憂鬱の先にあったもの

第11話

修也の行動や言動は悪化していく一方だった。

専門外ながら健闘していたHPデザインの案件は、クライアントからの修正依頼的なやり取りが多く、本人が思っていたよりも完成までに時間が掛かってしまっていたようだ。悪戦苦闘の末受け取った報酬はお小遣い程度にしかならない額で、費やした時間から考えると到底割に合わない。

受け取った報酬はストレス発散だと言ってパチスロや酒に使っていた。私がそれを咎めると「自分で稼いだ金をどう使おうが俺の勝手だ」と声を荒げた。


下北沢で受け取った、初報酬入り茶封筒を私は一切手を付けずに自分の洋服箪笥に隠している。あの時私は生活費で使うと言ったけど、その他の彼から受け取った報酬も全て取って置いているのだ。

塵も積もれば山となる。今は小さな成果かもしれないけど、何れ『修也の仕事でこれだけ貯金が出来たんだよ』と見せるのを密かな楽しみにしていたのだ。

でも、今後はこの貯金は溜まりそうもない。次第に修也は受け取った報酬をすぐに自分のストレス発散に使うようになってしまっていたから。


『ねぇ、この焼酎昨日買ったばっかでしょ?』


仕事から帰宅して、ローテーブルに空になった焼酎瓶が置かれているのを発見した私は、酔って寝転んでいる修也に声をかけた。


『飲み過ぎだよ、ちょっと』

「うるせぇ、説教すんな。いいよなお前は、仕事でタダ酒飲めて」


鬱陶しそうにそう吐き捨てられ、私に背を向けた。心配で声をかけただけなのに。

クズなヒモ男だけど、それでも私に暴言を吐くようなことはなかった。私のことを“お前”と呼ぶことも。

しかも最近は今みたいに水商売を馬鹿にするようなニュアンスの発言も度々ある。客と適当に喋って酒を飲んで金が貰えるなんて楽でいいよなとも以前言われた。

碌に外で働いたこともない人にそんな風に言われる筋合いはないけど、言い返したところで良い方に転ぶとは思えず、私は黙っているしかなかった。


おかしいな、なんでこんなことになっているんだろう。


















「お疲れ様でした〜、どーする?朝飲み行っちゃう?」


閉店後の片付けが終わったタイミングで、まりんが他の女子大生キャストと話しているのが聞こえた。

新宿界隈は24時間営業の飲食店が多いので、仕事終わりのナイトワーカーで朝から居酒屋が盛り上がっているのもよくあることだ。


「いいよ、いこいこー。仕事も学校もないし」

「美奈さんも行きません?」


女子大生キャストの1人に誘われた。いつもなら断るところだけど、なんとなく真っ直ぐ家には帰りたくない気分だった。


『いいよ、どこ行くの?』

「えー!珍しいですね、いつも断るのに!」

『たまにはね。店決まってないんだったら穴場の焼肉屋連れて行ってあげるけど』

「え、本当ですか!?ご馳走様です!!」

『おいおい、誰も奢るとは言ってないんだけど』









女子大生達を引き連れて、私は歌舞伎町から少し離れたところにある朝方も営業している焼肉屋に向かった。女子大生達は「こんなところにも焼肉屋あったんだ」とか「流石ベテランの美奈さん」とかテンション高めで騒いでいた。こういう煩さも、今の私にとってはいい気晴らしだなと思った。


焼肉屋に着くと、とりあえず私がおすすめを何品か注文した。彼女らは頼んだ品が来る度美味しい美味しいと頬張る。そして自分達の恋愛話で何やら盛り上がっているようだ。学生達の恋愛話に入る隙なんてないので、私はひたすらふんふんと相槌を打ちながら肉をひっくり返していた。


「美奈さんちゃんと食べてますか!?」

『食べてる食べてる。大丈夫だから若者はもっと食べな』


彼女らの中でも比較的気遣いができる、ルカという子が私が使っているトングを取り上げて、網にあるカルビを数枚私の小皿に移した。

自分達の話が一通り盛り上がったからなのか、どうやら今度は私から恋愛話を聞き出そうとしているらしい。


「美奈さんって彼氏と同棲してるんでしたよねー?」

『え、まぁそうだけど』

「同棲って大変ですかぁ?私、今の彼氏が住んでるとこめちゃくちゃ遠くてぇ、会うのに時間と交通費かかるの嫌でぇー。いっそのこと同棲しようかなって思ってるんですよ〜」

『え、まだ学生でしょ?』

「そうなんですけどー。彼氏は社会人で、都内で一人暮らしなんですよー。私埼玉の実家暮らしなんですけどね?彼の家大学と別方向だからゼミ終わりに会うっていうのも難しくてー。でも親が反対してくるんですよねー」

