少しでも幸せでいられるなら

第12話

目の前の血だらけで倒れている修也を、私は焦点が合っていない目で暫く眺めていた。

すると、突然自分のスマホが振動し、画面を確認するなり私の身体に緊張が走った。

メッセージアプリにジョンちゃんからの音声着信が入ったからだ。

“通話”を押し、恐る恐る話し始める。



『…はい』

「美奈さん、久しぶり」

『うん…久しぶり』

「ずっとメッセージ既読出来てなくてごめん…俺、結構長めの海外出張行っててさ。今日本に戻ってきたんだ」

『そう、だったんだ』

「“しんどい”って、どうしたの?なんかあった?」


そう聞かれて今の状況を説明しようとした時、初めて人を殺してしまったんだという実感が湧いてきた。

急に怖くなって取り乱し、うまく話すことが出来ない。


『あのっ…えっと…』

「美奈さん?」

『私…どうしよ…どうしよう…こんなことっ…!!』

「大丈夫?落ち着いて。今どこにいる?」

『家、私の』

「今から向かうよ。最寄駅はどこ?」

『阿佐ヶ谷…』

「わかった。今羽田だから1時間ぐらいで着くと思う。後で住所も送って」

















ジョンちゃんが言った通り、1時間ちょっとすると家のチャイムが鳴った。

急いで玄関のドアを開けると、大きなスーツケースと息を切らしたジョンちゃんが視界に入った。


『ジョンちゃん…』

「美奈さん、その格好」


今ジョンちゃんの目に映る私は、灰と返り血で汚れている。そして、恐らく奥の寝室で倒れている修也の足でも見えたのだろう。

全てを察したようで、ジョンちゃんは静かにスーツケースを持って部屋に入り、玄関のドアを閉めた。

玄関の鍵が閉まった瞬間、緊張が途切れたのか、ダムが決壊したかのように涙が溢れてくる。



『私…修也のこと、殺しちゃった…』

「落ち着いて、深呼吸しよう」

『なんでこんなことしちゃったの…!!私はっ…ちゃんと話して、わかって欲しかっただけなのに…!!』


頭の中がグチャグチャになり、発狂しそうになっていた私を、ジョンちゃんは優しく抱きしめてくれた。

皺ひとつない綺麗なスーツが、私のせいで汚れてしまうのが申し訳ない。

けれど、その優しさが絶望の中の私を少しだけ救ったのだった。




















数時間後。私とジョンちゃんは関東某所の静かな山奥に来ていた。山奥には似合わないスーツケースと共に。




ジョンちゃんは出張で持っていた私物をスーツケースから全て取り出し、「この中に死体を入れよう」と言った。

自首する気でいた私は、どういうことなのかすぐには理解できなかったが、やがてジョンちゃんは修也の死体を何処かに隠して事件を隠蔽するために動いてるんだとわかった。

『駄目だよそんなの』と、私はジョンちゃんを止めた。私は自分がやったことの責任を取るべきだし、ジョンちゃんをこれ以上巻き込みたくなかったからだ。

でも「俺がこうしたいんだ」「捕まって欲しくない」とジョンちゃんに説得され、渋々受け入れることにした。


2人掛かりでスーツケースに修也を詰め込み、一度汚れを洗い流した方がいいと言われてシャワーを浴びた。

私がシャワーを浴びている間に、ジョンちゃんは動きやすい服装に着替え、寝室の血で汚れた箇所を軽く拭き取るなど後始末をしてくれていたようだ。

そして何やらスマホで色んな調べ物をしていたみたいで、シャワーから上がった私に車で出るから支度しておいてと言い、外へ出ていってしまった。


やがて手配したレンタカーでうちのアパートまで戻ってきて、ジョンちゃんに言われるがままスーツケースをトランクに詰め込み、出発した。

ジョンちゃんはこれからどうするのかを、車を運転しながら私に説明した。


「売りに出されている山をいくつか調べたから、これから実際に見に行く。周辺環境もチェックして、出来るだけ人が寄り付かなそうな所に埋めよう」

