第4戒 喧嘩の解釈〈Ⅱ〉

 椿は走る。今まさに罪を犯そうとしている二人を止めるために。

「待って……! 待ってください!」

 他者の犯罪を咎める資格は、自分にはない。そんな理性・・。同時に、自分によくしてくれた人たちが罪を犯しに行く現状を、無視出来ないという感情・・。どちらが正しくて、自分はどうするべきなのか、考えている暇はなかった。

 衝動・・に突き動かされるがままに、椿は二人の背中を追いかけている。それがどのような結果をもたらすのか、予測も付かないのに。

 騒ぎを聞き付けたACCORDのメンバーたちが、各々の部屋から次々と廊下に飛び出して来る。しかし、椿は構わず走り続けた。

「おい嬢ちゃん! あんた新入りだろうが! 危ねぇから戻れ!」

 椿の姿を認めた一人の巨漢が、酷く慌てた様子で叫んでいたが、椿は問題にしなかった。正確には、掛けられた言葉の意味を咀嚼する余裕がなかった。

 ――朋美と昴はどこだ。


 * *


「師匠! 失礼します!」

 書いた物をファイルに挟んでいると、音楽室のドアが勢いよく開け放たれた。

 野太い声と共に音楽室へ現れたのは、まあまあ付き合いの長い巨漢だ。大真面目な顔をした彼の方を振り向きながら、ACCORDのボスは眉一つ動かさずに問いかけた。

「どうしたの? マルチーズ君」

「須面羅義の連中が来やがりましたよ!」

 巨漢がカッと目を見開いて報告する。

「そうみたいだね。ここまで聞こえて来たよ」

 巨漢の報告に、ボスは颯爽感と無機質が両立した声で応じる。

「皆そっちに向かってます!」

「うん」

「おれも今から向かいます!」

「うん」

「桜田と梅原は先に行きました!」

「うん」

「新入りのお嬢さんも付いて行きました!」

「連れ戻そうか」

「了解です!」

 巨漢は敬礼ポーズをして、威勢よく返事をした。


 * *


 肺の中に、冷たい空気が溜まって行く。吐く息は白く、喉を通過する度に微量の痛みをもたらす。

 吐息よりも白く、不安定な地面を小走りで進んだ。集団の中から探し人たちを見付け出すのは、想像以上に難儀した。

「桜田さん……」

 最初に視界が捉えたのは、背の高い昴だ。中折式の猟銃・・・・・・の装填作業をしているようだ。

「梅原さん……」

 昴の隣に立つ朋美。鉈に似た大型の刃物・・・・・・・・・を握り、他のメンバー同様に前方を見据えている。

 ACCORDのメンバーたちは、前方にずらりと並ぶ別の集団と対峙している。たぶん、あれが須面羅義のメンバーたちなのだろう。

 ACCORDも須面羅義も、各々が危険物を持ち込み、新たな犯罪に手を染めようとしている。鳥肌が立つほど剣呑な空気が、視界いっぱいの銀世界を掌握していた。

 言葉はなかった。しかし、両者は同時に咆哮や怒号を上げながら、真っ白な地面を蹴った。

 本人たちは喧嘩と称しているが、実際は殺し合いに発展しかねない明確な犯罪行為だ。

 自分に出来ることは、ない。承知の上だ。それでも、椿はここに来てしまった。――なんのために。分からない。少しも。

 風により軌道がずれた赤い・・雫が、雪と共に舞い散る。増え続ける赤い・・泥濘が、積雪と混じり合う。美しい白と、おぞましい赤が共存する悪夢的な世界に、椿は孤独に立ち尽くしている。成すべきことさえ、見出せないままに。


「こんなとこで何してんだァ?」


 ねっとりと撫で回すような、気味の悪い笑い声が聞こえた。椿のすぐ真後ろから。

「……え……」

 震え上がりながら振り返り、絶句する。

 鉄パイプを手にした金髪の男が、品のない笑みを浮かべて椿を見下ろしていた。

 全く気が付かなかった。ACCORDの最後尾、それも皆から離れた位置にいたのに、いつの間に回り込まれたのか。

 ACCORDのメンバーとは、纏う空気が似ても似つかない。椿を即座に敵と見なした。判断材料としては、これで充分だ。

 早々と振り上げられた鉄パイプが、早々と振り下ろされようとしている。椿の頭頂部を狙って。椿の頭を割り、砕くために。

「死ねや」

 死の宣告。

 死を望んでいた。両親と姉を手にかけたあの瞬間から、ずっと。その望みが、間もなく叶うのだ。――なのに、自分は何故、こんなにも怯えているのだろうか・・・・・・・・・・

「い、嫌……」

 風に攫われ、消える掠れ声。大きく目を開き、ただひたすらに怯え続ける。足は地面に縫い付けられたように動かさず、もはや為す術はない。

 死ぬ。殺される。そう悟った椿が、全てを諦めて瞼を閉ざした直後のことだった。空気が変わった・・・・・・・

 周囲がざわついている。見当も付かないが、この場で何か起きたのは明らかだ。椿は恐々と瞼を上げて、思わず息を呑んだ。

 細い手が、鉄パイプを掴んでいた・・・・・・・・・・

 鉄パイプは、持ち主の腕力をものともしない介入者により、椿に接触する間際で停止している。

「嬢ちゃん! こっちだ!」

 目の前の光景に戸惑い、呆然とするばかりの椿の腕を掴む者がいた。階段で擦れ違った巨漢だ。椿は巨漢に引っ張られ、金髪の男から引き離された。

 殺意が遠ざかったことでほんの少し冷静になれた椿は、ようやく介入者の正体を認識した。

「ありゃ? ボス、いたんスか?」

 返り血を浴びた昴が、こちらを覗き込んでいる。

「たった今」

 椿に牙を剥いた鉄パイプを、たった一本の手で・・・・・・・・受け止めていたのは、昴たちがボスと呼ぶあの青年だった。

 昴の気の抜けた台詞に、感情を削ぎ落としたような声と表情で応じたボスは、男の手から難なく取り上げた鉄パイプを、軽快な動作で放り投げた。

 鉄パイプが血の混じった積雪に沈んだ頃に、既にボスの無機質な視線は、男一人に向けられていた。

「君もしつこいね」

「あぁ!? 馬鹿にしてんのか!?」

「感想」

「っ、ぶっ殺す!」

 仲間たちの前で恥を掻かされた上、無感動に応対されたことに激怒した男が、ボスを睨め付けながらポケットに手を差し入れた。

 現れたのは、突撃に特化したナイフ。男の意図は、瞬時に知れた。

「危な――」

 しかし、椿が叫び終わるよりも先に、事態は終息していた。

 男はボスに触れるどころか、取り出したナイフを向けることすら叶わなかった。

 視覚しがたい高速で伸ばされたボスの手が、男の頭部を左右から掴む。一瞬で捻られた男の頸部の骨が、生々しい轢音と共に砕けたのが分かった。

 死んだ男・・・・が雪の上に倒れたのを境に、須面羅義のメンバーたちの間で、幾つもの悲鳴が上がった。



【To be continued】

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