報酬

第8話

「下北とかめちゃくちゃ久々だわ俺。舞台観終わったら古着見てもいい?」

『別に良いよ。でも買ってあげたりはしないからね』


約2週間後。私と修也はケイちゃんの劇団の公演を観るため、下北沢まで来ていた。

修也は舞台公演よりも下北沢という場所にテンションが上がっているようだった。元古着屋店員の血が疼くのだろうか。


修也は劇団側からお試しで出された課題作品を1日で完成させていた。

私はその日仕事が休みということもあって近くで一部始終を見ていたのだが、修也はタブレット端末の他にペンタブというものも持っていて、それを接続しタブレットで手書きアプリを起動させ、紙に絵を描くのと同じようにスムーズに手を動かしていた。ブランクがある人間とは思えないスピードで。

一旦完成した作品を劇団の制作側にメールで送るとすぐに返事があり、多少修正の依頼はあるものの是非当日パンフレットのデザインをお願いしたいとのことだった。その後修正箇所もクリアし、無事納品という形に落ち着いた。よって、私達は公演関係者として招待されたのだった。


ケイちゃんからメッセージアプリで送られてきた劇場までの道案内を見ながら下北沢の街を歩いていると、とあるビルにたどり着いた。とても劇場には見えなくて戸惑っていると、公演のスタッフらしきお兄さんに「受付はこちらです」とビルの地下へ続く階段の方に案内された。階段を降りると今度は受付のお姉さんに予約名を聞かれ、招待枠だと確認してチケット代は徴収せずに半券だけを渡された。その他のスタッフにも「2名様ですね」「足元お気をつけください」等丁寧に案内されようやく劇場内に足を踏み入れる。

木製の雛壇にびっしりと並んだパイプ椅子。それがどんどん観客で埋まっていき、狭い空間に人が密集して誰もが今か今かと開演を待っている。私は舞台公演を観る機会がこれまでなかったから、これがケイちゃんの言う芝居小屋というものなのかと新鮮さを感じていた。

そしてスタッフに誘導された先のパイプ椅子の上には、当日パンフレットと他の劇団の折り込みチラシがワンセットになって置かれていた。


席に座り、パンフレットを手に取った。真っ先に目に入るのは公演タイトルと修也が描いたデザイン画。修也の作品がパンフレットの表面に印刷されているため、まだ空席の場所に目をやると修也が描いたデザイン画が並んでいるように見える。


『スゴいじゃん、修也』


隣に座る修也に話しかけると、修也は黙ってパンフレットの中身を見つめていた。スタッフクレジットの中にパンフレットデザイン担当として修也の名前が刻まれている。

満足そうな表情をしている修也を見ていると、私はそっとしてあげたいという気持ちになり、それ以降は公演が終わるまで黙っていることにした。





公演は1時間30分ぐらいで、所々社会風刺的な表現もあったが基本的にはアングラと言われるようなジャンルなのだろう、舞台鑑賞初心者な私にはイマイチ内容が理解できなかった。でもケイちゃんは綺麗で華もあったし演技も上手だなと思った。

劇場を出ると出演者がお見送りをしてくれていて、その中にケイちゃんもいた。


「あ、美奈さん!!」


私達に気付き、ケイちゃんが駆け寄ってきた。私の隣にいるのが修也だとわかるとすぐさま劇団の代表らしき男性を呼び、その人も駆け足で私達の元にやってくる。そして2人揃って修也に深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございました!!」

「もう納品までめちゃくちゃ早くて助かりました。なのに初めに試すようなことをしてしまって申し訳ございません…」

「あ、いえいえ…たまたま暇だったので…」


感謝とお詫びの言葉を繰り返すケイちゃんと劇団代表に対し、修也はいつものヘラヘラした調子で返している。デザイナーとしての仕事をくれた人達なんだからもっとちゃんとした対応をしろよと思ったけど、まぁ美大卒業後まともに働いたこともない人だから仕方ないのか、と無理矢理自分を納得させて黙っておいた。

私にはあまり理解できなかった内容だったけど、修也は公演について色々と感想を持っていたようで、劇団代表とその話で盛り上がっていた。それを横目に私はケイちゃんと軽く話をした。


「美奈さんもありがとう。お店で神田さんと話してる時に割り込んできてくれなかったら、最悪文字だけの簡素なパンフレットになってたかもしれないし」

『いや、私はそんな大したことしてないよ…』

「修也さんの描く絵、うちの劇団の作風と合ってるよねって話になってるの。もしかしたら今後も継続的にお願いするかもしれないんだけど、修也さん迷惑じゃないかな?」

『大丈夫なんじゃない?多分…』


あくまで私の想像でしかないけど、劇団代表と話が盛り上がっている修也を見て、私はそうケイちゃんに返した。









劇場を出て下北沢を歩きながらケイちゃんが言っていたことを修也に話すと、どうやら修也も劇団代表から似たようなことを言われていたようだった。

また機会があれば、と修也は返したらしい。


『機会があれば、じゃなくてそこは是非お願いしますって言うべきでしょ』

「いや、だって最初からグイグイいってもなぁって感じじゃん」

『もう…私はあんまり芸術系の仕事のことはわからないけど、こういう繋がりって大事なんじゃないの?』

「大丈夫大丈夫、連絡先は交換してんだから。…あ。そういえばはい、これ」


そう言って修也は私に茶封筒を渡してきた。中身を確認すると壱万円札が2枚と領収書の控えが入っていて、但し書きには“原稿料として”と書かれていた。


「さっき代表さんに貰った。生活費の足しにでもして」

『…これ、修也がデザインの仕事して受け取った報酬なんだよ?修也が使いなよ、古着屋寄りたいって言ってたじゃん』

「古着は見たいだけで別に買うつもりないよ。俺どーせずっと家にいるだけだし。今まで美奈に助けてもらってきたからそのお礼」


修也のヘラヘラした笑顔が次第に滲んで見えなくなり、私の目から大粒の涙が溢れて茶封筒に染み込んだ。

下北沢の道のど真ん中で突然声を上げて泣き出した私に、すれ違う人が好奇の目を向けてくる。それに修也は焦っているようだが、一度スイッチが入ってしまった感情を私は抑える事が出来なくなっていた。


「ええ〜、美奈どうした!?」

『うるさい、修也がらしくないことするからでしょ!!』

「マジか〜、じゃあやっぱその金でスロット行っていい?」

『絶対駄目、生活費で使う』

「なんで!?勝てばお金もっと増えるよ?」

『黙れ、これはもう私のもんなの!!』



ケラケラ笑う修也と泣き怒る私。例え周囲に変な目で見られていようが、そんなことはどうでもよかった。

何故なら私は今、最高に楽しくて幸福感に包まれているから。


ふざけて茶封筒を取り返そうとする修也の手を遮り、私はそれを大切に自分のカバンの中にしまった。

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