第5戒 罪の芽生え

死体それ、片付けといて」

 首が捻れた死体を無機質な視線で示しながら、ボスが仲間たちに指示を出した。

 ボスはたった今、顔色一つ変えず人を殺めた。しかし、この場にいるACCRDの面々は、椿を除き、全員が平然としている。こういった光景は、彼らには珍しくもなんともないのだろう。

「じゃ、今日は俺がやるッス!」

「馬鹿。あんたは喧嘩のかなめでしょうが」

「たまにはいいじゃないッスかー」

「駄目」

 もちろん、昴も朋美も至って普通だ。血まみれの椿と出会った時と同じように。

「あとで死者の数も報告して」

 澄んだ声で二つ目の指示を出し終えたボスは、ACCRDなかまからも須面羅義てきからも背を向けた。椿は、彼がそのままアジトへ戻るものとばかり思っていたが、予想は微妙に外れていた。

「君と話がしたい」

 足を踏み出す直前に、ボスは巨漢に守られたまま動けないでいる椿を見て言った。


 * *

 

 ボスに連れられ、後ろ髪を引かれつつも喧嘩の場を離れた。

 気温も室温も関連しない冷えが全身に広がり、形容しがたい焦燥感が胸に渦巻いている。今、自分の顔色は最悪だろう。

 自分の心音が響く錯覚を起こしながら廊下を進み、階段に差し掛かる。そこで早々に沈黙に耐えられなくなった椿は、半ば破れかぶれになってボスとの無謀な会話を試みた。

「それで……話というのは?」

「面談」

「面談?」

「面談」

「……準備などは?」

「いらない」

 階段を上がる合間に尋ねてはみたものの、ボスは抑揚のよの字もない声で、聞かれたことだけに返答するに留まった。中身のある会話には程遠く、なんの情報も得られなかった。

 無言。ひたすらに続く無言。遠ざかってゆく喧騒と反比例して、二人の足音が鮮明になってきた。

 焦燥感が嵩を増し、涙腺が緩む中、椿は意を決し、喉から枯渇寸前の声を搾った。

「あ、あの……」

「何?」

「先ほどは、ありがとうございました」

「助けたこと?」

「はい。それから、ご迷惑をおかけしました」

「いいよ。昴と朋美さんを心配してくれたんだよね」

「えっ、どうしてそれを……」

 反射的に聞く椿。しかし、これに対してだけは、ボスは何故か答えなかった。単純に聞こえなかったのか、意図的に流したのかは不明だ。

「着いたよ」

 ボスよりワンテンポ遅れて、椿はボスの部屋――元音楽室の前に立った。果たしてここでどんなことを聞かれるのか。椿としては気が気でない。

 ボスの手が入口の引き戸に伸びる。椿がそこに生じた異変に気付いたのは、その時だった。

 右手が腫れている。鉄パイプを受け止めた際に生じたのは間違いない。鉄パイプが触れていた箇所が生々しく変色していて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「お怪我……大丈夫ですか?」

「うん」

「ごめんなさい」

「いいよ」

 単調な応答を終えると同時に、ボスは今度こそ引き戸を開けた。

 一方のマスキングテープが剥がれ、半分が宙ぶらりんになった『ノックしてね』の張り紙が、不意に椿の視界の端に映った。が、ボスはちらっと目を向けただけで、特に何もしなかった。

「入って」

「はい……」

「入ったら、適当に座って」

「はい……」

 傍から見れば、挙動不審の極みだろう。椿はからくり人形みたいな動きで入室と着席を済ませると、コーヒーメーカーの方へ歩いて行くボスを視線で追った。気にするというより、怖すぎて目が離せないのだ。

