第2唱 罪人の輪
第6戒 元お嬢様の新天地
先刻の『喧嘩』はいつの間にか終結していて、椿が外を覗いた時には、既に
聞いた話だが、今回の戦闘による死者は一人。あの金髪の男のみだという。あれだけの血が舞っていたのにもかかわらず、彼だけが死んだ。
あちこちに飛び散った血は、全て生存者もの。
椿の胸中で、一つの可能性が頭をもたげていた。
とはいえ、現段階で確認するのも気が進まなかった。一歩間違えば――また独りぼっちになってしまうから。
三階建て校舎の二階。元三年一組の教室の前に立つ。不安と緊張を軟化させるため椿は一度深呼吸をした後、ドアに手を掛けた。
「済みません。三年一組の教室は、ここで合ってますよね……?」
ドアを開け、おずおずと中を覗き込みつつ、椿は住人に声を掛けた。
怖い人でないことを祈った。自分の臆病ぶりに呆れながら。
「合ってるけどー?」
住人の女性は、ベッドに座ってスマートフォンの操作に熱中しており、こちらを見ようともしない。先の椿への返答もぞんざいで、スマートフォン操作の片手間に行ったのがすぐに分かった。
「あの……」
「何? 用事あんならさっさと――ん?」
住人の女性が、はたとこちらを向く。ようやくスマートフォンから気が逸れたらしい。
「あんたが新しいルームメイト?」
「初めまして。遠山椿と申し――いいます。よろしくお願いします」
今の内にと、椿はすかさず挨拶と一礼を済ませた。しかし、危惧は杞憂に終わり、住人の女性はあっさりとスマートフォンを手放した。
「よろー。うちはカカオ100%」
「カカオ……100%?」
本名を名乗らないメンバーがいるのは承知しているが、ここまで奇妙な名前がくるのは想定外だった。
「うち、チョコとかココアとかめっちゃ好きなんだよねー。で、この名前にしたわけ。いい名前っしょ?」
それはもはやカカオでは? という真っ当な突っ込みは、心の内に留めておくのが正解だろう。
「素敵なお名前ですね。改めて、よろしくお願いします。カカオ100%さん」
「そうかしこまんなって。調子狂うじゃん。あと、長いからカカオでいいよー」
いいのか。いや、本人が気に入っているのなら、あえて何か言う必要もないか。
「椿だっけ? あんた喧嘩組? 世話組?」
「世話組です」
「だよねー。その外見で喧嘩組ならドン引くわ」
ケラケラと笑うカカオ100%。初対面ということもあり、悪気の有無は不明だ。
「そうそう。そっちから見て左半分が椿のスペースね。家具は今日中には来るよ。知らんけど」
「分かりました。ありがとうございます」
椿の短い交流の中では、
友達になれるといいな。そんな希望を抱きつつ、椿は自分のスペースにちょこんと腰掛けた。
* *
椿が『世話』を始めたのは翌日のことだった。
他の世話組の人たちと話し合った結果、椿の今日の仕事は最上階――三階の清掃に決まった。
厄介になるのだ。せめて任された役目くらいは完璧にこなさなければ。そんな考えから、椿は午前の内に窓と各施設、午後に住人たちの部屋と廊下の清掃をかたし、残りの時間を雑用に充てる計画を立てた。
カカオ100%からは「頑張りすぎじゃね?」と呆れ顔をされたが、なんの取り柄もない自分が頑張るのは当たり前のことだ。
午前中の作業はつつがなく終了した。が、午後の作業に難関が待ち受けていた。
初対面、もしくは初対面に近い人たちの部屋の清掃は、人見知りの椿にはハードルが高く、思っていた以上の疲労を強いられた。いや、強いられていると言うべきか。作業はまだ終わっていない。
あと一室、最大の難所が残っているのだ。
* *
『ノックしてね』の張り紙の位置が微妙に低くなっているのは、百四十九センチの椿が加わったため――ではないことを願う。
あまりの緊張から生唾を飲み、三度にも及ぶ深呼吸の末にノックをした。しかし、返事はない。
そっとドアに手を伸ばす。ドアは難なく開いた。
椿の抱いた疑問は、室内を覗き込むことで全て解決した。
三人の男女が、テーブルを囲んで話をしていた。
ボスの
済みません、と椿が声を掛けようとした時だった。
「カレーの肉は牛じゃなきゃ駄目ッス! これだけは譲れないッス!」
昴の大きめの声が、室内に木霊している。彼の顔はいつになく真面目だ。
「しつこいわね。鶏肉しか残ってないんだから、今回ぐらいは我慢しなさいよ」
髪を弄りながら、朋美が昴の主張に反論した。
「あんた、もうすぐ二十一でしょ? 子供みたいなこと言わないの」
しかし、昴は引かなかった。
「じゃあトモちゃんは、チャーシューなしのラーメン食えるんスか!?」
「あ、無理だわ。ごめん」
ものの一瞬で承知する朋美。そして、隣で大人しく座っている片桐を見た。
「ボス。相談なんだけど」
「うん」
感情を削ぎ落としたような表情と、感情を削ぎ落としたような語調で応じる片桐。柔らかな目元と透明な声を台無しにしながら、彼は改めて会話に加わった。
「鶏以外の肉が欲しいんだよね?」
「その通りッス! あと、塩が残り少ないってカカオちゃんが愚痴ってたッス!」
「山葵もなくなりそうって言ってた気がするわ」
至って普通の会話だ。会議中ならいったん退室するつもりだったが、これなら大丈夫だろう。
ところが、そんな椿の考えは、瞬く間に無に帰す。
片桐が顎に手を当て、ひととき思案する素振りを見せる。直後、彼は顔色一つ変えずにこう言った。
「分かった。今から盗んで来て」
目が点になるとは、こういうことをいうのだろう。
「どこでもいいッスか?」
「そうでもない。これを見て」
片桐は緩く首を振ると、引き出しの中からくしゃくしゃの地図を取り出して、机の上に広げて見せた。
「ここのスーパーはまだ駄目。先週の臨時休業の日に、須面羅義が総出で窃盗に入ってる。この二ヶ所のコンビニも駄目。四日前に
「ふーん。じゃ、どこならいいの?」
「そうだね。今の穴場は――」
三人の会話は続く。その結末を見届けることなく、椿は静かにドアを閉めた。
【To be continued】
死人のアコード 福留幸 @hanazoetsukino
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