ジョンちゃん

第2話

「もぉ〜、中村さんドS過ぎませ〜ん?」

「まりんが欲しがってっからな〜?」

「欲しがってますよ〜、お酒飲ませてくださいよぉ」

「んじゃぁ、俺にもうちょっとアピールして来いよ」


先輩サラリーマンの中村さんとまりんが、いかにも“ガールズバー的”な会話のやりとりをしている横で、私と後輩サラリーマンのジョンちゃんは一般的な世間話をしているだけだった。温度差があり過ぎて中々のカオス空間だ。


「ガールズバーって賑やかなんですね」

『うーん…店によって雰囲気も違うと思うんですけど、うちは女子大生率高めですから…私もたまについていけてないです』

「そうなんですね!僕、こういうお店初めてで…」


中村さんとジョンちゃんを連れて私が店内に戻ることで、店内はキャスト6人お客さん5人になった。ここでキャストが1人余る形になるので、そのキャストが私と交代でプラカード持ちのために外へ出ていく。

こうしてお客さん1人につき1人のキャストが付くというスタンダードなガールズバーの形になったのだった。


『あはは〜、先輩に無理やり連れて来られた感じですか?』

「まぁ、そんなとこです…あ、何か飲まれますか?」

『え、いいんですか?』

「はい。せっかくですし乾杯しましょうよ」


意外だった。女の子がいるお店に来るのが初めてだと聞いていたから、自分についているキャストにドリンクをあげるものだなんて気が付かないだろうと思っていた。

お客さんによってはいかに安く楽しく飲むかだけを考えて、頑なにキャストにドリンクをあげない人だっている。まぁ、そういう人は決まって帰った後に裏でキャストからクソ客呼ばわりされているものだが。


『ありがとうございます、じゃあ私も同じのいただきますね』


そう言って私はジョンちゃんに合わせてビールを飲むことにした。私は基本お客さんが飲んでいるのと同じお酒を飲むようにしている。同じものが好きだと思わせた方が会話が盛り上がるからだ。小さく『いただきます』と言ってグラスを合わせると、ジョンちゃんは急にかしこまったような素振りをしたので、なんだか微笑ましく思えた。