『売りに出されてるとこなんて…誰かに買われて、掘り起こされたりするんじゃないの…?』

「その前に俺が買うんだよ。私有地になれば勝手に侵入されなくなる」

『そんな、簡単に買えるもんなの!?』

「大丈夫だから。心配しないで」



都心から近い順にピックアップした山林を見ていき、ここが一番良さそうだというところに辿り着いた時には深夜になっていた。

人里からもかなり離れていたから、見回りなどで来る人もそうそういないだろうと思った。

2人でスーツケースを運びながら山道を歩くのは簡単なことではなかったけど、私達は無心でひたすら埋めるのに適してる場所を探した。

山の中を散々歩き回った末、周りより木が生い茂っていて尚且つ土が柔らかい、おあつらえ向きな場所を見つけることが出来た。その時点で私もジョンちゃんも疲労感は限界に近づいていたはずだったけど、すぐさまホームセンターで購入したスコップを手に、無我夢中で穴を掘る作業に取り掛かった。


私達以外は誰もいない静かな山奥。ここには今日まで一度も来た事がない。

土地勘のない場所で誰にも見つからないように死体を埋めようとしているのだから、周囲の物音や気配に余計敏感になってしまう。

自分の土を掘る音が、密かに私達の行為を隠れ見ている人の発した物音なのではないかと錯覚し、何度も周囲を確認した。

その度、「俺も周り見てるから安心して」「あまり神経質にならないで」とジョンちゃんが声をかけてくれた。


数時間かけて、二人掛かりで深さ1メートルぐらいの穴を掘った。

これぐらいの深さなら簡単に動物に掘り起こされたり、雨風などの影響を受けて外に剥き出しになったりする心配はないだろう。

掘った穴にスーツケースを埋めたらまた土を被せ、徐々に見えなくなっていくスーツケースを見ながら、私は修也との思い出に浸った。


他人からすればただのクズ男でしかないのだろうけど、修也といて楽しかったことも幸せに感じたことも沢山あった。

いつも私が仕事から帰ると「おかえり」「お疲れ様」と声をかけてくれた。

再び絵やデザインと向き合うことにしたのは、私にお願いされたからだと言っていた。

初めての報酬を私に渡して「今まで美奈に助けてもらってきたからそのお礼」と言ってくれた。


うまくいかなくなった時に、もっと私が修也を気に掛けるべきではなかったのか。

逃げずに、修也が言ったように支えるべきだったのではないか。

だって彼は本当に世間知らずで、単純に精神の成長が学生時代で止まっているだけだったんだから。


ごめんね、あなたを見捨てて。一緒に乗り越えて、人として成長させるべきだったよね…。


掘り返した土を被せ終わった頃には、涙で滲んで何も見えなくなっていた。









埋め終わった後、すぐに私達はその場を離れ、レンタカーを停めている場所まで戻ってきた。辺りを見回す限り、私達の他に人はいなさそうだ。

いつの間にか夜が開けようとしている。ここまで戻って来れて、ようやくジョンちゃんから安堵の溜息が漏れた。


「はぁ…とりあえず大仕事は終わったね」

『…うん』

「後は細かい後処理だ。美奈さん、確か彼って親と縁切ってるんだっけ?」

『うん、絶縁状態で何年も連絡取ってないって』

「そうか。身内に不幸があったりすると連絡があるかもしれないけど、当分は大丈夫そうだね。あと、何か自分名義で契約してるものってある?」

『えっと、家賃や光熱費は私が全部払ってるし、クレジットカードも持ってないから…携帯ぐらいかな?』

「なるほど…請求が滞っていると通信会社から連絡があるだろうから、それは引き続き払っておいた方がいいな。本当は解約してしまいたいところだけど、多分契約者本人か親族じゃないと厳しいだろうな…家族じゃなくても解約手続きが出来る方法ってあるのかな?後で調べておこう」


