洗礼十字師団
イギリス、ヒースロー空港に着いたのは、待ち合わせ時間の10分前だった。道中、突然の悪天候によって機体速度が大幅に落ち込んだ為だ。あらかじめレインにその旨を伝えていたとはいえ、こんな風に遅刻するのは初めてだった。
レインがどこにいるかはすぐに分かった。藤次が飛行機を降りて通路を抜けると、ラフな格好ながら綺麗なブロンドを靡かせた美人が出迎えの人達と一緒に立っていたのだ。そんな華やかな彼女は、周囲から一目置かれたように少し距離を置かれており、藤次はまずはじめに目に付いた。
そんなブロンド美女が藤次と目があった途端、大げさに手を振ってきたのだ。藤次は一瞬固まったが、レインは更に、藤次に声をかけた。
「トージ!ココよ」
その声は、確かに電話越しに言葉を交わしたレイン・エーリアのものだった。すると。周囲の視線が一斉にこの黒のオーバーコートを着た、見るからに怪しい日本人に向けられた。
藤次はその目を逃れるように足早にレインに近づくと、
「場所を変えよう…」
と小声で言った。
「それにしても、何かリアクションをくれてもいいじゃない。手を振りかえすとか」
ロンドンの通りに面する高級レストランで、レインはそう愚痴った。
「しかたないだろう?まさか君が、あんなに堂々と俺を待ち構えていたなんて思わなかった」
「でもすぐに気づいたでしょう?それに、トージだってかなり目立ってたじゃない。あんなロングコート着ている人、この季節には貴方ぐらいよ?」
「あの服装には一応理由があるんだよ」
「どんな理由?」
「本を仕舞う」
「ああ、貴方の魔術、本を使うものね」
「そう。知っての通り俺の魔術は、本と見なされる物の内容を、その内容そのままに具現化する魔術だ。触媒は当然本だから、万が一の時の為に傍に携帯する必要がある」
「なるほどね。でも暑くはないの?」
「略式詠唱で皮膚を強化しているから、特には」
「器用ね」
「よく言われるよ。レインさんは何の魔術を?」
「……実は魔術は使えないの。略式詠唱もてんでダメ。だから悪霊の事を話しても相手にしてもらえなかった」
そう語りながら空のガラスを眺めるレインは、何処か自分の置かれている環境に諦観気味になっているように見えた。レインは続ける。
「でもね、人が殺されているっていうのに、見て見ぬ振りをして、そのままスルーしたくはないの。そんなの、亡くなった人が可哀想でならないもの。家の人間には偽善的だなんて言われるけど、それで救われる命があるなら、私はどう言われようと構わないわ」
「………」
藤次は思わず返事に詰まった。レインの言葉は藤次の過去に強く作用していたのだ。藤次はそのあまりの眩しさに目をやられていた。
「…トージ?聞いてる?」
「え?あ、ああ、ちゃんと聞いていたよ。我ながら不躾な質問だった、謝罪する」
「別に良いのよ、これが私だもの。今更気にしていないわ」
「強いんだな、君は」
「逆よ。私は弱いから自分と向き合わなかった。魔術を続けることを恐れたの」
「でも勇気はある。それは俺には無いものだ。正直羨ましいよ」
「…褒めても何も出ないわよ」
そう言うレインは、少し照れているように見えた。それに不覚にもドキリとしてしまった藤次は、まだ未熟なのだろう。
レストランはレインの奢りだった。
「これくらい気にしないで。むしろ割り勘なんて言われたら、無理矢理にでも私が払ってた」
とのことだ。名家の誇りという奴らしい。それもその筈で、エーリア家は中世の初めから続く由緒正しき魔術師の一族なのだ。代金を払った後、2人は路上で今後の予定について軽く話した。
「それじゃあ俺は、ゴーストの目撃情報をもとに辺りを歩いてくる」
「今から?ゴーストが出現するのは真夜中でしょう?」
「相手がそう思っていればね」
「どういうこと?」
「ゴーストの習性や使う魔術は、生前の記憶や考え、思い込みによって決定されるのさ。ゴーストは夜に現れるなんてのも、それが社会の一般常識、通念になっているからに他ならない。朝っぱらや良く晴れた正午にもゴーストは現れる」
