修也

第3話

『ただいま…』


朝の6時過ぎ。フラフラした足取りで私は自宅アパートに戻ってきた。

出だしの客入りは悪かったけど、遅い時間から終電を逃したであろう団体客が来たりして、なんだかんだ閉店の5時まで忙しかった。

いつもより飲んだ気がするし、何かと気を遣う場面が多かったからか物凄い疲労感だ。


脱ぎ捨てた靴の向きがバラバラだけど、今はそれを元に戻す気力すらない。兎に角ベッドに雪崩れ込みたい。

1Kの間取りなのに玄関から寝室までの距離がやたら長く感じる。多分これはナイトワーク人間あるあるだと思う。


寝室のドアを開けると、最初に散らかったローテーブルが目に入った。そこから少し視線をズラすと間抜けな寝顔でベッドを占領しているヤツがいる。

私の恋人であり同居人の修也だ。同居人というか居候という表現の方が適切だと思うけど。


占領されているベッドの僅かなスペースに私は腰掛け、ローテーブルに散乱している物の中から手鏡とメイク落としシートを取り、拭き取り作業を行う。

どんなに疲れていてもメイクは落とさないと、起きた時が悲惨だ。仕事用の濃いアイメイクを落とすため、シートを片方の瞼にしばらく当ててジュワッと溶かす。

もう一方の目で散乱しているローテーブルをぼんやり見つめた。まあ、散乱しているのは私のものではなく修也の私物なのだが。

空になったビールや酎ハイの缶、食べかけのスナック菓子、吸い殻の山になっている灰皿の横にカートンのタバコを見た瞬間、私はひとつの推論に辿り着いた。



「ん…おかえり、美奈」


私の気配で目覚めた修也が後ろから抱きついてきた。多分付き合いたてのカップルであれば激甘シチュエーションなんだろうけど、そう思うには私達は時間が経ち過ぎてしまっているし、私はすぐにでも寝られるほど疲れているので当然胸キュンなんかしない。


「何時に帰ってきたの?」

『うーんと、5分前ぐらい?』

「お仕事お疲れ様」


欠伸をしながら労いの言葉をかけてくる修也。普通ならありがとうと言うべきなのだろう。だがそれよりも私は先に推理の答え合わせをせざる得なかった。


『修也、またスロット行ったな?』

「当たり。なんでわかったの?」

『いやいや、このコンビニとかでは見かけないようなお菓子と、タバコ1カートンでわかるでしょ』

「すげー。名探偵じゃん」


ツボに入ったのか修也はケラケラ1人で笑っている。一緒に笑ってあげる気になれないのは修也が定職を持っていないからだ。

家賃を含む生活費の全てを私が支払い、場合によってはお小遣いを渡すこともある。そう、パチスロの資金源は私から貰ったお小遣いなのだ。


『ねえ、本当に信じられないんだけど。普通さ、彼女から貰ったお金をギャンブルに使う?っていうか、普通の人はそもそも彼女からお金貰わないんですけど』

「そんな怒んなよー、今日は勝ってんだから大丈夫だって」

『大丈夫の意味がわかんないんだけど…っていうか、大丈夫って言うなら今月生活費入れてくれる?』

「それは難しい話だなー、なんかあった時のためにキープしとかないと」


終始ツッコミどころ満載だけど、今の私には相手をする気力がないのでこれ以上この話は広げないようにする。そもそも本当に生活費を渡して貰えるとは思ってなかったし。







修也とは2年前に合コンで知り合った。

私は数合わせの為に友達に呼ばれただけだったから特に気合が入っているわけでもなく、適当な暇潰しぐらいの気持ちで参加していた。

それは修也も同じだったらしく、なんとなくテンションが高くない者同士話すようになったのだった。

美大卒だが就職はせず、当時は古着屋でバイトをしていると言っていた。通りで、と思った。他の合コンに参加している男性陣は女ウケが良さそうな清潔感第一な服装の人ばかりなのに、修也は良く言えば個性的、悪く言えばちょっと小汚くも見えるような独特のファッションで髪も長め。おまけに旬な芸能ネタや流行りモノの話には一切リアクションがない。そういうところが明らかに異質な感じがして、私以外の参加女子達は修也を敬遠しているようだった。

