雨の日

第10話

傘に打ち付ける雨音と、ビルに設置されたスクリーンで流れている広告映像の音、さらには人の話し声が飛び交っていて常に五月蝿く感じる今日。

私は傘を差しながらのプラカード持ちでひたすら時間を潰していた。世間的には給料日前だし雨も降っているのだから、例え健気にプラカード持ちをしていたとしてもお客さんが入らない時は入らない。

私が今店頭で立っているのは順番に交代していって2周目だ。“今日はこういう日なんだ”と諦めている。

一瞬スマホを確認してみたが、営業連絡をした常連客からはいい返事は帰って来ていない。「また今度行くよ」と既読スルーばかりだった。





営業連絡をした人の中にはジョンちゃんはいない。

ジョンちゃんの気持ちを知ってしまったあの日から数ヵ月経っていた。

しばらくは私から定期的にメッセージを送ったりして世間話のようなやりとりはあったけど、ジョンちゃんから連絡をくれることはなかったし、お店にも来ていない。

“連絡はするし、たまにはお店に行くようにもするから”という別れ際の言葉は、結果的には社交辞令だったということになる。それは仕方ないことだと私もわかっているけど。

でも、やっぱりふと期待してしまう。出会った頃のように、雨の日にフラッと顔を見せてくれるんじゃないかなって。









「美奈さーん、交代の時間でーす」




交代のために店から出てきたまりんに声をかけられた。かったるそうな態度のまりんにプラカードを渡し、店内に戻った。

店内にいるお客さんは神田のジジイだけで、今日はケイちゃんが出勤じゃないため仕方なく他の女子大生キャストが相手をしている。当然自分が認めた女しかドリンクを与えないというクソ客なので、女子大生達は顔を引き攣らせながら神田のジジイと話していた。


とても退屈だ。少しだけど、毎日が充実しているように感じられていただけに、今の状況はジョンちゃんと出会う以前の時に戻ってしまったような気がしてしまう。

憂鬱を隠しきれていなかったのか、他のキャストからは最近元気がないと言われてしまった。これは気を引き締めていないとヤスさんにも気付かれれば小言を言われるかもしれない。それはウザいし避けたかったから、私は自分に喝を入れて、営業中は仕事に集中することにした。
















『ただいまー』


朝方、仕事が終わって自宅にたどり着いた。寝室の方から電気灯りが漏れているということは、修也は寝ていないということだ。

案の定、寝室に入るとノートパソコンで作業をしている修也の姿が目に入った。


「あー、おかえり」


特に私に顔を向けることもなく、あいさつ程度の言葉だけを交わして作業を続ける修也。

修也は今、フリーのデザイナーを名乗るようになっている。ケイちゃんが所属している劇団からは、次回作のチラシデザインもまた頼まれたようで、その他にも知り合いの伝で個人経営の飲食店のHPデザインなども引き受けたりしているようだ。つまり、これまでのように家でダラダラ過ごしてはいられないようになったということ。


『もしかして寝てないの?』

「うん、これ終わったら寝る」

『そう』


最近の修也はピリピリしているように思う。気のせい、単純に作業に集中しているからだと言われればそれまでなのだが、やっぱり今までより話しかけづらい雰囲気を纏っているように私は感じる。

知人からの紹介の案件は徐々に増えてきたかもしれないが、それだけでは稼げない。なるべく仕事にありつけるようにと、クリエイターのクラウドソーシングサービスに登録して色々な案件に応募しているようだ。応募したもののやり取りをしてあまりにも単価が安すぎるものは辞退したり、好条件のものは審査段階で落ちてしまったりして上手くいってないと言っていた。


『それは何?HPのデザイン?』

「そう。結構苦戦してるわ」

『そうなんだ。ものすごくお洒落でいい感じに見えるけど』

「いや、美奈とか素人の目は誤魔化せてもクライアントには通用しないよ。つーか俺、本当はWebデザインは専門外なんだよなー」



こうやって度々私を小馬鹿にすることも増えてきた。恐らく本人は無意識なんだけど。

実は、今修也が作業に使っているノートパソコンは私がクレジットカードのリボ払いで買ってあげたものだったりする。元々修也が使っていたタブレット端末は必要最低限の機能しか備わっていなかったため、本格的に仕事を始めるにはパソコンが必要だと言われたのだ。一緒に家電量販店に行って、ノートパソコンの中でもスペックが高くて高価なものを購入した。ついでにアパートの無料インターネットでは心許ないということで光回線の契約もした。そして修也曰くプロ仕様のものだという月額制のソフトウェアも申し込んだ。


修也は今までまともに働いたことがないから当然クレジットカードなんて持っていない。そもそもヒモにそんなものは必要なかった。だからこういう高い買い物は私が代わりに払ってやるしかない。トータルの金額を計算して『そんなに最初から全部買わなくても少しずつ揃えたらいいんじゃない?』と意見したのだが、ため息混じりに「必要な道具も揃えられてないやつに誰が仕事くれるんだよ」と返され従わざる得なくなってしまった。


『…ねぇ、修也』

「え、今度は何?」

『帰ってくる時電車の中でクレカの利用明細ネットで確認したんだけどさ、またなんか新しいの追加されてた』

「ああーHUBだろ?パソコンの周辺機器だよ」



何も悪びれることなく、修也は答えた。最初に色々買った時、修也は私のクレジットカード情報を記録していた。だから普段私がカードを持っていて、修也の手元になくても簡単に買い物が出来てしまう。今回で3回目なので流石に忠告しておきたくなった。



『買い物するときは私に一言言ってほしい。今回はそんなに高価なものじゃなかったからいいけど、パソコンのリボ払い結構きついからさ…水商売とはいえ私もそんなに稼いでるわけじゃないし』

「言ったら今月はしんどいから来月に入ってからにしろとか言うんだろ」

『それは場合によるよ。すぐ必要なものってわかれば納得するし。知らない間によくわからない買い物されてるのが嫌なの』

「俺はよくわからない買い物なんかしねぇよ」

『うんだから、先に言って欲しいだけだってば』

「うるせぇな、俺がやってること全然理解出来ねーくせに文句言ってくんなよ」



そう言われ、私は返す言葉が出なくなってしまった。修也にこんな風に言われたのは初めてだったから。

大きな溜息をついた修也は、イラつきながらパソコンの作業を再開している。

そして、作業をしながら黙っている私に言葉を続けた。



「美奈は俺にちゃんとクリエイターとして仕事をして欲しいんでしょ?だったら黙ってて。俺はちゃんと考えてやってんだから」



それっきり、作業に集中している修也は無言となった。私も黙って着替えてメイクを落とし、静かにベッドに横たわった。

家電量販店へパソコンを見に行ったあの日に戻りたいと思った。値段を確認して『高すぎるから日雇いバイトでもしてお金貯めなよ』と言ってやればよかったのだ。

「道具が揃ってないと仕事にならない」とは言っていたものの、多分修也は私に無理矢理買わせるなんてことはしなかったと思う。

それを修也のためならと買い与えたのは私自身だ。修也が私のカードを勝手に使う癖がついてしまったのも、私に対して高圧的な態度を取るようになってしまったのも、全部自分が招いたことなのだ。



壁を向いて横になっているので、片方の目から溢れた涙がもう片方の目を濡らして視界が滲む。鼻を啜る音が修也には聞こえているはずだけど、彼からは何の反応もなかった。

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