報告
第9話
「へー、よかったじゃん!じゃあこれからイラストデザインの仕事増えてくるかもしれないね」
『うん。まぁ、本当に小さな一歩なんだけどね。でも修也も前向きな感じだし』
とある休日の昼間。私は新大久保の韓国系のグッズショップや飲食店が並ぶ通りをジョンちゃんと歩きながら、この前の劇団パンフレットの件の結果を報告していた。
数日前にジョンちゃんがまた中村さんに連れられてうちの店にやって来た。その時に韓国料理の話になって、韓国人の視点で美味しいと感じる店に連れて行ってくれることになったのだった。
サムギョプサルやチーズタッカルビぐらいしかわからない私にとって、今日はかなりワクワクするイベントだ。
「最初は知り合い伝の仕事でも、経験積んでいけば自信がついて、もっと大きな仕事に自分から応募しようって気持ちになるかもしれないしね」
『どうなんだろ…そこまでのハングリー精神が修也にあるのかな…』
「そこは美奈さんが頑張らないと!だって今回も美奈さんの頼みだったから引き受けたんでしょ?」
『まぁ、そんな感じ』
「じゃあ、やっぱり彼の原動力は美奈さんってことなんだよ」
そんな話をしながらいつの間にか辿り着いたのは、メインストリートからちょっと外れたところにある家庭的な雰囲気が漂う韓国料理屋だった。
話をしながらだったからどうやってここまで来たのか全く覚えていないし、にわかに韓国ブームに乗っかってる程度の私だけだと入らないような雰囲気のお店だ。
「昼間だけど飲んじゃう?休日だし」
『そうだね、飲んじゃおっか』
ジョンちゃんに注文はまかせることにした。韓国メーカーのビールと焼酎、料理はキムチチゲ、ポッサムという肉料理をとりあえず頼んだようだ。
あまり馴染みのないラベルの瓶ビールと焼酎にグラスが2つ、そして韓国料理屋に行くとこれも定番の、大量の突き出しがテーブルに並んだ。
「最初はビールで乾杯しよう。で、もし美奈さんが平気ならソメクも試してみない?」
『ソメク?』
「焼酎のビール割りだよ。爆弾酒っていう意味」
『あー!ドラマで見たことあるやつだ』
ジョンちゃんに言われて最初の一杯だけをビールにして次からはソメクにして飲んでみた。
思っていたより飲みやすかったけど、これはペースを考えないと後々酔いが回ってきそうだと感じて、お酒は控えめに料理をメインで楽しもうねとジョンちゃんと決めた。
ポッサムは茹で豚のことで、サムジャンというにんにくが効いた味噌や青唐辛子を乗せてサンチュやエゴマの葉などの葉物野菜で巻いて食べるものだ。
サムギョプサルよりもしっとり柔らかい食感で、今日付けで私の好きな韓国料理ランキング1位となった。キムチチゲもお酒を飲みながらだと適度に酔いさましになっていて、流石本物の韓国人チョイスでバランスがいいなと思った。
「カンジャンケジャンとかスンデとかも頼もうか考えたんだけど、もしかしたら苦手かもしれないと思って食べやすいメニューを選んだんだよ」
『そうだったんだ。確かにどっちも美味しいよ、ナイスチョイス。ジョンちゃんは韓国料理何が好きなの?』
「俺はテンジャンチゲっていう味噌チゲかな。あとたまにプデチゲ食べたくなるんだけど、あれは大勢で食べる物だからなー」
『プデチゲ?』
「チゲ鍋にソーセージとかインスタント麺とかの加工食品も一緒に入れるやつ。軍隊の時に大人数でよく食べてた」
『え、ジョンちゃんも軍隊行ってたの?中学生で日本に来てるのに?』
「うん。生まれてから中学生までは韓国で教育を受けてたからね。だから大学生の時に一度休学して兵役に行ってた」
ソメクを飲んでいる影響なのだろうか、いつも私の話を聞いてばかりのジョンちゃんが珍しく自分のことを色々話してくれた。
父親の仕事の都合で中学生の時に日本やってきたが、当時は言葉が全然わからず友達を作るのに苦労したこと、過去でも今でも人種差別を受けることはあるということ、兵役で祖国に帰ったときに韓国で生まれ育った同僚と思春期を日本で過ごした自分では価値観にズレがあって悩んだことなど。
私と1歳しか違わないのに、人生を何周もしているような人なんだなと思った。