「えっと…改めてお名前聞いてもいいですか?」

『あ、はい。美奈です。ジョンちゃんですよね?』

「はい…よくそう呼ばれます」

『あだ名ですか?なんか外国人みたいですよね』

「まぁ…僕外国人なんで」


私がえっ、と聞き返そうとしたらジョンちゃんはスーツの内ポケットから名刺ケースを取り出し、そのうちの1枚を私にくれた。

某大手IT企業の社名と所属部署、そして真ん中にカタカナで“カン ジョンシク”と書かれていた。裏面を見るとアルファベット、漢字、ハングルそれぞれの表記もある。


『韓国の方だったんですね。あまりにも日本語が自然だから全然気づかなかった』

「ははは、初対面の人によく驚かれるんですよ。子供の頃から日本にいますから、母国語よりスラスラ喋れちゃうんでね」

『そりゃびっくりしちゃいますよ!そっかぁ…やったー、私外国人の知り合い出来るの初めてかも』

「初めてですか…よかったです」


ジョンちゃんは照れてるようで、中々私と目を合わせてくれなかった。多分彼は女の子と話すのが苦手なタイプっぽい。

そんな私達の様子が気になったらしく、さっきまでまりんとチープなガールズバーごっこをしていた中村さんが急に絡んでくるようになった。


「ジョンちゃん、おねーさんといい感じ?」

「そんな…普通に会話してるだけですよ」

「いっそすんげー仲良くなっちゃってさ、お持ち帰りしちゃいなよ?ジョンちゃん。おねーさんも満更でもないっしょ?」

「な、何言ってるんですか!?」

『あははは…』


うん、中村さんはウザ絡み系だな。若い子が好きならそのまままりんと話してりゃいいじゃん…。

ふとまりんの方を見てみると、中村さんの相手が疲れたのか自分のスマホをいじっていた。中村さんが私達に話しかけてきたのをいいことに休憩してやがる…仕事しろよ。


「美奈さん、お願いしまーす」


ヤスさんの声が店内に響いた。ヤスさんがこういう時はチェンジの合図だ。

うちの店は指名制度があるので指名されない限り、ある程度時間が来たらお客さんに付くキャストはチェンジになる。

また、キャストがお客さんから貰うドリンクや指名にはバックも発生するので、キャストはこのバックでどれだけ稼げるかを考えながら働くのだ。

本来なら指名してもらおうと粘るべきなんだろうが、ジョンちゃんは女の子がいる飲み屋初心者だ。流石にがっつくのも可哀想だなと思い、私はこの席から離脱しようと思った。


『ジョンちゃん、私呼ばれちゃった。代わりに他の女の子が来ると思うから楽しんでね』

「え、行っちゃうんですか?」

『うん。ローテーションするシステムなんだ』

「あの…こういうところって“指名”ってあるんじゃないんですか?」

『え、あるけど…』


指名?私を?たわいもない話しかしてなかったけど…。

戸惑っている私にジョンちゃんが小声で事情説明をしてきた。


「僕、なんというか…ああいう賑やかなノリ苦手なんです…出来れば美奈さんみたいに落ち着いて話せる人の方がいいんです。美奈さんさえよければ」

『ああ、なるほどね…でもいいの?指名料かかっちゃうけど』

「全然大丈夫です。気にしないでください」



「美奈さーん、お願いしまーす!!」


中々席を動かない私に痺れを切らしたのか、ヤスさんは強めの口調で再び私を呼んだ。

とりあえず簡単に指名料の説明をジョンちゃんに説明し、ヤスさんに指名になったことを伝えるべくカウンター内を移動した。


『6卓、指名になりました』

「ああ、そうなの?美奈さん珍しいじゃん」

『まぁ…』

「彼、押しに弱そうだし、うまいことやって繋ぎ止めてよ?美奈さん」

『はーい』


はいはい、わかってますよヤスさん。

色恋営業も出来なければ若さで売ることも出来ない私に、ヤスさんはいつもこうやってプレッシャーをかけてくるのだ。

こういう仕事だから仕方ないけど…つくづく男の店長ってキャストとして働く女の子のこと稼げるやつかどうかでしか見てないよなーって思う。

以前美容師仲間でスナックと掛け持ちでやってる子が、ママさんがやってるお店の方が何かとフォローしてもらえるし気持ち的に楽だよって話してたのを思い出した。

その通りかもね。新宿のガールズバーから地域スナックに移ろっかな…。

とか考えつつ、ジョンちゃんの元に戻った。


『店長に指名だって伝えてきたから』

「よかった、ありがとう」


指名になってからも、私達は本当にたわいもない世間話しかしなかった。

ジョンちゃんこと、カン ジョンシクさんは27歳で私より1つ歳上だ。父親の仕事の都合で、中学生の時に家族で日本に引っ越してきたらしい。

同級生との会話や、日本のアニメや映画を観て少しずつ日本語を習得したのだと言っていた。

その名残で今も趣味が映画鑑賞らしく、仕事帰りによく映画館に寄っていくそうだ。ちなみに今日も、本当は歌舞伎町内にある映画館に行く予定だったのを中村さんに捕まったらしい。


『あはは、残念でしたね〜。ちなみに何を観る予定だったんですか?』

「いやぁ、僕いつも決めないで観るんですよ。その時やってる作品の中で気が向いたのを観るって感じで」

『へぇ。なんか本当の映画好きって感じする』

「そうなのかなぁ…だから、どのジャンルでも楽しく観れちゃうんですよ。ハリウッド系、シリアスなやつ、漫画原作の邦画やアニメ…何でも観ますよ」

『ほんとにー?じゃあ今度私が観たい映画、一緒に行ってくれます?』

「是非是非」


ひとしきり映画トークが盛り上がった頃、隣にいた中村さんがまたしても絡んできた。


「ジョンちゃ〜ん、しっぽりしてるところ悪いけど、俺もうそろそろ帰るから」


呂律が回っていない話し方と紅潮した顔を見る限り、だいぶ出来上がっている雰囲気だ。

テンションの高いおじさんを相手するのが疲れたのか、まりんはうんざりしたような表情をしている。っていうか、あんたも指名になったんかい。


「まりん〜、チェック!チェックしといて〜」

「はいはい、わかってます!中村さんとりあえずお水飲んでください!!」


中村さんがジョンちゃんの分も払おうとするのを、自分の分はちゃんと払いますと言ってお金を渡そうとするジョンちゃん。

そしてそれを見栄で断固として受け取らない中村さん…飲み屋の会計時あるあるなやりとりがひとしきりあって、最終的に全額中村さんが支払うということで落ち着いた。

足元がふらついている中村さんをジョンちゃんが介抱しながら連れ出していくのを見守る私とまりん。

なんか最後はバタバタだったな…。


「美奈さんいいなー、若い人の方で〜。中村さんめちゃくちゃウザかったですよ〜?」

『仕方ないじゃん、あの人若い子がいいって言ってたんだから』


お見送りを終えた後に愚痴をこぼすまりん。

私はそれをさらっと流して店内に戻り、カウンターの片付けに向かった。


あ、そういえばジョンちゃんの連絡先聞けなかったな。バレたらヤスさんに怒られるだろうから黙っておこうっと。

また来てくれたらいいけど…そんなことは多分なさそうだよな。

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