でも私にはそんな修也が知的で魅力的に見えた。飲み屋で働いていると嫌でもミーハーな話に付き合わなくてはいけないから、うんざりしていたのもあったと思う。


なんだかんだで私達はその後も連絡を取り合い、いつの間にか付き合うようになった。最初の頃はご飯を食べに行ったり、映画を観に行ったりなど一般的なデートをしていたけど、修也はかなりのインドア派であることが次第にわかってきて、それからは私の家に遊びに来て一緒に過ごすのが私達の当たり前になった。

少しずつ修也の私物が私の部屋に増えていき、私がガールズバーの出勤の日も「帰ってくるまでで待っとく」と言ってそのまま私の部屋に居座る日が徐々に増えていった。

私の家にいることが多くなってきて『あれ、修也の家は?古着屋のバイトは?』と疑念を抱き始めた頃、彼から衝撃的な事実を聞かされる事になる。


修也は今はまだ、元交際相手の女性の家に住んでいる、と言った。というより彼は自分で部屋を借りたことがなく、基本女の家に転がり込むスタイルで生きてきたのだと言う。

地方から東京の美大に進学し、大学生の間は学生寮で生活していたようだが、就職活動をロクにせず、卒業後フリーターになると伝えたら地元の両親に激怒され、最終的に絶縁状態になったらしい。美大生の頃、こっそり非常勤の女性講師と付き合っていたため、見かねたその女性が学生寮を出た後の修也の面倒を見るようになったとのこと。それが修也のヒモ的ライフスタイルの始まりで、それから今日まで付き合う女性が変わる度に住居を変え続けてきたのだ。


『じゃあさ…私と仲良くなり始めた頃もさ、私のこと“次の住む家”だとか考えてたの…?』


悲しくなって、私はその時激しく自分の気持ちをぶつけた。それに対するその時の修也の回答は今でも忘れられない。




「…正直言うと、そんなことないってはっきりは言えない。でも美奈には今まで通りじゃダメだと思った」





違う、そうじゃないと否定しなかったことが衝撃的で私は思わず言葉を失った。そして彼はこうも続けた。


「俺さ、今までは付き合う女に対して愛情を持てるかより経済力があるかどうかの方が大事だって考えてたんだよ。でも美奈は今までとは違うなって感じたんだよね。美奈って俺と同い年じゃん?一緒にいて心地いいテンションだし、あんまり気遣わなくていい同等な関係性っていうか…なんつーか、今まではお金持ってる年上の人とばっか付き合ってきたから主導権は完全に向こうで、俺も甘えるのが当たり前って思ってたけど…美奈といると俺このままじゃダメだなぁ、って思わせてくれるっていうか…だから俺の今の状況知ったら悲しませるんじゃないかって思って中々言い出せなかったんだよね」


最もなことを言っている様な雰囲気を出しているが、よくよく聞けば無茶苦茶だし最低だと思った。

本当ならふざけんなって殴り倒して捨ててやりたかった。でもそう出来なかったのは、既に私が彼に情を持ってしまっていたからなのだろう。



『それでさ、修也はこれからどうするつもりなの…?』


衝撃のオンパレードで思考停止しかけていた頭をなんとか働かせ、そこから絞り出した言葉を投げかけてみた。

それに対する彼の答えはこうだ。


「とりあえず今の家からは出て美奈の家に住まわせて欲しい。古着屋のバイトは今の家の近所だから辞める。次の仕事見つかるまで美奈には迷惑かけるけど、ちゃんと自立出来るように頑張るからさ」

