第3戒 喧嘩の解釈〈Ⅰ〉

 女性に先導され、体育館――を改造して作られた銭湯で全身を洗った。

 着替えは女性のお下がりを借りた。白のニットと黒のプリーツスカート、ショートブーツ。出来るだけ目立たない服を希望した結果だ。サイズ合わせに大変手間を取らせてしまい、申し訳ない限りだが、体格は自分の意思では変えられない。

「名前、まだ聞いてなかったわね。聞いてもいいかしら? 別に本名じゃなくてもいいわ」

「え?」

 渡り廊下を進むがてら、今更な自己紹介をする流れになったが、女性の言葉の最後に引っかかりを覚える。事情を洗いざらい吐く覚悟をしていた分、最も重要な個人情報を不要とされたことに肩透かしを喰らった。

「トモちゃーん! 新入りちゃーん! 暇だったんで待ってたッス!」

 そんな最中、渡り廊下の先に男性の姿を見付けた。大人らしからぬ無垢な笑みを浮かべ、校舎内から大袈裟に手を振っている。

「あーあ。またうるさいのが来た」

 肩を竦める女性。

 男性と早々に再会を果たした少女と女性は、今しがた中断された会話を男性と共有した。

「名前なんて、単なる記号ッスよ。偽名でも通名でも芸名でも、あだ名でもペンネームでもハンドルネームでも。呼べたらなんでもいいッス」

 明け透けに言う男性。彼の見解も女性のものと大差ないらしいが、急に偽名だなんだ言われても困るのが正直なところだった。

「特にございませんので、本名を……」

 二人と並進しながら、少女は息を整えた。

遠山椿とおやまつばきと申します」

「名前までいかにもって感じね。かえって覚えやすいかも」

 さして興味もなさそうに、女性が感想を言う。

「あたしは梅原朋美うめばらともみ。適当によろしく」

桜田さくらだ昴ッス! よろしく頼むッス!」

 二人が素っ気なく、或いははつらつに名乗った。

 至って普通の名前だ。本名にしろそうでないにしろ、ぶっとんだものでなくて良かった。人名は呼びやすいに越したことはないだろう。

 少女こと椿は「お願い申し上げます」と返したのちに、改めて二人を見上げて尋ねた。

「では……梅原様、桜田様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「はぁ!?」

 朋美の素頓狂な声から、驚きや怒りといったマイナスの感情が伝わって来た。それは彼女のきつめの目付きも相まって、椿をおののかせた。

「あ、あの……何か……?」

「何かって、あんた……。いくらお嬢様だからって、仲間相手に硬すぎでしょ」

「同感ッス! それに『申し上げます』とか『よろしいでしょうか』とか。ほんとに目立ちたくないんなら、すぐにでも変えた方が良いッスよ!」

 すかさず昴が同意した。

 確かに、言われてみればそうだ。

 屋敷いえにいた頃は、外の人間との交流をことごとく制限されていた。通学先は父が運営する一般人のいない・・・・・・・学校に限定され、行き来は監視を兼ねた送迎。友達との寄り道も叶わない。そんな窮屈な生活を、椿はつい先日まで送っていたのだ。

 椿たちの『普通』は、一般人の『普通』と乖離している。頭の中にはあった。実感を伴わない、ただの知識として。

 ただの知識に、ようやく実感が伴った。ここに至るまで、十八年もかかってしまった。

「左様でござい……あ、いえ、そうですね。承知致し……いえ、分かりました」

 ゆっくりと、しかし懸命に口調を改めていく。

「梅原さん、桜田さんとお呼び……ええと、呼んでもいいですか?」

「おお! いい感じッス! あとは一人称ッスね!」

「一人称……」

「『く』を取りなさい。『く』を」

「……わたし」

「ギリ合格」

 朋美がふっと笑む。出会って数時間。彼女が椿に初めて見せた笑顔だった。

「ってことで、ACCRDにようこそッス! 期待してるッスよ! 椿ちゃん!」

 矢継ぎ早に、はつらつな声が割り込んだ。その台詞の意味は、今ひとつピンとこない。

「あこーど……?」

「うちのギャングの名前。ボスが決めたの」

 椿の困惑を察した朋美が、すぐに説明をしてくれた。

「先ほどの方が?」

「そ。意外とお洒落な名前でしょ?」

 朋美がいたずらっぽく言いながら、先駆けて歩みを再開する素振りを見せる。が、ほとんど同時に、爆音さながらの怒声がこちらまで飛んで来た。

「ゴラァ! ACCRD! 今日という今日は決着つけてやらァ! とっとと出て来いやァ!」

 怒声には、フィクションの世界でしか聞いたことのない台詞の数々が添えられていた。

「ああ、須面羅義すめらぎの連中ッスね」

「すめらぎ」

「いま対立中のギャングッスよ。決着つかなすぎて困り始めた今日この頃ッス」

 溜息を吐く昴。

「面倒だけど、行くしかないのよねぇ……」

 今度は朋美が溜息を吐いた。

 嫌な予感がして、椿は肝を冷やしながら口を開いた。

「まさか、殺――」

「じゃ、ちょっと喧嘩・・して来るッス!」

「ま、待ってください……っ」

「留守番よろしくッスー!」

 椿の声は届かなかった。

 椿は見てしまった。朋美と一緒に駆け出した昴が、懐から手榴弾・・・を取り出す様を。



【To be continued】

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