる。


「まあ、楽しいよ。なかなか刺激的な毎日で。そう言うマユは、旦那さんと上手くやってるの?」


「もっちろん。えいちゃんは私には激甘だからね~。たぶんそもそも数えられるくらいの人しか、人間だと思ってないと思うし」


 それはあり得そうだ。まあ、この二人に限って早々に別れるなんてことはないよね。それこそ その右目の傷ができる前からの幼馴染で、その傷を付けた犯人を追っているが、マユを見捨てるとは思えない。マユもマユで、右目の傷のことも、その原因になった過去のことも、それからの自分のことも全部知っているから離れるとは思えない。

 この二人の間には、恋愛的な感情はもちろんあるにはあるんだろうけれど、たぶんそれ以外の繋がりがある。強くて危うい、歪な繋がりが。それに関しては、わたしも彼女らのことを言えるような立場ではないけれど。だからこの二人が上手くやっていけている秘訣を知ることができれば、わたし自身に活かせるかもしれないと思っていた。


「めっちゃ変なこと聞くんだけどさ、夫婦なわけでしょ? その……えっちとかする、んだよね……?」


 マユはともかく、がそういうことをしている画はとても想像できない。とは言えマユの性格からしたら、していないということはないと思う。だけれどやっぱり、そんなところは想像できない。


「えー、ちょっと何ー? しーちゃんもそういう年頃? あんな純情乙女だったしーちゃんがねぇ……」


「別に、そういうんじゃないし。っていうか、誰が純情乙女だよ。昔のわたし、そんな風に思われてたの?」


「まあまあ。そりゃあもちろん、するよ。夫婦だからね。全然想像できないでしょ。たぶん映ちゃん、私以外の女の人は女だと思ってないからそういう感じしないんだと思うよ。っていうかそうじゃなかったら殺す。私に対しては、結構甘えん坊さんだしね」


 そんなところ全然想像できないし、想像したくないな。


「しーちゃんは、例の制約があるんだもんね……。彼氏さんとは上手くやれてる? また・・年下彼氏なんでしょ?」


 わたしが年下好きだというのは、わたしを知っている人の共通認識なのか。それに一紀かずきくんが本物の彼氏じゃないって話をしていても、マユの中では彼氏ってことになっているみたいだし。


「まあ、うん。今回は結構上手くやれてると思う。例の制約はあるけど、実は昨日、そういうことしちゃったし……」


「え、大丈夫なの?!」


 マユはわたしがお父さんに言われていた“言い付け”を知っていたから、それを聞いてひどく驚いていた。


「ああ、もちろん、挿入れるのは無しで、だよ。……それでもいいって言ってくれたから」


「そっかぁ。良かったぁ、しーちゃんにもそういう人が見つかって」


 “そういう人”というのは、マユにとってののような、理解ある伴侶ということだろうか。わたしはまだ、一紀くんをそこまでの人として見れていない。そしてたぶん一紀くんも、わたしのことを一生懸けてまで付き合っていく人だとは、本気で考えられていないだろう。マユとは、きっと高校の時くらいからそんなことを考えていたんだと思う。二人の絆と比べれば、わたしと一紀くんの間にあるものはまだまだ弱くて脆いものなのだと思う。


「マユはあいつと結婚することに、不安とかなかったの? 仕事柄、恨みとかめっちゃ買ってそうじゃない? 身バレしたら殺しに来る輩とか冗談じゃなくていると思うんだよ。そうなったら、あいつを困らせようとしてマユが狙われたりっていうこともあり得るわけじゃない? そういうリスクみたいな部分は心配じゃなかったの?」


「私はそういうの、あんまり考えなかったよ。私に何かあっても、あの人は必ず私を守ってくれるって信じてるし。それに、あの人に何かしようとしても、返り討ちに遭う方が多いと思うしね」


 それは確かにそうかもしれない。よくよく考えれば、あいつを陥れることができる人間があまり思い浮かばない。わたしも無理だと思う。


「しーちゃんは、自分のせいで彼氏くんを危険な目に遭わせるかもって心配なんだね」


「まあ、そう……かな。それにわたしは、自分に危険が向いた時にあいつみたいに自分で何とかできないかもしれないから。そうしたら、彼を悲しませることになる。お父さんを見てるからさ、彼をそんな風にはしたくないんだ」


「難しい問題だよね……。たぶん、しーちゃん個人を守ることはできると思うよ。今日この後、映ちゃんからそのための説明をされると思う。だけど、彼氏くんの安全までは保証できない。って、映ちゃんも言ってたよね、この前。だからしーちゃんが彼氏くんを守ってあげなきゃいけない。でも、そんなこと言われても無理だと思うの。しーちゃんだって、普通に普通の女の子・・・・・・なんだし。だからたぶん、この問題を解決する唯一の方法は……」


「わたしを狙っている奴を捕まえて、それが組織なら組織を壊滅させる」


 そうだね、とマユは寂しそうに微笑んだ。

 彼女だってかつては翠泉すいせんの付属中学に通っていたんだ。地頭は良い。だからわかっているんだろう、それが容易いことではないということを。何しろ、の傍で何年も彼がそれを実現できないところを見届けてきたのだから。


「あ、懐かしいね~、ここ。入ろうよ」


 マユが足を止めたのは、高校の頃によく通っていたカフェ。わたしとマユとの三人で、あーでもないこーでもないと議論を繰り広げるのは、決まってここだった。

 わたしも高校を卒業してからはめっきり来なくなり、入るのは久しぶりだった。いいね、とマユに賛同して、いつもの席で、いつものものを頼む。今日ははいないけれど、高校の頃にもそういう日はあった。


「マユは、わたしがあいつの計画に参加することに反対なの?」


「反対ってわけじゃないけど……心配、かな。でもしーちゃんは、きっとこういうのを望んでたんじゃない? 非日常に巻き込まれるの、本当はわくわくしてるんでしょ? わかるよ。昔からそうだから」


 そう言うマユは、相変わらず寂しそうな眼をしている。

 よく見ているな、マユは。確かに言われた通り、これから知ることができる世界に期待している自分もいる。危険だとわかっていても、その世界に身を置くことに高揚感を抱いている。そんな知識欲の獣みたいな自分を抑えておけなくて、たぶんわたしは今更退くという選択を取ることはないだろう。


「そうだと思う。わたしは知りたいんだ。色んなことを。お母さんのこともそうだし、自分のことも。事件のことも。何もかもを知りたい。そのために危険を冒すことになっても、その欲求は止められない。それにたぶん、その過程で誰かに危険が及ぶとわかっても、わたしは何らかの形で知ることを諦めないと思う。わたしはそういう人。だけど、マユが心配してくれているのもわかってるよ。ありがとう。マユだけじゃなくて、わたしを心配してくれている人がいるのもわかってるつもり。それでもわたしは、この先に進みたいの。ごめんね」


「こっちこそ、ごめんね。こんな話がしたかったんじゃなかったんだけど、しーちゃんが幸せそうにしてたから。そのまま幸せでいてくれたらなって思ったの」


 幸せそう、か。何がわたしをそうさせたのか、わからないなんて言うのはあまりに卑怯だ。もうわかりきっている。そしてそれを失うことを、何よりも恐れていることも。だからマユは、あえてこんな話をしてくれたんだ。わたしにちゃんと、自覚させるために。


――わたしはたぶん、一紀くんのことが好きなんだ。

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