「なるほど……じゃあ私も連れて行って」
「ダメだ。君に万一があったら俺は一巻の終わりなんだぞ?立場を分かってくれよ、依頼人」
「でも私はあのゴーストを見たわ。場所も覚えてる」
「ダメ。何度も言うが、君がゴーストに襲われでもしたら俺は……」
「私のことが心配ならそう言えばいいじゃない。まったく、キザな振りはよしてよね。それに私、ロンドンは良く知ってるし。なんなら、いざって時にトージを置いて逃げることだってできるのよ?」
「はあ……分かったよ、そこまで言うならお望み通り連れて行ってやる。その代わり、狭い裏路地なんかは俺の後ろにいろよ」
「分かったわ。それじゃあ付いてきて。現場まで案内してあげる」
レインはさっさと道を歩き始めた。
「……君は話を聞いてたのか?」
「ほら、突っ立ってないで早く。その調子じゃ日が暮れちゃうわよ?」
(やっぱり聞いてなかったか……)
2人はバッキンガム宮殿を掠めてピカデリー通りに入り、そこからさらに新たな通りに入った。見た目に特徴は無かったが、猟銃販売店や葉巻専門店などが軒を構えており、土地柄が良く出ていた。藤次はその光景を観光客然と言った感じで眺めていたが、不意に隣のレインが立ち止まり口を開いた。
「ここよ」
レインが立っていたのは、ある店の脇に伸びる一本の脇道だった。壁にはピッカリング・プレイスと記された看板が付いている。警察の規制線が貼られているので確かにここらしい。
「この入り口から中を覗いたら……ってわけ」
藤次が通路の中の様子を伺ってみると、確かに小さな広場が見える。
「なるほど…」
「どうするトージ。人もいないし入っちゃわない?」
「君はダ……少し危険か。しょうがない、付いてきてくれ」
「そうこなくちゃ」
2人は規制線を乗り越えると、奥の広場へと入っていった。中は小さな駐車場くらいのこじんまりとした空間だった。周囲を建物に囲まれていたが、不思議と閉塞感はしなかった。
「そしてこれが殺害現場か」
広場に行ってすぐのところに、人型の白い輪郭線が書かれていた。どうやら被害者はゴーストに背中を向けていたらしい。この狭い広場から逃げようとしたのだろう。
(ここにするか)
「レイン、君は通路を見張っていてくれ。人が来るとまずい」
「もしかして、ここで魔術を使うつもり?」
「気になることがあってね」
藤次はオーバーコートの懐から一冊の本を取り出した。それはSFの金字塔とも呼ばれる、とある小説だった。
「その小説…!」
「俺のよく使う触媒だ。今からこれを俺の魔術で具現化する」
藤次は栞をはさんでいたあるページを開くと、白い輪郭線の中に置いた。
(さっさと終わらせてしまおう)
藤次は立ち上がると、本に向かって片手をかざした。そして口を開いた。
『彼の地に降り立つは大いなる神性 往きて四方は導かれ、刻む時は停滞せん
その誓約に従い 聖なる光は言の葉に満ち足りて清き力となり此処に顕現せよ 清書光臨』
その言葉と共に、開かれた本はパラパラとめくれ、周囲の木々や建物はざわめき始めた。そして次の瞬間、それらがピタリと止まると、静寂と共に本のページが一枚捲れた。そこには真っ黒なカードが挟まれていた。藤次はカードを手に取り、本の汚れを綺麗に払って懐に仕舞った。
「……それがトージの魔術?」
「案外地味だろ?」
「ええ、まあ想像したよりもずっと地味だったけれど。そうじゃなくて、その手に持ってる黒いカード、多次元メモリよね?小説の中にでてきた」
「そうだ。その名の通りに次元に干渉する。作中では主人公がこれを駆使して見えざる敵と戦う」
「見えざる敵とは、一体何のことやら」
不意にそう声が聞こえたかと思うと、藤次の前に人が1人降りてきた。彼は白い防弾ベストを着こんでいた。ベストにはイニシャルが刻まれている。
「BCD、洗礼十字師団か…」
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