別れと始まり
レインは車を用意して藤次を待っていた。
「案外早かったわね。もっと捕まるかと思ったけど」
「別れの挨拶をしただけだからな。それより、その車は君が運転するのか?」
「そうだけど」
「……」
「なによ。別に心配はいらないわ。これでも私、バスだって運転できるんだから」
「君がバス運転手か。想像も出来ないな……」
「いいから早く乗って。助手席に」
「後部座席じゃだめか?」
「くどいわよ。安全は保証するし、もしもの時はトージの魔術があるじゃない」
「魔術はそんなに万能じゃないよ……」
藤次は渋々助手席に乗り込んだ。レインはどこか嬉しそうに運転席に座った。
「じゃあどこに行きましょうか」
「空港まで頼む」
「……ちょっと、もしかして今すぐに帰るつもり?」
「そうだな。イギリス組合との兼ね合いもあるし、あまり長居は出来ないんだ」
「……そうなんだ」
レインは先程とは打って変わってしょんぼりとしている。それに藤次はいたたまれない気持ちになった。
(こんなにテンションが下がるなんて、申し訳なくなるだろうが……)
レインはあくまで仕事の依頼者。それだけのはずなのに、どうしてか無視できない。藤次は悩んだ末に結論を出した。
「……少しなら、時間はあると思う」
「ほんと……?」
「ああ。でも遠出は無理だ。せめてこの近くで……」
「じゃあピッタリな場所があるわ!」
レインは慣れた手つきでシフトを入れると車を発進させた。レインは確かに丁寧な運転だった。少なくとも京都で乗ったタクシーよりは危なくなかった。藤次はシートベルトを握りしめながらレインに尋ねた。
「どこに行くんだ?」
「行けば分かるわよ」
レインは何度か道を曲がると、見覚えのある通りに出た。
「この通り、ピカデリー通りか?」
「そうよ。もうどこに行くか分かったでしょ?」
「……ああ。あそこは確かにいい場所だ」
レインは通りの途中に車を止めた。藤次が車から降りると、目の前には奥に続く狭い通路があった。奥にはこれまた狭い広場が見える。ここは2人が最初に来た広場だった。藤次の後ろからレインが声をかける。
「どうするトージ。人もいないし入っちゃわない?」
「そうだな。付いてきてくれ、レイン」
「そうこなくちゃ」
2人は通路を抜けて広場にでた。相変わらず狭い。それでも閉塞感が無いのがここの魅力なのだろう。2人は隅に置いてあったベンチに腰かけた。その横には古めかしい街灯が一本だけ立っており、夕暮れを越して薄暗くなった広場を照らしていた。
「あの時は良く見ていなかったが、いい場所だな、ここは」
「ね。こういう場所ってなんだか落ち着く」
「同感だ」
2人はしばらく無言だった。だが沈黙の気まずさは無く、お互いにこの空間を楽しんでいた。やがてレインが口を開いた。
「ねえ、トージ。あの約束、覚えてるわよね」
「ん?あー、君に助けてもらったことか……」
「具体的に、ね。まだ最後の一つを聞いてないわ」
藤次はまた躊躇ったが、意を決したように口を開いた。
「……俺は、少し不安だったんだ。今までずっとそうだった。魔術師になってから頼れる人もいなかったし、全部が一からで。俺は精神が強いわけでも無いから辛いこともあった。でも君の話を聞いて、その、とても勝手なんだが……安心したんだ。俺と似た生い立ちの人がいるのが、とても」
藤次はそう言って恥ずかしそうにベンチに深くもたれた。
「私も……思った。私、トージみたいな人初めてだったから。だから……感謝してる。ありがとね、トージ。貴方と出会えて私、とても楽しかった」
レインは藤次に笑いかけた。藤次は思わず目を逸らした。そのまま見つめていたらどうなるか分からなかったからだ。藤次は高まる動悸を抑えてレインに言った。
「そんなこと……こちらこそ、ありがとう。君が依頼人で良かったよ。久しぶりに父さんのことを良く思い出せた」
「ほんとに?嬉しい」
レインはそう言って藤次の肩に頭をもたげた。その途端に藤次の体が強張る。
「お、おい。そういうことは……」
「お願い、もう少しこのままでいさせて。そしたら私、満足だから……」
「………」
藤次はレインの体の温かさを感じた。そして、レインの心臓が早鐘の様に鳴っていることも分かった。
(そんなの、反則じゃないか)
すでに日は落ちて、街灯の光がスポットライトのように2人を照らしていた。レインのブロンドがきらきらと輝いているのが印象的だった。その輝きはまるで、騎士王の光の剣のように、気高く美しかった。
夜のヒースロー空港は案外すいていた。藤次は借りていた本を返却し、荷物をまとめて搭乗口まで来ていた。その柵の向こうにはレインが見送りに来ていた。最初に会ったときと同じ、カジュアルで上品な服装だった。前回との違いがあるとすればそれは、服の袖についた泥汚れだけだろう。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
藤次が歩き出そうとした瞬間、レインがそれを引き留めた。
「待って」
「どうかしたか?」
「私たち…また会えるわよね?」
その問いに藤次はふっ、と笑って答えた。
「ああ、会えるよ。それまでお別れだ、レイン」
「じゃあこっちに来て」
レインに言われるままに藤次は、柵越しにレインと向かい合った。レインは穏やかで、少し悲しそうな顔をしていた。
「また会えるって、約束よ?トージ」
「約束だ」
「じゃあ少しかがんで」
藤次が言われたままに少し前にかがむと、レインはおもむろに藤次の唇に自身の唇を重ねた。そして動揺する藤次に、あの大佐のようにニヤリと笑って言った。
「私待ってるから。それまではこれで我慢してよね」
「き、君は何をするんだ!それにこれ、ファーストキス……」
「わざとよ。他の女に取られるくらいならこれぐらいしておかないと。それに私だって初めてだったのよ?」
(厄介なのに捕まったな、お前)
藤次はスティンガーの言葉を思い出した。今やっとそれが理解できる。それに厄介どころでは無かった。
(約束だなんていわなければよかったかな)
藤次は若干後悔したが、それでも悪い気はしなかった。
「いつか恨むぞ、レイン・エーリア」
「上等よ。後悔はしてないわ」
「そうかよ。じゃあな、レイン。君と仕事ができて良かった」
「うん。またね、トージ」
藤次はレインに別れを告げると飛行機に乗り込んだ。藤次は窓際の席に座ふと、ふとガラスに映る自分の顔を見た。藤次は微笑んでいた。それは今までにない自然な笑顔だった。それに藤次は、さらに笑みをこぼした。
(単純だな、俺も)
レインは藤次を見送ってから深く息を吐いてその場を後にした。まだ動悸が収まらない。まさか自分があそこまで大胆な行動を取れるとは自分でも思っていなかった。そこにメールの通知が来ていた。レインがスマホを取り出してみると、送り主は母親からだった。そのメールを見てみると、
『貴方のお父様についてお話があります』
と書かれていた。レインは短い返事を返すと、高揚する気持ちを抑えて空港を後にした。
空港の外はひんやりと冷えていて、それが熱くなった体を冷ました。2人は思い思いにロンドンの街並みを眺めながら暗い夜を越えた。それは一つの物語の終わりでもあり、新たな物語の始まりでもあった。
GHOST night (単話版) @kamin0
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