ジョンちゃんはずっと冷静で、常にどう行動するべきか考えている。

本当に賢くて凄い人なんだなと思うのと同時に、巻き込んでしまって申し訳ないと感じていた。


「美奈さん、ごめんね」

『え?』


私が言おうとしていたことを先にジョンちゃんに言われてしまった。というか、何故ジョンちゃんが私に謝るのかがわからない。


「ピンチに気づけなかった。俺が話を聞いていれば、もっと違う結果になっていたかもしれない」

『そんな…ジョンちゃんは悪くないよ。私のせい。私がもっと修也と向き合うべきだったのに…結果ジョンちゃんにも迷惑かけてるし…本当にごめん、なさい…』

「美奈さん」


震えていた私の手を握るジョンちゃん。そして、落ち着いた声で私を宥めるように言葉を紡ぐ。


「社会と深い関わりもなく、親とも縁を切ってしまっているような彼を…探そうとする人間は早々現れない。彼の失踪が発覚さえしなければ俺たちは安全だよ」

『でも…!!デザイン案件でやりとりしてる人から、連絡が来るかもしれないんだよ?最初の仕事はケイちゃんの劇団だし…』

「クラウドソーシング系の仕事は、メッセージのやり取りが出来なくなったら“飛んだんだ”って勝手に切ってくれるよ。美奈さんの同僚になんか聞かれた時だって、別れて連絡取れないって言えばいい」

『でも…万が一あれがすぐ掘り起こされたら…』

「例えそうなったとしても、俺が美奈さんを守る」

『なんで…なんでそこまでしてくれるの…?』


どこまでも優しく温かく接してくれるジョンちゃんが逆に辛かった。

私は所詮、昼職をドロップアウトして水商売で稼ぎ、ヒモ男を痴情のもつれの末殺してしまったどうしようもない女だ。


だが、ジョンちゃんは違う。

異国で言語や価値観の違い、差別と闘いながら、これまで確実に積み上げてきたものがあるのに。

誠実で賢くて、有名な大手企業の期待の若手なはずなのに。

それを全て失いかねないことをしているのだ。


私はジョンちゃんの人生を壊したくない。これ以上不幸になる人を出したくない。




「俺は…君を、美奈を失いたくない」


さん付けじゃなくて“美奈”と呼んでくれた?と脳が処理している間に、ジョンちゃんの唇が私のと重なった。

勝手に草食系だと決めつけていたけど、彼のキスは予想に反して情熱的だった。

今まで見たことのない、雄が滲み出ているジョンちゃんと目が合うと、私の心臓は激しく脈打った。

そんな場合じゃないのに。


「美奈が思ってること、当てようか?“私のせいでジョンちゃんの人生がメチャクチャになる。ジョンちゃんは社会からの信頼もある、将来有望な若者なのに”」

『そうだよ、その通り…何も間違ってないよ!!だから私なんか』

「“私なんか”って言うなよ。…あとさ、自分だけが最低だなんて思わないで欲しい」

『え?』

「実際俺、彼に感謝してるんだよ。彼が死んだおかげで、今美奈と同じ時間を過ごせてるんだから。俺も十分最低じゃない?」




そう言って、ジョンちゃんはまた私の手を握り直し、そのままレンタカーの方へ向かっていった。


私はすでに人を殺した最低最悪な犯罪者だ。更に、何故か今目の前の男性にときめきを感じている。

ついさっきまで殺した恋人との思い出に浸って涙を流していたのに、早々に別の男に恋心を抱いているのだ。

自分が、とてもまともな人間だとは思えない。私はこんなにもサイコパスな人種だったのだろうか?

ジョンちゃんもジョンちゃんで、修也が死んだおかげで私と一緒にいられると言っている。これは、ジョンちゃんは私が思っていた純朴な優しい青年ではなかったということなのだろうか?

私もジョンちゃんも元々まともな人間じゃなくて、それに気づいていなかったのか。

それとも、修也の死が私達2人の人間性を変えてしまったのか。

どっちなのかはわからない。というか、それを判断する能力が今の自分にはない。何せ私は昨日から寝ていないのだ。

冷静に考えられないなら、感じた通りにすればいい。常識人だと自負していたが、そんなものはもうどうだっていい。最低最悪、サイコパス上等だ。


だから、最低最悪ついでに図々しくも私は願う。

少しでも長く、ジョンちゃんと過ごしたいです。


朝日に目を細めつつ、私達はレンタカーの車内に戻った。





【了】

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とある新宿の風景から case.1 nako. @nako8742

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