「ブラックは」

「ひっ!」

「ひ?」

「あ、い、いえ。な、なんでもないです」

 いけない。ほんの少しでも落ち着かなければ。

 不自然な深呼吸を繰り返していた椿に、ボスは変わらない調子で質問を投げてきた。

「ブラックは飲める?」

「う……苦手です。ごめんなさい」

「じゃあ、紅茶――は切らしてた。玄米茶は?」

「好きです」

「待ってて」

「はい」

 会話はいったん終了した。

 酷い疲労感だ。まだ始まったばかりだというのに、我ながら情けない。

「熱いから、気を付けて」

 戻って来たボスが、椿の前にお茶を置いてから、向かいのソファーに座った。

「ありがとうございます」

「うん」

 猫舌なので、お茶に手を付けるのは後回しにして、椿は改めてボスの顔を見上げた。

 柔らかく、優しげな目。しかし、そこにあたたかみはない。冷たいのではなく、温度がないのだ。

 心という心を削いだような温度のない表情で、透き通った起伏のない声で言葉を紡ぐ。椿がここ数時間で見た、ボスの常だ。

 だが、それだけではない。先ほど証明されてしまった。

 大人しそうに見えても、このようなギャングのボスだ。正当防衛とはいえ、人をためらいなく、平気な顔で殺せる苛烈さは持っているのだ。

「僕が怖い?」

 思考は見透かされていた。

 ぶるっ、と身震いしながら目を逸した。これが自分の立場を一層危うくする行為だとしても、椿にはそうする他なかった。

 ボスは何も言わない。ただの一言もない。

 怒っているのか。あえて椿の返答を待っているのか。分からない。分からない。十八年生きてきて、ここまで沈黙に怯えたことはない。

 沈黙に耐えられなくると、椿は頭を下げた。

「ごめんなさい……。わたしだって人殺しなのに。あなたを怖がる資格なんてないのに」

「怖がっていいよ」

 今しがたの沈黙はなんだったのか。ボスは椿の自白をあっさり許容した。

 が、問題はその後だった。

いろんな人殺し・・・・・・・がいるからね」

「え?……どういう意味ですか?」

 言葉の意味が呑み込めず、椿は率直に質問した。

 ボスは答える。

悪人になりきれない悪人・・・・・・・・・・・は、総じて僕みたいなのを怖がるんだ。君も含めてね」

 悪人になりきれない悪人。ボスは椿をそう表現した。

「なりきれていない……? わたしが、ですか?」

「僕にはそう見えるよ」

 一拍置いて、ボスは続けた。

「悪人になりきれない悪人の多くは、ある共通の悩みを抱えてる。たぶん、君も持ってる」

「なんですか?」

「自首するか、しないか」

 何を言われたのか、すぐには理解が及ばなかった。それだけ、自分には衝撃が強かったのだろう。

「遠山さん、でよかったよね?」

 椿がどうにか頷くと、こんな提案を述べた。

「結論が出るまでは、ACCRDうちにいるといいよ。そうすれば、少なくとも一般人そとのひとたちには邪魔されない」

 思いもよらない提案に、椿は少なからず困惑した。

「ですが、わたしは皆さんように……その、『喧嘩』が出来ません。いたところで、なんの役にも……」

 しかし、ボスは緩く首を振る。

喧嘩あれは自由参加。必須じゃない」

「え? では、わたしは何をすれば……」

「他のメンバーの身の周りの世話かな。家事とか清掃作業とか……他にもいくつか」

 椿の中のギャングのイメージは、立て続けに崩れて行った。だが、そんな驚きに安堵・・が勝ったのは、椿の新たな罪としか言いようがない。

「あとは遠山さん次第。好きに決めていいよ」

 新たな罪を背負う。答えは出た。

「あの、ボス様!」

 頑張って声を張り上げた。ただ、若干裏返ってしまった。

 ボスが黙る。そこで、椿は自身の失敗に気付いた。

「あ、間違えました! ええと、ボスさん!」

「どうして敬称を付けるの?」

 目を凝らせばかろうじて分かる程度に首を傾げるボス。椿は答えた。

「あなたほどのお方を、呼び捨てになんて出来ません……」

「ボスは固有名詞じゃないよ」

「それでも……わたし程度が、恐れ多いです」

 椿が一人で延々と恐縮していると、ボスはおもむろに窓の外に目を遣って、一時思考する素振りを見せた。そして――。

「じゃあ、『片桐かたぎりさん』で」

 こちらを見ないまま、ボスは自らの呼称を淡々と提示した。椿は一瞬遅れて、それを彼の姓と承知した。

「か、片桐さん!」

「何?」

「不束者ですが、よろしくお願いします!」

 椿は、大仰な身振りで深々と頭を下げた。自分でも滑稽に思う。

 ボス改め片桐は、無機質な視線を再びこちらに寄越し、無機質な声音で答えた。

「うん」



【To be continued】

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