第21夜 襲撃犯の正体 〜そして舞台の幕は上がる〜
―—聖都クリスタニア、ガイア教団総本山「法王庁」にて
「猊下、失礼いたします」
執務室にやって来た新米の書記官は、緊張ゆえか顔を強張らせながら部屋の主に一礼した。
普段なら緊張をほぐす冗談の一つでも言ってやるところだが、現在、時刻は明けの九刻(およそ23:00頃)。新たな仕事を持ち込むにはいささか遅すぎる。
そのため執務室の主、オルバ枢機卿は長椅子に体を預けたまま、聞こえなかったフリをした。
しかし緊張の余り周りが見えていない新米書記官は、お構いなしに要件を捲し立てる。
「報告いたします。ツァーリ新皇国より、王の使いを名乗る者が法皇様へのお目通りを求めております。い、いかがいたしましょうか?」
「はあ……」
突っ込みどころ満載の報告に、枢機卿は聞こえなかったフリをするのを早々に諦め、億劫そうに顔を上げた。
「旧皇国だ」
「は?」
「そして、偽王だ」
書記官は何のことかまるでわからぬという顔で頭上に疑問符を飛ばしている。
枢機卿は鈍痛がするこめかみを抑えながら、終わらない一日を嘆いた。
聖都クリスタニア。
そこはゼルガイア大陸唯一の正教「ガイア教」の総本山にて、法王庁が統治する独立国家である。
国家と言いつつもその国土は極めて小さい。
聖都はラクリア旧公国中央に位置するゼスタ湖、その湖上に浮く島――30分もあれば外周を一周できてしまうほどの大きさ――にある。
島は半要塞化されており、その中心にそびえ立つ「星晶城」こそが法王のおわす御所であり、聖都の全てである。
そんな聖職者だけが暮らす慎ましやかな島に、隣国の王の使者が突然訪ねて来たという。
事情を知らぬ者が聞けば、ただごとではない事態ではと眉をひそめるところだが、生憎、聖都において「王」を名乗る者の訪問は日常茶飯事。なぜならば――
「げ、猊下。ツァーリ新皇国の王の使者が、今度こそ真の『王の指環』を見つけたと、法王様に戴冠の儀を願い奉りたいとのことなのですが……」
賓客を待たせているのが気が気でないのだろう。新米書記官が焦れたように返答を促して来た。
だが、そんなことよりも。
枢機卿には先程から気になって仕方がないことがある。
「違う。ツァーリ旧皇国に偽王の使者だ。今、この世に、我が法王庁が王と認めている者は只の一人もおらぬ」
そう、ゼルガイア大陸は王無き地。民草が王を渇望しているにも関わらず、今なお、誰一人新たな王が立たぬ理由。
それを語るにはこの大陸の歴史を少し紐解かねばならない。
およそ300年前。戦乱に明け暮れた10の王国を征服し、一国にまとめあげた男がいた。
その男は大陸統一にあたって、10あった王の指環を全て手中に収めるという歴史上類をみない偉業を成し遂げ、己を「覇王」と尊した。
覇王の出現により、大陸から国境が消え、戦の起こらぬ平和な時代が訪れたが、まもなくして覇王は病に倒れ、束の間の平穏に翳りが見え始める。
征服され、国を失ったかつての王族たちが、覇王の「次」を狙うべく内乱を始めたのである。
己亡き後の世を憂いた覇王は、死の間際に「王の指環」を誰の手にも渡らぬよう、いずこかに隠してしまったという――
※※※
「300年前の覇王崩御の際に、全ての『王の指環』が喪失して以降、今日に至るまでただの一つも見つかっておらぬ。ゆえに、この大陸には今、王がおらぬのだ」
王を名乗るは全て騙り者。
そして王が立たぬなら新王朝も興らぬ。
法王庁に籍を置くものなら当然知っていて然るべき知識だが。
「め、滅相もございません。私はただ……」
「ふん」
新米が言いたいことは分かる。確かに現時点では法王庁が王と定めた人物は誰もいない。
だが今訪れている使者こそが正に「真なる王の指環」を携えた「新王」ではないのかと、そう言いたいのだろう。
オルバ枢機卿は新米の言葉を遮ると、宙に舞う微細な埃でも払うかのように手を振った。
「追い返せ」
「え!?」
「どうせ今回も偽物だ。法皇様に拝謁賜る価値もない。帰らせろ」
「そ、そんな……!」
何故、指輪を見てもいないのに偽物だと断じるのか。新米はにべもない枢機卿の態度に激しく狼狽した。何か言い募ろうとしたが、
「二度は言わぬ。疾く帰らせろ。そもそもにおいて、このような時刻に法皇様に拝謁賜ろうとする無礼極まりない者が王の器であるものか」
ぴしゃりと跳ねのけ、新米をとっとと部屋から追い出した。
そうして執務室の扉を閉め、内鍵をしっかりとかける。
「…………待たせたな」
枢機卿は再び、元の長椅子に座った。