『本当に?絶対?』

「うん、絶対。俺も美奈に頼られるようになりたいから」

『絶対なんだよね?』

「うん。俺を信じて欲しい」


これを聞いた私は修也の頼みを渋々了承したのだった。今思えばどうかしていたとしか考えられない。

絶対だ、信じろと言われたところで、経済力のある女性を頼ってでしか生きてこられなかった成人男性が、心を改めて自立できるようになる保証はどこにもないのだから。

あと、どうしても引っかかっていたのは元交際相手の女性の元でそのまま生活していたという事実だ。例え修也が別れた過去の女性で今は住む家のためと割り切っていたとしても、そのまま住まわせていた相手女性も同じ考えだったとは限らない。未練があるから引き続き住まわせていたと考える方が自然だし、もしかしたら私と会った後に帰宅し、相手女性に言い寄られて…ということだってあったのかもしれない。それを疑いだすとどこまでも疑惑の渦に飲まれそうになるから、あえて聞かずにいた。

そんな不安要素があったとしても、包み隠さず話して自分は変わるんだと真っ直ぐに私を見つめていた彼を、私は信じたかったのだ。


あれから2年近く経った今。見ての通りあの頃“絶対”と言い切ったことは果たされていない。

もちろん仕事を見つけて頑張って働いていた時期もあったが、なにかと長続きせず職を転々とし、現在は登録制の日雇い派遣バイトをたまにやりつつ、今回のようにパチスロでたまに小遣いを得るという生活を送っているのだ。

自立しているとは到底言えないし、結果私も修也のかつての交際相手の女性達と同じ道を辿っている。

パチスロで勝った分から生活費を出すのを断った彼は、かつて自分が絶対だ、信じて欲しいと言った言葉を忘れてしまっているという解釈でいいのだろうか?



「…何ぼーっとしてんの?早くメイク全部落としなよ」


腹立たしいほど呑気に声をかけられたお陰で、私は昔の回想から戻って来られた。残りのメイク汚れを拭き取り、溜息と共にシートをゴミ箱に投げ捨てた。

そんな私の顔色を伺う修也。流石プロのヒモだ、不満そうにしているのを即座に理解し、私を宥めようとしているのだ。

結局、私は修也を変えることが出来る特別な存在ではなかった、という答えが出てしまっているのが悲しいし、悔しい。



「ねえ、なんで溜息ついてんの?」

『溜息、つくでしょ…』

「俺のせい?」

『そうだね、あなたのせいだね』

「俺、いなくなった方がいい…?」



私の肩にもたれ掛かり、呟く修也。払い除けることだって出来るはずなのに、そうしないのは私が寂しくなるから。

彼がいなくなることと終わりの見えないヒモ男育成生活を天秤にかけた時、前者の方が辛くなるに違いないと思ってしまう。どう考えたって選択ミスなのに。


『いなく、ならないで欲しい』

「ごめんな」


安っぽい謝罪をすると、修也は自然に私をベッドに押し倒した。修也の唇が私の首筋を這うのを感じたので、咄嗟に焦って抵抗した。


『ちょっと待ってよ』

「なんで?」

『私仕事終わって帰ってきたんだけど?』

「大丈夫、美奈に負担がないようにするから」

『そうじゃなくて…今、朝なんだよ?』

「俺時間帯とか気にしないけど、美奈は気にするの?」


言い返そうと思ったけど、優しく触れられた指先から伝わる熱と、耳元に感じる彼の吐息のせいで感覚が麻痺し、私は完全に理性を失った。

私の判断を鈍らせる要因の一つ…修也は異様にセックスが上手い。頭の片隅にある迷いも、もどかしさも、どうでもよくなってしまうぐらいに。




《私のせいでもあるじゃん…修也がいつまでもこうなのは》




そう思っても、いつも目の前にある快楽に翻弄され、私の正常な意識は奥底深く沈んで消えていくのだった。

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