再来店

第4話

2日休みがあって、また出勤日。時間は店をオープンさせて30分経ったぐらい。変わらず私は歌舞伎町の風景を眺めながら店先でプラカード持ちをしている。

いつもと違うところを挙げるとしたら、今日は雨が降っていて傘を差しながらであるということ。要するにクソ怠い状況である。


他の客商売と同様、雨の日はどうしても売り上げが悪くなる。

だからと言って『まあ、こういう日もあるよね』と済まされる訳ではなく、いつも以上に営業連絡をするようにプレッシャーをかけてきたり、店先でのプラカード持ちも気合を入れろとヤスさんは言ってくる。

ただプラカードを持って立つことにどう“気合”を入れろと言うのだろうか。昨今は何かと規制が厳しくなっていて、原則客引き行為は禁止されている。それは混沌としたこの歌舞伎町エリアも例外ではなく、『客引き行為は犯罪です』と言う警告アナウンスがずっと流れていたりするほどだ。私達がやっているプラカード持ちという行為も正直グレーゾーンで、ただ立っているだけなら問題ないけど、声を出して呼び込んだりお客さんを追っかけたりしてはいけないという決まりがある。

気合の入ったプラカード持ちってなんなんだよ、歩いている人にめっちゃ笑顔でアピールするとか?くだらない、そんな事したって大した集客効果ないから。


「美奈さん」


ぼんやり1人で物思いに耽っていたところ、突如自分の名前を呼ばれ私はハッとした。目の前にいたのは数日前に先輩に付き合わされて来店したカン・ジョンシクさん…ジョンちゃんだった。


『ジョン、ちゃん…?』

「ははっ、覚えてくれてたんですね」

『もちろんですよ!この前会ったばかりだし。今日は1人なんですね?』

「ええ、まあ…今お店って混んでますか?」

『ううん、こんな天気だからノーゲスで…』

「本当?じゃあ、入ろっかな…」


ジョンちゃんはちょっと緊張気味に目を泳がせている。

ジョンちゃんみたいな真面目なタイプが先輩の付き合いじゃなく、1人で来ることなんてあるんだと最初は戸惑った。

けれど、折角勇気を出してまた来てくれたんだから楽しい時間を過ごして欲しい。そう思い、私はさっきまでのかったるい気持ちを捨てて笑顔でジョンちゃんを店の中へ案内した。







『1名様でーす』


そう言って私がジョンちゃんを連れて店に戻ると、それまでダラダラスマホをいじって過ごしていたであろう女子大生キャスト達が「いらっしゃいませー」と言いながら急にバタバタと動き出した。まだヤスさんが来てないからってだらけ過ぎだろオイオイ。心の声が彼女らに伝わったのか、次にプラカード持ちをする子をジャンケンで決め、負けた子は怠そうに外に出る準備をし、それ以外の2人が伝票やお通しやおしぼりを用意するなどして仕事してるでしょ?私達、みたいなアピールを私にしてくる。

2人のうちの1人、まりんが真っ先におしぼりを手渡しながらジョンちゃんに話しかけた。


「あー!この前中村さんと一緒にいらっしゃった方ですよね〜?また来てくださってありがとうございます〜」


外から戻ってきた私がプラカードを次に店先に立つ子に渡したり、傘や上着を仕舞ったりしている間、まりんがやたらジョンちゃんに絡んでいる。

こいつ…ひょっとして、あわよくば私とセットでつけて貰うのを狙ってるな?ジョンちゃんが押しに弱そうだと踏んでいるのだろう。流石のしたたかさだ。


「確か、中村さんとずっと話してた学生さんですよね?中村さんもこの店気に入ってたっぽいから、また来ると思いますよ」

「そうなんですかぁ〜!あのぉ、良かったら私まりんっていうんですけど、一緒にお話ししたいなぁと思って」


ほらきた、やっぱりその通りじゃん。私エスパーなんかな。


うちの店のルール上、店先で立ってつかまえたお客さんには最初は必ずそのキャストがつく形になる。あとは指名が発生しない限り15分から20分ごとにつくキャストがローテーションするのだ。ジョンちゃんの場合、初回来店時に私を指名してくれたが、これは“場内指名”といってその日限りの指名というものになる。これが毎回特定のキャストに会うために来店するようになれば“本指名”に昇格する。

これはあくまで私の予想だが、まりんは私があの時ジョンちゃんから指名を貰えたのは偶然だと考えていて、ジョンちゃんの本指名が私に決まったわけじゃないなら、自分の指名客に出来るチャンスがまだあると思っているのではないだろうか。考え過ぎかもしれないが、うちの女子大生キャストの中でもまりんは水商売が向いているタイプだと一緒に働いていて思っている。そして、普通の感覚なら多少図々しく思われそうなことだってやってのける女だと。同級生にいたら絶対仲良く出来ないタイプだ。