すると不思議なことに、部屋のどこにも姿が見当たらないのに、あたかも隣にいるかのような距離から女の笑い声がした。
元々、この時刻に会う予定をしていた「
「随分と、初々しい新人でしたわね。今頃、王の使者に詰められて泣きべそをかいてることでしょう。可哀想に」
「偽王、だ。前置きはいい。要件だけ話せ」
慣れているのか、姿を見せぬことに動じることもなく、枢機卿は何もない宙空に問いかけた。すると、
「…………申し訳ありません。
「なに?」
想定と真逆の報告を受け、枢機卿の眉が僅かに上がる。「客」が仕事を仕損じるとは珍しい。それだけ相手が上手だったということか。
「オルキデアめ……」
オルキデア侯爵。あの飄々とした老軍人の顔を脳裏に浮かべて、舌打ちをする。
「しかし猊下。あの指輪は……」
「なんだ?」
脳内で侯爵の首を絞めるのに夢中で聞いていなかった。枢機卿が問い直すと「客人」は僅かに息を吐く。
「……いえ、なんでもございません。それより、侯爵の件。今一度私めに挽回の機会を」
「……いや、この件はもういい。次に頼みたい仕事ができた」
枢機卿は高位の者としての余裕と寛容を示しつつ、姿なき空に向かって刺すような視線を飛ばす。今回は許すが次はない、という無言の圧である。
「は。ご厚情感謝いたします。して、次の仕事とは、先ほどの偽王の使者殿、ですね?」
理解の早い「客人」に枢機卿は満足し、首肯する。
「そうだ。手段は問わぬ。『王の指環』を奪え」
「先程、偽物の指輪だと断じておられたのに?」
対して興味もないだろうに「客人」が戯れに言葉を返してくる。枢機卿は鈍痛が治らない頭を軽く振ると、僅かな苛立ちと共に吐き捨てた。
「ああ、偽物だ。だが万に一の可能性はある。必ず回収しろ。言っておくが、回収に当たって人の命を奪うような真似は許さぬ。我らの教義を忘れるな」
すると、やや気になる間があってから「客人」が答えた。
「………………はい、仰せのままに。我が王よ」
その一言を最後に、そこにあった気配が消えた。
「……王はいないと言っている」
ひとりきりになった部屋で苦々しげに呟いた後、枢機卿はおもむろに立ち上がった。
そうして夜風に当たるためにバルコニーに向かう。
本日は晴夜。空を見上げると見事に断ち切られた黄金が目に入る。今宵は弓張月だ。
「夜想亭では今頃、展示会の最中か。今宵こそは、茨姫の目にかなう者がいると良いが」
茨姫は気位高いがその実、繊細な一面も持ち合わせている健気の娘だ。誰かが一夜限りでもいいから彼女を慰めてやれれば良いのだが。
茨姫を皮切りに、枢機卿の脳裏に店の娘たちの姿が次々に浮かびあがる。
彼女たちはみな息災だろうか。
よく考えると、最後に店を訪れてからもうふた月も過ぎていることに気がつく。
「……ここらで一度戻るか。そろそろ法皇様にもご報告せねばならぬことが増えて来たし…… それに、あまり長く店を開けるとマダムに怒られるからな」
枢機卿は麗しの元妻の顔を思い出して頬を緩めた。
オルバ枢機卿。
彼の男は、法王庁の最高顧問して法皇の側近。
病に倒れて聖務が執り行えない法王に代わって法王庁を統括する、実質上の最高責任者である。
そして同時に。
枢機卿は羽織っていた仰々しい法衣を、その肩書ごと脱ぎ捨てた。
すると中から、褐色の肌に逞しい体つきをした、なんとも獣性あふれる男が姿を現す。
オルバ枢機卿。
彼のもう一つの顔は「歓楽街の王」。
複数の娼館を経営する資産家にして、大陸随一の高級娼館である「夜想亭」の総支配人。
歓楽街の王・ヴォルク。
聖職者でありながら、享楽の都を統べる、異例の経歴を持つ男である――
「指輪、指輪、指輪…… みな、指輪を求めて争い合う。元来、王とは
ヴォルクは湖の向こう、眼下に広がるラクリア旧公国の街並みを見下ろした。深い夜に誘われて闇に沈む街の中で、まるで異界のように燦然と煌めく一角が目に止まる。
「我らが地母神ゼルガイアよ。貴女の望みに背くことをお許しください。しかし我らは歩み出すべきだ。神話の時代から、真の人の世へと」
必ず全てを見つけ出し破壊する。
そこにどんな犠牲を払おうとも。
この世の理、この世の希望。
そして絶望とも等しき、その不条理の正体こそ。
王の指環なり――
異世界娼館に王は集う
~呪われ彫金師は純潔を諦めない~
第一部「茨の戴冠」編
第一章「そして舞台の幕は上がる」 ―完―
異世界娼館に王は集う ~呪われ彫金師は純潔を諦めない~ 北原黒愁 @kokushu
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