知らない顔

第5話

『ただいま…』


珍しく私は夜のうちに帰宅した。雨が降っていたということもあり、その後もお客さんの入りが悪かったから早めに店を閉めることになったのだ。女子大生キャスト達は終電に間に合うように上がって、私はもうしばらく残ってヤスさんと店を開けていたけれど、深夜2時頃ついに「今日はもう無理そうだな」とヤスさんは諦めた。

ヤスさんが珍しく私に帰りのタクシー代をくれた。今日の営業で本指名のお客さんが来たのは私だけだったから労いのつもりなのだろう。ジョンちゃんには感謝しかない。


こうしてジョンちゃんとヤスさんの気まぐれのおかげで私はいつもより3時間早く家に着いたのだが、たどり着いた家の中は深夜にも関わらず電気灯りが煌々としている。どうやら修也が夜ふかしをしているようだ。


「おかえり。今日早かったね」


寝室に入るとベッドに転がりながらポータブルゲーム機を弄っている修也の姿が目に入った。ちなみにこのゲーム機は元々私のものだ。その時流行っていたパーティゲームがやりたくて買ったけど、最近は時間と心の余裕がなくて放置していた。多分奥底に眠っていたと思うのだが、修也はわざわざひっばり出してきたということなのだろうか?


『全然客入んないから店早く閉めてタクシーで帰ってきた。…てかなんでこんな時間まで起きてんの?』

「いやー、クソ暇だったからなんかないかなーって美奈の私物漁ってたらゲーム機出てきたからさ。試しにやってみたら結構ハマっちゃったんだよねー。っしゃ、また勝った」


ゲーム機の画面を覗き込むと、修也が使っている緑色の恐竜のキャラクターがトロフィーを持って喜んでいるアニメーションが映し出されている。

それはどうでもいいんだけど…人の私物漁るってどういう神経してるんだろ。

自分では考えられない程修也は人との距離感がバグっている。良く言えば人懐っこくて憎めないやつだけど、悪く言えば図々しくてウザい。まあ、でもこういう性格だからヒモ的な生き方が出来ていたのだろう。実際私もいちいち不満や文句を言うのが馬鹿らしくなってきているのだから。


『そ。楽しそうで良かったね』


適当に会話を終わらせ、ローテーブルの隅に追いやられたメイク落としシートを手に取る。その横にお洒落な絵が描かれた葉書が置いてあった。


『これ何?私宛じゃないよね』

「あー、美大の同期が個展開くらしくてさ。案内のDM送らせてってこの前連絡きたからここの住所教えたんだよねー。そしたら早速送ってきた」


ゲームをしながら修也はそう答えた。それを聞いて私は修也が美大卒だったことを思い出した。普段の体たらくぶりを見ているとうっかり忘れてしまいそうになるが、彼は一応芸術家の一面があるのだ。かなり前に映画を一緒に観に行った時も、私みたいに『面白かった』『あの俳優カッコよかった』などの凡人的な感想は述べず、「全体的な色彩がこの作品の世界観に調和していた」とだけ話したことを覚えている。その時私は『確かに』と適当な相槌を打ったのだが。


『個展行くの?』

「うん、まあそうだね。俺あんまり友達いなかったけど、こいつとはなんだかんだよく一緒にいたしね」

『修也って何専攻だったの?』

「油絵。こいつと一緒」

『そうなんだ…人を描くの?それとも物?』

「どっちも描くよ。無機物も大学が呼んだモデルさんも。1年の時はひたすら目の前にあるものを描いて、2年以降は自分のインスピレーションで製作していくんだよ」

『へぇー。ねーねー、修也ってどういう世界観の作品描いてたの?』

「…めっちゃ聞いてくんじゃん」

『だって全然知らないんだもん、修也のアーティスト的な一面。私の中で今んとこ修也は“ヒモ彼氏”なだけの存在なんだよ?』


あの合コンで、1人だけ異質で知的に見えたから私は修也に惹かれたのだ。

私はその時の自分の勘が“気のせい”じゃなかったことを確かめたいのかもしれない。だから、どうしても私の知らない修也を見てみたかった。

ゲームを止めて何故かスマホを弄り始めた修也。過去に自分が描いた油絵作品の画像を見せてくれるのかと期待して待っていると、とあるアダルトサイトの画面を見せてきた。


「これはなんでしょう?」

『え?』

「これはなんだと思う?美奈は」

『なに、って…“Gカップ未亡人ヤラれ放題…快楽に溺れ…”これAVでしょ?』

「確かにAVで間違ってないけど。もっと本質的に言うと、これは何?」


そう言って修也はそのAVのサンプル動画を再生して私に見せてくる。巨乳の妙齢の女性が不潔そうな見た目の中年男性に犯されているような内容だ。はっきり言ってあんまり愉快な映像ではない。


『だから男と女がセックスしてるんじゃん。というか強姦?これがなんなの?』

「正解。例えば課題としてこの映像を見せられたとして、俺はどんなものを描くと思う?」

『どんなって訊かれても…私がわかるわけないじゃん』

「まあそうか。そうだなぁ…」


修也はまじまじとAVのサンプル動画を視聴している。それを黙って見ている私。何なんだろう、この時間。ちょっと気まずい。







「このAV女優が俺には熟した果物に見える。果物の種類は…林檎じゃないな。在り来たりだし、林檎よりもっと水分が多いような、熟したらもっとグジュグジュになるようなやつ。見た目そんなに若くないから、爽やかなイメージの柑橘系でもない…柿とかがいいかな。木から落ちてちょっと潰れた柿。んで、この男優は明らかムサいオッサンだから嫌がられる存在で表現するべきだな。虫…だと小さいからネズミとか。塀の外に落下して潰れた柿を貪るネズミ。柿にはネズミの齧った跡が無数に付いていて…」


流暢に話す修也を私は唖然としながら見つめていた。するとそれに気付いたのか、修也は急に話すのを止めた。

少しの間があって、修也はまた口を開いた。


「美奈。一緒にいて俺が急にこんなことベラベラ話してきたらキモいって思わない?」

『…うん、キモい』

「だよな。だからいいんだよ、別に。それらしいことを人に語るなんてサムイんだよな。俺は今みたいにテキトーな感じで生きてればそれでいいんだよ」



ヘラヘラ笑いながら、修也はまたゲーム機を手に取り、続きをプレイし始めた。

「キモいって思わない?」って訊かれたから咄嗟に同調したけど、実はもっとその続きを聞いていたいと思っていた。

言っていることは私の凡人な価値観では理解出来なかったけど、今まで見たことがなかった表情をしていたから。





「俺、行ってた高校が特殊っていうか…なんか色んなコースがあって好きに選択出来るとこだったんだよ。で、兎に角勉強したくなくてテスト科目少なくて済むようにしようって思って美術コースにしたの。俺以外みんな中学も美術部でしたっていうオタクみたいなやつばっかだったから全然友達出来なかったけど、油絵描くのめちゃくちゃハマったんだよなー。だって学校の美術の授業って水彩画しか描かねーじゃん?使う画材も全然違うし、水彩画よりも立体的に描けるし。もう高校の時はずっとワクワクしながら描いてたよ。そしたら推薦入試でいつの間にか美大受かってた。でも大学でも同じ熱量キープするのは無理だったな、俺。このDM送ってきたやつはすげーよ。大学4年間ずっと高校生の時の俺みたいに没頭してたもん」





そこまで話した後はゲームに集中したのか、修也は無言になった。

私はずっとそのまま、話聞いていたかったのに。

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