「軍隊にいた時ルームメイトの兄さんがいて、良く言われてた言葉があるんだよ。“여자 녀석이야.(ヨジャ、ニョソギヤ)”」
『どういう意味?』
「女々しいやつだな、って感じ。俺は基本イエスマンっていうか、悪口言われても笑って流すし、あんまり自分の意見を主張しないからそういう風に見えるんだろうね」
『私はジョンちゃんが女々しいとは思わないけど…すごく優しい人だとは思う』
「…そうなんだよ、優しいとか温厚とか。そればっかり言われる。俺らの上の世代、会社で言うと上司にあたる人達なんだけどさ。“お前は日本人みたいに温厚だな”ってすげー言われるんだけど、いつもなんだそれって思ってる。あの世代の人に限らず、韓国人は気性が荒いってイメージ持ってる人が少なからずいるのはわかってるんだけど。別に日本人だってみんな温厚なわけでもないのに。文句言いたくてもぐっと堪えて“ありがとうございます”って返してる。高校生の時同じクラスのやつに差別的にイジられた時も笑って誤魔化したよ。もし言い返したり手が出たらやっぱ韓国人だからかって言われるのがわかってたから。あいつらの思った通りにならないことが俺の細やかな抵抗だったんだ……でもたまに自分ってどういう人間なんだろうって思う時がある。優しくて温厚なのはヘイトへの抵抗なだけであって本来の俺じゃないんじゃないか、本当の俺は捻くれた臆病者なんじゃないかっ、て嫌になることもある。っていうか、こうやってウジウジ考えてるから兄さんは女々しいって言ったんだろうな……ごめん美奈さん、つまらない話して」
ふと我に返ったジョンちゃんは後悔したように頭を抱えて私に謝ってきた。めちゃくちゃ沈んでいるように見えたから、慌てて私は彼を慰めた。
『全然平気だよ、むしろ私がごめん。多分私が地雷踏んじゃった』
「いや、美奈さんは悪くない。あー、最悪だよ…多分俺飲みすぎてるから外の風当たっていい?」
私達は韓国料理屋から出て再びメインストリートを歩き始めた。
カッコ悪い姿を見られたと思ってジョンちゃんは落ち込んでいるけど、私は人間味を感じられて良かったと思っている。
今まで私が見ていたジョンちゃんがあまりにも完璧すぎる人だったから。
『ジョンちゃん、ちょっとだけコスメ見るの付き合ってもらっていい?』
「全然いいよ。普段韓国コスメ使うの?」
『ううん。お土産で貰ったことあるぐらいだったから、ちょっと見てみたいなって』
酔って自分語りしてしまった後悔を少しでも早く紛らわせてあげようと思い、いつも通りの私に付き合わせるパターンに切り替えた。
コスメショップで可愛いパッケージの商品を手に取り、いつものようにこっちから話題を振る。
『ジョンちゃんはさ、どういう女の子がタイプ?可愛い系とかキレイ系とか』
「えー、どうだろ…パッと答えられない」
『芸能人でこの人好き、とかないの?』
「んー、映画見てあの女優さん印象的だったなーとか思うことはあるけど…いつも好きになる人のタイプはバラバラだし」
『今まで付き合ったことある人は?』
「大学1年の時に1人だけ」
『嘘!?ジョンちゃんみたいな性格の人絶対女子ウケいいはずなのに』
「そんなことないよ…なんかよく影薄いって言われるし」
徐々に話が盛り上がってきて、私のコスメの買い物も済んで店内から出ようとした時。
雨が降り始めていたことに気がついた。店員が慌てて奥から商品のビニール傘を設置し始める。
「傘、買ってくるよ」
ジョンちゃんがビニール傘を2本取って、再びレジに並ぼうとするところを私が止めた。
1本で大丈夫と。突然の雨で同じように慌ててビニール傘を買った人達が大勢いて、道が狭くなっていたからだ。
そっか、と返事をしてジョンちゃんは1本を戻し、もう1本だけで会計を済ませた。
買ったばかりのビニール傘を広げ、2人で差す。私の肩に雨の雫が垂れていることに気づいたジョンちゃんはグッと肩を引き寄せた。
「服ちょっと濡れちゃってるね。冷たくない?大丈夫?」
『うん、大丈夫…』
傘を差した人で群がる細い通りを、ジョンちゃんは私が濡れないように肩を抱きながら歩いていく。
その状況に私はドキドキしていた。でもそれは私だけではなかったらしい。