『そりゃ反対するでしょ…その人とは付き合って長いの?』

「全然長くないですよ〜!多分3ヵ月ぐらい。美奈さん、聞いてくださいよ!ルカが言ってるその彼氏、前にうちの店来た客ですよ!?」


酒が入ってテンション高めになっているまりんが会話に割って入ってきた。ルカの表情からは余計なことを言いやがったなという心の声が滲み出ている。

まぁ、大学生の彼女に社会人の彼氏がいると聞いたら、考えられる出会いパターンの1つなので何ら珍しいとも思わない。


『まだ付き合って間もないんだったら、じっくり見極めた方がいいんじゃない?あと一緒に住んだら見たくないものも見えてくるからね…それでうんざりする時だってあるし』

「流石“経験者は語る”って感じですね〜!!つーか、その男絶対ルカ以外にも女いるってー」

「いないし!絶対!!」


彼女らには私の現状の半分も読み解くことは出来ていないだろう。わかったところで引かれるか重い雰囲気になるだけだ。

一緒に生活するってそんな甘いもんじゃないんだよ、若者よ。






修也と同じ空間にいることに息が詰まると感じ始めた私は、次第に彼が起きているであろう時間は外で過ごすようになった。

ここ最近の修也は深夜にデザインの作業をして朝方は酒浸り、昼は寝るといった私と同じ夜型人間の生活パターンになっていた。

だから仕事終わりにまりん達の誘いに乗って朝呑みをしたり、店の近くにある映画館で朝の上映作品を見てから帰ったり、仕事がない日も新宿まで出てネカフェで過ごしたりした。少しでも修也と顔を合わせる時間を減らしたかったからだ。でも、これらの行動で憂鬱から逃れることは出来ても幸福感は得られない。



“ジョンちゃん元気?”



気づいた時には、メッセージアプリ画面の“送信”を押していた。

こんな時に弱みを見せられるのは私にはやっぱりジョンちゃんしかいない。だが、送信してから度々アプリを確認をしても既読表示にはならなかった。



“色々しんどい”

“話聞いてほしいな”



さらにメッセージを送るも、何れも既読はされず。

仕事中も店のドアが開く度、ジョンちゃんなんじゃないかと期待しては裏切られるの繰り返しだ。

私は未だかつてこれ以上に孤独を感じたことはない。はっきりと、心が闇に支配され、気力が奪われていくのがわかるのだ。

ジョンちゃん助けて。なんで無視するの…?
























「おかえりー、なんか久しぶりだね」


そっと鍵を開けて玄関に入ったのにすぐに修也から声をかけられ、私はビクッとした。

とある日の昼から夕方にかけての時間だった。朝仕事が終わった後、ネカフェでシャワーを浴びて仮眠を取り、ウィンドウショッピングなどで昼過ぎまで時間を潰し、自宅に帰ってきた。服を取り替えたらまた直ぐに家を出るつもりだったのだが、予想に反して修也が起きていた。どうやら私の帰りを待ち構えていたようだ。


『…起きてたんだ』

「そうだよ。残念、この時間俺が寝てると思って帰ってきたのにな?」


図星を突かれて言葉を失っている私を尻目に、修也はキッチンの換気扇のスイッチを入れ、タバコに火を付けた。

コンロに置かれた灰皿には吸い殻が山積みになっており、同様にキッチンのシンクは数日放置しているであろう使用済みの食器で溢れかえっている。また、玄関から遠目で見ても寝室が散乱しているのがわかった。


「俺を放置してどこ遊び歩いてんの?美奈がいないから俺の生活、荒む一方なんですけど」

『散らかったら自分で片付ければいいでしょ、子供じゃないんだから』

「そりゃ無理だな、俺は美奈に世話して貰わないと生きていけない」


ヘラヘラ笑いながら煙を吐く修也。

今見ている修也は以前の修也と変わらない。でも私自身が、どうしようも無いヤツだけど放っておけないと思っていた以前とは違うようだ。

今の私は、目の前にいる修也に対して嫌悪感しか感じない。


『私は修也の母親でも、召使いでもない。いい大人なんだから少しは自立すれば?』

「おー、こわっ。お母さん怖いよ」

『ふざけないでよ』

「あー、ごめんごめん。世話しろってのは言い方悪かったわ。俺を支えてくれよって感じかな。やっぱさ、美奈からあーだこーだ言われないと調子出ないっつーか。なんか最近ギクシャクしちゃってるじゃん?そこは何とかさ、関係を修復してさ?今まで通り一緒にいようよ」



一見反省しているように見える。が、一度芽生えてしまった懐疑心は、そう簡単に彼を許すことが出来ない。



『…支えてきたよ、ずっと。でも、うるせぇだの説教すんなだの言ってきて、私を突き放したのはそっちの方でしょ?』

「だからそれはさ、俺の仕事のことよくわかんねーくせにお節介的なことしてくるからじゃん。仕事についてはあんまり口出しして欲しくないけど、生活を共にするパートナーとしてはさ?協力してやっていこうよ」



あまりにも幼稚で自分勝手な言い分にこちらもカッとなる。



『…仕事?何偉そうなこと言ってんの?修也がやってることはまだ“仕事”の領域に達してないと思うけど』

「は?」

『だって嫌なことはやらないじゃん。まだ全然実績もないのに案件選んだり、学生時代で付けた知識と技術だけでやろうとしてるでしょ?なんで職探ししないわけ?私がちょっと調べただけでも、絵やデザインに関する求人いっぱい出てくるよ』

「だから、そういうのは俺が考えてる方向とちょっと違うんだって」

『自分の理想と少し違ってるとしても、今後の自分の経験にプラスになるならやるべきだと思うけど。新しいスキルが身に付くかもしれないし』

「仮に美奈の言う通りしたとしても…そうやっていくうちに、どんどん本来やりたかったことからかけ離れていくんだよ。俺は会社勤めなんて御免だ」



聞いていて到底私と同じ26歳の成人男性の発言だとは思えず、怒りでますますヒートアップしてしまう。



『はぁ!?世の中ナメてんの?どんな仕事だって、最初は何処かの集団社会に入って経験を積むことから始めるんだよ!!時には人から怒られたりもしながら成長して、沢山の実績を積んで自信を付けた人がフリーになったり、新しい会社を作ったり出来るの』

「なんだよ、何でもわかってるような言い方だな?」

『少なくとも修也よりはわかってるよ!!私は地元から1人で出てきて、専門学校も奨学金で入ってバイトしながら学生生活送った!就活して正社員で働いた事もある。今だって週5日働いて家賃も生活費も全部やりくりしてる。私が当たり前にやってること、1つでも修也は出来てるの!?好きな仕事をする前に、まずは当たり前なことを出来るようになるのが先でしょ!?』

「そういうところが…そういうところが、すげぇうぜーんだよ…!」


そう言って修也はこん盛り溜まった吸い殻ごと灰皿を私に投げつけてきた。軽めのプラスチック製だが、勢いよくぶつけられたので当たった額がジンジン痛む。

私は大量の灰を頭から被り、『痛っ』と声を上げたが、修也は気にせず畳み掛けるように怒鳴り声を浴びせてくる。



「お前はさぁ?美容師辞めたんだよなぁ!?稼げないとか人間関係がしんどいとかなんとか言ってたよな、知らねーけど。美容師辞めて、今は男騙して金稼いでんだろ!?そんなヤツに何で俺が説教されなきゃいけねーんだよ、ウケるんですけど!?俺に文句あるなら美容院に再就職してから言えよ、クソビッチ」



修也は狂ったように笑いながら、寝室の方へ消えていった。

私は、私の中でプツンと何かが途切れたような音がするのを感じた。それからは、多分しばらくボーッとしていた気がする。

頭の灰を払い落とすと、空の一升瓶が視界に入った。修也が飲み終わった酒の缶や瓶を冷蔵庫近くに乱雑に纏めていたのだ。

私はそれを手に取り、寝室に向かう。

修也は私に背を向けたまま飲み掛けの缶ビールを手に取り、独り言なのか私に話しかけているのかずっと喚き続けている。



「つーかおかしいよな、お前が相手してる客はお前に酒奢って金払って、それで稼いだ金でお前は俺を養ってんだもんな?つまりなんだ、俺は結果的に見ず知らずのオッサン共に食わせて貰ってんのか?ウケるー。ウケるしくだらねぇ!!ってか、飲み屋に行くようなヤツなんて冴えないサラリーマンばっかなわけだろ?上司にへつらい後輩には嫌われ、ストレス発散で飲み屋で金使って女に構って貰ってるわけだ。虚しい奴らだな。で、そんな虚しい奴のおかげで俺は家で酒飲めてるってか…マジでどうしようもねぇ世界」


修也が振り向こうとした瞬間、私は一升瓶を握っている手を上から下へと振り落とした。

修也は私の目の前で頭から血を流し倒れる。


「うぅ…てめぇ何すん」


急に背後から殴られた修也は一度怯んだが、直ぐに私に抵抗しようとしてきた。でもすぐに体の動きは止まり、言いかけた言葉も途切れた。

割れた瓶の破片で、私がすかさず修也の喉を掻っ切ったからだ。

部屋が静寂に包まれ私はその場でへたり込んだ。ボーッとしていた頭が徐々にクリアな状態に戻ってくる。そして最初に頭をよぎったのは…最期、修也は私のことを“お前”や“てめぇ”としか呼ばなかったんだなぁ、という虚しい現実の反芻だった。

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