「あはは…折角だけど、僕美奈さんに会いに来たんですよ。だから美奈さん指名でお願いします。また中村さんと一緒に来た時に話しましょう」


まりんのアニメ声おねだりを跳ね除け、そうキッパリ言い切るジョンちゃん。

それを聞いてまりんの野望が打ち砕かれたスカッと感は勿論あるが、同時にしばらく忘れていた“ときめき”のような感情が私の心をむず痒くさせた。

優しい感じの人だとは思っていたけど、ちゃんと自分の意思表示はする人だったんだな。それに「美奈さんに会いに来た」なんて、多分今までこの店のお客さんに言われたことなんてなかった。


「そっかぁ、残念です…じゃあ美奈さんと楽しんでくださいね〜。あ、おにーさんって“ジョンちゃん”で合ってました?」

「ああ、はい…」

『まりんさん、ごめんヤスさんから頼まれてる買い物行ってきて。フード出せなくなっちゃうから』


いつまでも名残惜しそうに話し続けるまりんにジョンちゃんがちょっと困っているみたいだったから、私は話に割り込み、店の買い出し用エコバックをまりんに押し付けた。

まりんはそれを受け取り、「美奈さん、※本指(ほんし)おめでとーございまーす」と私に言い、買い出しに出掛けて行った。

声色は明るかったが、目が笑っていなかった。オイオイ、仮にも職場の先輩なのにそんな態度取るのかよ…恐ろしすぎる。


もう1人の女子大生キャストは私達の邪魔にならないように金庫の近くで静かにスマホをいじっているため、店内はBGMの有線放送と、私とジョンちゃんの話し声が響くというなんとも寂しい状態になった。店の営業的には問題ありだろうが、騒がしいのが苦手と言っていたジョンちゃんにとっては多分前に来た時より今の方が居心地がいいはずだ。

前に来た時と同じようにビールで乾杯をし、ジョンちゃんの緊張が解れた頃合いに私は気になっていた質問を投げかけた。


『ジョンちゃん、今日はどうして1人で来たんですか?』

「いや、えっと…やっぱり意外に感じます?」

『そーですね、正直ジョンちゃんみたいなタイプの人って付き合わされる以外でこういう店来ないんじゃないかなって思っちゃいます』

「あー、やっぱそうですよね…」


そう言ってジョンちゃんは恥ずかしそうに頭を掻き、またその恥ずかしさを誤魔化そうとビールを口に運ぶ回数を増やしていった。


『ああ、そんな焦って飲まないでいいんですよ?自分のペースでね?』

「いえいえ、すみません気を遣わせてしまって…あの…実はこれミッションなんですよ」

『ミッション?』

「はい…あの後会社の休憩中、中村さんにあのおねーさんと連絡取ってんのか、って聞かれたんですよ。で、そもそも連絡先交換してないです、って答えたらお前バカかって怒られまして…あーゆー店行ったらおねーさんと連絡先交換するのが常識だぞって。それでもう一回1人で店行って連絡先交換して来い、ってことになったんです」


そこまで聞いて、私は思わず笑ってしまった。ジョンちゃんは優しくて純粋なんだな、と。

確かにこの職種だとお客さんと連絡先交換をする風習はあるけど、“常識”と言うのは大袈裟な気がするし、なんなら最近お店によっては連絡先交換を禁止しているところだってちらほら見かける。

それに、例え先輩から言われたからだとしても、それを必ずしも実行しなくてはいけないわけでもないと思う。というか、場合よっては中村さんの指示はパワハラに値するのでは?


『それ絶対中村さんにからかわれてるんだよー』

「やっぱそうなんですかね…僕こういうお店自体慣れてないから、もし連絡先交換が常識だったとしたらこの前聞かなかった僕は美奈さんに失礼なことしてたんじゃないかと思って」

『ジョンちゃん本当に素直なんですね…じゃあ折角だからミッションクリアしないとですね』


私はジョンちゃんにスマホを出すよう促し、最もスタンダードなメッセージアプリを介して連絡先交換をした。



『あと…私達敬語やめてタメ口で話そう?折角歳近いんだし』

「ああ、うん…そう、だね」

『それと、こういう店だからって緊張しなくていいんだよ。私のことは同世代の友達だと思ってくれたらいいからさ』

「うん…美奈さん、ありがとう」

『…もう一杯飲む?』

「うん、同じのを。美奈さんも良かったら」

『ありがとう』





ジョンちゃんは結局1時間ぐらい滞在していた。

本当にたわいも無い話しかしなかったけど、仕事中にこんなまったりとした温かい気持ちになるのは初めてだった。






※本指(ほんし)…本指名の略。ちなみに場内指名のことは“場内(じょうない)と略して言うことが多い。

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