これだけの至近距離だから私は気づいてしまったのだ。ジョンちゃんの方が心臓音が大きいことに。
「とりあえず…どっかカフェでも入る?」
『ジョンちゃん、ひとつだけ聞いていい?』
「うん」
『勘違いだったらごめんなんだけど…私のこと、好きだったりする?』
「うん、好きだよ」
即答ぐらいのスピードだった。全然、女々しくなんかないじゃん。
『恋愛的な好き?』
「うん、恋愛的な」
『そっか…やっぱそうだったよね』
私とジョンちゃんは元々ガールズバーで出会った客とキャストだ。そして私を本指名で来てくれているのだから、恋愛感情があるというのはごく自然なことで、その気持ちをわかっていながら敢えて触れずにメッセージのやり取りをしたり、プライベートの時間を共有しながら繋ぎ止めるということも私の職業としてはごく当たり前な事。
でも、私にはこれ以上続けられそうになかった。ジョンちゃんはあまりにも優しくて誠実すぎるからだ。
「美奈さん、俺は今のままの友達みたいな関係で満足してるよ。修也さんの話を聞くのだって別に苦痛じゃない。美奈さんが少しでも幸せな毎日を送れるようになればそれでいいし」
『それは申し訳なさすぎるよ…私がジョンちゃんの優しさに甘えすぎてると思う』
「甘えてくれていい、これからも。美奈さんは覚えてないかもしれないけど…初めて会ってお店で話したとき、俺が韓国人だとわかった後も自然なままで居てくれたじゃん?俺はあれがすごく嬉しかったんだよ」
続けてジョンちゃんはこう言った。
それまでは知り合って間もない人と話すと、必要以上に色んなことを聞かれてきた、と。なんでそんなに日本語がうまいのかとか、全然韓国人に見えないとか、どれぐらい日本に住んでるのか、とか…。珍しい物を見るようなテンションで接してくる人ばかりでうんざりしていたけど、私は国籍など関係なく普通に接した数少ない人物だったのだ。
歌舞伎町で数年働いている身からすれば、外国人やゲイやニューハーフの方が働いている同業の店が周りにあるし、そんなに珍しいとも思わなかったから驚かなかったんだと思うのだけど、それを言うとジョンちゃんがガッカリしてしまうかもしれないので黙っておいた。
何はともあれ、ジョンちゃんは私との人間関係を大切にしたいから今後も交際したいと言い寄ったりはしない、とのことだった。
『でも…やっぱりダメだ、私。ジョンちゃんと一緒にいる時間は私も楽しいよ?だけど私はやっぱり修也が好きだし、これからも修也の未来がいい方に向かっていくようにサポートしたい。今日ね、修也にはお客さんと会ってくるって言ってあるんだけど、常連のおじさんだって嘘ついたの。同世代の人だとは言えなかった。これって世間的には浮気行為だって言われてもおかしくないと思わない?』
「…そうか。それはそうだ」
途中まではおそらくカフェに向かって歩いていたのだが、ジョンちゃんは急に方向転換した。しばらくして新大久保駅の方に歩いているんだということに気がついた。
それがどういうことなのかはなんとなく想像がついた。言わばひとつの区切りのようなものだ。
「今日でプライベートで会うのは最後にしよう」
『うん、その方がいいと思う』
「あ、でも連絡はするし、たまにはお店に行くようにもするから」
『うん…』
「ごめんね、困らせて」
『こっちこそごめん、ずっと黙ってれば良かったのに』
「いや、美奈さんも優しい人だから今のままじゃダメだって思ったんだよ、きっと。だから間違ってない」
駅の改札に着き、ジョンちゃんは差していた傘をそのまま私にくれた。自分は家までそんなに遠くないから平気だと言っていた。
その傘を受け取り、私は改札のほうへと歩いていく。スマホをIC専用改札にタッチする前に立ち止まり、振り返る。
『今日は楽しかった。ありがとう』
聞こえたジョンちゃんは笑顔で手を振ってくれた。
改札をくぐってからもう一度振り返ると、ジョンちゃんはもうそこにはいなかった。
“これからもよろしくね”って伝えたかったのに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます